明日の予定と蒼の森での出来事

「ただいま戻りました!」

 本部の休憩室に駆け込むと、ルークとカウリが陣取り盤を挟んで対戦している真っ最中だった。

「おお、おかえり。針始めの儀式はどうだった?」

「うん、すっごく楽しかったです。それでね……うわあ何これ。どうなってるんですか?」

 話しかけたレイだったが、盤上のあまりの惨状に思わずそう叫んでしまった。

「いやあ、お互いの女王と騎士を落としてやってみたらどうなるかってルークが言い出してさ。調子に乗ってやっていたら、俺にも何がなんだかよく解らない展開になったよ」

「確かに、陣地が完全に双方とも崩壊したな」

「ですね、これは痛み分けっすかね?」

「だな。もう、この後の展開は消耗戦の潰し合いしかないからな」

「ですね。やっても面白くないってね」

 苦笑いした二人が駒を片付け出したので、レイは立ち上がってお茶の用意をした。




 お茶とルークの差し入れのお菓子を食べながら、レイは初めて見た針始めの儀式の様子を一生懸命説明していた。

「本当なら、その儀式にチェルシーもお誘い頂いていたんだけどな。さすがに体調が万全じゃないから、万一にも生地を汚す様な事があったら大変だからって言って辞退させていただいたんだよ、ずっと残念がっていたよ」

「そうだったんですね。あ、チラッとお見かけしただけだけど、ヴィゴの奥さんのイデア様も来ておられたみたいでしたよ。席が全然違っていて遠かったからご挨拶出来なかったです」

 あの場では挨拶出来たのは、マティルダ様と一緒におられた皇族の方だけだ。

 そのあとは、巫女達と一緒に糸紡ぎをした話をして、二人から散々揶揄われたのだった。

「まあ、滅多にない経験が出来て良かったじゃないか。あとで、他の連中にも話してやってくれよな」

「ロベリオ達も聞きたがっていたもんな」

「あれ、そう言えばロベリオ達は?」

「そりゃあお前、明日婚約者殿が実家にお帰りになるんだから、色々と準備が必要なんじゃないのか?」

 からかう様にそう言われて、そんなものかと妙に納得するレイだった。



「ティア姫様がお越しになるのって、本当なら今日の予定だったんですよね?」

「そうそう、だけど急遽一日ずれたらしいよ。まあ、後方の関係者は真っ青になったんじゃないか?」

 ルークの言葉に、カウリが突っ伏して笑いながら頷いている。

 本当なら、今日ティア姫様ご一行は到着の予定だったらしいのだが、悪天候の為足止めされて一日延ばされたらしい。

 確かに、受け入れる側の担当者達は今頃大変なのだろう。



「あれ? でも、ブレンウッドからオルダムまでラプトルでも六日かかるって聞きましたよ。姫様のご一行って、今どの辺なんですか?」

 不意に思い付いて顔を上げる。この辺りはこのところ良いお天気続きなのに、何処が悪天候なのだろう?

「ああ、花嫁道中はもう国境を越えて街道を無事に進んでオルダムの目前まで来ているよ。だけど、ご本人はまだだからね」

 意味が分からなくて目を瞬く。

 笑った二人が種明かしをしてくれた。

「花嫁道中は、オルベラートの国境までは向こうの護衛が国境からこっちは、ファンラーゼンが用意した護衛の一行と共に街道をオルダムに向かっている。こちらは予定通りで順調だって聞いているよ。ただし、今日はオルベラートでは雷と雨、それから風も凄いらしい、ちょっとした春の嵐なんだってさ」

「向こうでは、姫様を行かせたくない誰かさんの術のせいだって、もっぱらの噂だけどな」

 カウリの言葉にルークが吹き出す。

「ええ、どういう事ですか?」

 花嫁道中はもうすぐ近くまで来ているのに、肝心のティア姫様はその中にはおらず、今の話をまとめると、まだオルベラートにいて出発すら出来ていない事になる。

「さて、そこで問題です。ティア姫様の兄上は誰だっけ?」

「えっと、オリヴェル王子……あ、まさか、竜に乗って来るの?」

「レイルズ君、正解」

 カウリが笑って頷く。

「へえ、凄いや。それなら一日あれば充分来られるね」

 ブルー程ではないが、あの竜もとても大きかった。本気で飛べばかなりの速さが出るのだろう。

「じゃあ、ティア姫様は明日お越しになるんだね」

「到着なさったら、ご一行はそのまま神殿行きだから、俺達には直接関係は無いよ。特に歓迎会なんかがあるわけじゃないからな」

「それも全部、春の嵐が止めば、だな」

 混ぜっ返すカウリのその言葉に、揃って笑い合った。



 夕食は二人やラスティ達と一緒に食堂へ行き、レイは夢中になって針始めの儀式の事を喋り続けた。

「ミスリル製の針ね。そんなの作れるって、すげえな」

 ミスリルの細工がどれだけ大変かをロッカやバルテン達から聞いていたルークは、儀式そのものよりもミスリルの針に興味津々だった。

「えっとね、これくらいの細さで、本当に小さな穴が開いていたよ。あそこに糸を通すだけでも、僕だったら一日かかりそう」

 大真面目なレイのその言葉に、あちこちから吹き出す音が聞こえていた。






 その日、いつもの様に上の草原に家畜と騎竜達を連れて上がったタキス達は、交代で順番にブラシがけをしてやりながら、のんびりと久し振りの太陽の光を楽しんでいた。

 花祭りの期間が過ぎた途端に天候が不順になり、畑仕事が滞ったりもした。何しろ急な雨や突風、雷が鳴る事さえあり、畑に出ていて雷が鳴り始めた時には慌てて家まで走って避難した事もあったのだ。

「初夏のこの時期は雷雨があったりもしますが、今年は雷が多いですね」

「そうだな。でもまあ花祭りの期間中は良い天気続きだったからな」

 白黒牛の背中にブラシをかけてやりながらタキスが笑ってそう言い、その隣で黒角山羊にブラシをかけていたニコスも笑って頷いていた。

「それは、息子のマルコット様が頑張ってくださったのだろうさ」

「それじゃあマルコット様も、祭り期間が終わってお疲れなのかもしれませんね」

 ギードとアンフィーが二人掛かりでトケラにブラシをかけてやりながらそう言って笑い合う。

「確かに。それじゃあ少しぐらい雨が降っても文句を言うてはいかんな」

 最後の大真面目なギードの言葉に、揃ってもう一度笑い合った。



 何しろ、畑仕事をしている最中の雷は本当に怖い。平らな畑では逃げる場所が無いからだ。

 あの時は、もうすぐ雷が鳴るよといきなりシルフ達が言い出し、直後に遠雷が聞こえ始めた為、四人揃って地面に這いつくばる様にして畑から出て必死で家まで逃げたのだ。



「シルフが教えてくれると言うても、直前だからなあ」

 子山羊にもブラシをしてやり、道具を持ったニコスがそう言って立ち上がった時だった。

 いきなりニコスの手から道具を入れた桶が落ちる。

「おいおい、どうした。らしくないぞ」

 ギードが屈んで散らばった道具を拾ってくれたが、ニコスは無反応だ。

「一体どうした。具合でも悪いのか?」

 上を向いたまま微動だにしないニコスを不審に思い立ち上がってそう言った時、いきなり頭上に大きな影が落ちた。

「レイ?」

 タキスとギードの声が揃い、同時に空を振り仰ぐ。アンフィーは腰を抜かしてへたり込んでいる。




 頭上から落ちるこの巨大な影は、竜しかあり得ない。

 だが何故、オルダムにいるはずのレイが、今ここに来るのだ?

 しかし、慌てて頭上を振り仰いだギードとタキス、それからアンフィもニコスと同じ様にぽかんと口を開けて、茫然と上を見上げる事しか出来なかった。




 振り仰いだ、雲のない真っ青な空には、薄緑色の巨大な竜と、もう一頭、それよりもはるかに小さな薄い朱色の竜が、並んで大きく翼を広げたまま草原に降りて来るところだった。

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