天体盤と天球儀

 昼食の後は、ロベリオ達は用があるからと揃って城へ行ってしまったので、レイは大人しく部屋に戻って明日の勉強の予習をして過ごした。

 天文学だけでなく数学もかなりの難敵で、時々、分からないところをニコスのシルフやブルーのシルフに教えてもらいながら、レイは黙々と勉強をしていた。



 ようやく一段落したのは、三点鐘の鐘が鳴った後の事だった。

「よし、ここまでかな?」

 大きく伸びをして、散らかった机の上を片付けていると、ノックの音がしてラスティが入って来た。

「お勉強は終わりましたか?」

「はい、明日の予習は終わったよ」

 無邪気な笑みに、ラスティは笑顔になった。

「お茶をご用意しますのでこちらへどうぞ。それから、後ほど来客がありますのでまたその際にはお知らせします」

「来客? 僕にですか?」

 まとめた本を鞄に戻していた時にそんな事を言われて、思わず顔を上げた。

 自分はまだ見習いだから、来客の予定なんて無いと思うのだが違うのだろうか?

 疑問に思って首を傾げていると、目の前にふかふかのパンケーキを差し出されて、そんな疑問は全部何処かに飛んで行った。

「ああ、栗が乗っている!」

 目を輝かせるレイに、ラスティはカナエ草のお茶を淹れながら笑って頷いた。

「はい、蒼の森のニコス様から、今年の蒼の森で採れた栗で作った甘露煮が沢山届いております。新しい服や、綿兎のスリッパも届いていますよ。早速、甘露煮を一つ使わせて頂きました」

 ニコスは、着替えや蒼の森の収穫物などは、いつもラスティ宛に届けてくれるのだ。彼から何が届いたか詳しく教えてもらい、見せてもらってからレイは、いつもお礼の連絡をしている。



 満面の笑みで、早速パンケーキを頬張る彼を見てラスティも笑顔になるのだった。



 レイの栗好きは既に従卒達や執事達全員が知るところで、それを知った出入りの商人達も、こぞって栗を使った新作のお菓子を用意している。

 これからしばらくは、おやつに様々な栗のお菓子が出る事になっているのだ。



 特にこのニコスの作る甘露煮は、城の料理人達も感激するほどの出来で、去年、少しでも良いから譲ってくれと頼まれた程だ。

 前回の甘露煮は数も少なかった為に無理だったが、今回はニコスに頼んで作れるだけ作って送ってもらったので、一部は城の料理人にも届けられている。

 しかも、特に出来の良い形も綺麗な甘露煮だけを厳選して瓶詰めしてくれたものは、そのままタキスから陛下への献上品として既に届けられているのだ。




 パンケーキと山盛りの栗の甘露煮を綺麗に平らげたレイは、もう一度カナエ草のお茶を淹れてもらって窓の外を見た。

「えっと、来客ってどなたが来られるんですか? 僕の知っている人?」

 食器を片付けていたラスティは、にっこり笑って首を振った。

「レイルズ様はご存知ありませんね。カウリ様が仰っていたハンドル商会の方です。昨夜連絡したところ、早速天体盤を持って来てくれたようですよ」

 目を輝かせるレイに一礼して、一旦ラスティは片付けた食器をワゴンに乗せて下がった。

 レイは、本棚に戻したもらった星系信仰の教典を取り出した。

 ソファに座って表紙を開く。

 一番最初の部分には、見開きで描かれた円形の枠の中に、四季の星座が線で結ばれて分かりやすいように細かく描かれている。そして、星座だけでなく、数え切れない程の大小様々な星がこれも細かに描かれていた。

「凄いね。どうやったらこんな見事な絵が描けるんだろうね」

 感心したようにそう呟き、それから思い付いて立ち上がり、本棚の下の段から大きな天体図鑑を取り出して来た。

 この図鑑には、各季節に見える星座や星々が、かなり細かく描かれたもので、レイの大好きな本のうちの一冊だ。

 ぼんやりと広げて眺めていたら、時間が経つのはあっという間だった。




 ノックの音がして、レイは飛び上がった。

「は、はい!どうぞ」

 慌てて本を閉じて横に置いた。

 ラスティと一緒に、聞いた通りの大柄なやや色黒の男性が入って来た。彼は大小幾つもの木箱が積み上がった台車を押している。

「レイルズ様、こちらがハンドル商会の担当者です」

 ラスティの言葉に立ち上がったレイは、ヴィゴと変わらないくらいの大柄な彼を見た。ヴィゴのように短く刈り込んだ髪の毛は、縮れた濃い茶色をしている。

「初めまして、シャムロック・クレーと申します。どうぞシャムとお呼びください」

 大きな手を差し出されて、握り返しながらレイも笑顔で挨拶をした。

「初めまして、レイルズ・グレアムです。お忙しい中、早速届けてくださってありがとうございます」

 握った手はヴィゴと変わらないくらいの大きな手だったが、レイのような硬い手のひらではなく、全体に分厚い柔らかい手をしていた。しかし、右手の中指に大きなペンだこがあるのは、さすがだった。



「なんでも星系信仰にご興味おありだとか。星系信仰の信者の一人として、とても嬉しく思います。本日はご希望の天体盤だけでなく、他にも色々とお持ち致しましたので、どうぞご覧ください」

 ラスティの指示で、積み上げていた木箱を順番に机に並べていく。

 手早く蓋を開けるのを、レイ興味津々で見つめていた。



 箱から取り出されたのは、全部で五種類の天体盤だった。それぞれに大きさが違い、片手で持てる大きさの物から、両手を広げたよりも大きな物まであった。

「へえ、こんなに大きさに違いがあるんですね。見せてもらってもよろしいですか?」

 目を輝かせて覗き込むレイに、シャムは笑顔になった。

「もちろんです。どうをお手に取ってご覧ください」

 レイは、一番小さな天体盤をそっと手に取った。そして、教えてもらった通りに盤を動かして今日の日付に合わせると、少し考えて東を向いた。

「いつも窓から見える星座だね」

 小さいが精密に描かれた星空を見て満面の笑みになった。

「おお、使い方はご存知なんですね。それは旅行の際などに携帯する事が出来る大きさです。専用の防水になった袋が付いております」

 頷いてそっと箱に戻すと、順番に一つずつ持ってみた。

 後ろに控えるラスティを見る。

「如何なさいましたか?」

 そっと近寄り聞いてくれた。

「えっと、お金はどうしたらいいんですか?」

「こちらで書類を書いて、レイルズ様の口座から支払う形になります。たくさん入金されておりますから大丈夫ですので、ご心配無く。どうぞ遠慮無くお好きな物をお選びください。ちなみに、どれが良いと思われましたか?」

 笑顔のラスティに、レイは少し考えて一番大きな物と、一番小さな物の二つをあげた。

「詳しく見るなら、絶対に大きい方が良いと思うんだけど、あの小さいのなら、出かける時にも邪魔にならないかなって思って悩んでいるの」

 それを聞いたラスティはにっこり笑って頷いた。

「それでしたら、お二つご購入される事をお勧めしますね。大きさが違えば、確かに使い所は変わります。二つあっても問題無いかと思いますよ」

「えっと、でも、二つも買って良いの?」

 その言葉に、シャムは驚いたようだったが、何も言わずに黙って二人の会話を聞いていた。

「ええ、もちろんです。それから、他にも面白い物を持って来てくれていますので、どうぞご覧になってください」

 目を輝かせるレイの腕を軽く叩いて、ラスティは振り返った。

「シャム、先程の品をお見せして下さい。天体盤は、こちらとこちらの二つを頂きます」

「畏まりました」

 深々とお辞儀をして、レイが選んだ二つを横に置き、他を一旦片付ける。

 それから、台車に乗っていた大きな木箱を取り出してゆっくりと蓋を開けた。

 中身を梱包材ごと取り出して机の上に置いた。手早く包みを解き梱包材を取り除いた。

「ああ! 天球儀だ! 凄い!」

 叫んだレイは、目を輝かせて机の上に置かれた直径が50セルテ程の大きさの天球儀を見つめた。

 それは丸い大きな金属と木で作られた土台の上に、幾つもの分厚い金属製の輪っかが、不思議な形に重なり合うように作られた物で、知らない人が見たらこれが一体何をする為の物なのかすら分からないだろう。そう思われる程にそれは不思議な品物だった。



 しかし、その不思議な天球儀と呼ばれたそれは、机の上で圧倒的なまでの存在感を放っていた。



「天文学も学ばれておられるとお聞きしました。今仰られたとおりで、これは天球儀と申します。太陽や星の動きを立体化したもので、何処かを動かせばそれに伴って他も連動して動きます。これが黄道こうどう、つまり太陽の動きを表しているリングで、一年を細かく刻んだ印がここに付いています。そしてこれが天の赤道。その上下にあるのが北回帰線と南回帰線。これが天の南極と、こちらが北極、こちらが二分経線にぶんけいせんと申しまして春分点と秋分点と両極を結ぶリングです」

 突然始まった専門的な話に呆気にとられるラスティを置いて、シャムの詳しい説明をレイは目を輝かせて何度も頷きながら聞いていた。

「動かしてみても良いですか?」

「もちろんです。これはお部屋などに置かれるのなら、お勧めの大きさですが、まだ大きなものもございますよ」

 レイはその言葉に、もうこれ以上出来ないくらいの満面の笑みになった。

「ラスティ、予定には無かったけど……天球儀も買っても良いかな?」

 やや上目遣いに、ラスティを見て小さな声で相談してくるその姿が何とも可愛らしくて、ラスティは吹き出すのを必死で堪えていた。

「もちろんですよ。これは天文学のお勉強にも使えるそうですから、大きな物もお買いになったらいかがですか?」

 その言葉に、レイは歓声をあげて飛び跳ねた。


 実は、ラスティは先に持って来てもらった品物を一度全て確認している。

 その際に、恐らく天球儀も欲しがるだろうと考えて、幾つか良さそうな物を持って来てもらうように頼んでいたのだ。

 次に取り出したのは一番大きな天球儀で、これはラスティも手伝って、二人掛かりで箱から取り出した程だ。

 それは床に直接置くように作られた4本の柱のある大きな天球儀で、一番大きな円の直径は、1メルトを軽く超える程の大きさだった。


「これって、教授が一番最初の授業の時に、大学まで一緒に行って見せてくれたのと同じだ……」

 呆然とそう呟いて、そっと一番外側の円に触れた。

「欲しいけど……高いんでしょう?」

 しかし、シャムは黙って小さな手帳を取り出してラスティに見せた。それを見たラスティは笑って大きく頷いた。

「レイルズ様、大丈夫ですよ。ご心配無く。これは良いものですね。お部屋に置かれたら素晴らしいと思いますよ」

「はい、僕これとこれが欲しいです!」

 目を輝かせて机の上に置かれた小さな天球儀と、床に置かれた巨大な天球儀を見て、満面の笑みで飛び跳ねながら叫ぶレイを見て、シャムも満面の笑みになった。

「畏まりました。では、お求めになられたこちらの品は、全てこのまま置いていきますので、どうぞお好きにご覧ください」

 空になった箱と梱包材を片付けながらそう言われて、レイはもう嬉しくなって彼の手を両手で握った。

「素敵な品物をこんなに沢山有難う、シャム。大事にします。それと、良かったらお時間のある時にでも、星系信仰についてお話しを伺いたいです」

 今日はもう直ぐ夕食の時間だ。

 大きく頷いたシャムは、ソファーに置かれた天体図鑑を見た。

「畏まりました、では次回は星系信仰に関する書物や天文学に関する書物をお持ち致しましょう。こちらもかなりの本を取り揃えております。オルダムでは殆どお声を掛けて頂くことはございませんが、クレアやセンテアノスの街では、よく売れております」

「あのね、僕が持っているのはこれなんだよ」

 レイは机に置いてあった貰ったばかりの教典と、本棚から天体図鑑をもう一冊取り出して見せた。

 シャムは手帳にそれらの本を書き込んだ。

「さすがに良い本をお持ちですね。これは素晴らしい」

 感心しきりのシャムに、レイは嬉しそうに笑った。



 天体盤を二つと、思ってもみなかった天球儀を大小二つも買えて、レイはもう嬉しさのあまり笑いを堪える事が出来そうに無かった。

 しばらく嬉しそうに置かれた天球儀を眺めていたが、不意に思い付いて、置いてあった鞄から天文学の教科書を取り出して来た。

 大きい方の天球儀の横に椅子を持って行って座って、教科書を見ながら、真剣に円を動かしたりずらしたりし始めたのだ。

「あ、そうか。こうなったらここがこっちに来るのか。凄いや」

 小さな声でぶつぶつと呟きながら真剣に教科書を読んでいるレイの肩には、ブルーのシルフが座って手元を覗き込み、天球儀の縁にはニコスのシルフ達が並んで座っていた。



「凄いよね。これが有れば全部分かるよ」

 嬉しそうにそう呟いたレイは、そっと天球儀を撫でてラスティを振り返った。

「初めてこんなに高い物を自分の為に買いました。すっごくドキドキしたよ」

「良かったですね。これでしっかりお勉強してください」

「はい、頑張ります!」

 笑顔で答えて、また教科書を広げて天球儀を動かすレイに、ラスティも笑顔になるのだった。



『すっかり気鬱は晴れたようだな』

 いつの間にか目の前に飛んで来たブルーのシルフにそう言われて、ラスティは笑って小さく頷いた。

「やっぱり、レイルズ様にはいつも笑っていて頂きたいですね。あれしきの事でこんなにも喜んでもらえるのなら、無理を言って色々持って来て貰った甲斐があると言うものです」

『配慮を感謝するぞ』

「とんでもありません。これが私の仕事ですから」

 一礼したラスティがゆっくりと部屋から出て行ったのにも気が付かない程、レイは夢中になって天球儀をみつめていたのだった。

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