ハートダウンヒルの丘

「レイルズ様! もっと速く!」

「こらマシュー! フィリスも!  街を出るまではラプトルを走らせるんじゃないよ」

 今にも駆け出しそうなマシューとフィリスに、ルークが慌てて声を掛ける。

 手綱を引いて口を尖らせる彼らを見て、レイも笑って首を振った。

「ルークの言う通りだよ。城壁の外へ出るまではラプトルは並足までだよ。慌てなくても郊外へ出れば思いっきり走らせてあげられるんだから、もうちょとだけ我慢してよ」

「はあい。分かりました」

 声を揃えて元気よく返事をした二人は、軽々とラプトルを御しているし、ゲルハルト公爵の息子のライナーとハーネインも上手に乗りこなしている。

 それに比べて、年齢は上だがティミーはまだまだ御し方が甘い。ラプトルが、時折嫌がるような仕草を見せるのだ。



「えっと、ノーム。お願いだから、もしも誰かが落ちるような事があれば守ってあげてね」

 小さな声で地面に向かってそう頼むと、石畳から一人のノームが出てきて笑顔で頷いてくれた。


『了解しました』

『どうぞ遠慮無く走らせてください』

『我らが皆様方をお守り致しますぞ』


「ありがとう、よろしくね」

 小さく手を振ると、手を振り返して消えてしまった。

「これで安心だね」

 笑顔で、ゼクスの頭に座るブルーのシルフにそう話しかけると、振り返って大きく頷いてくれた。

『ちゃんと守っておる故安心しなさい。其方が可愛がっておる子供達に、怪我などさせはせんよ』

「ありがとうブルー。じゃあ、今日はよろしくお願いします」

 ややぎこちない乗り方のティミーの隣へゼクスを寄せたレイは、優しく話しかけた。

「ほら、大丈夫だからしっかり背筋を伸ばして前を向くんだよ。そう、良いよ。そんな感じ」

 レイに声を掛けられて慌てて顔を上げたティミーは、情けなさそうに眉を寄せた。

「この子は僕にはちょっと大きいと思うんです。出来ればもう少し小さい子が良いんですけれど、父上が選んでくれたラプトルなので出来れば乗りこなしたいんです。でも、なかなか言う事を聞いてくれなくて……」

 俯いて言うその呟きに納得した。

 鞍から続く足を乗せるあぶみは、彼の足に合わせて短くしてあるので大丈夫だが、確かに彼が乗るには、このラプトルはまだちょっと大きいように思う。

「どう思いますかルーク。もう少し小さいラプトルにしてあげてくださいって、言ってあげるべきだと思う?」

 ティミーを見たルークは、ちょっと考えるように口元に左手を持っていった。

「どうだろうな。まあ、ティミーは歳の割には小柄だけど乗れない大きさじゃないからな。何なら向こうに着いたら、他の子達が乗っているもう少し小さいラプトルに乗らせてみても良いかもな。それで怖がらないようなら、俺からリュゼに言っておくよ」

「お願いします。あ、ノームにもしも誰か落ちたら守ってね、って言ってあるから安心してね」

「おお、もちろん俺も頼んでるよ。だけど俺よりお前が頼む方が効き目はありそうだよな」

 顔を見合わせて笑ったレイとルークは、はしゃぐ子供達を宥めながら、何とか一の郭を抜けて街の城壁沿いに少し進んで、貴族の人達が使う大きな城門から外へ出て行った。

 タドラは、執事達と共に少年達の後ろにつき、脱線しそうな子を呼び止めているのだった。




 城壁の外に出た一行は、少し速足でしばらく街道を進み、途中から横道に入って街道から離れた。

 ルークの案内で林の中を抜ける。しかし、ここは綺麗に下草が刈られていてラプトルで進むのは容易だった。

「えっと、ここは誰が手入れをしてくれているの?」

 ルークに尋ねると、驚いたように振り返ってレイを見ている。

「へえ、手が入ってるって分かるんだ」

「そりゃあ分かるよ。これだけ大きな木がある林で、これだけしか下草が無いのは不自然だもの」

「さすがは森育ちだな。この辺りは、専門のレンジャー達が定期的に見回ってくれているよ。この先、もう少し行ったところが今日の目的地であるハートダウンヒルの丘がある場所だ。あそこは直轄地だったから、敷地を囲むように柵がしてあるよ」

 ルークの説明に、レイだけでなく少年達も揃って目を輝かせて聞き入っていた。



 ハートダウンヒルと呼ばれるそこは、降誕祭で陛下から頂いた土地だ。開発するにはやや難のある土地らしいが、ラプトルを自由に走らせてあげられる場所を頂けたのは、控えめに言ってもかなり嬉しい。

「ハートダウンヒルの奥には、ヴィゴが所有している平原があるんだ。そっちも、時々娘さん達と一緒にピクニックに来て、ラプトルを走らせたりしてるらしいよ」

「へえ、そうなんだ。じゃあ今度はそっちへ行くのかな?」

 目を輝かせるレイに、ルークは笑って頷いた。

「多分な。そうなら近いんだし、時間があればこっちにも来ればいいよ」

 のんびりとそんな話をしながら速足でラプトルを進ませ、林を抜ける。

 視界が一気に開けて、よく晴れた青空の下、春の新芽が出た緑と花々にあふれる草原が広がっていた。



 林沿いに細いが道があり、その道沿いには柵が立てられている。角を曲がって少し進むとまた別の少し広い道に出た。

 柵沿いに道が続いていて、しばらく進むと柵に門が作られている場所に到着した。

 しかし、そこは太い鎖で施錠されている。

「ここが出入り口だよ。一応施錠してあるからな」

 しっかりと作られた人の背丈ほどもある柵が、門の奥に、まだまだはるか先まで延々と道沿いに続いているのが見える。

「ねえ、もっと小さい土地だと思ってたんだけど、この柵の中、全部そうなの?」

「そうさ。まあ気にするな。あ、鍵はラスティにも渡してあるから、今度遠乗りに行くなら持って行けよな」

「分かりました。聞いてみます」

 嬉しそうに頷くレイに、ルークは鎖を外した門を開いた。

「行くよ!」

 振り返ってそう言うと、歓声をあげた少年達がラプトルに乗ったまま揃って中に入って行った。

 柵沿いに木が植えられているが、中に入ればなだらかな坂が続く草原地帯だった。



「そっちの林の横は、岩があるから今日は行かない方が良いかな。その向こうは小さいけど池があるよ。でも、俺達が行くのはこっちな」

 右側の奥の方に小さいが雑木林が見える。それを指差して説明してくれるのを聞きながら、レイはあまりの広さに呆然としていた。



 そのまま坂を駆け上がって行くと、丘の上側部分は広くて平らな草地になっていた。

 そこは、ごく短い草が生い茂っているだけなので、ここなら座れそうだ。

 感心して見回していると、執事達が手早く荷物を降ろして大きな敷物を敷き始めた。手早く数枚の敷物が敷かれ、箱型の荷物を敷布の端に置いた執事達は、そのままそれを分解して小さな机を組み立て始める

「へえ、すごいや。机まで持って来るんだね」

 一旦ラプトルから降りて感心して見ていると、箱の中から平たいランプを取り出して机に置いて火を灯し、金属製の枠をランプの上から重ねて置いた。

「あれってもしかして……お湯を沸かす道具なの?」

「そうだよ。郊外で火を使おうと思ったら、普通はああやって火を使うんだよ。土のある場所じゃなければ、コンロを地面に置く時には草を毟らないと駄目だからね。あんな風に簡易の机を持って来て、そこで火を使うんだよ」

 タドラの説明に、レイはただただ感心していた。



「レイルズ様! 駆けっこしましょうよ!」

 マシューとフィリスの声にレイは笑って頷き、改めてゼクスに飛び乗った。

 ルークとタドラも一緒に来てくれたので、執事達が昼食の準備をしてくれている間に、皆で思い切りラプトルを走らせて競争した。

 もう、子供達は大はしゃぎで奇声を発して滅茶苦茶にラプトルを走らせている。

 最初のうちこそ怖そうにしていたティミーだったが、大はしゃぎする他の子達に引きずられて段々と調子が出て来たようで、最後には怖がっていたはずの大きなラプトルで全力疾走して見せたのだった。

 拍手をして大喜びの他の四人と手を叩き合い、もう其処からは更なる大騒ぎだった。



「レイルズ様! ほら、雲雀がいます!」

 駆け戻ってきて鞍上で頭上を指さすティミーの声に、レイは上空を振り仰いだ。

 はるか先に、ピチュピチュと元気に囀りながら登って行く雲雀の姿が見える。

「きっと、綺麗な景色が見えてるんだろうね」

 そう呟いて、すぐ近くに寄って来たティミーを見る。

 しかしやや制御が甘かったティミーのラプトルは、目測を誤ってしまい、勢い余ってレイのゼクスに横から激突してしまったのだ。

「うわあ、危ないって!」

 そう叫んで、レイは咄嗟に手綱を引き足を踏ん張った。

 ティミーは大丈夫かと慌てて横を見た瞬間、彼が背中から後ろ向きに吹っ飛ぶように落ちるのが見えて、レイは咄嗟に助けようと身を乗り出して手を差し伸べた。

 手が届いた瞬間、レイは自分の身体が完全にバランスを崩して落ちるのを感じて慌てた。

 身体が完全に宙に浮いた瞬間、咄嗟にティミーの手を引っ張り守るように胸元に抱え込んだ。



 子供達の悲鳴が響く。



 当然助けられる訳もなく、見事に二人揃ってラプトルの背から転がり落ちてしまった。



 子供達の突然の悲鳴に執事が飛び上がって驚き、慌てて駆け寄って来る。

 見事に揃って背中から落っこちた二人は、これまた見事に受け止めてくれたノーム達に抱えられていて、怪我ひとつしていない。


『大事なし』

『大事なし』

『主様を受け止めるのは久方ぶりよな』

『良い良い』

『楽しみなされ』

『我らがお守り致しますからな』


 受け止めて嬉しそうなノーム達の言葉に、レイは空を見上げたままとにかく受け止めてくれたノーム達にお礼を言った。

「うわあ、久し振りにお世話になりました。ありがとうございます」

 しかし、胸元のティミーの反応が無い。

「えっと、ティミー……大丈夫?」

 まさか、どこか怪我でもしていたら大変だ。

 ゆっくりと身体を起こしてティミーを覗き込むと、硬直したまま、まん丸に見開いた瞳がレイを見ている。

「大丈夫? どこか痛めたりしなかった?」

 もう一度そう聞いてやると、いきなり身体を起こしたティミーは目を輝かせてレイに飛びついて来た。

「今の、今のって、もしかしてノームですか? ノームが助けて下さったんですか?」

「うん、そうだよ。出掛ける時にお願いしていたんだ。誰か落ちたら助けてあげてねって」

 レイの両隣にはノームが現れてティミーを覗き込んでいる。


『やれ大事無きようで何よりであった』

『学ぶが良い』

『落ちる事もこれ経験なり』


 嬉しそうなノームの声を聞いて、レイも笑って頷いた。

「ノームの皆様。助けて下さってありがとうございます!」

 起き上がったティミーは、ラプトルの足元に向かってそう叫んで深々と頭を下げた。

 落ちた自分達を助けてくれたのだから、精霊の見えない彼はこの辺りにノームがいると思ったのだろう。

 それを見て笑ったノーム達が、一瞬でティミーの前に現れる。

「本当にありがとうございました。僕、実はちょっとラプトルが怖かったんです。だけど、守ってもらってるって教えて頂いて今日は怖く無くなりました。もしまた落ちたら助けてください。お願いします」

 もう一度頭を下げたティミーの前には、得意顔のノーム達が大勢並んで、お礼を言われた事に大喜びで手を叩き合っていたのだった。


『私達だって守ってるのにねー』

『守ってるのにねー』


 ラプトルの背中や頭に座ったシルフ達が、ノームにお礼を言うティミーを見て笑っている。

『まあそう言うな。我らが見えもせぬのに、あんなに真剣にお礼を言うとは、なかなかにいじらしいではないか』

 嬉しそうなブルーのシルフの言葉に、シルフ達もコロコロと笑い、手を取り合って空中に飛び上がって踊り始めた。


『可愛い子達』

『可愛い子達』

『愛しや愛しや』

『守るなり守るなり』

『健やかなる子らを守るなり』


 歌うようにそう言うシルフ達に顔を上げたレイとルーク、そしてタドラは笑顔でお礼を言うのだった。

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