旅立ちの日
「母上、では行って参ります。父上の名に恥じぬ立派な竜騎士になってみせます。どうか僕のこれからを父上と共にお見守りください」
届けられたばかりの赤い竜騎士見習いの制服を着たティミーは、僅かの間に急に大人になったようで、言葉遣いやちょっとした仕草に今は亡き夫の面影を垣間見る事があり、ヴィッセラート伯爵夫人はその度に涙を堪えていたのだった。
あまりにも急に自分の手の中から旅立ってしまう事が決まったまだ幼い息子。それでも彼女はしっかりと顔を上げて堂々と挨拶をする息子の顔を正面から見つめた。
「いってらっしゃいティミー。しっかりと、精霊王より賜った、己にしか出来ぬ聖なる役目を果たしなさい。お父上は常に貴方の側におられますよ」
しかし、平然としていられたのはそこまでだった。
「どうか、どうか体には気をつけて……怪我にも気をつけるのですよ。ロベリオ様や竜騎士の皆様方の言う事をよく聞いて、しっかり、しっかり学びなさい……」
堪えきれずに見開いた瞳からあふれ出る涙は頬を転がり落ち、彼女のドレスの襟元を濡らした。
「ティミー、ティミー、ティミー!」
高ぶる感情のままに愛しい息子の名を呼びながら、ただ抱きしめる事しか出来ない。
「泣かないでください、母上。二度と会えないような遠くへ行くわけじゃありません。それに来月には帰ってきますからね。来月なんて、すぐですよ」
目を潤ませつつも平然と笑う息子の言葉に我慢出来なくなった夫人は、とうとう辺りをはばからず声を上げて泣き始めたのだった。
少し離れたところでラプトルの横に立ってその様子を見ていたロベリオは、号泣する母に抱きしめられながらもチラチラとこちらを気にするティミーに、笑顔で手を振った。
「構わないから、お母上の気が済むまでお相手をして差し上げて」
小さな声でティミーの耳元に声を届けたロベリオは、今日の段取りを頭の中で復唱しながら密かに小さなため息を吐いた。
「ううん、色々とやらなきゃならない事が予想以上にあるなあ。ユージンと二人でよかったよ。俺一人だと自分の事が全く出来ないだろうなあ。ルークやヴィゴ、タドラはよくこれを一人でやってるねえ」
苦笑いしてそう呟き、大きく深呼吸をしてよく晴れた空を見上げる。
見上げた真っ青な夏の空には、白い雲が一つだけ、まるで綿をちぎってそこに置いたかのようにぽっかりと浮かんでいる。
「いいお天気だ。新たな旅立ちにはうってつけ、ってとこかな?」
集まってきていたシルフ達が、ティミーとお母上の真似をしてあちこちで抱き合うのを見て小さく笑い、大人しく待っている自分のラプトルを手を伸ばして撫でてやった。
「あの、大変お待たせいたしました」
ようやく母から解放されたティミーが、まだ少し赤い目をしながらこちらに向かって走って来る。
「おう、慌てなくていいぞ。時間は充分あるからな」
笑ってそう言ってやり、ティミーの後ろから真っ赤な目をしながらも気丈に顔を上げてこちらへ駆け寄って来るヴィッセラート伯爵夫人を見た。
「大切な御子息は、我々が責任を持ってお預かり致します。どうぞご安心ください」
「ロベリオ様。どうか、どうかティミーの事をよろしくお願いいたします。ご覧の通り、歳の割に身体も小さくまだ非力な子供でございます。厳しい訓練に耐えられるかどうか……」
戸惑うように小さくそう呟き俯いてしまう。
「きっと大丈夫ですよ。亡くなられたヴィッセラート伯爵閣下も決して小柄な方ではありませんでしたからね。レイルズがオルダムに来てからどれだけ身長が伸びたかご存知ですか? 成長期の少年を舐めちゃあいけませんって」
笑って右手でティミーの頭をそっと撫でてやる。
「ええ、レイルズ様って、そんなに背が伸びたんですか?」
「おう、まあ元々身長はそれなりだったけど体はまだまだ細かったからなあ。実を言うと、今ティミーが着ているその見習い用の制服。それってレイルズがこっちへ来て一番最初に作った制服を仕立て直したものらしいよ」
驚きに目を見開くティミーに、ロベリオは笑って片目を閉じて見せる。
「な、だから将来は未知数だよ。頑張ってまずはしっかり食べて基礎訓練で体力をつけるところからだな」
「はい、がんばりますのでよろしくお願いします!」
無邪気なその答えにヴィッセラート夫人がまた泣き出す。
もう一度しっかりと抱きしめて頬にキスを贈ったヴィッセラート伯爵夫人は、ゆっくりと手を離して後ろに下がった。
マーカスが用意していたラプトルを引いてくる。
「どうぞ」
渡された手綱を握ったティミーは、小さく深呼吸を一つして鎧に足をかけると、軽々と高い背中に乗せられた鞍に一息に跨った。
父上から贈られたこの大きなラプトルも、今ではもうすっかり乗りこなしている。
「では、行ってまいります。母上」
見送りに出てきた屋敷の執事達や侍女達にも笑顔で手を振り、同じくラプトルに跨ったロベリオと並んでゆっくりと本部へ向かって出発した。
「いってらっしゃいティミー、貴方のこれからに、幸多からん事を。精霊王よ、どうかあの子をお守りください……」
明るい日差しの中を胸を張って進み始めたティミーを見送りながら、その場に跪いて額に握った手を当てて祈る彼女を見て、執事や侍女達も同じようにしてまだ幼い彼の旅立ちを見送ったのだった。
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