ひとときの休憩時間

 廊下を並んで歩きながら、レイはちょっとだけ出た涙を深呼吸して飲み込んだ。

「良かったな」

 今のレイの気持ちを、ルークが一言で言ってくれた。

 小さく頷いたレイは相変わらずの大注目の中をしっかりと顔を上げ、堂々と胸を張って歩いたのだった。




 今日の訪問予定を終えて、ルークと一緒にひとまず本部に戻ったレイは、自分の部屋に戻るなり剣も外さずソファーに倒れ込んだ。

「レイルズ様、お疲れなのは分かりますが、剣は外して下さい」

 ラスティに背中を叩かれて返事をして起き上がったレイは、大きなため息を吐いて立ち上がり、剣帯ごと外してラスティに渡した。

「お願いします」

 剣帯を壁の金具にぶら下げるラスティの後ろ姿を見ながら、ソファーに今度は仰向けに転がった。

 もう一度大きなため息を一気に吐く。

「如何なさいましたか?」

 上から心配そうに覗き込むラスティと目が合ったが、レイは笑って首を振った。

「うん、大丈夫……ちょっと疲れただけです」

 全然大丈夫じゃ無いように聞こえるが、まあ疲れているのは間違いないだろう。

 笑ったラスティは、転がるレイをそのままに、用意してあったワゴンを押して戻って来た。

「甘いパンケーキをどうぞ。今、お茶をご用意します」

 パンケーキと聞いて起き上がったが、机に置かれた真っ白なクリームとチョコレートソースのたっぷりかかったパンケーキを見て、心配そうにソファーに座ったままでラスティを見上げた。

「えっと……この後、夕食会に招かれているって聞きましたけど、今頃食べてもいいの?」

 ルークからも、少し休んだらまた出かけると聞いているので、それまでソファーで寝ているつもりだったのだ。

 さすがに今、本を読む元気は無い。



「夕食会ですが、正直に申し上げて恐らく味わって食べる暇は無いと思います。ですので念の為、何かお腹に入れてから行ってください」

 意味が分からなくて目を瞬くレイに、ラスティは笑って椅子を引いた。

「とにかく、座ってどうぞお食べ下さい。恐らく今夜はお戻りも遅くなるでしょうからね」

 返事をして立ち上がったレイは、大人しく椅子に座ってチョコレートソースがたっぷりとかかったパンケーキを大きく切って口に入れたのだった。

「美味しいです」

 カナエ草のお茶に蜂蜜を入れながら、レイは今日までに会った様々な人達の顔を思い出していた。

「色んな考え方があるんだね。本当に勉強になるよ」

 小さく呟き、もう一切れ大きく切ったパンケーキにたっぷりのクリームとチョコレートソースをつけて、大きな口を開けて口元にチョコが付かないようにして食べ、お皿の横で手を振るブルーのシルフに笑いかけた。

「夜は、婦人会の主催で夕食会なんだってさ。今度はどんな方がおられるんだろうね」

『さてな。そう言えばオパールの主は、魔女の巣窟だなどと言っておったな』

 ラスティにも聞こえるように喋っていたブルーのシルフの言葉に、お皿を下げていたラスティが笑いかけて咄嗟に我慢をした為に、妙な音が出て咳き込んだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 驚いて顔を上げたレイが見たのは、頷きながら、口元を押さえて必死で笑いを堪えるラスティの初めて見る顔だった。

 それを見たレイとブルーのシルフも笑い出し、部屋は笑いに包まれたのだった。





「お、戻ってたのか?」

 事務所に顔を出したルークを見て、座っていたマイリーとヴィゴとカウリが振り返った。カウリも挨拶回りにヴィゴと行っていて、少し前に戻った所なのだ。しかし、そのまま事務所へ来て、今は三人で顔を付き合わせて何やら分厚い書類の束を確認していた。

「ええ、今戻った所です。あれ? 今日は一日城の事務所じゃなかったんですか?」

 自分の席に置かれた書類を確認しながらルークがそう言い、何枚かの書類を確認してサインを書いた。

 マイリー達の書類は見ない。必要ならそう言ってくれるからだ。

「いや、すぐに戻るよ。それで如何だった? 初めての特別事務所は?」

 ニンマリと笑いながらのその質問に、ルークはまたしてもあの時の事を思い出してしまい、口を開きかけたもののそのまま吹き出してしまう。

 ひとしきり笑った後、顔を上げて驚いて自分を見ている三人を手招きした。その顔は満面の笑みになっている。

 なんとなく事情を察した三人は、こちらも満面の笑みでルークの横に座って聞く体制になった。



 事の顛末とレイの答えを聞いた三人も、先程のルークと同じように堪える間も無く吹き出した。

 全員揃って笑い転げる彼らを、事務所にいた人達は、驚きの目で見ていたのだった。




「いやあ、あいつらの驚く顔が眼に浮かぶよ」

「全くだ。しかし本当に最高だなあいつは」

 マイリーとヴィゴは、顔を見合わせては笑いが止まらない。

「あいつ、無邪気過ぎる……そうだよな。確かに恋の先にあるのは、まずはキスだよな」

 カウリがそう呟いてまたしても吹き出し、書類を避けて机に突っ伏した。

 まだ笑いを止められないマイリーは、涙を拭きながらルークを見た。

「な? 俺の考えていた通りだったろう? 下手な予備知識なんか彼には要らないんだよ」

「ご明察恐れ入ります。いやあ、俺なんか足元にも及ばないよ。本当にあいつは大物だな」

 感心したようなルークの言葉に、マイリーとヴィゴはまた笑ったのだった。

 笑いの落ち着いた後は、今日会った人達の所での様々な出来事を、順番に真面目に報告するルークだった。




「そう言えば、お前達が発見したボナギル伯爵の所にいたメイドの娘だが、四大精霊全てに適性があったそうだぞ。それから、僅かだが、光の精霊への反応も見られるそうだ。ダスティン少佐は大喜びだったぞ」

「へえ、ラピスもかなりの強い力を感じるって言っていたけど、それは期待出来そうですね」

「相談の結果、彼女は伯爵が正式に養女として引き取る事にしたそうだ。元々地方の下級貴族の出身だったらしい。両親が離婚の僅かな資産の取り分で大揉めしているらしくてな。しかもどちらの親も彼女の引き取りを拒否したらしい。結局、居場所がなくて伝手を頼ってきたあの屋敷で、行儀見習いの名目で引き取ったらしい」

「迷惑な両親ですね。でもまあそれなら安心です。まだ十三歳との事でしたから、もしも精霊魔法訓練所へ精霊魔法の勉強に通うのならニーカと友達になれるかもしれませんね」

「そうだな。良い出会いがあるように祈っておこう」

 ヴィゴの言葉に、二人も小さく頷くのだった。



 その後、城へ戻る二人を見送り、急ぎの書類を片付けたルークは、大きく伸びをして立ち上がった。

「さてと、それじゃあ本日最後の大仕事だ。果たしてどうなる事やら。まあ、あいつのする事だからなあ。心配するだけ無駄な気もするんだけどな」

 小さく呟いたルークの肩に、ブルーのシルフが現れて座った。

『お前、完全に面白がっとるだろう?』

 半ば呆れたようなその声に、ルークは悪びれる様子も無く笑って肩を竦めた。

「あれ、分かりますか? いやだって、あいつの側にいると本当に退屈しないですからね。恵みの芽って言われてるのも、頷けますね」

『我の主だ。当然であろう?』

「うわあ、ここまで堂々と惚気られるともう何も言えないなあ。まあ、それでも今夜の魔女達相手にどうなるのかは分かりませんよ。俺は離れて成り行きを見守らせて頂きますからね」

『其方が拡声と同じだと言った例のお喋り好きなご婦人は、隣家の伯爵家のご婦人と共に、レイの後援会に参加して下さったぞ』

「おお、それは心強い情報をありがとうございます。そっか、それならちょっとは安心出来そうだな」

 小さく笑って何度も頷く。

「それじゃあ、行く前に、まずは疲れ切ってるであろうレイルズ君を起こしてこようか」

 立ち上がって剣を装着したルークは、ブルーのシルフと一緒に、レイルズの部屋に向かったのだった。

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