演奏会とワイン

「大丈夫ですか?」

 咽せたゲルハルト公爵を見て、笑ったルークが近寄って来て背中をさする。

「ああ、ありがとう。いやちょっとね……意表を突かれたよ」

 口元を拭いた公爵が、汚れたテーブルを拭いてくれた執事に礼を言って新しいワインを貰う。

 同じく新しいワインをもらったルークと笑顔で乾杯した。

「今の話は、また後ほどな」

 ディレント公爵が笑ってそう言い、摘みのチーズを口に入れた。



「ルーク、主催者殿から頼まれてな、良ければ一曲披露して欲しいそうだぞ」

「俺がですか? 申し訳ないんですが、今日は楽器を持って来てませんよ」

 ゲルハルト公爵と顔を付き合わせて話をしていたルークが、いきなり呼び掛けられて驚いて顔を上げる。

「もちろん、用意させておるわ」

 にんまりと笑った公爵に、ルークは苦笑いして頷いた。

「絶対、最初からそのつもりだっただろう」

 グラスを置いてそう言ったルークは、公爵を突っついてから後ろに控えた執事の案内で、正面に設けられた一段高くなった小さな舞台に向かう。

「あれ、ルークはどうしたんですか?」

 レイとようやく解放されたタドラが、ミレー夫人と一緒にマイリーのところに来る。

「一曲披露してくれるそうだぞ」

 マイリーが新しいワインを飲みながらそう言って舞台を指差す。

「お、これはいけるな。初めて飲むが、何処のワインだ?」

 マイリーは嬉しそうにそう言って、振り返ってワゴンの横にいた執事を呼ぶと、ワゴンを覗き込んで話を始めた。それを見たゲルハルト公爵が目を輝かせて話に加わる。



「今日は、公爵様は演奏なさらないんですか?」

 無邪気なレイの質問に、マイリーとゲルハルト公爵が小さく吹き出す。

「聞きたいか?」

「はい、とっても素敵な音色でした。僕、ヴィオラはちょっとだけ触らせてもらった事があるんですけど、のこぎりみたいな音しか出ませんでした」

 その言葉に、両公爵とタドラだけでなく、マイリーまでが噴き出して咽せた。

 また、それを見て慌てた執事が駆け寄ってくる。

 マイリーは誤魔化すように口を覆って咳き込んでいるが、完全に目は笑っている。

「の、鋸……まあ初心者はそうかもしれんな」

 苦笑いして、口元を拭った公爵は、後ろに控えた執事に指示を出し、にっこりとレイを振り返った。

「では、鋸じゃない演奏を聞かせるとするか、なんなら其方達も来なさい」

 目を瞬くレイとタドラに、公爵は後ろを示した。

 そこには、ヴィオラと竪琴と並んで、フルートが用意されていた。

「タドラはフルートなの?」

「そうだよ。今まで横笛を使うのは僕だけだったから、トラヴェルソだったけどカウリが笛を使うって聞いて嬉しかったんだ」

 嬉しそうにそう言って、執事からフルートを受け取る。

 マイリーにもヴィオラが渡されて、レイはもっと嬉しくなった。

「ご指名とあらば、仕方ないな」

 苦笑いしてまずはルークの演奏を聴くために、揃って舞台を振り返った。



 舞台上で一礼したルークは、特に何も言わずに、用意された台に置かれたハンマーダルシマーの前に座った。

 そしてそのままハンマーを持ってゆっくりと演奏を始めた。

 騒めいてた会場が次第に静かになる。誰が演奏しているのか気がついて、あちこちから感心するような囁きが聞こえた。

 レイは知らない曲だったが、哀愁漂う不思議と懐かしく感じるその音は、静かになった会場を優しく包み込んだ。

 あちこちに現れてグラスの縁や燭台に座ったシルフ達が、うっとりと演奏に聞き惚れている。

 レイも、蕩然とその優しい音色に聞き惚れていた。



 曲が終わり、ルークがそのまま立ち上がろうとした時、執事が駆け寄り何かを耳打ちした。

 その間に、楽器を抱えた四人が背後の壁側から舞台に上がった

「おやおや、ずいぶんと豪華な顔ぶれだな」

 振り返ったルークの言葉に、レイは笑って頷き、ルークの隣に置かれた椅子に座った。

 ルークの反対側にタドラが座り、背後に公爵とマイリーが並んで立つ。

 ルークとディレント公爵の仲直りは皆の知るところだったが、公式の場での同席はあっても、こういった人々が見ている前での私的な演奏で一緒になるのは初めての事だ。

 皆、驚きに目を見開いて舞台を見つめていた。


 最初は、レイもよく知る精霊王に捧げる歌だ。

 これは合唱だけでなく演奏でもよく使われる曲で、今回は歌は無しだ。

 最初にヴィオラの二人が演奏を始め、それに続いてレイの竪琴とルークのハンマーダルシマーが続く。

 途中からタドラのフルートも加わり、思わぬ美しい音色に会場は静まり返る。

 途中にヴィオラの演奏部分がありそのあとにフルートの部分がある、レイの竪琴は、ずっと演奏しているので、この曲では休みが無い。もう夢中になって弾き続けた。

 最後の音が終わってしばらくすると、会場からものすごい大歓声と拍手が沸き起こった。


「素晴らしい」

「これは本当に素晴らしい」

「夢のような時間だったわ」


 あちこちから口々に褒めてくれる声が聞こえて、レイも嬉しくなる。

 拍手は鳴り止まず結局あと一曲披露する事になった。

 これも定番の女神オフィーリアに捧げる歌だ。

 公爵邸への初めての訪問の際にも、この曲をディーディーたちの前で一緒に演奏している。

 その時の事も思い出して、更に笑顔になるレイだった。

 前奏部分をレイが弾き始め、それを追いかけるように二人のヴィオラがそれに続いた。ルークとタドラもそれに続いて演奏を開始した。




「いやあ、本当に素晴らしかったよ。これを聴けただけでも、今夜ここに来た甲斐があったというものだね」

 ようやく解放されて席に戻って来た五人を、ゲルハルト公爵が拍手で迎えてくれた。

「お疲れ様。まあ一杯どうぞ」

 用意されていたグラスを手に取る。

「精霊王に、感謝と祝福を」

 厳かな声でディレント公爵がそう言い、全員がそれに続いた。

「精霊王に、感謝と祝福を」

 レイもそう応えてもらったワインを少しだけ飲んでみた。

 キリッと辛いその白のワインは、甘い物の好きなレイには飲めないかと思ったが、案外スルッと飲めてしまった。

「へえ、これは初めて飲みました。美味しいですね」

「おや、これが美味しいのならいける口だな」

 ゲルハルト公爵が嬉しそうにそう言って、後ろのワゴンから一本のボトルを見せてくれた。

「これは何処のワインなんですか?」

 グラントリーから、最低限の知識として、主なワインの産地は教えてもらっている。

「これは、私が個人的に頼んで毎年購入しているワインでね。今年は良い出来だったのでこの会にも提供したんだ」

 ラベルを撫でながら嬉しそうに見せてくれる。

 それを覗き込んだレイは、驚きに言葉を失った。

 そこに書かれていたのは、手書きの葡萄畑の絵だった。急峻な山を背にしたその葡萄畑は、急な坂に張り付くようにして広がっていた。

「エケドラ……これって、エケドラのワインなんですか!」

 その絵の下に産地が書かれているのだが、そこには、エケドラの精霊王の神殿と書かれていたのだ。

「ああ、そうだよ。あそこは土地が痩せていて他の作物はあまり育たないそうだが、長年にわたって神官達が苦労して山を切り開いて作られた葡萄畑は、それは広大な敷地を誇るんだそうだよ。この白のワインは個人的には五本の指に入る出来だと思っているよ。もちろん世話は大変らしいが、神殿の神官達が総出で世話をしていると聞いたよ」

 事情を知らない公爵の説明に、レイは改めて渡されたワインのボトルを見つめた。



「テシオスとバルドが作ってくれたワインなんだね……」



 小さく呟いたその言葉に、公爵は驚いたように顔を上げた。

「それは……」

「僕は、今でも彼らのことを友達だって思っています。もう会えないけど、こうやって彼らが作ったワインを頂けるのなら、遠く離れても縁が切れたわけじゃ無いって、そう思えます。嬉しいです。ありがとうございます、このワインを飲ませてくださって」

 例の降誕祭での事件と、その後の裏事情を含めた顛末を知る公爵は、黙ってルークを見て、彼が黙って首を振るのを見て小さく頷いた。

「口に合ったのなら良かった。それなら、また秋には新酒が届くからね。良ければ君の分も一緒に頼んであげるよ。まあ、私も直接ではなく、もちろん出入りの商人に頼んでいるのだけれどね」

「是非お願いします」

 思わぬ提案に喜び目を輝かせるレイに、ゲルハルト公爵は笑顔で頷いてくれた。



 机に置かれたそのワインのボトルの周りでは、シルフ達が楽しそうに輪になって踊っているのだった。

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