タガルノの春とアルカディアの民達

「へえ、妃殿下が夜会でそんな事をしたって? さすがにあの坊やは愛されてるなあ」

 ガイが話す、昨夜の夜会でのレイと巫女達とティア妃殿下の舞台の一部始終を聞いていたバザルトが、感心したようにそう言って笑う。

「愛されてるってのは否定しないな。後見人の王妃だけでなく、皇太后までがあの坊やに夢中だからな」

「まあ、確かに彼は可愛かったからな」

「確かに可愛かった」

 ネブラとルーカスが、そう言って笑いながらうんうんと何度も頷いている。

 花祭り中に竜の背山脈の花畑でレイに会った三人は、ガイと顔を見合わせて同時に吹き出した。

 彼らがいるのは、タガルノ郊外にある森の中に作られたアルカディアの民達が集まる野営地の天幕の中だ。ここが現在の彼らの前線基地となっている。



 今の彼らは、常時タガルノの城の内部の様子を観察しつつ、今やすっかりタガルノの政治の中枢人物になったと言っても過言ではないパルテスに数々の薬を届けたり、定期的に光の精霊を預けて城の内部や王女の身の回りの浄化処置を行なったりしている。おかげで、王女の背中の痛みはかなり楽になっているらしく、闇の気配はピタリと鳴りを潜めている。

 城内の浄化処置は、地下にいる闇の気配への牽制の一つにもなる。だが浄化の威力としてはごくささやかなものだ。

 万一にも城の地下にいるあの怪物が出てくるような事態になれば、それは一瞬で消し飛ぶ程度の威力でしかなく焼け石に水だろう。だが、どんな小さな事でも彼らは決して浄化処置を疎かにしない。

 その小さな差が、大きな戦いの勝敗を決める一手になる事だって、決してあり得ない話では無いのを彼らはよく知っていたからだ。



「どこかの国の、血が繋がってる妹と結婚し、それなのに今では両手でも足りないほどの妾を持つ下半身に節操の無い王と違って、かの国の皇太子と隣国の美姫と名高い姫君の婚礼はつつがなく終わりました。大勢の人々と竜達から沢山の祝福を受け、嫁いだ妹を溺愛していた隣国の兄上は、彼女が幸せになったのを見届け、別れの涙を堪えて一人寂しく国へお帰りになりましたとさ。めでたしめでたし」



 ガイのふざけたその言い方に、聞いていた周りの者達までが揃って笑う。

「ふざけるんじゃ無い。と言いたいが、ほぼその通りで何一つ間違っていないところがなかなかに笑えるなあ」

「現実は、下手な物語よりも遥かにとんでもない馬鹿な展開を用意してたりするからなあ」

「全くだ。でもまあそれはあくまでも城内部の話だ。今年の冬は、タガルノでも少なくとも去年と違って村ごと凍りついたり、わずかな蓄えをいなごの大量発生に全部食い荒らされて、村ごと餓死して全滅するような事態にはならないだろうさ」

「食糧の備蓄は、各地にそれなりに出来るようになるようだからな」

「今年の秋は、おそらく近年のタガルノ史上最高の収穫高になるはずだ。食料を買い占めようとする馬鹿な貴族達をパルテスが抑えてくれれば、それなりに食料が市場に流通するだろう。国民をまずは飢えさせない事。全てはそれからの話だ」

「大地の竜を一頭とはいえ国内に戻せたのは大きかったな」

 ネブラの言葉にガイも苦笑いしつつ頷く。



 彼らはこの春、ファンラーゼンの竜の保養所へ出向き、去年の冬に送った大地の竜の子供を一頭だけタガルノに戻らせたのだ。

 場所は、パルテスが王に頼んで賜った辺境の土地で、元は穀倉地帯だったのだが、今や見る影もなく荒れ果てていた場所だ。

 雪解け前から工事を告知して人を集め始め、朽ちかけていた元領主の屋敷をまずは修理して、庭の敷地ギリギリに巨大な高い塀を大きく一周張り巡らせた。

 これには地元の人達を大量に雇い、日当を払って突貫工事で働かせたのだ。

 おかげでその土地は噂を聞きつけて仕事を求めた人達が近隣の村々から一気に集まり、ちょっとしたお祭り騒ぎになったほどだ。

 人海戦術で何とか工事が終わり、その人達の一部をそのまま農夫として雇い、引き続き土地を耕して芋の植え付けを始めたのだ。

 荒地でもそれなりの数が収穫出来るジャガイモは、タガルノの大切な主食の一つだ。

 今はとにかく一つでも多く食料となるものを作る事が最優先事項となっている。冬の厳しいタガルノでは、食料が尽きることは、すなわち死を意味する。



 工事が終わり無事に屋敷の周りを高い塀が取り囲んだところで、さらに屋敷の南側の広い庭に屋根の無い大きな背の高い櫓のような丸太小屋を建てた。

 使用人達は、何の為のものなのかさっぱり分からず首を傾げていたが、この屋敷の新たな主人が竜人だと聞き納得した。

 知識は豊富だが変わり者の代名詞ともなっている竜人は、普通の人には理解出来ないような事を時折平気でしたりすると聞いた事がある。

 この屋根の無い壁だけの丸太小屋も、きっと主人のそんな気まぐれの一つなのだろう。

 その程度に考えて、決して近寄るなと命令されている事もあり、南側の庭は誰も近寄らないために雑草が生え放題となっている。



 実はその丸太小屋の中には、戻って来た大地の竜の子供がすっぽりと収まっているのだ。



 まだ幼いとはいえ、大地の竜がそこにいるだけで周辺の土地は肥え植物達の成長が早くなる。

 近隣のノームはようやく姿を完全に地表に表せるようになり、せっせとあちこちに出向いては少しずつではあるものの、大地本来の力を取り戻させる為に様々な準備を密かに行っている。

 まだ今年の作付けは少なかったが、来年はもっと多くの土地でじゃがいもを植える事が出来る様になる。そうすればもっと人々は元気になるだろう。

 大地の竜が戻る事により土地が肥えて実りが増え、作付けが増える事で仕事も増える。収穫が増えれば買い占めも減り、市場に物が流通するようになれば街や村も活性化する。

 この好循環を作り出すのが、まずは目標だ。

 余裕が出来たところで、今度は人々に竜の大切さとありがたさを教えていかなければならない。

 まだまだ道のりは険しいが、少しずつでもこの国が良くなっていくように皆願っていた。



 本来ならば傍観者であるアルカディアの民達がここまで細かに手を出すのは、一つにはエントの大老がガイにかけた言葉のおかげでもある。

 大爺はこう言われた。

 思う通りに進むが良い、と。彼の手がいずれ、大いなる光のかけらを拾う事となる。その光によって多くの者が救われ、また多くの者を倒さねばならぬ。遮る枝を払い、その光を決して消さぬようにせよ、と。



 それはつまり、大いなる光のかけらが何であれ、傍観者であっては決して出来ない事だ。

 それ故、今のアルカディアの民達はバザルトを頭領として集まり、ガイの考えを元にして動いているのだ。



「誰の目にもまだ、確定した未来は見えない。今はそれぞれが出来る最大限の事をするだけだ」

 そう呟いて、明らかに以前よりも深くなった森の緑を見上げたガイは、自分に手を振るシルフ達に手を振り返して笑ったのだった。

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