良い事と駄目な事

「どうしたの? 何のお話?」

 参考書を抱えたクラウディアが戻って来たのを見て、レイが嬉しそうに離宮での勉強会に彼女達も招待したいと考えている事を説明した。

「まあ素敵ね。でも、勉強会への参加はとても魅力的なお誘いだけど、私達はお泊まりは無理だと思うわ」

 苦笑いしたクラウディアの言葉はさっきのニーカと同じで、レイはやっぱり不思議そうにしている。

「だって、私達はあくまでも女神オフィーリアに仕える単なる巫女なのよ。まあジャスミンはちょっと違うけれどね」

 笑って肩を竦めて本を置いたクラウディアは、真剣な顔でレイを見つめた。

「巫女である私達には、無断で外に出かけたり、ましてや外泊したりするなんて許されないわ。勝手にそんな事をすれば叱られる程度では済まないわよ。最悪の場合は破門されるわ」

「ええ、だってここには来てるのに? せっかくなんだからお泊まりの勉強会も一緒にやろうよ」

 驚くレイに、クラウディアは優しく笑って首を振った。

「私達がここにいるのはあくまでも特例なのよ。精霊魔法使いはとても貴重な存在なの。だからそれを制御して使いこなせるだけの知識と技術を身につけるのは、精霊魔法使いの義務とされているわ。実戦に出る出ないは関係無い。だからこそ、日々のお務めを抜けてここへ来ても誰も文句を言わないのよ。それにニーカと一緒に私が竜騎士隊の本部に毎週のように行けるのは、エイベル様の像をお掃除するっていう大義名分があるからよ。それだって、ヴィゴ様の計らいで手配してくださったものだもの。もう必要無いって言われて仕舞えばそれまでなのよ」

「そんな事……」

「実際にそうなの。もちろん、私も竜騎士隊の本部に行けて嬉しいわ。竜騎士の皆様も歓迎してくださるし、クロサイト様や他の竜の皆様とお会い出来るのもとても楽しいわ。だけどそれはあくまでも竜騎士隊の皆様の好意によるものなの。本来なら、私は毎回一緒に行く必要なんて無いんだからね」



 確かに、彼女の言う事には一理ある。

 実際に彼女達がティア姫様の担当になって神殿から動けなかったひと月の間は、女神の神殿から交代で僧侶達が来てくれて、エイベル様の像を掃除をしてくれていたのだ。

 それを思えば、確かに彼女達ばかりが本部に来る必要は無い。お掃除するだけなら誰でも良いのだ。ニーカはあくまでの竜の主としての権利もあって本部に来ているが、彼女はあくまでもニーカのお掃除のお手伝いのためでしかない。



 そのあまりにも当然な事実に気付いて一気に肩を落とすレイを見て、逆に周りが慌てる。

「まあ落ち着け。とにかく、彼女達を勉強会に誘いたいなら、俺が今言ったみたいにまずはルーク様を通じて公爵閣下に話を持っていけ。間違ってもお前が直接神殿に何か言うなよ」

「どうしてそれだと良いの?」

 レイには、自分から言うのは駄目で、ディレント公爵だったら何故良いのかが理解出来ない。

「ああもう! おい、誰か助けてくれ」

 振り返ったキムの言葉に、マークは本で顔を隠した。

 マークだってキムの言い分が全面的に正しいのは分かるが、じゃあレイルズが納得するように自分が説明出来るかと言われたら、絶対無理だと思う。

「ごめん、俺には無理!」

 顔を隠したまま叫ぶマークだった。

「薄情者!」

 キムの悲鳴に助け舟を出したのは、意外な事に黙って聞いていたジャスミンだった。



「レイルズ。いくら何でも今のはちょっとあまりにも考え無しな誘い方だと思うわ」

 そのかなり刺のある怒りを含んだ言い方に、キムとマークが自分達が叱られたかのように揃って首を竦める。

「……駄目ですか?」

 叱られた子供よろしく、振り返ったレイのあまりにも情けないその言葉にジャスミンは小さく笑って腰に手を当てた。

「私がレイルズの教育担当だったらこう言うわね。今の誘い方は百点満点で評価するなら零点ですよ。ってね!」

 あまりにも堂々と告げられたそのあんまりな言葉に、キムとマークが同時に吹き出し、遅れてニーカとクラウディアも堪えきれずに吹き出した。

「ええ、そんなあ〜!」

「駄目です。零点どころかそれ以下だわ。自分が何を言ったのかさえ理解していないんですものね」

 揃って頷いているマークとキムを振り返り、レイは大きなため息を吐いた。

「ごめんなさい。僕に分かるように説明してください」

 そう言ってジャスミンに向き直る。自分達に聞いて来なかった事にマークとキムは密かに胸を撫でおろしていた。



「あのね、男性側から未婚の女性を簡単に外泊に誘うって事は、つまり女性をそう言う目で見ていると同じ意味になるのよ」

 やや赤くなった顔を隠しもせず必死になって言ったジャスミンの言葉だったが、残念ながらレイルズには通じなかった。

「そう言う目って?」

 無邪気な質問に、ジャスミンも顔を覆って机に突っ伏す。

「おい、ちょっとこっちへ来い!」

 キムが有無を言わさずレイの腕を引っ掴んで部屋の端に引きずるようにして連れて行く。それを見たマークも慌ててその後を追った。



「いいか、今から重要な事を聞くから正直に答えろよ」

 鼻先を突き合わすようにして顔を寄せたキムに小声で言われて、何が何だか分からないながらも頷く。

「お前、子供がどうして出来るか知ってるか?」

「つまり、結婚した男女がする事!」

 同じく顔を寄せたマークまでが小声でそう言って、二人揃って黙ってレイを見つめる。



 唐突にレイは耳まで真っ赤になった。



「はあ、良かった。それは知ってたか」

 マークの言葉に、苦笑いしたキムも頷く」

「待って……じゃあさっきの僕の言い方だと……」

「まあ、そう言う意味になる。しかも俺達を誘った後で。つまり、この場合は俺達三人の相手をしろって言ったと取られても否定出来ない」

 真顔のキムの言葉に、レイは顔を覆って悲鳴をあげた。

「ごめんなさい! 僕は本当に、本当に離宮で勉強会をするから、彼女達にも来て欲しいって意味で誘ったんだよ!」

 今度は真っ青になってクラウディア達に向かって泣きそうな顔で叫ぶレイの肩を、マークとキムの二人が引き止めて何度も叩く。

「分かってる。お前にそんなつもりが無い事は俺達は分かってる。ついでに言うと彼女達も分かってるからそっちは心配しなくていい。だけど俺達が止めた意味は分かるな。俺達だから笑い事で済んでるんだ。他でこれと同じ事をやったら、そのお嬢さんのお父上に本気の決闘を申し込まれるくらいに酷い事なんだよ。いいな、他では絶対にやるなよ」

 ようやく理解して、首がもげそうなくらいに必死になって何度も頷く。



「で、ここでディレント公爵閣下に頼めって言った話になる」

 目を瞬いたレイを見て、キムが大きく頷く。

「思い出せよ。クラウディアとニーカの後見人はどなただったっけ?」

「あ、そっか!」

 目を輝かせたレイを見て、どうなることかと心配そうに彼らの話を聞いていたジャスミもようやく笑った。

「やっと分かったみたいね。いい事、女性を邪な気持ち無しに外泊に誘いたければ、まずは本人に直接誘う前に保護者に連絡なさい。彼女達の場合はキムが言う通りディレント公爵閣下に、私の場合は父上かタドラ様ね、それと神殿に直接言ってはいけない訳は、あなたの身分では命令するのと同じ意味になるからよ」

 ジャスミンの言葉に、レイはまたしても首がもげそうなくらいに何度も頷く。

「そうすれば閣下や父上やタドラ様が検討してくださって、泊まっても良いと許可を出してくださったら、身の回りの世話をしてくれる侍女を手配してくださるわ。場合によってはお目付役にどなたか身分のあるご婦人がご一緒してくださる場合もあるわね」

「お目付役?」

「そう、つまり万一にも間違いが起きないようにする為ね」

 何の間違いか聞きそうになったが、突然目の前に現れたニコスのシルフ達が黙ってキムとマークを示した。

「間違いって、つまり……」

 さっきの話を思い出してキムとマークを見ると、二人も真剣な顔で頷いた。

「特に俺達の場合は、まだほとんどが成人して間も無いから、当然お目付役は必要だよ。ましてやジャスミンとニーカは未成年だ」

「分かりました。考え無しに変な事言ってごめんなさい。えっと、じゃあ勉強会をするからってルークにまずは相談して、それからまた連絡するよ。それで良い?」

「うん、それでいいと思うぞ」

 キムの言葉に、ジャスミンも笑って頷いてくれたのを見て、レイは大きなため息を吐いて顔を覆った。

「まあ、これも経験だ。良かったじゃないか。一番危険な誘い方がこれで理解出来ただろう?」

 からかうようなキムの言葉に何度も頷いたレイは、間違いを即座に正してくれた彼らに本気で感謝したのだった。

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