第九幕 ③


「洋ちゃん、ご飯できたら持って行くから、あっちで待っててくれる?」

「分かった」

 洋司はソファに腰掛けて、鞄から書類を出し、仕事をし始めた。ほっとして、夕飯造りを再開する。

 洋司が未来に触れる度に、未来は落ち着かない気持ちになった。嫌ではない。キスでさえ、嫌ではなかった。逆に、それが未来を苦しめた。

 侑歩に心惹かれながら、洋司のことも拒めない。もちろん、洋司は夫なのだから、彼の気持ちを思えば拒めないのだが、そうではなく、侑歩とは違う意味で、やはり自分は彼に気持ちがあるのだ。そのことを思い知らされる。

 未来が夕飯をテーブルに運ぶと、洋司は眼鏡を外して、テーブルにやってきた。

「美味しそう」

 そう言って、手を合わせてから食べ始める。未来も一緒に座って食べた。

 食事が終わると、洋司は「食器は僕があとで洗うから」と、ソファに未来を誘った。先に自分が座り、手を広げて、未来に膝に座るように促す。

 え、と未来は固まった。こんな甘い、恋人みたいなことは一緒に暮らしてから今まで、一度もしたことがない。

「僕も恥ずかしいんだから、早く来てよ」

 洋司が照れた顔で言った。頬を赤くしたその表情に、思わずキュンとしてしまう。おずおずと、彼の膝の上に乗った。後ろから抱きすくめるように腕を回し、洋司は未来の髪に顔を埋めた。

「未来が迷ってるのは、分かってる。僕のこと、そういう目で見てこなかったよね。でも、僕はずっと、妹とか家族とか、そんな風に思って未来と暮らしてたわけじゃない。未来と生きていこうと思ってプロポーズしたんだ、未来にも、そういう風に僕を見てほしい」

 未来よりも大人で、社会人で、九歳も年上の洋司には悩みなんかないのだ、とばかり思っていた。こんな風に弱ったところを見たことも一度もない。

 一緒に生きていく、そう思うなら、彼を受け入れていくなら、未来も覚悟を決めなければならない。それができないなら、この人を失う覚悟をしなくては。

「洋ちゃん、」

 未来が洋司を振り返ると、洋司は顔を上げ、未来の頬と耳に唇を寄せてから彼女の目を覗き込んだ。二人の間に揺れる感情。洋司は様子を窺いながら、ゆっくりと未来の唇に自分の唇を近付ける。

 二人の唇が重なった。洋司は未来の頭を両手で包み込み、自分の方に引き寄せる。未来の上下の唇を交互に挟み吸った。息を吸う未来の口の中に自分の舌を差し入れる。未来を推し量っているのが、そのキスから感じられた。どこまで、未来が自分を受け入れるか、洋司は試している。未来が拒んだら、彼は止めるだろう。それだけの理性と愛が、彼にはある。

 また、涙が未来の目から流れた。

 洋司の愛が彼女の中に、染み入るように流れてきた。

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