ティア姫様の事と二人の帰還

 夕食は全員揃って一緒に食堂へ行き、そのあとは休憩室で、アルス皇子からティア姫様の事を少し聞かせてもらった。



「彼女は精霊の事は見えるし声も聞こえるのだけれど、母上と同じで精霊魔法は全く使えないんだよ。精霊達からは良い遊び相手だと思われているらしいね。それに、大人しいが時々驚くような無茶をするような事もあるんだ。子供の頃、冒険伯爵の本を初めて読んだ日の夜に、窓からお菓子の包みを持って外に出て、大騒ぎになったらしいよ。今でも時々オリーに揶揄からかわれているね」

 その言葉に、マイリーとルークが笑って頷いている。

「お噂は聞いておりますよ。幼かった頃は、静かなるつむじ風と呼ばれていたのだとか」

「静かなるつむじ風?」

 レイの言葉に、ルークが笑って頷く。

「そう、静かなるつむじ風。大人達の前では、人見知りもあってとても大人しかったんだけど、今のように、一人の時に時折とんでもない事を平気でするようなお姫様だったらしいよ。お付きの人達はさぞかし大変だっただろうな」

「いや、そのお付きの人達の前でも、普段は大人しい事この上もないような良い子なんだけど、今言ったように、突然木に登ってみたり、スカートのままでブランコから飛び降りようとして、見事にひっくり返って大騒ぎになった事もあったらしいよ」

「だ、大丈夫だったんですか?」

 驚くレイに、アルス皇子は笑いながら頷いた。

「咄嗟に下敷きになった護衛の女性が打ち身と擦り傷を負ったそうだよ。後でお父上に酷く叱られて、庭にあったブランコは撤去されてしまったんだって。だけど、大人しかったのはしばらくの間だけで、その次に、室内なら良いだろうとか言って、本棚登りを始めたらしいね。実は私も、一緒になって登った事があるんだよ」

「本棚登り?」

「そのままの意味さ。本棚をどんどん上まで登っていく遊びだよ。屋敷の書斎で、貴族の子供はたいてい一度はやって叱られるのがお約束なんだよ。だけど、女の子でそれをやるのは、まあ珍しいかな」

 マイリーの説明に、レイは目を見開く。



 休憩室の壁にも、大きな作り付けの本棚がある。言われてみれば、本棚は等間隔だから梯子の様に登る事は出来そうだ。



「確かに、登ろうと思えば登れそうですね。大人だったらちょっと難しそうだけど、体が軽い子供ならある程度の高さまでは登れるな……だけど、本棚は垂直だから、降りるのは、登るのに比べたらかなり難しそうですよね?」

 レイの言葉に、アルス皇子だけでなく、話を聞いていたマイリーとルーク、タドラまでが笑って頷いている。

「そうなんだよ。だからほとんどの場合、登ったはいいが降りられなくなって、気がついた執事や護衛の者が悲鳴を上げる事になる。移動階段が設置されているような大きな書斎なら良いけど、ここの様に高さはあるけど数台だけだったりすると、せいぜい大人が乗って上に手が届く高さの踏み台がある程度で、大型の移動階段なんて無いからね。そうなると、登ったまま降りられなくて大騒ぎになるんだ」

 アルス皇子の説明に小さく頷いたレイは、いきなり目の前の本棚を登り始めた。



 しかし、レイの運動神経を知っている皆は特に慌てもせず笑って見ている。



 しばらく登って無事に一番上の段まで到達したが、しがみついたまま首だけ振り返って下を見て、困った様に眉を寄せた。

「これは思った以上に難しいですね。訓練していない子供がやったら、絶対に降りられなくなるね」

 そう言って、そのまま手を離して後ろ向きに飛んで、少し離れた所に軽々と着地して見せた。

 それを見た全員が、笑って小さく拍手をする。

「そんな訳で、か弱い女性だとばかり思っていると色々と驚かされるよ。でも、さすがに大人になってから本棚を登ったって話は聞かないからね。少しは大人しくなっているかな?」

 腕を組んで真面目な顔でそう言ったアルス皇子の言葉に、ルークとタドラが遠慮無く吹き出す。マイリーも笑っている。

 どうやらおしとやかなだけの女性ではないとわかり、ますます会うのが楽しみになった。

「お越しになるのを、楽しみにしています」

 満面の笑みのレイの言葉に、休憩室はまた笑いに包まれたのだった。



『そろそろ二人が到着するぞ』

 その時、ブルーのシルフが現れて、レイの肩に座ってそう教えてくれた。

「あ、もう帰ってくるんだね。じゃあ、お出迎えに行かないとね」

 ブルーのシルフの言葉に、全員が笑顔で立ち上がった。



 竜達が降りる為の中庭には、いつも以上に多くの篝火が焚かれていて昼間の様な明るさだ。

 アルス皇子を先頭に、出て来た彼らを見て、その場にいた兵士達が一斉に直立して敬礼した。

「ご苦労。構わないから続けて」

 敬礼を返したアルス皇子に一礼して、兵士達はそれぞれの作業を再開した。

 しばらく待っていると、遠くに小さな明かりが見えて来た。

「ああ、なるほど、カンテラを灯してるのか」

 ルークの言葉に、レイも頷いて小さな明かりが近付いてくるのを見つめていた。

 ヴィゴもカウリも光の聖霊魔法を使えないので、今の様に夜間飛行になると、文字通り漆黒の闇の中を進む事になる。

 竜は夜目が利くので飛行には全く問題無いが、上に乗っている人はそうはいかない。たとえ小さなカンテラ一つであっても、手元に明かりがあるというのは安心するのだろう。



 城の上空に到着した二頭の竜は、ゆっくりと上空を旋回してから中庭に並んで降りて来た。

 揃って出迎える中、竜の背中から降りて来た二人は揃って直立して敬礼した。

「ただいま戻りました」

 ヴィゴの言葉に、アルス皇子が頷く。

「おかえり、ご苦労だったね。さあ、中へ入って」

 第二部隊の兵士達が、ベルトに取り付けていた木箱を下ろして来る。

「すまないが、それは本部の休憩室へ運んでくれ」

 ヴィゴの言葉に、直立して敬礼した兵士が、台車に乗せて運んで行った。

 揃って、そのまま本部の休憩室へ戻る。

「お疲れ様。どうだった? 初めての巡行は」

 ちょっとお疲れの様子のカウリにそう聞くと、苦笑いして大きなため息を吐いている。

「いやあ、さすがにちょっと予想以上の強行軍だったな。おっさんは体力無いからヘトヘトだよ」

「明日はお休みなんでしょう? ゆっくりしてね」

「おう、遠慮無く、昼まで寝させてもらうよ」

 相変わらずの物言いに、皆苦笑いしていた。



 ロベリオとユージン以外は全員揃った休憩室で、まずはいつものカナエ草のお茶を入れる。

「お疲れ様でした。はいどうぞ」

 レイが全員の席に配っていると、ヴィゴが笑って置かれた木箱に向かう。

「ヘルガー、切ってくれるか。皆もまだ早い時間だし食べられるだろう?」

 その手に持っている木箱を見て、レイは目を輝かせた。

「ああ、それってもしかして、緑の跳ね馬亭のお菓子ですか?」

「花祭り期間専用のお菓子はまだ残念ながら売っていなかったらしい。これは今売っているベリーとナッツの焼き菓子だそうだ。ベリーのソースが付いているぞ」

 開けた木箱の中には、油紙で包まれた大きな焼き菓子と一緒に、瓶に入れられた真っ赤なベリーのソースが入っていた。

 満面の笑みになるレイに笑って、ヴィゴはその木箱をヘルガーに渡した。

 笑顔で受け取ったヘルガーが、ラスティと二人で手早く切り分けてくれた。

 クリームと一緒に盛り付けられ、真っ赤なソースが添えられた焼き菓子はとても美味しそうだ。

 レイの前には、一番大きくカットされたのが置かれる。

 皆でお祈りをしてからいただいた。

「美味しいです」

 一口食べて満足そうに目を細めるレイに、皆笑顔になった。



 それからはのんびりと巡行先での事を聞いて過ごした。



 お茶とお菓子が無くなる頃、話題はロベリオとユージンの結婚の事になる

 二人もシルフを通じての報告で聞いてはいたが、ティア姫様の予定については聞いていなかったらしく、それを聞いて笑顔になった。

「おめでとうございます。もうあっと言う間でしょうね。しかし、帰ったらまずは二人を揶揄からかってやろうと思って楽しみにしていたのに、逃げられたな」

 笑うヴィゴとカウリに、アルス皇子も苦笑いしている。

「まあ、揶揄うのは程々にな。人生の先輩として、新人達にご指導よろしくお願いしますと言っておくよ」

 アルス皇子の言葉に、ルークが隣で小さく吹き出す。

 確かに、既婚者である二人なら、彼らに色々と教える事が多そうだ。

「そうですね。近いうちに一度ゆっくり二人と飲む機会を設けてみますか」

 カウリの言葉に、ヴィゴも笑って頷くのだった。


 お皿の縁に座ったシルフ達は、そんな彼を見て大喜びで手を叩いたり、輪になって踊ったりしていた。

 またある子達は、お皿に残った小さなケーキのかけらを見て、食べるフリをしたりしているのだった。

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