ありし日の父

 どこか遠くで鐘が鳴っている。

 聞き慣れない、いつもとは違うその鐘の音を聞きながらレイは、ぼんやりと霧の中で漂っているかのようなふわふわとした感じに包まれてうたた寝していた。

 柔らかなその感触は、いつものソファーのクッションとも違う不思議な柔らかさをしている。

 これが何なのか分からず、ぼんやりとした頭で考えようとしたが果たせなかった。

 どんどん眠気が強くなり、レイの意識はそのまま吸い込まれるようにまた霧の中に消えていった。



 不意に聞こえた腹の底に響くような、堂々たる鐘の音にレイは飛び起きた。

 突然鮮明になった意識に驚き目を開こうとしてさらに驚く。自分の意に反して瞬きが出来ないのだ。



『あれ? ここ……何処?』



 ぼんやりと見えてきた場所はどこかの部屋のようで、こじんまりとした部屋の隅に置かれたベッドが膨らんでいるので、おそらく誰かが寝ているのだろう。

 部屋の壁には軍服のような制服が掛けられているが、それは見慣れたファンラーゼンのものではない。

 その隣の金具には、革製の剣帯が掛けられているし、足元の剣置き場には大振りの剣と短剣が立てかけられている。

 少し離れた棚には、レイも使っているのと同じ、赤樫の木で作ったと思われる大小の金剛棒が何本も並べられていた。

 どうやらこの部屋の住人は、武人のようだ。

 その時、レイの視界が突然ふわりと浮き上がりベッドに向かって飛んでいった。


『起きて起きて』

『朝ですよ〜』

『起きて起きて』

『時間だよ〜』


 まるで、いつものレイの部屋のように、シルフ達や光の精霊達が集まって来て、楽しそうにそう言いながら丸くなったシーツを引っ張って剥がした。

 毛布の中に潜り込んでいた見事な赤毛が見えて驚くレイに構わず、レイの視界の持ち主と思しき精霊も、周りの子達と一緒になってレイよりもやや硬そうな短い赤毛を引っ張り始めた。



『あの赤毛って、まさか……』

 まるで、そのレイの呟きが聞こえたように、毛布に潜り込んでいた赤毛の人物が顔を覗かせた。

 眉を寄せてまだ眠そうにしつつも起き上がって、腕を思い切り天井に向けて伸びをする。そのままベッドから降りて立ち上がり、もう一度伸びをしながら大きな欠伸をする。



『父さん!』

 間違いなく、その人物は以前過去見で見た父さんの姿だった。

 しかし、あの時見た姿よりもまだかなり若く見える、おそらくだが、レイと変わらないくらいの年齢なのだろう。

 そして気が付いた。

 父さんの左手の中指には、まるで父さんの瞳の色を写したかのような見事なエメラルドの指輪が嵌っていたのだ。

 そして、枕元の綺麗な細工の入ったトレーに置かれているのは、あの竜のペンダントと同じものだったのだ。

『でも目の色が違うや』

 父さんのものなのだろうその竜のペンダントの瞳は、とても綺麗な濃い紺色をしていた、間違いなくあの色はラピスラズリだ。



「おはよう。いつも起こしてくれてありがとうな」

 振り返った優しい声にも聞き覚えがある。

 これは間違いなく、父さんの若い頃だ。

 慣れた様子で、いつもレイも着ているような白服に着替える父さんを見て、もっと鍛えようと密かに思った。それくらい父さんの体には立派な筋肉がついている。

「よし、今日も元気だ!」

 顔を洗って両手で自分の頬を叩いてから、トレーに置いてあった竜のペンダントを身に付け、棚に置かれていた大小の棒を手にして部屋を出て行った。

 レイの視界の精霊もその後を追う。その動きから、恐らくこれはシルフの視界なのだろうと思われた。




「おはようございます!」

 建物の外に出た父さんは、渡り廊下を歩いて綺麗に整備された砂が敷き詰められた訓練場で、同じ服装の人達と挨拶を交わす。

 レイは、時折目に入る建物の見事さに驚きを隠せなかった。

 ここはおそらく兵士の宿舎と思われたが、建物自体もとんでもなく大きい。

 渡り廊下の横の壁には細やかなタイル模様で精密な幾何学模様が描かれているし、全ての柱にも賢者のように髭を生やして杖を持ち羊皮紙を手にした人物や、精霊達や動物達が、まるで生きているかのように精密な細工で刻まれていた。

 お城の中でもこんなに見事な細工がある場所は限られているだろう。



 何人もの年上の人達が集まって来て、父さんの背中や肩を叩いて笑いながら何か話をしている。

 準備運動の後に始まった棒での打ち合いは、レイの朝練での打ち合いとは桁が違っていた。

 とにかく早い、そして父さんを含めて全員がとんでもなく強い。

 もしもここにレイが入ったとしたら、一方的に叩きのめされる事しか出来ないだろう。恐らく全員がヴィゴと同等かそれ以上だ。

 しかも父さんを含めた全員が、あのとんでもなく重くて短い金剛棒を使って打ち合っているのだ。

 まるで金属を打ち合わせるかのような甲高い音が響き、翼が生えているのではないかと思うくらいに身軽に飛び上がっては打ち合う父さんと仲間達。

 皆真剣な顔で、一刻近くを休みもせずに時に相手を変えながらひたすら打ち合い続けた。



「ああ、相変わらずレイルズは凄いな」

「全くだ。将来有望だな」

「まだ十七だぞ。全く末恐ろしいよ」

 年配の男性達が嬉しそうにそう言って笑い合い、白服を脱いで汗を拭いている。照れたように笑った父さんも、白服をその場で脱いで流れる汗を拭い始めた。

 驚いた事に、そのうちの何人かの胸元にはあの竜のペンダントが輝いていたのだ。

 しかも、大きな石を抱いた竜の向きが違う事にレイは気付いた。



『もしかしてこの人達って……』

 しかしレイの呟きは言葉にはならず、突然に視界が真っ暗になり、唐突に場面が変わる。




 次に見えたのは、ニーカよりもまだ小柄な、恐らく十歳にもなっていないであろう一人の少女だった。

『母さん……』

 花と緑に包まれた中庭のような場所に設置された石の椅子に座っているのは、何人ものシルフ達や光の精霊達と遊んでいる、まだ幼い母の姿だった。

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