お菓子の森

「まあ、ようやく主役の到着よ」

 通された会場の入り口で、満面の笑みでそう言って迎えてくれたのは、何とマティルダ様とアデライド様だ。広い会場には、ミレー夫人を始め、男女の別無く錚々たる顔ぶれが揃っている。

 開始時間に合わせて来たはずだったが、開始時間が変わったのだろうか?

 ラスティからは何も聞いていないので、恐らく彼も知らないのだろう。

 内心では大いに焦ったレイだったが、慌ててとにかくまずは礼を取った。

「遅くなりました。本日は、私の為にこのような場を設けていただき、誠にありがとうございます」

 やや緊張した面持ちで、しっかりと挨拶するレイを、マティルダ様は嬉しそうに見つめている。



 今回は、レイルズの後援会が主催する夜会なので、文字通りレイルズが主役なので、マティルダ様やアデライド様のような皇族の方であっても、今回ばかりはレイを立ててくださる。



「貴方のために、張り切って準備してくれたのよ。どう?」

 楽しそうなマティルダ様の言葉に、レイは不思議そうに目を瞬いた。

 後援会の夜会とは言っても、他の夜会とは特に変わった事は無いはずだ。

 もしかしたら、何かくださるのだろうか?

 マティルダ様の言葉に、こちらを見ていた会場内の人々が、一斉に左右に分かれる。

 真ん中に置かれたテーブルに飾られたそれを見て、レイは目を輝かせた。

「ええ、すごい。あれ、これってもしかして……お菓子なんですか?」

 思わず駆け寄ったレイが言った通り、そのテーブルに置かれていたのは、見事な飴細工だった。



 遠目に見えたそれは、植木鉢に植えられた小型の木が持ち込まれているのだとばかり思っていたのだ。

 改めて正面から見て思った。これはもうお菓子では無く芸術品と言って良いだろう。



 以前、花祭りのブレンウッドの街の飴屋さんで、花の形の飴細工を買った事があるのだが、これはあの飴細工をもっともっと、繊細で豪華にしたものだった

 一番目立つ見事な細工は、恐らくはつるバラなのだろう。握り拳ほどの大きさの花が、枝を伸ばした先に幾つも見事に咲き誇っている。

 幾重にも重なるその花びらは、一枚一枚がごく薄い飴細工で作られている。

 絡み合う金色の茎は、三段重ねの真っ白なケーキの横から生えていて、伸びた枝がケーキに巻きついているのだ。

 そして、三段重ねのケーキの上には、これも見事な飴細工の樹が枝を広げていた。レイでも見上げるほどの大きさのその木の枝には、あちこちに何匹もの花の鳥達が留まっていて戯れている。

 しかし、それらも全て砂糖菓子やチョコレート細工で作られていた。



 また、つるバラの枝にもチョコレートで作られた小鳥達が並んでいて、くちばしには小さいが本物の花を咥えて楽しそうに遊んでいる様子が再現されていた。

 あちこちからシルフ達が現れて、花の中やチョコレートの鳥達と並んで座り、一緒になって遊び始めた。

 三段重ねのケーキの周りにも、砂糖細工の花や、チョコレートを型取りして作った花の鳥など、机の上は一面花祭りにちなんだ細工のお菓子で埋め尽くされていて、さながらお菓子の森のようだ。




「本当に素晴らしいですね。これはどなたが作られたのですか?」

 目を輝かせたレイが、振り返ってすぐ隣にいたマティルダ様にそう尋ねる。

「このつるバラと木の細工は、私がお願いして、城の飴細工専任の菓子職人に作らせたのよ。本当に見事に作ってくれたわ」

 満足そうなその言葉に、レイは改めて目の前のお菓子の木を見た。

「へえ、さすがはお城の菓子職人さんですね」

 笑顔でそう答えたが、何だか引っかかる言い方に改めて机を見る。

 わざわざ、つるバラと木の細工が菓子職人の作品だと言う事は、それ以外のお菓子は、また違う方が作ったのだろうか?

 今までは食べるばかりで作った人の事などあまり考えた事はなかったが、確かに、誰かがそうやって丁寧に作ってくれているから食べる事が出来るのだ。



 もう一度、シルフ達が遊んでいる小鳥の形をしたチョコレートを見る。



「あれ? じゃあこっちの鳥さんや、砂糖菓子はどなたの作品なんですか?」

 その言葉に、マティルダ様だけで無く、会場にいた人々が嬉しそうに頷いてる。

「あのね、今日は朝から皆で集まって菓子職人に教えてもらって、この鳥達や、花の砂糖菓子を作ったのよ。これは私の作。ちょっとチョコレートに泡が入って穴が開いてしまったのだけれど、綺麗に細工して直してくれたわ。さすがね」

 その言葉に、レイは目を見開いてマティルダ様が指差したチョコレートの鳥を見つめた。

 確かに羽の部分に小さな穴がある。しかしまるで羽で持っているかのように、そこには砂糖菓子で作られた綺麗な花が差し込まれている。

「すごいです。それじゃあこの子は、どなたがお作りになったんですか?」

 マティルダ様の鳥さんの横にいる、やや丸みを帯びた小さな鳥を指差す。

 その質問に、笑って手を上げたのは、なんとゲルハルト公爵その人だ。

 次々に挨拶に来てくれる人たちが、これは自分が作ったのだと教えてくれる鳥達や花々を、レイはいつまでも飽きもせずに眺めていた。




「さあ、挨拶も終わったのだから、お菓子を頂きましょうか」

 当然のようにそう言ったマティルダ様のその言葉に、レイは驚いて振り返る。

「ええ、これを食べちゃうんですか」

 その叫びに、会場から暖かな笑いが起こる。

「だって、これはお菓子なのよ。せっかく用意してくれたのだもの、美味しく頂くのが正しいお菓子のあり方よ」

 マティルダ様の言葉に、ニコスのシルフ達も笑顔で頷いている。

「でも、こんな大きなお菓子をどうやって食べるんですか?」

 すると、奥から何人もの真っ白な服を来た人たちが出て来た。

「レイルズ、紹介するわ。彼がこのお菓子を作ってくれた菓子職人のヴァルムよ」

「初めまして。ヴァルムと申します。このような場でお会い出来ます事、光栄です」

「レイルズです。あの、本当に見事な細工で、僕感動しました!」

 握手をしながらそう言うレイに、ヴァルムも笑顔になる。

「ありがとうございます、何よりのお言葉です。それではそこでご覧になっていてください。今からこれを解体致します」

 そう言って一礼すると、ヴァルムの指示の元、出て来た職人達が総出でお菓子の森を解体し始めた。



 飴細工のつるバラは綺麗に分解され、手のひら程の長さに折って集められた。

 花の細工はそのままの形で分解され、小鳥達もそれぞれ小さなお皿に並べられた。

 大きな木は、職人達が熱したナイフであっという間に切り倒してしまい、薪割りよろしく、これも小枝ほどの大きさに手早く切り揃えられたのだった。



「うわあ、森が解体されちゃいました」

 呆気に取られて見ていただけのレイの前に、切り分けられた土台のケーキと飴細工、それからチョコレートの小鳥が並べられたお皿が差し出される。ケーキと追加されたクリームの横でこっちを見ている小鳥は、マティルダ様作の、あの小鳥だ。

「ええ、こんなに食べるのに困るお菓子は初めてです!」

 眉を寄せてそう叫ぶレイの言葉に、また会場は笑いに包まれたのだった。




『成る程な。夜会と言っても、ダンスと音楽ばかり、と言うわけでは無いのだな』

 シャンデリアに座ったブルーのシルフの言葉に、隣に座ったニコスのシルフ達が笑顔で頷く。

『そうですね』

『こんな風にお菓子を楽しんだり』

『ワインや決まった食材の料理を集めた夜会などもありますよ』

『良い集まりだな。レイも楽しそうだ』

 マティルダ様とチョコレートの鳥を前に笑っているレイの事を、ブルーのシルフは愛おしげにずっと見つめていた。



『ふむ、この集まりには、どうやら妙な気配を纏った者はいないな。よし』

 最後に会場を見回して満足そうにそう呟くと、ブルーのシルフはふわりと浮き上がって愛しい主の元へ向かうのだった。

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