行儀の良い酔っ払い
「大丈夫か?」
レイが五杯目の良き水を飲み終えた時、ノックの音がしてマイリーが部屋に入って来た。
「ええ、何とか大丈夫みたいですね。まあ、今回は半分公爵閣下に酔いつぶされたようなものですから、それほど問題にはならないでしょう?」
マイリーの問いかけに、苦笑いしたルークがそう言いながら振り返る。手には空っぽになった飲み口のついたコップがあった。
ソファーに横になったレイは、どうやら眠ってしまったらしくマイリーが覗き込んでも全く無反応だ。
「おやおや、完全に沈没したな」
「みたいですね。ですが、さっきは一応起きて自分で良き水を飲んでいましたからまあ大丈夫でしょう」
「ゲルハルト公爵閣下が謝っておられた。ほとんど夜会での失敗のないレイルズの様子を聞いて、少しだけ酔わせて真っ赤になったところをからかうおつもりだったらしい」
「ああ、それなのに他のワイン好きの方々まで来られて、制限がきかなくなったんですね」
「みたいだな。しかし、実はディレント公爵閣下も何やら企んでおられたらしいから、逆にこの程度で済んで良かったかもな」
「ええ、そうなんですか? 後で、何をするつもりだったのか詳しく聞いておきます」
「そうしてくれ。まあ、今回の事は笑い話で済むさ。それより明日のレイルズの方が心配だが、大丈夫か?」
心配そうに言いつつも、その顔は完全に面白がっている。
「一応、ウィンディーネ達には面倒見てくれるように頼んだんですけれどね」
『我が面倒をみておく故、心配はいらぬ』
レイの顔の横に現れて座ったブルーのシルフを見たマイリーが、呆れたようにこれ見よがしのため息を吐いた。
「ラピス。お前、見ていたのなら途中で止めてやれよ」
さっきのルークと全く同じことを言っている。
『同じ台詞をさっきオパールの主にも言われたな』
笑って平然とそんな事を言うブルーのシルフに、マイリーはもう一度ため息を吐いた。
「まあ、本人は楽しそうにしていたしな。しかし、今回は相当飲んだみたいだが、吐いたりはしていないのか?」
「ええ、ずいぶんとお行儀の良い酔っぱらいですよ。暴れるわけでも大声を出すわけでもなく、ニコニコ笑っているだけですからね」
『顔を拭いてもらって喜んでいたしな。あの笑顔は可愛らしかった。なかなかに眼福だったぞ』
そう言って満足そうに笑うブルーのシルフの言葉に、ルークも笑って頷いている。
「あれは確かに可愛かった。喉を鳴らす竜みたいだったな」
『其方、上手い事言うな。確かにその通りだ』
揃って笑いながら、可愛い可愛いと言うルークとブルーのシルフにマイリーは呆れ顔だ。
「お、起きたか?」
その時、無反応だったレイが、呻き声を上げて仰向けから横向きに自分で寝返りを打ったのだ。
そのまま横にあったクッションに抱きついてまた静かになる。
「これ、どうしますか?」
「どうするかな。後で竪琴の演奏を頼むつもりだったんだが、さすがにこれではちょっと無理そうだな」
『それは必要なのか?』
真顔のブルーのシルフの言葉に、顔を上げたマイリーは困ったように頷いた。
「俺達とは直接の関わり合いになる訳ではないんだが、明日の式に参列するためにオルベラートの外交関係者だけでなく、貴族達も大勢来ている。出来れば我が国の見習い達の良い所を見せたかったんだがな」
『それは大事だな。しばし待て』
そう言ってふわりとレイの顔の横に立ったブルーのシルフは、そっとその小さな手を伸ばしてレイの眉間の辺りに置いた。
一気に、ブルーのシルフの辺りに光の精霊達が現れる。
それからレイの身体の上に何人ものウィンディーネ達も現れた。シルフ達はソファーの背の上や頭上に浮かんでいる。
全員が、息を飲むようにしてレイを見つめている。
『頼む』
一言、ブルーのシルフがそう言った途端に精霊達が全員揃って一度だけ頭上で手を叩き、音に合わせて一瞬だけ強い閃光が部屋を貫いた。
驚きのあまり声も出せずに目を覆って立ち尽くすルークとマイリーを、何事もなかったかのようにブルーのシルフが振り返る。
もう部屋はいつもと変わらない明るさに戻っていた。
『終わったぞ。起こしてやってくれ』
「ええと、起こすって?」
「もう酔いは覚めているはずだから、起こしてやってくれと言っているんだ」
当然のようにそう言われて目を瞬いたルークはなんとか頷き、横向きにクッションにしがみ付いているレイの肩に手をやった。
「レイルズ。起きろ」
しかし全く反応が無い。
「お〜き〜ろ〜!」
今度は両手で大きく体を揺すってやる。
「ふええ! 何、何?」
突然目を覚ましたレイが、咄嗟に手をついて起き上がろうとするのを見てルークが後ろに慌てて下がる。
後ろで見ていたマイリーが吹き出す音に、ルークも堪えきれずに吹き出した。
「よし、石頭攻撃を避けたぞ」
「お見事!」
笑いながらマイリーが拍手をする。
起き上がってソファーにクッションを抱えたまま座ったレイは、自分の状況が全く分からずパニックになっていた。
「ええと……僕、どうしてこんなところにいるんですか?」
いっそ無邪気とも取れるその質問に、もう一度今度は二人揃って吹き出したルークとマイリーだった。
「おお、もう大丈夫なのかね?」
身支度を整えてからルークとマイリーに連れられて会場に戻ったレイを見て、慌てたようにゲルハルト公爵が駆け寄って来る。周りでは、そんな彼らを好奇心丸出しで見つめているが、二人とも周りの人達には全く見向きもせずに互いを見合って肩を竦めた。
「ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。どのワインもとっても美味しかったもので、ちょっと飲みすぎちゃったみたいです」
照れたようにそう言って素直に謝るレイは、もう全く酔っている様子はない。
「これは驚いた。本当に大丈夫なようだね」
安心したような公爵の言葉に、辺りの人達が騒めく。
真っ赤な顔で酔っぱらってしまい、今にも倒れそうなくらいにフラフラになりながらルークと執事に両腕を支えられて退場したレイの様子を見ていた人々は、わずかの時間で完全に酔いを覚まして平然と出て来たレイルズに心底驚き、また感心していた。
「ああ、ここにいたんだね。せっかくだから一曲お願い出来ないかな」
ざわめく周りを見向きもせず、何事もなかったかのようにレイを見つけたオリヴェル王子が笑顔でそう言うのを聞き、レイは慌てて振り返った。
「喜んで。ですがあの、今日は竪琴を持って来ていません」
申し訳無さそうにそう言ったレイだったが、一礼した執事がいつものレイが使っている竪琴を持って進み出た。
「ありがとうございます」
笑顔で受け取ったが、この会場は舞台が無い。どこで演奏すれば良いのかわからずに困っていると、別の執事が小さな椅子を持って来て置いてくれたのでもう一度お礼を言ってその椅子に座る。
レイの肩には当然のようにブルーのシルフが座っている。
彼とオリヴェル王子の周りにはポッカリと空間が開き、竪琴を抱えたレイはすぐ近くに立つオリヴェル王子を見上げた。
「何か、ご希望の曲はありますか?」
小さな声でオリヴェル王子にそう尋ねる。
「地下迷宮への誘いを」
嬉しそうなその言葉に一瞬目を瞬いたレイは、こちらも嬉しそうに頷いた。
「かしこまりました。では」
そう言って改めて竪琴を抱え直すと、ゆっくりと竪琴を爪弾き始めた。
彼らの周りでは、集まって来たシルフ達が燭台に座ったり周りの人たちの肩の上や頭の上に座りして、目を輝かせてレイの演奏に耳を傾けていたのだった。
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