二本の弦

「お疲れ様でした! あの、助けてくださって、本当にありがとうございました!」

「ああ、気にしなくて良い。お前が頑張っていたからちょっと手伝っただけだよ」

 出迎えた笑顔のレイの言葉に、演奏を終えて舞台から下がってきたマイリーは、笑って手を差し出したレイと頭上で手を叩き合った。

 ヴィゴとも同じようにして頭上で手を叩き合ってから会場に戻る二人を見送り、レイは会場へは戻らずに執事の案内で別室へ向かった。そこで切れた弦の張り直しを大急ぎで行わなければいけないからだ。



「レイルズ様、こちらをお使いください」

 衝立の横から裏へ回ってそのまま別室へ案内されたレイは、驚いて入り口で立ち止まってしまった。そこには、城の楽団員でありレイの竪琴の先生を役を担当してくれたフォグ先生がいたのだ。手には、竪琴の弦を張る為の道具と何重にも巻かれた細い弦の束がある。

「後半にもレイルズ様が竪琴を演奏する予定があります。とにかくまずは急いで張ってしまいましょう。今回は調弦は私がしますので、見ていてください」

 早口にそう言われて、レイは何度も頷いて置かれていた弦の切れたニコスから貰った竪琴を起こした。

 新しい弦を張るには、まずはこの切れた弦を抜かなければいけない。

 専用の道具を使って弦を留めている金具を緩める。そのままゆっくりと弦を外して抜き取り、新しい弦を根本部分の穴に通してから端を結ぶ。

 これも緩まない特殊な結び方があるのだが、実はレイはまだ上手く結べない。

「私がやりましょう」

 持て余しているのを見てフォグ先生が交代してくれたので、彼の手が手早く結ぶのをレイは真剣な顔で見つめていた。

 周りでは、ニコスのシルフも真剣な顔でフォグ先生の手元を見つめている。

 下側部分に弦が通れば上側にある専用の金具に弦を通して巻き取っていく。軽く張れたら一旦置いておき、手早く二本目も同じように交換して、改めて調弦を始めた。

 調弦とは、新しく張った弦の音を正しく合わせる作業だ。

「凄い。あっという間に張れましたね」

 目を輝かせるレイに、フォグ先生は首を振った。

「一先ず音は合わせましたが、張りたての弦はすぐに緩んできます。後ほど、お出になる前に改めてもう一度調弦しましょう」

「お願いします」

「はい、では戻りましょう」

 腕を叩かれたレイは、ひとまず執事に竪琴を渡してとにかく会場へ戻った。



 今は、舞台では若い女性達の合唱が披露されている。



「ああ、戻ってきたね。大丈夫だったかい?」

 そこにはヴィゴとマイリーを始め、アルス皇子以外の竜騎士隊全員が揃っていたのだ。

「はい。お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。ヴィゴとマイリーが助けてくださいました」

 素直にそう言って頭を下げるレイを見て、心配していた一同は密かに胸を撫で下ろしていた。

「大丈夫みたいだな。しかし、演奏中に弦が切れるなんてそうあるものじゃないだろうに、不運な奴だなあ」

 苦笑いしたカウリにそう言われて、レイは右手の人差し指を見た。

「本当にそうだよね。だけど、代わりの竪琴を貸してくださったボレアス少佐。ほら、僕が入った竪琴の会の会長さんなんだけど、舞台裏で言われました。演奏中の弦が切れるのは避けようがないって。それに、怪我しなくて良かったね」

 少しだけ赤くなった指先を見せると、皆も笑顔で頷いてくれた。

「確かに、ヴィオラは弦が四本しかないから、切れたら演奏するのは無理があるな」

 マイリーの言葉にヴィオラの奏者であるヴィゴとロベリオとユージンも頷いている。

「えっと、もしも演奏中に、ヴィオラの弦が切れた時ってどうするんですか?」

「すぐに楽器を変えるよ。だいたい予備があるのでそれを借りるよ。まあ一人で演奏しているのなら、最悪の場合は三本で即興で別の曲を演奏するよ」

 ロベリオの言葉に、レイは感心したようにヴィゴを振り返る。

「ヴィオラなら小さいから予備を用意出来るのはわかります。でも、もしもヴィゴが引いているコントラバスの弦が切れたらどうするんですか? コントラバスは単独ではほとんど演奏しないって聞きました」

 レイの真剣な質問に、竜騎士隊だけでなく彼らの周りにいた人達も興味津々で聞いている。

「まあ、場合によるがそのまま演奏するな」

「ええ、だって弦が減ったら音が出なくなりますよ?」

 四本しかない弦のうちの一本が切れたら、どう考えても演奏を続けるのは無理だと思う。

「一段階下か上の同じ音で弾くのが一番手っ取り早いな。竪琴と違って、三本以上の弦を同時に弾くことはほとんど無いから他の弦で代用出来るんだよ。まあ簡単ではないがな。こればかりは経験がモノを言う。新人ではまず無理だろう」

「だけどお前は、切れた弦でそれでも演奏しようとしただろう? それを見て、皆感心していたよ。弦が切れるのは不可抗力だって。だけどそれでも演奏を続けようとしたんだから大したもんだよ。よくやった」

 ルークにそう言われて、レイは困ったように眉を寄せた。

「だけど、せっかくのお祝いの席だったのに、弦が切れるなんてよくありません」

 困ったようなその言葉に、ルークは笑って首を振った。

「いや、そうじゃないよ。張ったものが切れるっていつでも起こりうるよ。それに実は邪を払う意味でも張り詰めた弦を切るのは良い事と言われているよ」

 驚きに目を瞬くレイに、ルークは弓の形を手で作って見せた。

「神殿で、不定期に行われる弓切りって呼ばれる神事があってね。まあ、国を左右するような悪い事が起こった際に行われる神事なんだけど、硬く張った弦をもう一本の弓と重ね合わせて、ヴィオラの弓みたいに引くんだ。それで音を立ててどちらかの弦を断ち切って邪を払うんだよ。まあこれも古い意味があるらしいけど、あまり俺も詳しくは知らないな」

『それは、精霊王の時代の話に遡るぞ』

 レイの肩に座ったブルーのシルフの言葉に全員の注目が集まる。

『まさに、冥王との戦い終盤。裏では互いの陣地内に目を飛ばし合い、策略と謀略、そして騙し合いが頻発していた。隣にいる人が本当に人間かどうかが分からず、互いに疑心暗鬼になっていたのだ』

 あちこちで息を飲む音が聞こえた。

『だが、冥王の配下の者を見分ける為の方法が次第に見つかっていった。幾つかあったがそのうち比較的最初の頃から知られていたものの一つが、ミスリルを嫌がる事。そして弦楽器を嫌がった事だ』

「ああ、それは聞いた事がある。宮廷楽師に弦楽器の奏者が多いのはそれがあるんだって」

 タドラの言葉にブルーのシルフは頷く。

「それで、弓というのは戦場で兵士達が即席の弦楽器として弾いて遊ぶ事が多い道具だった。そこで場を清める為の方法として。二人で弓を持ち合い弦を弾きあって互いの弦に当てて様々な音を立てていたのだ。当然そんな事をしていたら簡単に弦は切れる。そこで次第に弦をこすりあわせて音を立て、切れたら大丈夫だ。という風になって行ったのさ』

「へえ、そうなんだ。それは初めて聞いたよ」

『我もさすがにその現場は知らぬ。これは、我の爺から聞いた話だ』

 簡単に言われた古竜のブルーのお爺様がどんな竜だったのか、レイは後でこっそり教えてもらおうと密かに考えていたのだった。

「それなら二本の弦が切れたって事は、場の浄化は完璧だね」

 嬉しそうに手を打ったレイの言葉に、その場は暖かな笑いに包まれたのだった。

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