思わぬ来客と穏やかな時間

「まあまあ、それでそんなに真剣に頑張ってくださったんですね。でも、勘違いでも嬉しいです。素敵な刺繍をありがとうございます」

 突然、すぐ後ろから聞こえた声に、レイは驚いて振り返った。



 そこには、いつもの第二部隊の制服を着たチェルシー上等兵が笑って立っていたのだ。



「あれ? あの綺麗なドレスは? もう脱いじゃったんですか?」

 思わずそう言ったレイの言葉に、また部屋にいた皆が揃って笑う。

「あれはまだ一部補正や仕上げが残っていますので、まだ完成では無いんです。それに、もしも汚したりしてはいけませんからね。試着ですから、用が済めば脱ぐものですよ」

 笑ってそう言ったチェルシーは、レイの隣に座って、彼が刺した小さな小花を見つめた。

「綺麗に仕上がっていますね。本当にお針は初めてなのですか?」

「ええと、僕の家族のニコスは、お料理やお裁縫がすっごく上手なんだよ。何度か縫い物をしているのは見た事があったから、多分こんな感じかなって思ってやりました。えっとね、森の冬は、雪が降ったら外には出られないんだよ。家畜と騎竜達の世話が済んだら、もうする事が無いので、仕事部屋で大工仕事をしたり、また別の部屋で糸紡ぎをしたりもしたんだ。あ、縫い物は初めてだけど毛糸を紡ぐのは僕も出来ますよ。知ってる? 綿兎の毛をカーダーっていう道具で毛を梳いて整えてから糸車で紡ぐんです。こんな風にしてね」

 レイが身振り手振りを交えて話す森での暮らしを、皆、目を輝かせて聞いていたのだった。



 ようやく話が一段落して解放されたレイは、話しながらもずっと手を動かしていた皆の手元を見て感心しきりだった。

 イデア夫人とリリルカ夫人は、今は二人掛かりで背中の真ん中下側の一番大きな花の部分を刺繍している。よく見ると、どれも白色なのだがわずかに濃淡があり、それらを混ぜる事で花に見事な立体感が出るようになってるのだ。

「きっとニコスだったら綺麗な刺繍をしてくれたんだろうな。でも、僕も花嫁さんの肩掛けに刺繍をちょっとだけしたって自慢しないとね」

 手元を覗き込みながら、嬉しそうにそう言うレイに、皆笑顔になった。



 その時、ノックの音がして、控えていた部屋の世話係の女性が扉を開けに行った。

「まあ、どなたかしら? 今日のお客様は、全員来られたはずなんですけれど?」

 チェルシーの言葉に、イデア夫人とリリルカ夫人も首を傾げている。

「あの、奥様……」

 戸惑ったような顔で、扉を開けに行った女性が戻って来てイデア夫人に耳打ちをした。

「ええ? 今? 今お越しになられたのですか?」

「はい、それにサマンサ様まで車椅子でお越しになられて……」

 慌てた様子で針を置き立ち上がったイデア夫人は、背筋を伸ばして鋭く命じた。

「何をしているのですか。今すぐにお通ししてください」

 それから、大きく深呼吸をして娘達を見た。



「皆立ちなさい。マティルダ王妃様とサマンサ様、カナシア様がお越しです」



 驚きに声も無い一同だったが、さすがは貴族の子女であった。娘二人は落ち着いて縫いかけていた針を布の上に軽く刺して置き、素早く立ち上がって軽く跪いたのだ。

 慌てたレイも、立ち上がって扉を振り返った。




 案内されて入って来たのは、マティルダ様と車椅子に乗ったサマンサ様、それから車椅子を押しているのはいつもの騎士の服装のカナシア様だった。

「ようこそお越しくださいました」

 イデア夫人が、そう言って三人に膝を曲げて軽く跪き両手を握って額に当てて頭を下げた。

「急に押し掛けてごめんなさいね。レイルズをお茶にお誘いしようとしたら、カウリの花嫁さんの衣装の試着を見学に行っているって聞いてね。そう聞いたら知らない振りは出来ないでしょう? 是非とも私達も肩掛けの刺繍を手伝わせて頂かないとと思って、ご迷惑かと思ったのだけれど、マティルダにも声を掛けて押し掛けさせて頂いたの。驚かせてしまったなら申し訳無いわ」

 車椅子に乗った、サマンサ様の嬉しそうな言葉に、チェルシーは前に進み出てその場に跪き、両手を組んで額に当てて深々と頭を下げた。

「ようこそお越し下さいました。初めてお目にかかります。竜騎士隊付きの第二部隊、庶務課所属のチェルシー・リーニスと申します。私の為に、この様な所まで御足労頂き、心から感謝致します」

「サマンサ・ハーヴェイよ。よろしくねチェルシー」

 差し出された右手の先を、手をほどいて顔を上げたチェルシーはそっと摘んで額に寄せた。



「マティルダ様、ようこそお越し下さいました」

 以前、カウリと二人で結婚の挨拶に行っているので、マティルダ様とチェルシーが会うのは二度目になる。

 跪いて挨拶するチェルシーに、マティルダ様も笑顔で挨拶を返した。



「カナシア・レスティナと申します。本日はお二人の護衛役で参りました」

「だけど、ひと針だけでも刺して差し上げてね」

 目を細めて笑うサマンサ様の言葉に、同じくチェルシーに挨拶をしていたカナシア様は照れた様に笑った。

「はい、私の腕では到底戦力にはなれませんが、せっかくの機会ですから少しだけ協力させて頂きます」

「どうぞよろしくお願い致します」

 それから順番に、アミディアとクローディアが三人に立派に挨拶するのを、レイは感心して見ていた。



「まあまあ、こんな可愛いお嬢さん達までいたなんてね。わがままを言ってでも来て良かったわ」

 車椅子のサマンサ様は、すっかりご機嫌でずっと笑顔だ。

「驚きました。でもお会い出来て嬉しいです」

 最後に笑顔のレイが挨拶をすると、サマンサ様は愛おしそうに目を細めてレイの頬を撫でた。

「元気そうねレイルズ。そうそう、選択科目で天文学を専攻したんですって。しっかり勉強していますか?」

「はい、天文学は難しいけれど、とても面白いですよ」

「ほう、それはまたすごいな」

 カナシア様が感心したようにそう言い、目を輝かせたレイは、毎晩行なっている月と星の観測方法について話し始めたのだった。

 笑顔で三人と対等に話をするレイルズを、女性陣は密かに感心して見ていたのだった。



「早速だけれど、今は何をしているの? 私はどこをお手伝いすれば良いかしら?」

 車椅子を寄せて、サマンサ様が目を輝かせて机の上に置かれた布を覗き込んだ。

「では、こちらの針山をお使いください。襟周りの部分の刺繍がまだ手付かずですので、お二人にはこちらをお願いしてもよろしいでしょうか」

 いくつもの針が刺さった針山と、糸巻きに巻かれた何種類もの糸の入った箱を差し出したリリルカ夫人の言葉に、サマンサ様とマティルダ様は揃って頷いて針と糸を受け取った。

 二人はいとも簡単に渡された針に糸を通し、リリルカ夫人が見せる紙を見て、幾つか確認してから刺し始めた。



 お二人は、先ほどのレイとは全く違っていて手慣れた様子で次々に刺していく。時折、僅かに色の違う糸を通した別の針に持ち替えて、時には二本の針を交互に使って刺していくのだ。

 そのあまりの見事な手さばきに、レイだけでなく少女達二人も手を止めて目を輝かせて魅入っていたのだった。




「レイルズ様、こちらをお願いしてもよろしいでしょうか」

 申し訳なさそうなリリルカ夫人の声に、我に返ったレイは慌てて首を振った。

「いやあの、これ以上僕なんかが手を出しちゃ駄目ですって」

「まあまあ、もちろん刺してくださるのなら大歓迎致しましてよ。ですが、こちらの仕分けをお願いしてもよろしいでしょうか?」

 横に置かれたもう一つの小さな机には、綺麗な木箱がいくつも並んでいて、その横にはやや深めの小皿がいくつも置かれていた。

「こちらの紙に、必要な番号と数が書かれておりますので、このビーズをそれぞれ数を数えてお皿に入れていっていただきたいのです」

 木箱の横には番号が振られていて、渡された紙には、何番を何個という具合にぎっしりと必要な数が書かれていた。

「今刺しているのはこちらの部分の、ここからここまでです。数を揃え終えたらここに印を入れてください」

「それで、出来たら渡せばいいんだね」

「はい、お願い出来ますか」

「分かりました、こんなのなら幾らでもお手伝い出来ます」

 安心して頷いたレイは、にっこり笑って紙を置いた。

「細かいですから気を付けて下さいね。ビーズを取る際には、これをお使いください」

 渡されたのは、面が妙に平らになった小さなスプーンと先がごく細くなったピンセットだ。

 そっと、箱の蓋を開けたレイは、無言で天を仰いだ。

「うわあ、これはちょっと大変かも」

 開いた箱の中には、先程のドレスにも縫い付けられていた綺麗な透明の石や、針の先ほどの小さな穴の空いたガラスの粒が、どの箱にも一面にぎっしりと詰まっていたのだった。


「えっと……あ、そうか。このスプーンで掬って数えるんだね」

 小さく呟いたレイは、ニコスのシルフ達に間違っていないか数えるのを手伝ってもらいながら、指示書に従って必要な数をせっせと数え続けた。

 途中、どうしても手元が暗くて見えにくかったレイは、こっそり光の精霊を呼んで、少しだけ手元を照らしてもらって作業を続けた。

 光の精霊の灯す明かりに照らされて、細やかなビーズ達は一層キラキラと輝いていたのだった。



 突然部屋に現れた明るい光に、お喋りをしながら手を動かしていた女性陣は驚いて揃って振り返ったが、レイの手元を照らすその光を見て、皆揃って小さく笑い合い、またせっせと針を動かしたのだった。

「まだ子供だと思っていたけれど、さすがは古竜の主ね。あんなに簡単に光の精霊を呼んでしまうなんてね」

 感心したようなマティルダ様の呟きに、皆笑顔で頷くのだった。




 ゆっくりと時間が流れる作業部屋で、聞こえるのは、普段とは違う少し高い女性の声と楽しそうで軽やかな笑い声だけ。

 今までとは全く違う穏やかな時間を、レイは密かに楽しんでいたのだった。そんな彼の右肩にはいつの間にかブルーのシルフも現れて、レイの手元を飽きもせずにずっと楽しそうに眺めていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る