お昼寝とマッサージ

「うう……」

 無意識に寝返りを打とうとしたレイは、全く動けない状態に驚いて慌てて目を開いた。

 見えたのは、日陰を落としてくれている大きな傘だ。その向こうにはまだまだ明るい真っ青な空が広がっている。どこか遠くでは雲雀の鳴き声が響いている。



「えっと、これは何がどうなってるの?」

 動けないままそう呟いて左右を見て、自分に縋り付くみたいにして、くっつき合って熟睡している少年達に気付いて苦笑いする。

「あはは、そういう事か。確か、寝た時はもっと離れてたと思うんだけどなあ」

 苦笑いして小さなため息を吐くと、もう少しだけ、と思って目を閉じた。




 最初に目を覚ましたのは、離れて寝ていたタドラだった。

「ああ、よく寝た」

 起き上がって欠伸と共にそう呟くと、使っていた毛布を軽く畳んで来てくれたジルに渡す。

「へえ、ルークまで寝ちゃったんだね」

 座ったまま大きく伸びをしたタドラは、レイ達の頭の上で横向きで毛布にくるまって寝ているルークを見て笑った。

 立ち上がってもう一度伸びをすると、寛げていた襟元の金具を締める。シワになっていた背中側をジルが直してくれて、寝ている間は外していた剣を装着する。

「皆よく寝ているね」

 笑ったタドラの言葉に、ジルも笑って頷く。

「ルーク様は、最初起きておられたんですが、皆様方があまりに気持ち良さそうに眠っておられるのを見て、眠くなってきたと仰ってお休みになられましたよ。ただ、横になる場所があそこしか無かったんです」

 並んで寝ているレイ達の頭上に、横向きに寝ているルークは、珍しく完全に熟睡しているみたいだった。

「まだ時間はあるんだし、少し休ませてやらないとね」

 タドラはそう言って空いていた椅子に座った。

「良いお天気だね。それにしても、久し振りに本気の全力で走り回ったよ。明日は身体が痛くなりそうだ」

 普段から鍛えている彼らがそんな事になるわけは無いのだが、ふざけたその口調にジルも笑って頷いた。

「そうですね。タドラ様はお身体も柔らかいですからそれ程では無いでしょうけど、ルーク様はちょっと朝練に出ないと、すぐ身体が硬くなってしまわれるんですよね。明日、身体が痛いと仰るようなら、念入りに力一杯解して差し上げましょう」

 ニンマリと笑ったジルのその言葉に、タドラは声を上げて笑い手を叩いて喜んでいた。

「ルークから聞いた事があります。ジルのマッサージはすごく効くんだけど……とんでもなく痛いって」

「ルーク様が大袈裟なんですよ。私の故郷のグラスミアの辺りでは、足裏のマッサージは、皆よくやってもらっていましたからね。私も子供の頃に覚えて、仕事で疲れている父や母にしてあげましたよ。それなのに、お疲れだと聞いてやって差し上げたら、もうこの世の終わりみたいな声で悲鳴を上げられてこちらが驚きましたよ。ヘルガーが、何事かと血相を変えて部屋まですっ飛んで来たんですよ」

「ああ、その話は聞いた事がありますよ。ルークが此処へ来てすぐの頃なんでしょう?」

 それを聞いて、ジルは小さく笑って頷いた。

「ルーク様が此処へ来られた時、比較的年齢の高い従卒の方々ばかりだったんです。私はアルジェント卿の第二従卒として働いていたんですが、ルーク様と年齢が近い事もあるし、第一従卒になるようにと言われました。聞いた時は正直慌てましたよ。自分が第一従卒だなんて、まだまだそんなのは先の事だと思っていましたからね」

「でも、ルークは貴方の事を頼りにしていますよ」

「そう思って下さっていれば、嬉しいんですけれどね」

 顔を見合わせて笑い合った後、タドラは好奇心を隠さずにジルを見た。



「ねえ、その足裏のマッサージってどんな風なんですか?」

 毛布を綺麗に畳んだジルは、執事にそれを渡して振り返った。

「よろしければ、少しだけマッサージして差し上げましょうか?」

「え? いやいや、別に僕はどこも悪く無いで……」

 慌てて首を振るタドラだったが、ジルは素知らぬ顔ですぐ側に来た。

「さあどうぞ、ご遠慮無く」

 あっという間に剣帯を外されたタドラは、そのまま椅子の向きを変えられてしまい、隣の椅子に座ったジルと向き合う形になった。



「失礼しますね」

 タドラの右足を伸ばさせたジルは、平然と履いていたブーツを脱がせてしまった。中に履いていた厚めの靴下も脱がせる。

 そのまま布を敷いた自分の膝にタドラの右足を乗せる。



 踵部分がやや厚くなっている程度で綺麗な足だ。



「爪も、あまり痛んでいませんね」

 笑ってそう言うと、布を被せた上から持って、足首をゆっくりと伸ばしたり曲げたりし始めた。

「ああ、痛いけど気持ち良いです……」

 少し仰け反るようになったタドラがそう言うと、嬉しそうにジルは頷いた。

「さすがに、足首も柔らかいですね」

 にっこりと笑った次の瞬間、ジルは自分の右手をしっかりと握り、中指だけ少し突き出した状態にして、タドラの足の裏の土踏まずの辺りを、力一杯、その曲げた中指の関節の先で押し始めたのだ。



「待って待って待って! 痛いって!」



 いきなりのタドラの悲鳴に、執事達やラスティだけで無く、護衛の者達までが一斉に振り返った。その直後に、ルークとレイが飛び起きる。



「今の悲鳴、何? 何があったの?」

 咄嗟に飛び起きて、すぐ側の机に置いてあった剣を手にしたのは、ルークとレイはほぼ同時だった。



「痛い! 痛いって!」

 そんな周りの状況など全く目に入っていないタドラは、ジルに右足を確保されたまま仰け反って悶絶していた。

「おやおや、ここが痛むという事は、タドラ様は胃腸が弱いようですね。ここはどうですか?」



「無理無理無理無理ー!」

 背もたれを掴んで悶絶しながら叫ぶタドラを見て、ルークが膝から崩れ落ちた。

「タドラ……お前……挑戦者の称号をやるよ。言っただろうが。めっちゃ痛いって……」

 敷布に手をついたまま大笑いしていたルークは、なんとかそう呟いて、そのまま転がってまだ笑っている。

 それを呆然と見ていたレイは、驚きのあまり起き上がったまま固まってしまった少年達に、笑って首を振った。

「よく分からないけど、タドラがジルに苛められてるみたいだねよ」

「苛めてるんじゃ無いって。あれは、足裏マッサージって言って、痛いけど後でめっちゃ気持ち良いんだよ。後でお前もやってもらえ。何事も経験だぞ」

 大真面目に腕を組んでそう言うルークを見て、我に返ったレイは悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、残念ながら即座にルークに確保されてしまった。

「ほら、順番待ちだぞ」

 完全に確保されたまま、今度は左足を掴まれるタドラを呆然と見ていた。



「あれ? こっちはあんまり痛く無いよ」

 同じように施術してもらったが、何故だか先程ほど痛く無くて、タドラは不思議そうに自分の足を見た。

「戻ったら、ヘルガーに言っておきます。お食事も少し気をつけた方がよろしいかと。後程、お腹を温めるメニューをお知らせします」

 実は、子供の頃からお腹が少し弱いタドラは、何かあるとすぐにお腹が痛くなるのだ。

 それが食事で改善すると聞かされて、タドラは目を輝かせた。

 そして、靴下を履いてブーツを履いて立ち上がった時、タドラは目を見開いて自分の足を見た。

「あれ? 足が軽い……?」

 その様子に笑ったルークは、なぜか得意気に胸を張った。

「だから言っただろう? 痛いけど、後がすごく気持ち良いって。ほら、お前もやってもらえよ」

 確保されていたレイは、タドラが座っていた椅子に座らされる。



「失礼します」

 右足を確保されたレイが呆然と見ていると、あっという間にブーツと靴下を脱がされて、裸足になってしまい、その足をジルの膝の上に乗せられてしまった。

 ゴドの村にいた頃にサイズが合わないキツイ靴を履いていた為、レイの足の指は今でも爪が少し変形している。

 それを見たジルは黙って布を被せて先ほどと同じように足首を伸ばしたり曲げたりし始めた。

「おお、さすがに柔らかいですね」

 足首をゆっくりと回しながら感心したように言われて、レイはちょっと笑った。

「頑張って毎日柔軟体操もしてるからね」

「そうですね。真面目に毎朝に行かれていますからね」

 笑ったジルがそう言った直後、先程と同じように中指の曲げた関節の先で、レイの土踏まずの真ん中辺りを力一杯押し込んだのだ。



「待って待って! 痛いです! 痛いです! 痛いっですってー!」

 そう叫びながらバンバンと机を叩くレイを見て、ルークとタドラだけで無く、すっかり目を覚まして様子を見ていた少年達までが、揃って吹き出し大爆笑になった。



「いーたーいーでーすー!」

 必死で訴えるレイを見て、ジルは首を傾げた。

「レイルズ様は、少し喉が弱いみたいですね。ここは、痛いですか?」

「そこも無理ー!」

「じゃあこっちは?」

「あれ? そこは痛く無いよ?」

 別の場所を押されたら、全く痛く無い。それどころか、なんだか気持ちが良い。

「あ、そこ、気持ち良いです」

 思わずそう言うと、笑ったジルに、その辺りを中心にしっかりと解された。

 そして、不思議なことにタドラと同じく、レイも左足は全く痛くなかったのだ。



「本当だ。足が軽い」

 靴下とブーツを履いて立ち上がったレイも、驚きに目を見開いている。

「今日は軽くしただけです。またいつでも解して差し上げますよ。一度だけよりも、何度かやった方が良いですからね」

「えへへ、ありがとうジル。すっごく痛かったけど、後でこんなに気持ち良いのなら、またお願いするかもです」

「気に入って頂けて何よりです。ああ、これならラスティも知っていますから、彼にやってもらうと良いですよ」

 平然とそう言ったジルに、レイは驚いてラスティを見た。

「まあ、彼ほど上手くはありませんが、一応出来ますので、私で良ければいつでも仰ってください」

「凄いやラスティ。じゃあ今度お願いします」



 満面の笑みでそう言うレイを、ルークは苦笑いしながら見ていた。

「おお、あれをまたやって欲しいなんて言う猛者が現れたぞ」

「レイルズ、凄いや。僕はちょっと……」

 顔を見合わせた二人が大真面目にそんな事を言っているのを聞き、少年達はまたしても笑い出してしまい、いつまでも笑い声は絶えなかった。



『おやおや。レイルズはどうやら我慢強いみたいだな』

 見ていたブルーのシルフが面白そうに笑いながらそう言い、ニコスのシルフ達も笑って頷いた。


『我らもあの施術は知ってるよ』

『だけど我らでは力が足りないからね』

『彼がやってくれるのならお手伝いするよ』


『おお、そんな事が出来るのか。では今度する時は、我ももう少し近くで見学させてもらうとしよう』

 頷くブルーのシルフにそう言われて、コロコロとニコスのシルフ達は笑った。


『痛いのは嫌い』

『だけど気持ち良いんだよ』

『良いんだよねー』


 嬉しそうに笑うニコスのシルフの周りでは、同じように固唾を飲んで見守っていた多くのシルフ達が、笑いながらレイやタドラの足を何度も叩いてキスを贈っていたのだった。

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