未知との遭遇

「ほら、こちらです」

 子供達に手を引かれたレイは、廊下を少し歩いた先にある赤ん坊のための専用の部屋へ連れて来られた。

 南向きの明るい大きな窓があるその部屋には、何人もの侍女たちが忙しそうに何かしていた。

 しかし、部屋に彼らが入って来た事に気付いて、彼女達は一旦手を止めてレイに向かって一礼してからまた作業に戻った。

 その中の一人が手を止めて進み出て来る。

「どう。まだ寝てる?」

 ソフィーの言葉に小さく頷いたその侍女は、側に置かれた小さな布で天蓋を張ってある籠を見た。

「ご機嫌でお休みになっておられます。このままもうしばらく、静かに寝ていていただきたいですね」

「そうなのね。皆の為にも、少しくらいは静かでいてくれないとね」

 ごく小さな声で、侍女とソフィーは笑い合っている。

 今の話を聞くと、どうやらあの小さな籠の中にその赤ん坊がいるようだが、あんなに小さな籠にどうやって入るのだろう。赤ん坊とは、そんなに小さいのだろうか?

 意味が分からず戸惑っていると、またマシューがレイの手を握った。

「弟に会ってやってください。寝ていますので、どうかお静かに」

 目を輝かせて口元に指を立てるのを見て、レイも笑顔で口元に指を立てた。

 そのままマシューと一緒に籠の中を覗き込む。



 覗き込んだその籠の中はとても小さなベッドになっていて、綺麗なレースのカバーが毛布の上にかけられていた。

 そしてそこには、レイの常識ではあり得ないくらいに小さな小さな赤ん坊が寝ていた。頭が大きい事を除けばまるで小人だ。

 バルテン男爵の、あの歩く人形よりも小さいだろう。


「うわあ、小さい!」

 思わず大きな声に出して言ってしまうくらいに、そこで寝ている赤ん坊は小さかった。

「レイルズ様!駄目です。お静かに!」

 慌てたソフィーがレイの袖を引っ張って後ろに下がらせるが、残念ながら少し遅かった。



「ふ……ふええ……」



 ベッドに寝ているその赤ん坊が、嫌がるように顔をしかめて腕を振る。

「うわあ、指にちゃんと爪が付いてる。小さい!」

 また、思ったままを声に出してしまう。

「レイルズ様、駄目です! お静かに!」

 マシューが慌てたように、レイの口を両手で塞ぐようにして押さえる。



 次の瞬間、顔を顰めた赤ん坊がもの凄い大声で泣き始めた。



 頭に響くほどの物凄い大声に、レイは驚いて目を見開いて呆然と泣いている赤ん坊を見ていた。

 あの小さな身体のどこにそんな力があるのかと、真顔で言いたくなるくらいにその泣き声は強い力に満ちていて、広い部屋中に響き渡る。

「まあまあ、大変」

 駆け寄ってきた年配の女性が、泣いている赤ん坊を籠から抱き上げてあやし始めるが泣き声は一向に止まらない。

 いや、それどころかさらに激しさを増した気がする。

 他の侍女達も、作業の手を止めて赤ん坊の周りに集まるが、どれだけあやしても全く泣き止む様子を見せない。



「レイルズ様、寝ている赤ちゃんの横で大声を出してはいけませんよ。せっかく寝ていたのに、起きてまた泣き出しちゃったじゃないですか」

 口を尖らせるソフィーに叱られてしまい、レイは小さくなって謝った。

「うう、ごめんね。僕、赤ん坊をこんなに近くで見るのって生まれて初めてなんだ。あんまり小さくて、びっくりして大声出しちゃったんだ。本当にごめんなさい」

 そのレイの言葉に、ソフィーだけでなく周りにいたマシュー達や侍女達までが一斉に振り返って彼を見た。

「レイルズ様。今……何と仰いました?」

「え? 何が?」

「赤ちゃんを見た事が無いんですか?」

「えっと、実は見た事も触った事も無いです。今見て、あんまり小さくて本当に大丈夫なのか心配になったよ」

 ソフィーの質問に大真面目に答える。

「では、抱いてみますか?」

 笑顔の侍女が、そう言って泣いている赤ん坊をレイに渡そうとする。

「ええ、無理ですって。無茶言わないでください」

 慌てたように必死になって顔の前で手を振る。

「じゃあまずは触ってみてくださいな。赤ちゃんの頬って本当に柔らかいんですよ」

 そう言って笑ったソフィーが、侍女から泣いている赤ん坊を受け取ってあやし始める。

「いい子ね、お願いだから泣き止んでね」

 抱いている赤ん坊を揺するようにしてゆっくりと動かしながら、静かな声で話しかける。

 しかし、泣き止みそうになった赤ん坊は、大きく息をしてまた勢いよく泣きはじめた。

「うわあ、これはしばらく収まりそうにないなあ」

 苦笑いしたマシューが、手を伸ばして赤ん坊の頬をくすぐる。

「どうしてこんなに泣くの?」

 まともに頭に響く大きな泣き声に内心ではちょっと困りつつ、出来るだけ平然とソフィーに質問する。

「レイルズ様。赤ちゃんは泣くのがお仕事なんです。だから、よく泣く子は元気な良い子に育つって言われてるんですよ」

 お澄まししたソフィーが、笑いながら教えてくれる。

「へえ、そうなんだね。驚かせてごめんね。でもそろそろ泣き止んでほしいな」

 恐る恐る手を伸ばして、言われた通りにそのふっくらとした頬に触れてみる。

「何これ、ふわふわだよ」

 また大きな声を出してしまい、一瞬目を見開いた赤ん坊がまたものすごい勢いで泣き始めた。

 もう、レイはどうしたら良いのかさっぱりわからずに、静かにパニックになっている。



「あらあら、やっぱり貴方達では駄目みたいね」

 その時声がして、後ろで子供達とレイの様子を黙って見ていたティアンナ夫人が見兼ねて来てくれ、ソフィーの手から赤ん坊を受け取った。

「せっかくの初めての赤ちゃんとの対面なのに、こんな様子でごめんなさいね。ヴォルクス伯爵家の三男、エルトン・グレアムですわ。どうぞ可愛がってやってください」

「私達は、エルって呼んでいます」

 ソフィーの言葉にレイも笑顔になる。

「初めまして、レイルズ・グレアムだよ。第二の名前が一緒だね、嬉しいよ。よろしくね、エル」

 赤ん坊に、今度は出来るだけ優しく小さな声で話しかけるレイを見て、その場にいた全員が笑顔になる。

「まあまあ、それは嬉しいですわね。良かったわね、エル。レイルズ様と同じ第二の名前を頂いて」

 嬉しそうにそう言って、ようやく静かになった赤ん坊の額にそっとキスを贈った。

「母上が抱くと、すぐに泣き止むんです。どうしてなのかしらね?」

 悔しそうなソフィーの声に、レイは笑顔で振り返った。

「そりゃあエルにも、きっと母上様が誰か分かってるんじゃない?」

「それはそうだろうけど。私だっていっぱいいっぱいお世話しているのに」

 レイの言葉に、それでもソフィーは悔しそうにしている。



「赤ちゃん、可愛いね」

 あっという間に眠ってしまった赤ん坊を抱いているティアンナ夫人を見ながら、レイは半ば無意識にそう呟いていた。

『またずいぶんと賑やかだったな』

 その時、笑ったブルーのシルフが現れてレイの頬にキスを贈った。

「うん、ちょっとびっくりしたよ、すごい泣き声だったね」

 笑いながらそう答えたレイは、赤ん坊の周りに集まってきたシルフ達が、その柔らかな頬を押したり揉んだりして遊び始めるのを見て、さらに笑顔になるのだった。

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