チョコレートの話

『ずいぶんと楽しそうだな、レイ』

 耳元で聞こえたからかうようなブルーのシルフの声に、レイは笑顔で大きく頷いた。

「うんすごく楽しい。もう解体されちゃったけど、見た?あの見事なお菓子の森」

『ああ、もちろん見たぞ。シルフ達が大喜びで遊んでおったな』

「花の鳥も沢山いたね」

『うむ。どれも想いの込められた良いものだったな」

 ブルーのシルフは、そう言って笑うと、レイの持っているお皿の縁にふわりと飛んで行き座った。

「あら、大きなシルフね」

 それに気付いたマティルダ様が、嬉しそうにそう言ってお皿を覗き込む。

「はい、ブルーのシルフです」

「まあ、そうなのね。ようこそラピス。どうぞ楽しんでね」

 笑顔でそう言うマティルダ様に、ブルーのシルフは鷹揚に頷いた。



 その後は、舞台にチョコレートを専門に扱う菓子職人の年配の男性が出てきて、レイも大好きな、お菓子に使われているチョコレートがどうやって作られているのかを、実際の現物を前にして説明をしてくれた。

 最前列に連れてきてもらったレイは、夢中になって目を輝かせてそのマンダールと名乗った菓子職人の説明を聞いているのだった。



「ええ、これがあのチョコレートになるんですか?」

 見本だと言って手渡されたチョコレートの元のカカオを見て、レイは驚きのあまり声を上げていた。

「このカカオは、南方の島国で取れる特産品です。リオ川の河口にあるフェルバッハの港街にカカオは全て荷下ろしされます。そこからフルームの街へ運ばれ、オルダムに届けられます」

 頭の中の地図を必死で思い出しながら、レイはその説明を一生懸命聞いていた。

「届けられたカカオは、綺麗に洗った後、焙煎して皮を剥きます」

 そう言って、次のお皿を見せてくれる。

 先程のカカオよりも少し小さくなって色も黒っぽくなっている。これは確かに焙煎した後のように見える。

 あちこちから、感心したような声が上がる。

「そのあとは、これをひたすらすり潰すのです」

 笑みを含んだ声でそう言い、彼の合図で若い職員が二名出てくる。大きな石臼が取り出されて、レイは目を輝かせた。

「うわあ、大きな石臼だね」

 思わずそう呟くと、舞台にいたマンダールは笑顔になる。

「レイルズ様は石臼をご存知なのですね。ではお尋ねしますが、これは何をする道具でしょうか?」

「えっと、それは石で出来た道具で、木の実や小麦など、いろんなものを挽いて粉にする為の道具です」

「さすがによくご存知ですね。その通りです」

 マンダールは満足そうにそう言って頷くと、石臼の上部にある小さな穴の中に炒って皮を剥いたカカオを入れていった。

 若い職人二人が、石臼を回し始める。

 ゴリゴリと音がして、しばらくすると石臼の横から焦げ茶色の塊がこぼれ落ちてきた。

「これを更に丁寧にすり潰します、ここからはひたすらすり潰すだけの作業になりますので、ここでは省略致しますが、これくらいなめらかになるまでに、相当の時間と手間が掛かっております」

 滑らかで艶々になったチョコレートの入ったお皿を見せるマンダールの説明に、職人達が全員苦笑いしながら頷いている。



 恐らく、今の説明の本当の意味に気付いたのは、ここにいた観客達の中ではレイルズだけだっただろう。



 レイは、あの硬そうなカカオをあそこまで滑らかにするのにどれだけの労力がかかっているのか考えて、ちょっと気が遠くなった。

 出されたチョコレートを何も考えずに気軽にパクパク食べていた自分が、なんだか申し訳なくなった程だ。

「マティルダ様、今簡単に説明しましたけど、恐らくチョコレート作りの要は、このすり潰す工程だと思います」

「まあ、そうなの。簡単に出来そうなのに」

 マティルダ様の言葉に、レイは笑って首を振った。

「あれだけ滑らかにしようとしたら、とんでもないくらいにすごい時間と手間が掛かってると思います。すごいや、次からは感謝して頂かないと……」

 真剣な様子のレイルズを見て、マティルダ様は満足そうに頷いた。



「レイルズ様、せっかくですから、これを少し舐めてみますか?」

 マンダールが、先ほど見せたあの滑らかになった液状のチョコレートを見せる。

 レイは満面の笑みで頷いた。

 実はさっきあれを見た時から、舐めてみたくて仕方が無かったのだ。

 招かれて、嬉々として舞台の上に上がる。

「では、少しだけですけれど食べてみてください」

 そう言って小さな匙に少しだけすくって渡してくれる。

「ありがとうございます」

 きっと作り立てならどんなにか美味しいんだろう。

 そう思って、大きな口を開けてスプーンを口に入れる。



「ん……んん〜〜〜〜〜!」



 あまりの苦さに、レイは口を閉じたまま悶絶した。

 全く甘く無い。

 確かに滑らかだがこれは駄目だ。



 カナエ草のお茶を蜂蜜無しで飲んだ時よりはマシだが、これは食べてはいけない味だと思う。

 涙目になって悶絶するレイに、マティルダ様が驚いている。

「お口直しにこれをどうぞ」

 差し出された塊のチョコレートをもらって口に入れる。

「あ、これは美味しいですね」

 恐らくかなり甘めのチョコレートだったようで、口の中の苦いのと混じってとても美味しく感じられた。

「どんな味でしたか?」

 笑顔で聞かれて、レイは大きなため息を吐いた。

「もの凄く苦かったです。カナエ草のお茶ほどじゃないけど、これは食べちゃ駄目だと思います」

 大真面目に答えるレイにマンダールも笑顔になる。

「大変失礼を致しました。今、レイルズ様が仰ったように、カカオ自体には甘みはありません。その為、砂糖で甘味を付けるのです。まあ砂糖の量を見ると、たいていの方が驚かれます。他には、クリームやこういったものを入れて滑らかさを出します」

 大きなお椀に山盛りになった砕いたお砂糖を見て、レイはまた目を見開く。他には生クリームやバターなどがあるが、あんなにお砂糖を入れるのだろうか?

「こうやって出来上がったチョコレートから様々なお菓子が作られます。今度チョコレートを口になさる機会があれば、どうぞこうやって作っているのだと少しでも思い出していただければ、我々菓子職人達の励みになります」

 そういって一礼するマンダールに拍手が送られる。レイも力一杯拍手をして舞台から下がる彼を見送った。



 最後に、見事に作られた、一口サイズに型取りされたチョコレートがたくさん出される。

 感心するような声があちこちから聞こえて、チョコレートの試食会が始まった。




「へえ、お砂糖やクリームの量が違うと、こんなに味が変わるんですね」

 いくつも並べられた色の違う小さなチョコレートを食べ比べながら、感心したように呟く。

 他にも、ナッツが入ったものや、乾燥したベリーの実が入っているもの。本部でもたまに頂く、中にクリーム状のチョコレートが入ったものもあった。

 時々、マンダールの説明を聞きながら、レイは初めて知るお菓子の話に目を輝かせて聞き入っていたのだった。




『さすがは後援会の代表だな。レイが喜ぶ事をよくご存知だ』

 嬉しそうにマンダールと話をしてるレイを見つめていたマティルダ様は、持っていたお皿に座ったブルーのシルフに笑いかけた。

「喜んでくれたようで本当に良かったわ。さすがにチョコレートは、材料が森では手に入らないので作らないだろうって聞いたの。それで今日の説明と試食会を提案したのよ。予想通りだったわね」

『以前、森へ帰る際に土産で持たせてくれたチョコレートを見て、料理をしてくれる竜人は大喜びしていたぞ。レイに、チョコレートを使ってビスケットやマフィンを作ってやっていたな」

「喜んでくれたのなら良かったわ」

『彼の作る料理は絶品らしいからな。お菓子も美味しいようだぞ』

「噂は聞いていますわ。オルベラートの貴族の屋敷で執事をしていたそうね」

『うむ。だがまあ、色々と辛い思いをしたようだからな』

 黙って頷き、改めてレイルズを見つめる。

「彼があれだけ真っ直ぐに育ったのは、お母上だけでなく森の家族の愛情もあったのでしょうね。私も会ってみたいわ」

『そうだな。機会があればな』

 笑みを含んだブルーのシルフの言葉に、マティルダ様は黙って頷いたのだった。




 舞台の横では、そんなやりとりがされていることなど知らず、レイは次々に出される小さなチョコレートを前に、説明を聞きながら真剣に味見していたのだった。




『楽しそうだな』

「うん! すごく楽しかったし勉強になったよ。今度、お城の図書館に行ったらお菓子の本を探してみようっと」

 レイの持っているお皿に座ったブルーのシルフの言葉に、今度もレイは満面の笑みで頷き、ナッツの入ったチョコを口に入れた。

 いつの間にか、レイのお皿の周りには何人ものシルフ達が現れてチョコレートを触っては、食べる振りをして遊んでいるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る