温室でのお茶会

「えっと……ごめんね。お待たせしました。もう大丈夫だから戻ろう」

 ようやく興奮の収まったレイは、照れたように顔を上げてカウリを振り返った。

「じゃあ、まずは戻るか」

 何も言わずに待っていてくれたカウリに笑って背中を叩かれて、頷いたレイも彼に続いて立ち上がった。

 貴族席から出たところで、ラスティとヘルガーが待っていてくれた。

「お待たせしちゃってごめんなさい。すごく、すごく……感動しました。連れて来てくれてありがとうございます」

 そう言って嬉しそうにお礼を言うレイを、二人は驚いたように見て、揃って破顔した。

「お楽しみ頂けたなら、お連れした甲斐があると言うものですね。ところで、この後ですが、お茶会のお誘いが来ておりますので、このまま参りましょう」

 レイだけでなく、カウリもその言葉に驚いて足を止めた。

「お茶会のお誘い?」

 いきなりカウリの声に警戒が乗る。



 竜騎士達には、日常的に貴族達から、お茶会の名目で様々な誘いがある。

 ある程度は仕事のうちだと割り切って、皆手分けして対応している。だが、正直女性陣からの誘いは色々と面倒な事も多いので、受けるかどうかは慎重に判断される。その為それらの誘いは、絶対に直接ではなく、執事を通じて正式な連絡が入るのだ。

 その辺りの事情に詳しいカウリは、まだ正式な紹介をされていない自分達が行く、そのお茶会の招待主が誰なのか分からず、警戒したのだ。

 レイはまだまだ、その辺りの大人の駆け引きはさっぱり分からない。



「ああ、失礼致しました。お誘いは王妃様とカナシア様からです。こちらへお二人がお越しになっているのを聞かれて、ならばお茶だけでもとお誘い下さいました。改まった席では無いので、そのままで構わないとの仰せです」

 正式に竜騎士見習いとして紹介される際には、陛下の口から、マティルダ王妃様がレイルズの後見人となる事も発表される。だが、今の段階ではこれを知っているのは竜騎士達を始めとするごく一部の人だけだ。

 表向きは学校関係はヴィゴが、それ以外では、ルークの父親であるディレント公爵が後見人だとされているのだ。当然カウリもその事はヴィゴやマイリーから詳しく聞いて知っている。

「ああ、それなら納得です……って、ちょっと待って下さい。俺も? 俺も行くんですか?」

「はい、もちろんです。カウリ様は年が明ければ婚礼が待っていますからね。是非とも奥方となられるお方との馴れ初めの話を聞きたいとの仰せです」

「うわあ、いきなり来たよ」

 天井を向いてカウリは顔を覆った。

 今回のお誘いは、恐らくレイルズよりもカウリが目的なのだろう。

 前回、一人でのこのこお茶会に行って、彼女との馴れ初めを一から話してしまったレイは、それを思い出してしまい思い切り吹き出したのだった。

「頑張ってねカウリ、ご指名だよ」

「お前! 他人事だと思いやがって! ああ、駄目だ、気分が悪くなってきたぞ。貧血かなあ」

 態とらしくレイの腕に縋る彼を見て、レイは笑って首を振った。

「ええ? シルフ達は全然どこも悪く無いって言ってるよ」

 笑ってカウリの手を離してやる。

「うう、レイルズが俺を苛める……」

 カウリは泣くふりをしながらそう言い、堪え切れないように俯いたまま吹き出した。

「なあ、やっぱり行かないと駄目だよな?」

「諦めてください。これもお仕事です」

「ああ駄目だ。どう考えても逃げられる要素が無いぞ」

「だから諦めてください。僕も酷い目にあった事があるからすっごく気持ちは分かるよ」

 大真面目なレイの言葉に、カウリはまた吹き出した。

「それって、いつの話だ?」

「えっと、第六班のところへ二等兵として行く直前だよ。ほら花祭りで僕はディーディーに竜騎士様の花束を渡したんだ。それで……」

「ああ、その話は聞いたよ。大騒ぎだったらしいな」

「もうね、いろんな事があり過ぎて、正直言ってあの頃の記憶が曖昧です」

「まあそうなるだろうな。仕方がない。諦めて行くとするか」

 小さな声で話している二人の事は、周りの人達も気付いていたが、まだ正式な紹介の無い二人に、あからさまに接触してくる者はいなかった。



「では、お覚悟が決まったようですので、ご案内致します」

 大真面目なヘルガーの言葉に、レイはまた堪える間も無く吹き出したのだった。




 また知らない廊下を通り、幾つもの角を曲がってもう自分が何処にいるのかさっぱり分からなくなった頃、ようやく大きな扉の前で止まった。

 ノックをすると、中から執事が出て来て、ここでラスティとヘルガーは一礼して横に下がった。

「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 初老の執事の丁寧な案内で、入った部屋から続きになったまた別の部屋に通された。

 寒かった外や廊下とは違い、その部屋の奥の壁には大きな暖炉があって大きな炎が揺らめいていた。

「あ、ご苦労様」

 炎の中では、かなり大きな火蜥蜴が退屈そうに丸くなって眠っているのが見えたので、思わずレイはその暖炉に駆け寄り、覗き込むようにしてそう話し掛けた。

 その声に顔を上げた火蜥蜴は、眠そうに大きな欠伸をして、挨拶がわりの小さな火の玉を吐いてから、また丸くなって眠ってしまった。

「古くて良い暖炉は、火蜥蜴にとって居心地の良い部屋みたいなものらしいよ。ここの暖炉は相当寝心地が良いみたいだな」

 隣に来たカウリの言葉に、レイも笑って頷いた。

「お茶は、外にある温室でご用意しております。よく晴れていれば、綺麗な空が温室のガラス越しに見えるのですが、今日は残念ながら無理なようですね」

 二人を案内してくれた執事の言葉に、頷いた二人はその部屋から外の庭へ続く小さな渡り廊下を通り、目的の大きな温室に到着した。



 その大きな温室の中は、驚いた事にまるで春のような暖かさだった。

 そして、温室の中は、緑と花にあふれていた。



「うわあ、見てあの大きなお花。僕の顔ぐらいありそう」

「本当だな。花の名前なんていくつも知らないよ。お前、知ってるか?」

 感心しているとカウリにそう言われてレイはちょっと考えた。

「えっと、僕が知ってるのは薔薇と百合ぐらいかな? あ、白い花束に入っていた花ってなんて言ったっけ?」

 思い出の花祭りの日、女神の代理人を務めたニーカの手元に最後に残ったのは、小さな白い花が幾つも付いたそれだけだったのだ。

 後で、その花を見て彼女達とガンディが何か言って笑っていた覚えがあるのだが、肝心の花の名前が思い出せない。

『かすみ草だね』

 不意にニコスのシルフの声が聞こえてレイは笑顔になった。

「そうそう、かすみ草!」

 得意げにそう言った途端、後ろから声が聞こえて二人揃って直立した。



「あらあら、残念だけどかすみ草はここには無いわね」

「マティルダ様! お招き頂きありがとうございます」

 振り返ったレイは慌ててそう言って膝をついた。

「よく来てくれたわね。さあどうぞ、座ってちょうだい」

 温室に入って来たのは、マティルダ様とカナシア様、それからアデライド様と、車椅子に乗ったサマンサ様だった。

 それぞれに挨拶を交わして、温室の中に用意された丸いテーブルに案内されて席に着いた。



 華やかなお菓子が幾つも並べられ、それぞれの前にお茶が用意される。

「ああ、レイ、元気そうだね。君はこんな所にも入れるんだね」

 足元にすり寄って来た猫のレイを笑って抱き上げてやる。

 いつものように左の肩に顎を乗せて、猫のレイは満足そうに喉を鳴らした。

「お、フリージアだっけ? おいで」

 カウリの足元に来たのは、猫のレイのお嫁さん候補の白と灰色の子だ。

 カウリに抱き上げられたフリージアも、嬉しそうに喉を鳴らしてカウリの胸元にしがみついた。

「ええ、これどうすれば良いんですか? なんだか急にぐにゃぐにゃになったんですけど」

 戸惑ったようなカウリの悲鳴に、女性陣が小さく吹き出す。

「まあまあ、すっかりカウリがお気に入りなのね。これは、甘えて脱力しているから急に柔らかくなったのよ。貴方の事を信頼してくれている証拠だから、しっかり抱いていてやって頂戴ね。ほら、眠った赤ん坊と同じよ。急に重くなるでしょう?」

 女性陣は笑っているが、レイとカウリは思わず顔を見合わせた。

「いやあ、さすがに赤ん坊は触った事無いので分かりませんが、軽そうに見えますけど、重いんですか?」

 何気無く言ったカウリの言葉に、女性陣の目が輝いたのに気が付いたのは、レイだけだっただろう。



 結局、カウリは目の前のお茶もお菓子もほとんど手をつけないまま、女性陣に取り囲まれるようにして、チェルシーとの馴れ初めから求婚した時の事まで、洗いざらい全部言わされたのだった。

 今回は完全に傍観者に徹していたレイは、おかげで前回はほとんど手を付けられなかったお菓子の数々を心ゆくまで満喫していた。

 また聞くつもりがなくても全部聞こえてしまったおかげで、二人の恋の記録係が出来そうな勢いで詳しくなったのだった。



「おかわりのお茶をどうぞ」

 空になったカップに、新しいカナエ草のお茶が注がれる。

 話に夢中の女性陣と完全に確保されてしまったカウリを前に、執事は、一人猫達と一緒に暇そうにしているレイの面倒をせっせと見てくれていた。



 すっかり冷めてしまったカウリの前に置かれていたお茶も、新しいものに変えられた。

 新しいお茶に変えられるのは、実はもう三度目だ。

 フリージアも挙動不審なカウリの膝の上は居心地が悪かったらしく、早々にレイのところに避難して来たため、レイはレイで本気で足が痺れてしまい、後半は無言で一人で悶絶していたのだった。



 夕食は、先約があるとの事で、ようやく解放された時には、もう二人共立ち上がれない状態になっていたのだった。

「では失礼するわね。またいつでも来て頂戴ね」

「今日はあまり話せなかったね。年が明けたら、また一度ゆっくり遊びに来ておくれ」

 マティルダ様とカナシア様に笑ってそう言われて、レイは笑顔で再訪の約束をしたのだった。

 三人が辞した後、温室に残ったのはレイとカウリ、それから車椅子のサマンサ様だけになった。

 猫達も、マティルダ様について一緒にいなくなってしまった。

「まあまあ、楽しい時間を有難うね。もう、こんなに笑ったのはいつ以来かしら」

 目を細めて嬉しそうに話すサマンサ様は、以前会った時よりも少し痩せたように見える。

「サマンサ様、ご無理なさっておられませんか? 以前、離宮でお会いした時よりも少しお痩せになったように見えます」

 痩せた白い色の手を取って、心配そうにレイがそういうのを聞いて、サマンサ様は笑って首を振った。

「この年ですからね、痩せてくるのは自然な事よ。それに私はもう充分に生きたわ。いつ、聖グレアムがお迎えに来てくださっても喜んでついて行くわよ」

「駄目です。行かないでください。まだその時では無いって、気が早いって、そう言って絶対に追い返してください」

 必死で首を振るレイの頬に笑ってキスを贈る。

「大丈夫よ。私はもうするべき事は全て終えたわ。でもそうね。アルスとティアの結婚式を見るまでは、何が何でも元気でいないとね」

「じゃあ、後継の赤ちゃんを抱いてもらわないと!」

「まあまあ、それは大変。後何年生きなきゃいけないのかしらね」

 コロコロと笑うサマンサ様を見て、レイも少し安心した。



 執事に連れられて温室を出て行くサマンサ様を見送り、レイはそのまま椅子に座り込んだ。

「はあ、足が! 足が痛い! もう、レイもフリージアも重すぎだよ」

「俺はもう、絞り過ぎて千切れる寸前の雑巾な気分だよ。もう何も出ないぞ。本当にカッスカスだ」

 叫んだカウリを見てレイは吹き出し、二人揃って大笑いになったのだった。

 レイの右肩ではブルーのシルフが、そしてカウリの肩にはカルサイトのシルフが座って、愛おしくて堪らないと言わんばかりに、二人の頬に、それぞれキスの嵐を贈っていたのだった。

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