精霊の泉の物語

「僕、こんな時間に外に出るのなんて初めてです」

 目をキラキラと輝かせるティミーの言葉に、皆笑顔になる。

 先頭にルークとレイが並んで歩き、その後ろにロベリオとティミーが続きその後ろにユージンとランタンを持ったタドラが続く。

 レイとルークの頭上には光の精霊達が現れて明るい光を放って足元を照らしてくれている。

 彼らを見て慌てたように駆け寄って来た警備の兵に、ルークが精霊の泉へ行く事を伝えてそのまま進む。

 直立状態で敬礼して一同が見えなくなるまで見送ってくれた警備の兵士を、ティミーは目を輝かせて何度も振り返って見ていたのだった。

 そのまま一同は茂みのある細い道を進み、少し広くなった道を光の精霊達に照らされて通り抜ければ一気に目の前が開ける。



 その先にある精霊の泉は、今日も多くの精霊達が集まって楽しそうに遊びまわっていた。



「うわあ……すごい」



 突然開けた視界に飛び込んで来たその光景に、ティミーはそう呟いたきりあとが続かず、目を見開いたまま立ち止まってしまう。


『誰!』

『誰!』


 警戒したシルフ達の声に、笑ったレイが手を振って応える。

「驚かせてごめんね。僕だよ。えっと、ルークとロベリオとユージン、タドラ。それから新しくターコイズの主になったティミーもいるんだ。そっちへ行ってもいいでしょう?」

 レイの言葉に一斉に警戒をといたシルフ達が、笑いながらこちらへ飛んでくる。


『新しい主様』

『新しい主様』

『愛しい竜の主様』

『ようこそようこそ』

『遊ぼう遊ぼう』


 口々にそう言って笑いながらティミーやレイの髪を引っ張る。


『主様だ』

『主様だ』

『主様がいっぱい』

『我らの友』

『愛しき友』

『夜更かし夜更かし』

『遊ぼう遊ぼう』


 シルフ達に混じって光の精霊達も口々にそう言いながら集まって来て、彼らの周りをふわりふわりと飛び回っては順番にキスを贈る。

「シルフ達はああ言ってるけど、どうする?」

 振り返ったレイの言葉に、ティミーはコクコクと何度も頷く。

 しかしその視線は、精霊の泉に釘付けのままだ。



 しばらく沈黙していたティミーだったが、レイに背中を押されて泉のそばまで近寄り、並んで泉の縁に座る。

 目を輝かせて泉で遊ぶシルフ達を見ていたが、突然レイを振り返って話し始めた。

「僕、精霊の泉って題名の本を持っています。父上がお元気だった頃に僕に降誕祭の贈り物でくださった大切で大好きな本なんです」

 そのティミーの言葉に、集まってくるシルフ達や光の精霊ウィスプ達を撫でてやりながら目を輝かせたレイが振り返った。

「へえ、それは読んだ事が無いや。どんなお話なの?」

 並んで仲良く泉の縁に座って話し始める二人を、大人達は少し離れて面白そうに見ている。

 シルフ達やウィスプ達も、彼らの会話に興味津々だ。



「森に住む木の精霊、エントが見たとされるとある人間のお話です。深い深い森の奥にある精霊の泉であった出来事で、その森に全てを失って迷い込んだ男が、そこへ来て初めて見えるようになった精霊達と仲良くなって、森に小さな丸太小屋を建て暮らし始めます。その男は毎日のように泉のほとりへ来て、精霊達を様々な話をするんです。人間の愚かさや醜さ、でも暖かく優しい人もいる事。だけど自分はもう全部無くしてしまったと言って、その人物はいつも笑いながら泣くんです。でも精霊達にはその複雑な彼の感情が解らなくて、笑っていると思って喜ぶんです。僕、その場面を何度読んでも涙が出て止まらなかったんです」

 何度も頷くレイを見て、ティミーも頷く。

「でも、その主人公は、最後には自ら望んで精霊界への扉を開いて旅立って行ってしまう。後に残ったのは空っぽの小屋だけ。ってそんなお話です」

「ええ、精霊界へ行った人間は、二度と帰れないって聞いたよ」

 驚くレイに、ティミーは頷く。

「はい、そのお話の中でもシルフ達がそう言って何度も彼を止めていました。でもその主人公の男性は、現世への未練は無いからと言って、結局何もかもを捨てて旅立って行ってしまうんです。お話はそこで終わっているので、その彼が精霊界でどうなったかは読者の想像に委ねられるんです。未知の世界へ全てを捨てて行ってしまった主人公をレイルズ様はどう思われますか?」

 突然のティミーの質問に、レイは少し考えてから答えた。

「可哀想だね。きっとその彼には、この世界に自分の居場所が無かったんだろうね。森へ来るまでに何があったのか分からないけど、しばらくは森で暮らしていたんでしょう。それでも、せっかく築いたそれさえも全部また捨てて精霊界へ行ってしまうなんて……可哀想な人だと思う。彼を引き止めてくれるものが、この世界には何も無かったんだもの。もっと単純に、未知の世界への好奇心で扉を開いて行ってしまった。って言われたら、きっと笑って、行ってらっしゃい楽しんで来てねって言えたと思うな」

 いかにも彼らしい答えに、ティミーが黙って頷く。

 話を聞いていたルーク達も、苦笑いしつつも同意するように顔を見合わせて頷き合っていた。

 しかし、ティミーは膝の上に座ったシルフを撫でながら、寂しそうに笑って首を振った。



「僕は、僕は全部を捨てて精霊界へ行く事が出来た主人公が羨ましかった」



 驚くレイに、ティミーは晴々と笑った。

「父上が急に亡くなって、母上がどんどん笑わなくなって、とうとう僕に手をあげるようになった頃。辛い事がある度に、実は夜になるとその本を持っていって、ベッドに潜り込んで何度も何度も読み返していました。もうそらんじるほどに読み返して、僕も全部を捨てて精霊界に行けたらいいのにって、ずっと思ってました。でも精霊の泉がある森の奥には一人では行けないからって、そう思って諦めていたんです。まさか、まさかこんな所にあったなんて……」

 まるでその物語の主人公のように、笑いながら泉を見てポロポロと涙をこぼすティミーをレイは慌てて横から抱きしめた。

「そんな悲しい事言わないで。大丈夫だよ。お母上だって君を愛しているからこそ間違ってしまったんだ。大丈夫だよ、君は一人じゃない」

『そうだティミー』

『我を一人にしないでくれ』

 ターコイズの使いのシルフの悲痛な声に、振り返ったティミーは笑って首を振った。

「大丈夫だよ、僕は何処にも行かないって。今の僕は幸せだよ。レイルズ様とルーク様が来てくださったあの日から、僕はもうあの本を泣きながら読む事は無くなったよ。大好きだよゲイル。ずっと一緒だからね」

 涙を拭いて笑ったティミーは、そっとレイの腕を叩いて解かせるとターコイズの使いのシルフにキスを贈った。

 それからちょっとわざとらしいくらいに元気な声でそう言いながら立ち上がって、頭上にいて自分を心配そうに見ているシルフ達を見上げた。



「ねえ、遊ぼうよ。どうやって遊べばいいの? 教えてよ!」



 その言葉にシルフ達が一斉に大喜びで集まって来た。

「ねえ、レイルズ様も一緒に遊びましょうよ。教えてください。ここではどうやって彼女達と遊べば良いんですか?」

 その言葉に笑顔で立ち上がったレイルズだけで無く、ルーク達も笑いながら集まって来た。

「それじゃあ、先輩である俺達が、見習い達にちょっと激しい遊びを教えてあげようじゃないか」

 にんまりと笑ったルークの言葉に、抱き合って笑いながら悲鳴を上げたレイとティミーだった。

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