舞台裏での語らい

「はあ……」

 舞台袖に用意されていた衝立の向こうに下がったレイは、数歩歩いたところで堪え切れずにその場に座り込んだ。

「大丈夫ですか。どうぞこちらにお座りください」

 それを見た執事が、背もたれ付きの大きめの椅子を持って駆け寄って来てくれる。

「あ、はい……ありがとうございます」

 腕を支えられて起き上がり、何とか椅子に座る。借りた竪琴はまだ抱えたままだ。

「お預かりいたします」

 一礼した執事が、レイの手から竪琴を受け取って下がろうとするのに気付いて、レイは慌ててその執事の袖を掴んだ。

「あの、待ってください!」

 驚いた執事が手を止めてレイに向き直る。

「如何なさいましたか?」

 優しい問いかけに、レイは一度深呼吸をしてから口を開いた。

「あの、その竪琴はどなたの竪琴ですか?」

「ボレアス少佐の竪琴でございます。レイルズ様の弦が切れたのをご覧になって、即座にこれを渡すようにと仰ってくださいました」

 執事がそう言って後ろを振り返る。

 そこに立っていたのは、レイも所属している倶楽部の竪琴の会の会長を務める、第二部隊の士官のボレアス少佐が笑って手を振っていたのだ。今も、第二部隊の礼装を着ている。

「ええ、ボレアス少佐。貴方の竪琴だったんですか」

 驚くレイにボレアス少佐は笑って手を差し出し、レイの手から直接竪琴を返してもらった。

 改めて自分の竪琴を見てから笑顔でレイを見つめて口を開いた。

「ご立派でしたよ。よく我慢なさいましたね」

 いきなり褒められて、レイは驚きに目を瞬いた。

「えっと、全然立派なんかじゃありません。あの、僕もうどうしたらいいのか全然分からなくてパニックになっていました。竪琴を貸していただけて本当に、本当に助かりました。おかげで何とか演奏を続けられました。ありがとうございました!」

 慌ててそう言って頭を下げる。

 小さく笑う気配がして、背中を軽く叩かれる。

「顔を上げてください。レイルズ様は演奏中に弦が切れたのは初めてのようですね。指先、お怪我をなさいませんでしたか?」

 右手を覗き込むようにしてそう言われて、レイは自分の右手を見せた。

「あ、はい大丈夫です。切れた時に当たってちょっと痛かったんですが、赤くなっただけみたいです」

 見せた右手の人差し指の先は、少し赤くなっているが怪我というほどの事もない程度だ。

「弦楽器の弦が切れるのは、演奏者なら必ず経験するハプニングと言ってもいい。こればかりはどんな名人でも避けようのない出来事です」

 確かに、昨日竪琴を確認した時は全く問題は無かった。最初の演奏の時だって何の問題もなかったのに、あの二本の弦は突然切れたのだ。

「避けようがない?」

「ええ、そうです。前兆など全く無かったでしょう?」

 小さく頷くレイを見て、少佐も頷き持っている竪琴を見た。

「本当にこればかりは避けようがありませんね。しかし、慣れた奏者なら即座に別の弦を使って和音を調整したり、あるいは即興で演奏を変えたりしますね。ですが、まだ経験の浅いレイルズ様にそれを求めるのは無理というものです。それなのにレイルズ様は、弦が切れた直後でも何とかそのまま演奏を続けようとなさいましたよね」

 その通りだったので素直に頷く。

「ここで聞いていて驚きました。実際には失敗してしまいましたが、あの時レイルズ様がなさろうとした対応は間違っていませんよ。別の弦を使い和音を調節しようとなさった。いや、驚きましたよ。新人の演奏中にあの位置の弦が切れれば、普通はもう演奏出来ません。諦めて演奏を中断するか、あるいはその場で立ち竦んでしまって失笑を買うかのどちらかしかありません」

 優しくそう言ってくれる少佐の言葉にレイは必死になって首を振った。

 実際にあの時の自分は笑われたし、どうしたらいいか全くわからなかったのだ。

 泣きそうな顔で首を振るレイを見て、少佐は優しく笑って舞台で演奏しているヴィゴとマイリーの二人を振り返った。

 レイもつられて舞台を見る。

 横から見ているので、手前側にいるマイリーの後ろにヴィゴが立っているように見える。

 聞こえてくる二人の演奏は見事という他は無い。

「ハプニングで演奏を続けられなくなっても、あなたは諦めようとしなかった。だからヴィゴ様とマイリー様が助けに出て行かれたのです。曲も味方しましたね。あれが、もしもさざなみの調べの途中で弦が切れていたのならば、さすがにヴィオラでは助ける事は出来なかったでしょうからね」

 肩を竦めてそう言われて、レイも納得してようやく笑顔になった。

「確かにそうですね。ヴィゴとマイリーの演奏はすごく上手だったから、僕の失敗を誤魔化してくださいました」

「ご立派でしたよ。問題が起こっても諦めずに自力で何とかしようとなさった。その一生懸命なお姿を拝見して、私は自分の竪琴を咄嗟に貴方に渡すように指示したのです」

「本当にありがとうございました」

 もう一度お礼を言ってしっかりと握手を交わした。

「おお、そろそろ時間ですね。では、行って参ります」

 ヴィゴとマイリーの演奏が終わって大きな拍手が聞こえるのを見て、少佐はそう言って笑った。

「はい、いってらっしゃい」

 笑顔のレイに一礼して、少佐は自分の竪琴を抱えて舞台へ向かった。

 途中、ヴィゴとマイリーに一礼して舞台へ上がる少佐の後ろ姿を、レイは感謝の思いを込めて見送ったのだった。



『レイ、大丈夫か?』

 右肩にブルーのシルフが来てくれたのを見て、レイは小さく笑ってそっとキスを贈った。

「うん、ちょっとみっともないところを見せたけど、避けようがないって言われたよ。確かにあれは仕方ないよね」

『そうだな。我も見ていて驚いたよ』

「うん、僕もびっくりした。だけどマイリーとヴィゴが助けてくれたよ、少佐も竪琴を貸してくださったし。失敗しちゃったけど、上手く何とか出来たよね」

 恥ずかしそうに笑いながら、小さく舌を出して肩を竦める。

『ああ、其方は立派にやり遂げたよ』

 頬にキスしてくれるブルーのシルフにもう一度キスを贈ってから、舞台から下がって来たマイリーとヴィゴに、レイは駆け寄ったのだった。

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