第28話 最後の夜

―――夜中。

世界はもう寝静まっている頃。

寒さは衰えて、こんな時間でも寒いとは思わないくらいの気温。


みんなが寝静まった後、私は一人寝転んで空を見上げていた。


月も早々に沈み、夜空には幻想的な星々が彩りを見せる。

数えたらキリがない程の星の下、遠くから聞こえてくる波の音が耳に優しく語りかける。

八目島にいる時でも味わえたであろう景色ではあるが、ここから見ているとまるで異世界にいるような気持ちにさせる。

こんなにも落ち着いて星を見た事はあっただろうか。


「寝れないのか?」


突然視界に現れた人物の影と、その声に驚いて悲鳴を上げそうになったのを何とか堪えた。

体は間違いなく数センチ浮いたと思う。

バクバクと脈打つ心臓を抑えながら視界に入った人物をよく見れば、もちろんここにいるクラスメイトだ。


「神君、うん·····ちょっとね、目が冴えちゃって」


「そうか·····邪魔だったか?」


「ううん、そんな事ないよ。一緒に見る?」


神君は何の事か一瞬わからなかったようだが、私の目線を追って夜空を見上げてようやく理解した。


「星か·····。そうだな、たまにはそれもいいな」


珍しく乗り気だった神君は、私の横に腰を下ろし、そして私の真似をして寝転がる。

私の誘いに乗ってくる事自体が意外だったが、一人でいるよりは余計な事を考えなくて済みそうだ。


「今日はすごい綺麗だね」


「·····普段はあまり気にしてないが、改めて見ると確かに素晴らしいアートだ。真っ青な空も、昨日の様な夕焼けも魅力的だが、夜空もまた美しい」


「不思議だよね」


「何がだ?」


「なんでこんなに綺麗なんだろうってさ。当たり前に見えてるものでも、目を凝らして見ると綺麗に見えたりするよね。宇宙なんかさ、なんでこんなに美しく出来てるんだろうってよく思うもん」


「さぁな、それは多分決して解けない難問だろうな。ただ·····」


神君は空に向かって手を伸ばし、その星を手で掴みとろうとしたかのように軽く握って見せるが、もちろんそれを掴む事なんて出来ない。


「あの星を見て美しいと感じられる人間でいられて良かったとは思う」


「神君·····」


空中を泳いだその手はやがて力なく横たわる。

星空から視線を外し彼の方を見れば、その横顔は少し寂しそうにも見えた。


「いつかはこんな純粋な感情も消えてしまうのかもしれない。いつかは今日という日も忘れ、この星の美しさも思い出せなくなるのかもしれない。そういうものなのかもしれないが、それはちょっと怖いな」


多分神君は他の人よりも失う事を恐れているのだ。

彼自身、既に過去という大きなものを失ってしまっている。

その記憶の中にはきっと大切なものも沢山あって、忘れたくない、忘れてはいけないものもあっただろう。

これからも同じように失っていく、消えていくのだと考えてしまえば怖くなるのも当然か。


「私は怖くないよ。いつかはそんな日が来るかもしれないけど、きっとその時はまた違った世界が見えると思うから」


それは願望だ。

この先の未来なんて私にはまだまだ予想出来ないし、それがわかってしまったら人生なんて面白くないだろう。

そこには苦難もあるだろうし、絶望も多いかもしれない。

それでもその分だけ成長した私には世界の広さが見えてくるはずだ。


「今日という日の記憶が霞んで思い出せなくなっても、また新しい今日を刻んでいけばいいんだよ」


「·····確かに、お前の言う通りだな」


「まぁそれ以前に私は忘れる気はないよ。この島で体験した事。みんなでサバイバル生活して、温泉入ったり、あの綺麗な夕焼けも、魔獣と戦った事も。木から落ちて死にかけた事と、神君が助けてくれた事。それと、今この瞬間の事も」


本当に色濃い時間を過ごしたと思う。

果たして私の人生の中でこんなにも濃密な二日間を過ごした事はあっただろうか。

浮かんでこないという事は多分、これを越えるものは過去に例がないという事だろう。


忘れたくても忘れられないはずだ。

私の海馬の容量はどれくらいかわからないが、私は絶対に忘れたりしない。

この島での時間をアルバムにしまって保存しておきたいくらいだ。


「お前は·····」


「神君は·····」


声が重なったのと同時にお互い顔を向き合わせた事で、それ以上声が出なくなった。


向き合った事でお互いの顔の距離が予想していたよりも近かったせいで、見つめあったまま目が離せなくなった。

一気に高鳴る鼓動、全身に電気信号のようなものが流れていくような感覚。

まるで神君に何かしらの魔術攻撃を受けているかのようだ。


見つめ合って数秒が経過しただろうが、時間の流れすら感じられない。

急に恥ずかしくなって、私はとうとう視線を逸らす。


「えっと·····何かな·····?」


「あ、あぁ·····いや、別に·····」


私、今、意識してる。

目の前の彼の事を、一人の異性として意識してしまっている。

昨日の夜の温泉でのトーク、あれの影響も少なからずあるような気もするけど、この幻想的な空気が私を盛り上げてしまってるのかもしれない。


吸い込まれてしまいそうな彼の黒い瞳、高い鼻とバランスのいい顔立ち、落ち着いた声には色気もあり、少し色白な肌はインドア感を出しているが、実は結構筋肉があったり。

今までまともに意識してこなかったが、間違いなく彼は一般的にはレベルが高い部類だろう。

そんな事を考えてしまえばますます彼の方を見る事が出来なくなってしまう。


視線を再び夜空に戻し、気まずい空気を何とか他の話題でかき消そうと模索するが、こういう状況の脳内では不思議な事に何も思い付かない。

そんな私に神様が助け舟を出してくれる。


夜空に一筋の光が流れた。

小さな岩石が地球の大気圏で炎を纏って燃え尽きたのだ。


「あ!流れ星!」


気まずい空気を壊す為、私はいよいよ上体を起こして夜空を指差す。


「願い事は三回言わなきゃ叶わないみたいだぞ」


「でもそれ絶対無理だよね。だって一秒もないんだよ?」


「不可能だということは、もし本当に出来たら叶うかもしれないな」


「神君は願いが叶うとしたら何をお願いする?」


「願い事か·····考えた事もなかったな」


「え!?何も考えた事ないの!?お金持ちになりたいとか、有名人になりたいとか、抱えてる悩みを解消したいとか、恋愛成就とか」


「ないな。まぁ強いて言えば、現状を維持出来たらいいなとは思っている」


「え、すごいね。無欲なんだね」


「そうなのか?現状維持ってのも結構贅沢な願いだと思ったが」


そうなのかもしれない。

今が十分に幸せなら、それ以上を望むのは贅沢だとも言える。


「なんか、大人だね神君」


「いや、単に未来に希望を持てない卑屈なガキだ。俺としてはお前みたいに明るくいれる奴が羨ましい」


「はは、私は神君みたいに落ち着いていたいって思うけどね。お互い無いものねだりって感じかな」


「持ってないものを欲するのは人のサガってやつだろうな」


欲すると言われてドキリとしてしまう私は単純なのだろうか。


「あーあ、なんか勿体ないなぁ。このバカンスももう終わりかぁ。こんな風にもっといれたらいいのに」


「これが日常になったら、今日も昨日も特別じゃなくなっていく。たまにだからいいものもある。それに·····」


彼もようやく体を起こし、私を見ると少しだけ笑みをこぼした。


「こんな風に語ったりするのはここじゃなくても出来るだろ?」


それを聞いて私も嬉しくなって、笑顔を見せずにはいられなかった。


「うん、そうだね」


今日だけが特別な訳じゃない。

ここにいた時間だけが私達の全てじゃない。

明日も明後日もその先も、私達の時間はいくらでもある。


私達の未来はまだ無限に広がっているのだから。

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