恋愛物語

「はあ、もうこれ以上の幸せなんてない気がする……」

 マークの呟きに、キムも同じくらいにとろけそうな笑顔で頷いている。

 レイとクラウディア達も、そんな彼らを見て苦笑いしつつも、同意する様に同じく大量の本に埋もれて頷き合うのだった。



 ディレント公爵からいただいた大量の本に埋もれて、結局勉強会の初日は読書三昧で一日が終わってしまった。

 午後のお茶の後にディレント公爵は笑顔で帰って行き、もしや夕食もご一緒するのかと心配していたマーク達を密かに安堵させていた。

「今日はもう本読みだけなの?」

 風を通すために少しだけ開けられた、小さな窓から見えるすっかり暮れてしまった窓の外を見つつ、ニーカが首を傾げながらそう言ってレイを振り返った。

「そうだね、初日はどちらにしても本を読んで過ごそうと思っていたからさ。夕食の後は、他の本棚の本も見てみるといいよ。旅行記や随筆、英雄達の物語とか、えっと恋愛のお話なんかもあるよ」



 その言葉にニーカだけでなく、横で聞いていたクラウディアとジャスミンも目を輝かせて顔を上げる。



「えっとね、以前ここでマーク達と勉強会をした時は、午前中は精霊魔法に関する本を読んだり構築式や魔法陣の展開について話し合いをしたりして、午後からは実際に庭に出て合成魔法の実証実験なんかをやったりしたんだ。それで、日が暮れた後はまた戻ってそれの検証。夕食の後は休憩や気分転換を兼ねて、それ以外の物語や随筆なんかを読んだりしていたんだ。僕のお気に入りは、冒険伯爵の物語と、嘘つき男爵だよ!」

 目を輝かせるレイの言葉に、どちらの物語も知っているジャスミンが呆れたように首を振った。

「それはどちらも確かに面白いけれど、女の子が読むなら絶対恋愛ものよね。私のお勧めは、雪原の彼方へ。両家が不仲で交際を禁じられた精霊使いの男女が、駆け落ちして北の竜の背山脈にあると言う精霊達の故郷とも言われている黄昏の国へ逃げようとするの、逃避行の果てに二人がどうなるかは、読んでみてのお楽しみね」

 何冊かルークに言われて恋愛ものも読んだけれど、そのお話は記憶に無い。

「へえ、僕が読んだ恋愛ものの中にはそのお話は無いね。今度読んでみるよ」

 何気なく答えたレイのその言葉に、全員が一斉に振り返った。

「ええ、お前、恋愛ものなんか読むのか?」

 勢い込んだマークとキムの問いかけに、レイはのけ反りながらも何とか頷く。

「えっと、ルークが色んな人の考え方ややりとりを知るには、まずは本を読むのがいいからって。それで、何冊か持ってきてもらった本を読んだんだ。えっと男女が恋をして幸せになりました。ってお話ばっかりじゃなくて、別れて終わっちゃったお話とか、喧嘩ばっかりしてるお話とか、色々あったと思う……よ?」

「待て待て、何故にそこで疑問形なんだよ?」

 笑いながらキムが突っ込む。

「だって、正直言って何冊かは面白かったけど、どれもあんまりよく分からなかったんだもん」

「ちなみに、どんなお話を読んだか聞いても良い?」

 何故か目を輝かせるジャスミンに詰め寄られて、レイは慌てて椅子を引いた。

「えっと、僕が読んだのは、初恋の夢、恋に恋して、誰かの為には私の為に、最後の恋、窓越しの貴方、待ち伏せ、花一輪、夢色物語、交響曲、夜のおとない、花散るは涙の滴、君が為の盃に、ミスリルの誓い、えっと後は何だっけ…… あ、フルームの色事師の生涯!」

 指折り数えながら、読んだ覚えのある物語の題名を必死で思い出しながら読み上げていく。



 最後の一つは、以前夜会で女狐に色仕掛けをされそうになった時に思い出した、なかなかに露骨な表現の多いものの、若者向けの恋愛指南書とも呼ばれている曰くつきのあの一冊だ。



 よく読んでいると密かに感心していたのに、最後の一冊のあまりにも無邪気で無警戒なその答えに、後ろで聞いていたターシャ夫人が呆れたように眉を寄せる。

 その物語は、はっきり言って堂々と人前で、読みましたと題名をあげて話すような本ではない。

 若い子達なら、密かに同性同士で顔を寄せ合って、読んだかどうか聞きながら内緒話をするような内容だ。

 つまり、彼女達に読んだと宣言するような本ではない。

 ターシャ夫人の言いたい事を全部分かっているジャスミンは、ターシャ夫人をチラリと横目で見て、呆れたようにため息を吐いて首を振った。

「最後の一冊は聞かなかった事にしてあげるわ。それ以外はまあなかなかね。さすがはルーク様だわ」

「へえ、どれも読んだ事がないけれど、面白いの?」

 興味津々のクラウディアとニーカにそう聞かれて、レイは困ったように眉を寄せる。

「えっとね、だから僕にはよく理解出来ないお話が多かったんだよね」

 その言葉にジャスミンは不思議そうに首を傾げる。

「ええ、どれも素敵なお話だと思うけれど、どこが分からないの?」

「えっと、どこって言うか……」

 助けを求めるようにキムとマークを振り返るが、精霊王の物語でさえも、この前初めて読ませてもらった彼が、恋愛物語を知るわけもない。と言うか、どの題名も今初めて聞いたものばかりだ。

 無言で小さく何度も首を振る二人を見て、困ったように眉を寄せる。

「じゃあ、今度は夕食の後はジャスミンの他のお勧めを教えてよ。執事さんに聞いて、探してもらって読んでみるからさ」

「素敵ね、じゃあそうしましょう」

 嬉しそうなジャスミンの言葉に、クラウディアとニーカも目を輝かせて彼女に縋り付く。

「ねえ、私達も読んでみたいわ」

 以前、彼女達が公爵様から頂いた物語は、どれもめでたしめでたしで終わる幸せな物語で、言ってみれば簡単なお話ばかりだ。

 子供が初めて読む恋愛物語としては充分なのだろうけれど、何度も読み返した二人は、どれもほぼ諳んじるくらいに覚えてしまっている。

 正直言ってそれらのお話にはもう物足りなさを感じているくらいなので、違う新しいお話を読めるのならとても嬉しい。

 手を叩き合って喜ぶ彼女達をレイも笑顔で眺めていた。



「お前、どれか読んだ事ある?」

「そんなの、ある訳ないだろうが」

「そうだよなあ。俺達からは、多分一番遠い分野だよな」

「確かに、その通りだと思うぞ」

 マークとキムはそんな彼らから少し離れて、腕を組みながら二人揃ってうんうんと頷き合っていたのだった。

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