ちょっとしたお願いと読書の時間

 ようやく落ち着いたマイリーは、照れたように笑ってもう一度お礼を言うと、書類と一緒にレイから貰ったノートを大事そうに抱えて事務所へ戻って行った。

 レイ達も一旦部屋に戻り勉強道具を片付けて、マイリーも一緒に昼食を食べに食堂へ行った。



「さっきのあのノートに書かれていた不思議な古代文字だっけ。あれってお前が書いたのか?」

 食事の後、カナエ草のお茶を飲んでいた時に不思議そうにカウリにそう聞かれて、レイは食べていたマフィンを飲み込んでから首を振った。

「違うよ。えっとね、最初は僕が書こうとしたんだけど、そもそも僕はその文字を知らないでしょう。それで困っていたら、この子が万年筆を貸してくれたら書いてあげるって言ってくれて、それで僕の万年筆を貸して、時間のある時に少しずつ書いてもらっていたの。最初は上手くペンを持てなくて綺麗に書けなかったんだけど、万年筆に布を巻いて太くして滑らないようにしてあげたら、上手く書けるようになったんだよ」

 隣でそれを聞いていたマイリーが、驚いたように振り返った。

「ちょっと待て、レイルズ。あれはお前が書いたんじゃなくて、シルフが書いた?」

「そうです。えっとこの子は特に賢くて、色んな事が出来るんだよ」

 無言でマイリーは目の前で手を振るニコスのシルフを見つめた。

「さすがは古竜が連れていた古代種のシルフだな。文字を書けるシルフがいたとは驚きだ」

 小さくため息をついて、首を振りながらそう言い、マイリーはレイを見た。

「お前には、本当に驚かされてばかりだよ。元来移り気なシルフ達は、同じ事をし続ける、というのが特に苦手なんだ。食品の保存や管理程度なら、常にしているわけでは無いから出来るが、文字を書き、ラピスが覚えていた事をいわば聞いて書き取った訳だろう? それ程の事が出来るシルフがいたとはな」

 感心したようにそう言われて、レイは困ってしまった。

 実はシルフ自身が覚えて書き出してくれたのだが、これもどうやら言わない方が良いみたいだ。

「えっと、僕にはよく分からないけどね。そんなにすごい事なの?」

 確かに訓練所で習った際に、シルフの特徴の一つとして、移り気で、常に一つ所にじっとしていないと聞いた覚えがある。



 伝言のシルフは、言ってみればその間だけ術で彼女達を操って使っている状態なのだ。

 自分が認めた人にならば、精霊達は自分を使う事を許してくれる。つまり、それを認められたのが精霊魔法の使い手なのだ。



「まあ、お前がここに来てくれて本当に良かったよ。こんな精霊使いが我々の知らぬ間に野に放たれていたかと思うと、考えただけで気が遠くなるよ」

 マイリーはそう言って、苦笑いしてレイの頭を撫でてくれた。

「もう正式な紹介まであっという間だぞ。その日が楽しみだな」

「はい、僕も楽しみです」

 嬉しそうにそう答えて、残りのマフィンを口に入れた。

「まずは、カナエ草のお茶を、蜂蜜無しでも飲めるようにならないとな」

 からかうように言われて、レイは飲みかけていたお茶を危うく噴き出す所だった。



 食堂から戻ったレイは、ラスティにカウリから聞いたチェルシーのドレスの試着の話をした。

 その際に、花嫁さんの衣装と言うものを見た事が無いので、ちょっとだけでも見せて貰えないか聞いて欲しいとお願いしてみた。

「ああ、午後からヴィゴ様の奥方様と娘さん方がお越しになると言っていたのはそれだったんですね。どうでしょうか? 確かに勝手に行って良いとは思えませんね。畏まりました。確認しておきます」

「お願いします。僕花嫁さんの衣装って見た事が無いから、どんな風なのかすっごく楽しみなんです」

 目を輝かせるレイを見て、ラスティも笑顔で頷いてくれた。



 連絡を待っている時間に、レイはソファーに座って本の続きを読み始めた。

 ブルーが言っていた通りで、四冊目に入った途端に、一気に話は進み始めた。




 家族を処刑された広場から、どういう方法かは分からないが逃げ出していたオスプ少年は、奪い返した両親と兄達の亡骸をたった一人で郊外の森の中で埋葬していた。

 いつの間にか、彼は高位の精霊魔法を使いこなせる様になっていたのだ。

 ノーム達に命じて四つの墓を作り、それぞれに森のわずかな花を捧げる。

 そのまま彼は、深い森の奥へ向かってたった一人で入って行ったのだった。

 この間、彼が発した言葉は『ノーム、穴を掘れ』だけだったのだ。



「ええ、待ってよ。一人で森へ入るなんて無茶だよ。そんなの駄目だよ」

 思わずそう呟き、必死で先を読む。



 しかし、またしても場面は切り替わり、そこからはまた精霊王の生まれ変わりであるライル少年が中心で話が進んで行った。

「確かに、精霊王の物語よりも登場人物は多いけど、話はそれ程変わらないと思うんだけどなあ」

 読みながら思わずそう呟くと、レイの右肩にブルーのシルフが現れて座った。

『精霊王の物語が上下巻なのに対して、この物語がこれ程長いのは何故だろうな?』

「ええと、登場人物が多くて、それぞれのお話があるから……なんだろうけど、確かにそれだけならこんなにも長くならないよね」

『もちろん精霊王のお話と同じで、中心に流れているのは精霊王と闇の冥王との戦いだ。だが覚えておきなさい。以前も少し話した事があったが、正義や、正しいという言葉は、立場の違いによって全く異なる。あの、広場でのオスプ少年の事件でさえもそうだろう? オスプ少年の目線。彼の家族を陥れた宰相や大臣達の目線。あの広場で何も知らずに、処刑される両親に向かって言われるままに石を投げていた群集達の目線。そして、命じられるままに彼の両親や兄達を処刑した兵士の目線。どうだ? どれ一つをとっても同じではなかろうが』

 絶句するレイに、ブルーのシルフはそっとキスを贈った。

『この物語の真の主人公は誰なのか、と言うのは、長年ずっと言われている事でな。読み手が誰に感情移入するかによって、話は全く違って見えるのだよ。果たしてオスプ少年? それとも、ライル・ムートか? それとも、まだ出て来ていない誰かなんて事はあるか?』

「ええ、第四巻まで主人公が出て来ないなんて事は無いだろうからね。僕はオスプ少年が主人公だと思っていたんだけど、違うのかな?」

『この後、もう一人重要な人物が出て来るぞ、彼が出て来たらまた話そう』

 面白そうにブルーのシルフに言われて、レイは頷いてまた本に目を落とした。



 深い森の奥に入り込んだオスプ少年が見つけたのは、廃墟となったドワーフ達の古い鉱山跡だったのだ。

 草の生い茂る中、必死になって坑道の入り口を見つけた彼は、ようやく安心して眠れる場所に辿り着き崩れる様にして倒れ伏してしまう。

『もう僕なんて生きていても仕方がない……』

 倒れたオスプ少年は、その言葉を残してそのまま意識を失ってしまう。



「ええ、駄目だよ。どうなっちゃうんだよ」

 鉱山跡には、闇の気配が容易く棲みつくとギードから聞いた事がある。ここがもしもそうなら、意識の無い少年など闇の配下の者達にとっては美味しいご馳走でしか無い。

 そして心配した通りに倒れた彼に近付く影が現れ、意識の無い彼に手を伸ばした所でまたしても場面は切り替わってしまう。

「ああもう、どうなっちゃうんだよ!」

 すっかりオスプ少年に感情移入しているレイは、切り替わった場面で得意げに自分の新しい政策について会議で話す宰相の事を、本気で憎らしいと思っていた。



「レイルズ様。よろしいですか?」

 夢中になって本を読んでいたレイは、何度か呼びかけられて、最後には肩を叩かれて初めて気づいて顔を上げた。

「はい! 何ですか?」

 すっかり本の世界に没頭していたレイは、突然肩を叩かれて文字通り飛び上がった。

「申し訳ございません。何度かお呼びしたのですが、全く聞こえておられない様でしたので」

 苦笑いしつつ謝ってくれるラスティに、レイは慌てて首を振って読んでいたページに栞を挟んだ。

「ごめんなさい。全然聞こえていませんでした」

 本を閉じて謝るレイに、ラスティは小さく笑って頷いた。

「先程、イデア様とお嬢様方が到着なさいました。確認させていただきました所、お着替えの際には当然ご遠慮頂きますが、その後であればお越し頂いても構わないとの事です。お着替えが済んで大丈夫になれば、連絡をくださる様にお願いしてまいりましたので、いつでも出られる様にしていて下さいね」

「分かりました! じゃあいつでも出られる様に、この本はここまでにします」

 名残惜しそうに読んでいた本を本棚に片付け、いつでもやめられる図鑑を取り出して開くレイを、ラスティは優しい眼差しで見つめていたのだった。

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