出発と声飛ばし

「もうやだ、カウリったら……」

 逃げ込んだ部屋でベッドに潜り込んで毛布を被ったまま、レイは恥ずかしくて顔を上げられなかった。まだ顔だけでなく耳や首元まで真っ赤なままだ。



『何をしている? 出掛けるのだから着替えなければいけないだろうが』

 毛布の中に現れたブルーのシルフに平然とそう言われて、レイは両手で顔を覆った。

「助けてブルー。僕、どんな顔して皆に会ったらいいんだよ」

 困って助けを求めたが、笑ったシルフは何も言わずにいきなり毛布を剥がしてしまった。

「起きてください。着替えをお願いします」

 ラスティの声に、諦めたレイは起き上がってベッドから飛び降りた。

「はあい、着替えます」

 剣帯を外しながらそう答える。ラスティが手にしているのは遠征用の竜騎士見習いの制服だ。

「これも新しくなってるね」

 袖を通しながらそう言うと、ラスティは笑ってレイの背中を叩いた。

「これだけ伸びれば、服も早めに変えないとね。それにしても大きくなりましたね。もう私よりも大きくなったのでは?」

 大柄なラスティは、初めて会った時には見上げた記憶がある。

 だが、そう言われてみれば、確かに目線はほとんど同じになっている。

「ねえ、どっちが高い?」

「さあ、改めて聞かれると……どうでしょうか? まだ、私の方が高い気もしますが。もう殆ど変わりませんよね」

 互いの頭の上に手を当てて考えている。

「じゃあ後で、誰かに見てもらおうっと。ラスティを超えるのも、目標だったもんね」

「目標はヴィゴ様だったのでは?」

「え、だって最終目標は一番高いヴィゴだよ。だけど、それ以外にも、僕より大きい人はいっぱいいるもん」

「成る程、では私はここまで攻略できたと言う途中経過の目印ですね」

 その言葉に、二人は顔を見合わせて同時に吹き出した。



「お待たせ!」

 着替えて、渡された遠征用の荷物を手に部屋を出ると、もう準備を整えた三人が待っていてくれた。

「ねえねえ、ちょっと見てください。ラスティとどっちが背が高い?」

 ルークを捕まえたレイが目を輝かせてそんな事を言う。

「ああ良いぞ。見てやるから背中合わせに並んでみろよ」

 笑ったルークがラスティの腕を叩いて、待ち構えて直立したレイの隣に背中合わせになるように立たせる。

「お、丁度同じだな。ほら、こうやればよく分かるぞ」

 掌を下に向けて二人の上に乗せる、レイの方がふわふわな毛が大きい分高いように見えたが、押さえてみると背の高さは全く同じだった。

「ありがとうございます。って事は、もう追い越されるのは確実ですね」

 笑っているラスティの言葉に、レイも嬉しそうに笑った。

「それじゃあ行くとしようか」

 ルークの言葉に元気に返事をする。久し振りにロディナの騎竜の子供達に会えるのも楽しみだった。



 中庭に出ると、オパールとエメラルド、そして新たに主を得たカウリの竜カルサイトがそれぞれ鞍を装着して待っていた。

 上空ではブルーがゆっくりと旋回しているのが見える。

 ブルーに大きく手を振って、レイはカウリが駆け寄って撫でているシエラを見た。

「カウリの竜のカルサイトって大きいんだね。同じ成竜だけど、ルークのオパールよりもかなり大きいよね」

 見上げたレイの言う通り、並んでいるカルサイトとオパールでは一回り以上大きさが違う。

「カルサイトは、成竜ではマイリーの竜のアメジストと同じくらいの歳だよ。どちらも三百歳は超えているからね。あ、俺のパティで二百歳ぐらいだぞ」

 ルークの言葉に、レイは驚いてシエラを見上げた。

「そうなの? でも、マイリーの竜のアメジストって、そんなに大きく無いよね?」

「まあ個体差はあるんだろうけど、翼は大きいだろう」

 言われていれば、アメジストは体はかなり細いが翼は大きい。

「言われてみればそうだね。そうか、体は細くても、翼の大きさで分かるんだね」

「成竜の中では、ヴィゴの竜が一番年長だな。ガーネットで四百歳を少し超えたぐらいだって聞いてるぞ。まあ、百年も寿命の無い人間にとっては、いずれにしても想像も出来ない年月だけどな」

「そうだね……」

 いつまで自分はブルーと一緒に居られるんだろう。

 不意にそんな事を思ってしまい、レイは堪らなくなった。

 確実に、いつか自分はブルーを置いて逝くだろう。人間である以上仕方がない事なのだろうけれど、ブルーにまた寂しい思いをさせてしまう。

 そんな事を考えたら、涙が出そうになって慌てて目を擦って誤魔化した。



『どうした?レイ』

 優しいブルーの声が聞こえて、レイは慌てて顔を上げた。目の前に、心配そうなブルーのシルフがいた。

「なんでもない。ちょっと目に埃が入ったみたいだったの。大丈夫だよ」

 わざと何度か瞬きをして笑ってみせる。

『おやおや、気を付けてな。綺麗な目に傷でも付いたら大変だ』

 シルフはレイの頬にキスをして、そのまま肩に座った。

 順番に竜の背に乗り、上昇する三人を見送った。それを見てブルーがゆっくりと降りて来てくれる。

「お待たせ。早く行こうよ」

 駆け寄って、差し出された大きな顔に飛びつき、何度もキスを贈った。

 腕から背中によじ登って、大きな背中に乗せられた鞍に座る。

「行こう、ブルー」

 そっと首を叩くと、嬉しそうに喉を鳴らしたブルーは翼を広げてゆっくりと上昇した。



 ルークの乗った真っ白なオパールを先頭に、タドラの竜のエメラルドと、カウリの竜のカルサイトが続き、最後にレイのブルーが並んだ一行は、城と街から湧き上がる歓声を聞きながら、一旦街の上空をゆっくりと何度か旋回してから、一気にロディナを目指して飛び去って行った。




「へえ、上空から見ると、城ってこんな風なんだ」

 城の上空に上がった時に、カウリは眼下に広がる初めて見る景色に目を奪われていた。

「上から見ると、また違って見えるだろう?」

 ルークの声に、カウリは笑って頷いた。

「城のことなら大抵は知ってるつもりでしたけど、さすがにこの光景は初めて見ますよ。これなら、あの城壁だらけの迷路みたいな市街地も上から見るとまた違うんでしょうね」

「見てみるといい。上から見るといかに入り組んでるかがよく分かるぞ」

 笑ったルークがそう言い、ゆっくりと街の上空へ向かった。

「うわあ、これまたぐっちゃぐちゃだな。確かに上から見ると、街の中の城壁がどれだけ入り組んでるのかよく分かりますね」

 苦笑いするカウリの言葉に、レイも笑いを堪えながら何度も頷いた。

「あそこに見えるのが、精霊王の神殿だよ。左下に見える白い屋根の塔のある建物が、女神オフィーリアの神殿だな」

 神殿前の広場にも、大勢の人々が出て来て上空を見上げて笑顔で手を振っている。

『レイルズいってらっしゃい!』

『気を付けてね!』

 二人のシルフが目の前に現れて手を振って笑っている。

「もしかして、ディーディーとニーカ?」

 目を輝かせてシルフを見ると、二人は笑って頷いた。

『ニーカはこっち』

 左のシルフがそう言って笑っている。

「うん、いってきます。あ、僕の前にいるのがカウリの竜のカルサイトだよ。彼の竜も大きいよね」

「勝手に紹介してくれて有難うな」

 前にいるカウリから、からかうような声を飛ばされてレイは慌てた。

「ええ、待って。これってカウリにも聞こえてるの?」

『俺にも聞こえてるぞ』

『僕にも聞こえてるよ』

 ルークとタドラの声も耳元で聞こえて、レイは悲鳴をあげた。

 シルフ達の口から、二人の笑う声まで律儀に届けてくれたのだった。




「仲がよろしくて結構な事だな」

 シルフ達が手を振っていなくなり、街の上空を離れてロディナへ向かいながら飛行を続けているその途中で、からかうようにルークからそんな事を言われて、レイはまた真っ赤になった。

「もうやだ。恥ずかしい……」

 実は、あの時カウリが横から声を届けてくれなければ、レイは彼女達の声は自分だけに聞こえていると思っていたのだ。

「ねえ、ルーク、ちょっと聞いてもいい?」

 気分を変えるようにレイは、顔を上げて大きく深呼吸をしてからルークに声を飛ばした。当然、近くにいる者同士の声飛ばしなので、これも全員に聞こえている。

「良いぞ、どうした?」

「えっと、伝言のシルフだと、その人にしか聞こえないよね? さっきの彼女達のって、伝言のシルフじゃ無かったの?」

「おやおや、内緒話がしたかったか?」

「べ、別にそうじゃないけど……」

「だから、そこで口籠るなって」

 カウリの吹き出す声が聞こえる。ルークとタドラも笑っている。

「特に指定して言わなければ、あの程度の距離なら普通の声飛ばしと同じだよ。多分彼女達は、お前の竜を見てシルフにこう頼んだんだと思うぞ。シルフあそこに声を届けて。って」

「えっと、つまり僕を指定して言わなかったって事?」

「まあそうだな。態とだったのか、うっかりそうやったのか。今度会ったら聞いておいてやれよな。もしもこの辺りを混同してるなら、うっかり使うと大変な事になるからさ」

「どういう事?」

 不思議そうなレイに、ルークは苦笑いしていたが、詳しく教えてくれた。



「風の精霊魔法である声飛ばしには二種類ある。伝言と拡声だ。伝言とは、呼び出す人を指定して直接話をする、いわゆる伝言のシルフと呼ばれる一般的な声飛ばしだ。これは、指定した人以外は基本的には聞こえない。受けた相手と一緒にその場にいて一緒に挨拶をして、呼び出した側がそれを受けて話をすれば別だが、通りすがり程度ではシルフの声は聞こえない。それと違って、今俺達がやっているのは、声飛ばしの中では拡声って言われる技の応用だ。拡声は文字通り話す声を大きくして大勢の人に声を届ける時なんかに使うんだ。群衆に声を届ける時なんかにやるよな。広い範囲の不特定多数の人に声を届けるそれと違って、今やってるこれは、基本的に精霊魔法を使える者同士で、しかも相手の位置が認識できる程度の距離にいないと出来ない。逆に言えば、すぐ側に知らない精霊使いが居たとすれば、そいつにも聞こえてしまうんだよ。内緒話がしたければ、相手を指定して伝言するのが正解だよ」

 伝言と拡声、確かに座学で習ったが、全く応用出来ていなかった事を今更知ったレイだった。実はカウリも勘違いしていたので、密かにレイに感謝していたのだった。

「うわあ、気を付けます。全然知らなかったです」

 素直に白状するレイに、ルークは小さく吹き出した。

「まあ、何かやらかす前に理解出来て良かったな。これって案外精霊使いでも勘違いしている奴が多いんだよ。うっかり人の内緒話なんか横で一緒に聞かされてみろよ。場合によっては後々問題になるだろうが」

「気を付けます!」

 レイとカウリの二人の声が、綺麗に揃って、黙って聞いていたタドラまでルークと一緒に吹き出したのだった。



「精霊魔法って難しいんだね。勉強すればするほど、知らない事がいっぱいになるよ」

 しみじみとそう呟いて、レイは目の前に現れて笑っているニコスのシルフ達に手を振り返したのだった。

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