感謝の言葉
「さあ、それでは皆様ご苦労様でした。そろそろお時間となりますので、本日はここまでとさせていただきます」
最初に針始めの儀式を行うと宣言した、年配の僧侶が大きな声でそう言うと、部屋は拍手に包まれた。
机の上の真っ白だった布は、今では型紙が写されて、あちこちに綺麗な刺繍が施され始めていた。
まだ完成はしていないが、あれだけの時間で刺したのかと思うと驚くほどの早さだ。
「なお、この生地はこのままこちらの部屋に置かせていただきます。お知り合いの皆様方にも、どうぞお越し下さいます様、お伝えください。よろしくお願いいたします。本日は針始めの儀式にご参加くださり有難うございました。皆様方に女神オフィーリアの御恵みがあります様、お祈り申し上げます」
そう言って、跪いた僧侶は、両手を握って額に当て、深々とその場で頭を下げた。
もう一度拍手が起こり、口々に挨拶をした女性達は立ち上がった。
どうやらこの部屋は、このまま引き続き花嫁の為の刺繍用の部屋として使われるらしい。
カーダーを元あった場所に戻し、紡いだ糸を片付けている巫女達を振り返る。手伝おうかと思ったが、正直言って何がどうなっているのか全くわからないので、下手に手を出したら邪魔をしそうだ。
「えっと、何か手伝えそうな事ってある?」
残りのカーディングし終えた綿兎の毛を乗せたトレーを、カーダーの横に置いてから振り返る。
「ありがとう、こっちはすぐに片付くから大丈夫よ。じゃあ私たちも戻るわね。またね」
笑顔のニーカにそう言われて、レイも笑顔で手を振り返す。
「それじゃあまたね。次は訓練所かしら?」
笑顔のクラウディアもそう言って手を振ってくれる。
「そうだね。でもしばらくはお互い忙しいから無理かもね」
レイの言葉に、二人もちょっと考えて頷いた。
「そうね、確かにそうだわ。じゃあしばらく会えないかも。残念だけどお互い頑張りましょうね」
そう言って、待っていた巫女達の元に戻る。
すると整列した巫女達は、揃ってレイの前に跪き、両手を握って額に当てて深々と頭を下げた。
「本日は、糸紡ぎの中でも一番大変な作業をお手伝いいただき、心より感謝いたします。ありがとうございました。レイルズ様に女神オフィーリアの御恵みが常にあります様に」
一番年長のリモーネの言葉に、巫女達も最後の言葉を唱和する。
「ご丁寧にありがとうございます。どうぞ立ってください。僕の方こそありがとうございました。思わぬ楽しい時間を過ごさせていただきました。巫女様方もお体に気をつけてください。またお目にかかれるのを楽しみにしています」
そう言って一礼する。
顔を上げると、真っ赤な顔をした巫女達が満面の笑みで自分を見ていて、ちょっと怖かったことは内緒だ。
改めて一礼した巫女達は、僧侶に連れられて戻って行った
「あらあら、そんなに寂しそうな顔をしないでよね」
マティルダ様のからかう様な声に、レイは慌てて振り返った。
そこには、サマンサ様の車椅子を押したカナシア様を始め、皇族の方々が皆笑顔で自分を見ていたのだ。
「あ、えっと、もうお戻りですか」
慌てて誤魔化す様にそう言うと、マティルダ様は、分かっているだろうに素知らぬ顔で頷いてくれた。
「ええ、それじゃあ私達は戻るわね。頑張ってしっかりお勉強するのですよ。また、いつでも奥殿に遊びに来てね」
サマンサ様に手を取りながらそう言われて、笑顔で頷いたレイはそっとその手にキスを贈った。
「はい、これから暑くなりますので、どうかサマンサ様もお体には気をつけてください」
「ありがとうね、優しい子」
そっと手を伸ばして抱きしめてくれた。優しい笑顔にレイも笑顔になる。
マティルダ様にもキスを貰い、何人もと挨拶をしてから部屋から出て行く一団を見送った。
「えっと、もうこのまま戻ってもいいのかな?」
この後、どうしたらいいのか分からなくて周りを見回すと、次々に迎えに来た人達と一緒に儀式に参加した女性達が出て行くところだった。
一応女神の分所から本部なら、さすがに覚えているので迷子になる事は無い。
「レイルズ様。本日はお忙しい中をお越しくださりありがとうございました。針始めの儀式はいかがでしたか?」
年配の僧侶に話しかけられて、レイは笑顔で頷いた。
「はい、とても楽しかったです。初めて見る儀式だったから、驚きました。あんな風にして服って作るんですね」
「もとは、花嫁の衣装を作るための儀式でした。ですが、ヘケター皇王の時代、当時抗争状態だった辺境の地より、友好の証として豪族の花嫁を娶られたのですが、その際に、花嫁の唯一の希望で持参なさったのが、故郷で作られた総レース編みの花嫁衣装だったのです。それはそれは見事な花嫁衣装であったとか。それで、我が国では花嫁の為の肩掛けを、当時の皇族の女性達がお作りになり贈られました。それに倣い、花嫁を飾るための肩掛けが作られる様になり、今では民間でも、花嫁の肩掛けはすっかり定着いたしましたからね。なので、針始めの儀式も、今では肩掛けを作る際に行う儀式となったのですよ」
「へえ、そうだったんですね。ありがとうございます。一つ勉強になりました」
笑顔で無邪気に答えるレイに、僧侶も笑顔になる。
「それではお疲れ様でございました。もう、お戻りになってもよろしいですよ」
「分かりました。じゃあ戻らせていただきます。本日は、ありがとうございました」
改めて挨拶してから、レイも本部へ戻った。
相変わらずの大注目だが、もう人目はそれほど気ならなくなっていたのだった。
『お疲れ様。思っていたよりも楽しかった様だな』
本部に戻る少し前に、ブルーのシルフが現れてレイの肩に座って話しかけてきた。
「うん、とても楽しかったよ。それにディーディー達に会えるなんて思っていなかったから、嬉しかったよ。そういえば、花喪に服する期間中でも外に出られるんだね。それとも、神殿の敷地内だから今日の儀式は大丈夫だったのかな?」
ゆっくりと歩きながら、ふと思った事を聞いてみる。
確か、花喪に服する期間中は、神殿にお篭りするのではなかったのだろうか?
『もちろん、早朝に始まる日々の祈りや様々な勤めは真面目に果たしているぞ。今日だって、巫女達全員が来ていた訳ではあるまい。恐らく、今日来ていたあの彼女達が、輿入れする姫の担当者達なのだろうさ』
「あ、そっか。だから来ていたんだね」
納得した様に頷き、本部の渡り廊下に続く扉をくぐる。
警備担当の兵士が揃って整列して敬礼してくれたので、レイも立ち止まって敬礼を返してから中に入った。
「いつもご苦労様です」
一礼してからそう言い、渡り廊下を早足で本部へ向かった。
レイは、出来るだけ一般の兵士達に接した際には声をかける様にしている。
自分に何が出来るかすらまだ分からないレイには、大勢の人達が自分の為に働いてくれる事は本当に嬉しかったしありがたいのだが、少し申し訳なくも思っている。なので、出来るだけお礼を言ったり労いの言葉をかける様に心がけているのだ。
警備の兵士達は、昼夜を問わず、三交代制で警備についてくれているし、食堂の衛生兵達だってそうだ。竜や騎竜の世話をしてくれる兵士達だって、以前竜の面会の応援の時に聞いたら、場合によっては夜遅くまで仕事をしている事だってあると聞いた。
だから、せめて感謝している気持ちだけでも伝えたかったのだ。
レイは、これを単なる自分の思いつきで自己満足だと思っていたが、身分のある人から丁寧に挨拶をされたり、ちょっとした事できちんとお礼を言われたりして悪く思う人はいない。
結果として、それはレイの評判を上げることに繋がっているのだった。
『其方は真面目だな』
からかう様にブルーのシルフにそう言われて、レイは不思議そうに首を傾げた。
「まあそうかな。お勉強は真面目にしてるよ」
やや的外れの答えに、ブルーのシルフはそれでも愛おし気に頬に何度もキスを贈るのだった。
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