勉強の日々とノートの贈り物

 年が明けてから、レイは少し訓練所へ行く日が少なくなった。



 今までは、週のうち三日から四日程度は訓練所へ行き、一日はお休みの日があって、残りの二日か三日が本部で武器の訓練やマナーや貴族の仕組みなどについて学んでいたのだ。

 しかし、いよいよ正式な紹介が近づいた事もあり、グラントリーやマイリーから教えられる事もどんどん具体的になって来た。

 しかし逆に武器を扱う訓練は、もう一通りの事は出来るようになったと言われて、時々しかやらなくなってしまった。

 おかげでもう、毎日レイは覚える事だらけで泣きそうになっていたのだった。


『頑張ってね主様』

『私達が覚えているから安心してね』

『教えてあげるよ』


 ニコスのシルフ達がそう言って慰めてくれても、レイには安心なんて出来なかった。

「まあ、あまり難しく考えるな。その為の見習い期間なんだからな」

 書類を片付けているマイリーに、慰めるように言われて、レイは無言で机に突っ伏したのだった。



「えっと、質問なんですけど、僕達、春には見習いとして紹介されるって聞きましたけど、具体的にその日って決まっているんですか?」

 今日はマイリーが先生役で、貴族間の仲の良し悪しや、彼らと付き合う上での注意点など、カウリも一緒に受けていたのだ。

「ああ、四の月の最初の日だよ。月初めには城の大会議室で陛下も参加なさる報告会がある。その月の祭事や会議の内容についての確認と打ち合わせが主なんだけれどな。その時に、お前達の事も議題に上がり、その場で紹介される事になる。この会議に出ている人達が、この国の運営に関わる重要人物だと思えば良い。そこからは、俺達と一緒に城での祭事に参加したり、兵士達の訓練に参加したりする事になる。五の月に入れば、各地への巡行が始まるぞ」

「巡行?」

「以前、蒼の森へ行った時に、帰りにブレンウッドだけでなく各地の街へ行っただろう。あんな感じで交代であちこちの地方都市へ視察を兼ねて行くんだよ。当然竜と一緒にな。これは数年おきに行われているもので、必ず全員がどこかの街へ行く事になる」

「僕達も一緒に行くんですか?」

「そうだ。レイルズはルークと一緒に、カウリはヴィゴと一緒に行動する事になるだろうな。まあこれも経験だ。街の様子も含めて、しっかり見て来なさい」

「分かりました。じゃあ楽しみにしてます」

 目を輝かせるレイに、マイリーは頷いた。

 狭い世界しか知らないレイにとっては、違う街へ行けると言われただけで、頭の中はそれで一杯になってしまった。



「はあ、半年なんてあっという間だよ。正式に紹介されたら、更に早いんだろうな」

 大きなため息を吐いたカウリの言葉に、レイも頷くしか無かった。

「頑張ろうね」

「だな、もう俺は諦めの境地だよ……」

 椅子にもたれ掛かり天井を見上げるカウリを、マイリーは小さく笑って突っついた。

「それはそうと、式の準備は進んでいるのか?」

 からかうようなその言葉に、カウリは一気に身体を起こした。

「近々招待状をお届け致します。まあその……軽く流してください」

 あまりにも情けなさそうなその声に、マイリーは堪える間も無く吹き出した。

「ヴィゴによると、結婚式の主役は女性だそうだからな。とにかく彼女の希望を第一に考えてやれば良いさ」

 もう一度大きなため息を吐いたカウリは、ニヤリと笑って上目遣いにマイリーを見た。

「ん? なんだ?」

「そうか、ここにも経験者がおられましたね! マイリーの時にはどんな風だったか教えて頂けますか?」

 その言葉に、マイリーは持っていた書類の束を机に置いた。

 そして、ニンマリと笑ってカウリのすぐ近くまで顔を寄せた。

「ほお、こんな所に勇者がいたな。離婚以来、俺にその時の事を堂々と聞いたのはお前さんが初めてだよ。ああ良いぞ、なんでも教えてやろうじゃないか。何が聞きたい?」



 笑っているし、優しい声なのに怖さしか無いのは何故なんだろう。

 思わず椅子ごと後ろに下がったレイは、仰け反るカウリにさらに顔を寄せて笑うマイリーを半ば呆然と見ていた。

「マイリー! 近い近い!」

 叫んで更に仰け反るカウリに覆いかぶさるようにして、もう一度ニンマリと笑ったマイリーは、カウリの顎の下を突っついた。

 後ろ向きに椅子ごと倒れたカウリは、そのまま受け身を取って床に転がりレイの背後へ回った。

「助けてレイルズ君。マイリーが俺を苛めるんだよ」

「ええ、僕を巻き込まないでくれるかなあ」

 実はレイもかなりその話を聞きたいのだが、マイリーに完全に遊ばれているカウリの味方をする勇気はレイには無かった。

「薄情者!」

 笑いながらそう叫んだカウリは、笑ってこっちに向かって来たマイリーに捕まってしまい、鼻先を付き合わせて覗き込まれている。

「で、何が聞きたいんだ?」

「申し訳ありませんでしたー!もう二度と聞きませんから離してください!」

 両手を上げて、降参のポーズを取ったカウリの叫びに、マイリーは小さく笑った。

「何だよ、もう降参か? まあ良い。ああ面白かった」

 満足そうに笑うマイリーがそう言って手を離してくれたので、カウリはその場にしゃがみ込んだ。

「ああ、マジで怖かった。笑ってるのに、目だけ笑っていないって……どうよ」

「今のはカウリが悪いと思うな」

「だな。気をつけます」

 笑いを堪えたカウリの言葉に、レイとマイリーも堪えきれずに吹き出したのだった。



「まあ、冗談抜きでどうなんだ? 準備は順調か?」

「はあ、今日の午後からドレスの試着が有るらしいので、ヴィゴの奥方や娘さん達が来てくださるそうですよ。俺は当日まで見ちゃ駄目だって言われて、部屋に入れてもらえないんですよ」

「まあ、そうだろうな。楽しみにしていろ。女性が一番輝く衣装だからな」

「ええ、見てみたい! 僕だったら入れてくれないかな?」

 午後からは自習時間になっているので、ようやく出来上がったニコスのシルフ達が書き出してくれた、あの天文台の壁の文字を書いたノートを様子を見てマイリーに渡すつもりだったのだ。それが終われば、その後は読書をする予定にしていたのだ。

「お前なら入れてくれるんじゃ無いか? イデアが来たら、聞いてみれば良い」

「イデアさんってヴィゴの奥様だね。じゃあ後で聞いてみます。僕、花嫁さんの衣装って見た事が無いからすっごく楽しみなんです」

 目を輝かせるレイを見て、カウリは驚いたように何か言いかけたが、彼の生い立ちを思い出して黙って口を噤んだ。

「あ! ねえマイリー、じゃあちょっとだけ待っててもらえますか」

 それなら今のうちにノートを渡してしまおう。

 そう思いついたレイは、驚くマイリーに、もう一度待っててくださいと言って、部屋を駆け出していった。

「何事だ?」

「さあ? 何でしょうね?」

 残されたマイリーとカウリは、呆気にとられて顔を見合わせていたのだった。



「ええと、これとこれ、それからこれもだね。すごいや、三冊も有るんだね」

 戸棚に置いてあった、例の古代文字で書かれた壁画の文字を書き写したノートは全部で三冊分にもなった。

 一度しっかりと抱きしめると、レイはそれを抱えてまた急いで部屋を出ていった、

「如何なさいましたか?」

 急に戻って来たレイに驚いて、隣の部屋にいたラスティが慌てて顔を覗かせる。

「ごめんなさい、何でも無いです。ちょっとノートを取りに来ただけです」

 笑って持っていたノートを見せたレイは、一礼してそのまま部屋を出て行った。

「レイルズ様、廊下を走ってはいけませんよ」

「ごめんなさい」

 笑いながら掛けられた言葉に、レイは小さく舌を出して返事をしたのだった。



「お待たせしました。えっと、これなんだけど貰ってもらえますか」

 分厚い三冊のノートを差し出されて、書類を置いたマイリーは不思議そうにそれを受け取った。

「ん? 何のノートだ?」

 そう言って一番上のノートのページを捲る。



 そのノートに書かれた文字を見たマイリーは、そのまま黙り込んでしまった。

「どうしたんですか? ああ? 何だこれ?」

 横から、開いたままのノートを覗き込んだカウリは、不思議そうにそう呟いてレイを振り返った。

「なあこれって……」

「レイルズ! お前、一体これを何処で手に入れたんだ?」

 突然ノートを閉じたマイリーがそう叫んでレイの腕を掴んだのだ。

「えへへ、やっと書きあがったので、僕からの贈り物です」

 呆気にとられるマイリーの腕を叩いて手を離してもらうと、レイはニコスのシルフにそっとキスを贈った。

「えっとね、それはこの子達が書いてくれたんです。あの時の壁の文字、ブルーは以前読んだ事が有ったんだって。それで、時間は掛かるけど全部書き出してくれるって言ってくれて、彼女達が頑張ってくれたんだよ」

「そこにいる彼女達は、ガンディが言っていたラピスが連れていた古代種のシルフか?」

「えっと、そうです。すっごく賢いんだよ」

 ここで彼女が、ニコスのシルフだと言ったらまた話がややこしくなる。ブルーも、自分から聞いたと言って良いと言ってくれていたので、ここは全部まとめてブルーから聞いた事にしておく。


 大きく深呼吸をしたマイリーは、三冊のノートを見つめてから顔を上げた。


「これは本当に素晴らしい発見だよ。心から感謝する。早速殿下にも報告して、大学院の古代史研究の教授に頼んで、研究室を設置してもらうよ。教授も喜ばれるだろう」

 まさかそんな大ごとになるとは思っていなかったレイは、驚いたようにニコスのシルフを見たが、彼女は当然だと言わんばかりに満足気に頷いていたのだった。

「えっと、僕には何を書いているのか全く分からなかったけど、マイリーには読めるんですか?」

「もちろん。と言ってもラディナ文字やラトゥカナ文字ほどにはスラスラとは読めないよ。これはそれぞれの文字自体が意味を持っていて、一旦それらの意味を書き出して、前後の意味を見ながら解読しなければならないんだ」


 まるで天文学について話している時のレイのように、目を輝かせて嬉々として古代文字の解読方法について話し始めるマイリーを、レイとカウリは呆気にとられて見つめていた。

 そんな彼らを、いつの間にか現れたブルーのシルフと一緒に、ニコスのシルフ達は満足気に眺めていたのだった。

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