瑠璃の館

「では、中へどうぞ。中はまだ殆ど手付かずでございますので、少々寂しい風情となっております。ご希望を教えて頂けましたら早急に対処致します」

 少し前を歩き平然と話をしているが、執事のアルベルトはとても嬉しそうだ。

 彼は元々、この屋敷の主人に仕えていた執事のひとりだったのだ。

 事情があり早くに娘を嫁に出してしまっていた元の屋敷の主人には、直系の男子が一人しかおらず、その唯一の息子をタガルノとの戦いで亡くして以降、遂に跡取りに恵まれなかったのだ。

 元々家族の縁が薄かった方で、近い親族の中にも後を継がせられるそれ相当の人物はいなかった。

 高齢となったその主人は、自らの手で手続きを済ませて陛下に屋敷を返上して家を閉じたのだ。そして自らは、支援していた女神の神殿が管理する施療院で慎ましい余生を送ったのだった。

 以来、主人のいなくなったこの屋敷は静かに忘れられ、庭も荒れてしまっていた。しかし、ようやく新しい主人が現れ、彼は密かに喜びを噛み締めていたのだった。



 主人のいない家は寂しい。

 当主のいない屋敷は、最低限の手入れしか出来ない。使用人達の采配で出来るのは、庭師が花を植え替える程度だ。それとても、最低限の事だけだ。

 二年前に突然現れた古竜の主にこの屋敷が下賜されたと聞いた執事は、心底驚きもしたが、同時に安堵もしていた。



 ようやくこの屋敷に新しい主人が現れた。しかも若い。



 将来その新たな主人が奥方を迎え入れれば、なお家は栄えるだろう。

 新しくついた予算で傷んでいた外装の一部を修復し、乱れていた庭木を整え、二年がかりで庭と裏庭は綺麗に整えた。

 新しい主人が栗がお好きだと聞けば、すぐにオルベラート産の大きな栗の木の苗を取り寄せて日当たりの良い裏庭に何本も植えた。

 去年はさすがにほとんど実は成らなかったが、今年は花も数多く咲いているので、かなりの収穫が期待出来るだろう。

 細々と守って来た屋敷を案内出来る幸せを、アルベルトは噛み締めていた。




「ううん、確かに質素だね。最低限だけ整えてますって感じだな」

 ルークの控えめな感想に、タドラも苦笑いして頷いている。

 まず案内されたのは、入ってすぐの正面玄関に当たるホール部分だ。そこは広々としていて天井も高く、左右に広い廊下が続いている。

 正面部分の壁には元々絵がかけられていたようだが、今は取り外されていて、植物を描いた小さな絵がかけられているだけだ。

「ここに台を置いて、あのミスリルの石を置けば良いんじゃないか?」

 ルークの言葉に、レイも頷いた。

「僕も思った。えっと、あの石を置くのなら、何か台がいるよね?」

 もう一度正面を見たルークは、頷いて執事を呼んだ。レイも呼ばれて近くへ行く。

 タドラは少し離れた場所で興味津々で見ている。

「じゃあ、見て回りながら気がついたところを言いますから、とにかく控えて頂けますか。何処からするかは、後ほど改めて相談しましょう」

 ルークの言葉に、執事は胸元から手帳を取り出した。

「まずはこの正面玄関部分ですね。レイルズが言ったように、彼が持っているミスリル鉱石がありますので、それを置こうかと思います。後日、本部へ来て石を確認してください。きっと驚かれますよ」

「かしこまりました。石を確認後、置く為の台を準備致します」

「腕の良い大工を知ってますから、何なら紹介しますよ」

「是非お願い致します」

 そう言って手帳に熱心に書き込むアルベルトを見て、ルークは振り返った。

「なあ、ここにお前の部屋にあるような天球儀を置くのはどうだ? それとも、天球儀なら置くのは書斎の方が良いかな?」

 目を輝かせたレイは、ちょっと考えてもう一度正面を見て寂しい壁を見上げた。

「それなら、ハンドル商会のシャムに頼んで、ここに天球図のタペストリーを飾っても良いですか? 確か、大きな織物のが有るって言ってました。壁が寂しいから、ここは石とタペストリーが良いと思います」

「ああ、それは良いんじゃないか。それなら今度時間を作ってやるから、ハンドル商会に直接ここへ来て見て貰えば良い。他にも、壁に掛ける額やタペストリーは必要だろうからな。天球儀も含めて、希望があれば一緒にまとめて頼めば早いだろう?」

 満面の笑みで頷くレイを見て、アルベルトは不思議そうにルークを振り返った。

「レイルズ様は、天体に興味がおありなのですか?」

 頷いたルークは小さな声で、彼の亡くなった両親が星系信仰の信者だった事、それからレイルズが現在、大学で天文学を学んでいる事を教えた。

 それを聞いて納得した執事は、大きく頷いた。

「かしこまりました。ハンドル商会ならば私も存じております。レイルズ様のご希望を聞いて、出来る限り整えます」

 どうやら、ハンドル商会の知らない所で大口の商談が勝手にまとまったようだ。



 その後、順番に屋敷の中を見せてもらい、空っぽのままの書斎の本棚を見て、レイはとても悲しそうな顔になった。

「以前の主人が、ここにあった大量の蔵書の類を全て王立図書館にご寄付なさいました。以来本棚は空のままです。今後少しずつ増やして参りましょう」

 申し訳なさそうな執事の言葉に頷くレイを見て、タドラとルークは無言で目を見交わしていた。

 どうやら、彼の成人祝いの品の一つは決まったようだ。

 とりあえず居間と書斎、それからレイルズがここで暮らす部屋を決めただけでもう日が暮れてしまった。




 一旦居間へ戻った三人は、アルベルトが用意してくれたカナエ草のお茶で一休みした。

「家を見るだけで、こんなにかかるなんて思わなかったです。でもまだ半分も見れてないよね?」

 一緒に出されたビスケットを齧りながら、レイが疲れた声でそう呟く。

「まあ、本気で見て回ったらそれこそ何日かかるか分からないぞ。そっちは慌てずゆっくりすると良いよ。それに、どうせ慌てて整えても早々ここへは帰れないと思うしな」

 からかうようなルークの言葉に、お茶を飲んでいたレイも頷いた。

「確かにそうだよね。僕は本部の部屋があればそれで充分だよ」

「まあ、これは将来家庭を持った時には有り難みが分かると思うぞ」

 にんまり笑ったルークの言葉に、レイは飲みかけていたお茶を盛大に噴き出しかけて、必死で我慢したおかげでせて咳き込み、執事を慌てさせていたのだった。



『ふむ、少々気が淀んでおるが特に問題は無いようだな。この程度ならばシルフ達に命じればすぐに綺麗になる程度だ。頼むぞ』

 ブルーのシルフの言葉に、頷いた何人ものシルフ達が嬉しそうに頷いてくるりと回って消えていった。

 彼女達は、いつも締め切られて気が淀んでいたこの屋敷の中の空気を入れ替えて綺麗にして、常に新しい風を送ってくれるのだ。

『レイルズ。その執事に各階の階段の窓と、反対側の廊下の端の窓を開けておくように言ってくれるか。シルフ達がそこから屋敷の中に風を通してくれるからな』

 お茶のカップの縁に座ったブルーのシルフにそう言われて、ようやく落ち着いたレイは頷いて執事を見た。

「えっと……アルベルト、お願いがあるんですけれど」

 新しいお茶を入れてくれた執事が、改まった口調に驚いたように顔を上げる。

「はい、何でしょうか」

 レイの前にお茶を置き、ポットをワゴンに戻して改って聞く体制になる。

「えっと、シルフ達が屋敷の中に風を通してくれるので、その為の出入り口として、各階の階段にある窓と階段と反対側の廊下の端にある窓を開けておいて欲しいんだって」

「かしこまりました。すぐにそのように計らいます。一つ質問ですが、窓を開けておくのは一日中でしょうか? それとも日中だけでよろしいでしょうか?」

 廊下や階段の窓を夜も開けるとなると、防犯上の問題が出る。もし夜も開ける事が必要ならば、夜間の警備の配置を変えなければならない。

「えっと……」

 カップを見ると、ブルーのシルフは笑って首を振った。

『窓を開けておくのは日中だけで良い。日が暮れたら閉めて構わんぞ』

 頷いたレイは、また執事を見上げた。

「えっと、夜は閉めて良いそうです。開けるのは日中だけで良いんだって」

 それを聞いた執事は内心安堵して頷いた。

「かしこまりました。ではすぐにそのように手配致します」

「よろしくお願いします」

 笑顔でそう言ったレイは、新しく入れてもらったお茶をゆっくりと飲んだ。



『其方の為の屋敷だからな。徹底的に綺麗にしてやるぞ』

 嬉しそうなブルーのシルフの言葉に、レイも満面の笑みで頷くのだった。

「凄いね。本当にここが僕のお家になるんだって考えたら、今でも夢を見てるみたいだよ。タキスやニコス、ギードにも見てもらいたいな」

 カップを手にしたまま、少し寂しそうにそう言うレイの頬に、ふわりと浮き上がったブルーのシルフはそっとキスを贈った。

『其方が正式な竜騎士となる時には、森の彼らにも見て貰わねばな。それまでには家を整えておけよ』

「そっか、一年後の楽しみだと思えば、頑張れるね。守りはよろしくね」

 笑ってキスを返すレイに、ブルーのシルフは大きく頷いたのだった。

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