竜の面会準備とトルマリンの主の話

 翌日は、軽く朝練をこなした後、早速第二部隊の制服に着替えて事務所へ向かった。



 待っていたティルク伍長から書類をもらい、言われた通りに午前中一杯会議室に集められて、竜の面会に関する注意事項を聞いた。



 今回は、開催される面会期間は十日間。

 その間、竜との面会にやって来るのは、貴族の子息達である事。

 基本的に、事前に申請を受けて竜騎士隊の事務所が発行した面会証を持って来るので、それで受付をする事。

 付添い人は待合室で待ってもらい、竜舎に入る事が出来るのは、面会する本人のみである事。

 また、竜舎に入る前に必ずカナエ草の飲み薬とお茶を指定量飲ませる事。これをしない者は誰であれ絶対に竜舎に入れないように強く言われた。



「毎年、得体の知れない薬は飲まないだとか、苦いお茶は飲まないと我儘を言うものがいますが、そういった人がいた場合堂々とこう言ってください」

 説明担当の曹長は、ニンマリと笑って胸を張った。

「では、このままお帰りください。薬を飲まない方には、竜との面会をする資格はありません。とね」

 新兵達からざわめきが起こる。

「これに関しては、何を言われても知らぬ存ぜぬで突っ撥ねろ。絶対に、薬とお茶を飲まない人物を竜舎に入れてはならない。何があろうとこれは絶対に守れ。良いな!」

「はい!」

 背筋を伸ばした新兵達が、揃って大声で答える。レイも慌ててそれに倣った。

「まあ、今はお茶も飲みやすくなったから、わがままを言う奴は減ると思われるがな」

 その言葉に、皆から密かな苦笑いが漏れる。

「だが、蜂蜜無しでも飲めるようにしておけよ。有事の際など、必ずしも全員分の蜂蜜があるとは限らないんだからな」

 今年入った新兵以外は、全員蜂蜜無しのお茶を日常的に飲んでいたのだ。

「お前らは幸せ者だぞ。残り物のお茶で薬を飲むのは、はっきり言って拷問だからな」

 それを聞いた何人もが顔を覆って机に突っ伏す。

 レイも無言で顔を覆った。自分の分の蜂蜜は、何があっても確保しようと密かに心に決めたレイだった。




 一通りの説明が終わり、解散して第二竜舎へ戻った。

「おかえり、丁度こっちも班分けが決まったから来てくれるか」

 ティルク伍長からそう言われて、書類を手にしたままレイは急いで列の端に並んだ。



 レイが振り分けられたのは第二班。昨日一緒に仕事をしたアドリアン上等兵と同じ班だ。他はフェリクス二等兵とハンネス一等兵、それからルノー二等兵とマヌエル一等兵が同じ班になった。

「よろしくお願いします」

 直立して敬礼するレイに、彼らも苦笑いして揃って敬礼を返してくれた。



 それから、交代でいつもの食堂で昼食を食べた。

 ご機嫌で色々食べるレイだった。

 午後からは、第二竜舎へ戻って掃除の続きをした。



「俺達は、明日は一番大変な受け付け担当だ。覚悟しろよ」

 作業しながらそう言ったアドリアン上等兵が、顔を覆って泣く振りをする。

「そんなに大変なんですか?」

 レイの質問に、隣にいたハンネス一等兵が教えてくれた。

「まず、もう最初から言葉が通じない奴が多い。こっちが何を言おうが、早く竜に会わせろの一点張りで、勝手に竜舎に入ろうとする奴だっている」

 思いっきり嫌そうなその説明にレイは驚きを隠せなかった。

「説明で聞いたと思うけど、まずは別室へ案内してカナエ草の薬とお茶を飲んでもらわないといけないんだ。これをしない奴は、たとえ公爵の息子であっても、公爵本人であっても絶対に竜舎に入れてはならない。竜熱症の恐ろしさは……知ってるだろう?」



 無言で頷くレイを見て、見ていた周りの者達も頷いている。



 竜熱症の恐ろしさを身を以て知ったレイだけでなく、この場にいる全員が、竜熱症の恐ろしさを知っている。

 もちろん、一度会った程度ではすぐに竜熱症を発症するわけでは無いが、無防備な状態での人の竜への接触は、絶対にしてはならないと決められている。

 これを止める為ならば、上官や貴族への手出しもある程度までは認められている程だ。



「で、お茶と薬を飲んでもらったら、順番に竜舎へ案内するんだが、まあこれも大変だ。一日に百人以上の人が面会に来るんだ。だけど、一度に竜舎に入る事が出来る面会人は十人までと決められている。これはまあ……要するに、何かあった時にすぐに俺達が面倒を見る事が出来る人数とも言う」

 その言葉に、また全員が頷いている。

「とにかく我儘放題言われるし、最悪の場合手を出される事だってある。だけど何を言われても相手にするな。牛か山羊が勝手に騒いでる程度に思っておけ。もしも手を出す奴がいれば、警備兵が受付の近くに必ずいるから周りの者がすぐに知らせろ。絶対に間違ってもやり返すなよ」

 頬を叩く振りをしながらそう言われて、レイはもっと驚いた。

「手を出される事が有るんですか?」

「有る、はっきり言って無い日は無いくらいに有る。覚悟しておけよ。受付は一番被害を被りやすい場所だからな」

 驚きに言葉も無いレイに、マヌエル一等兵が遠い目をして笑った。

「去年、俺は拳で殴られて唇を切ったよ」

 拳を握って、自分の左頬を殴る振りをする。

「まあ、そいつは貴族達の間でも有名な我儘者だったらしいけどな。本気で死刑になってもいいから殴り返そうかと思ったよ。だけどさ、後でハン先生に言われたんだ。ああ言うのは、可哀想な奴だと思っておけって。泣き喚いて言うことを聞かせるなんて、赤ん坊と同じだっていわれてさ。それ以来、そんな奴がいれば可哀想な馬鹿だと思う事にしてる。自分がまともに相手をする価値なんて無いってね」

「うわあ、辛辣」

 ハンネス一等兵の呟きに、全員が苦笑いしていた。



 その後は、実際にどう言った手順で受付を行うのか、実際の受付証を見ながら詳しい説明を受け、待合室担当の第一班の人と手順の打ち合わせを行った。



 後の時間は、また竜達にブラシをしてやった。

「あ、クロサイト。元気かい?」

 一番小さなクロサイトは、普段はこっちの第二竜舎にいる。喉を鳴らしながら差し出した、ブルーに比べればはるかに小さいその頭を抱きしめてやる。

「ラピスの主にブラシをしてもらえるなんて、光栄だね」

 嬉しそうなクロサイトの言葉に、レイも笑顔になった。

「じゃあ、何処からする? こっちかな?」

 尻尾周りの輝きが鈍くなっている箇所を叩いて、重点的に擦ってやる。



 気持ち良さそうに目を細めるクロサイトは、本当に笑っているみたいだった。



「この子は、明日からは何処にいるの?」

 ブラシの後は、固く絞った布で全体を拭いてやる。

 ふと思いついて、レイは隣で作業をしている伍長を見た。

 クロサイトには、既にニーカと言うれっきとした主がいるのだから、面会させる必要は無いだろう。

「ああ、その子は明日からは第一竜舎へ移らせるよ。お前は面会する必要は無いもんな」

 嬉しそうなクロサイトを手を伸ばして撫でてやり、ティルク伍長が笑う。

「しかしこいつって、本当に笑ってるみたいな顔なんだよな。主が笑顔って意味の名前を付けたんだけど、本当にぴったりの名前だと思うよ」

 レイは、タドラ達から聞いた、竜の保養所でニーカがクロサイトに新たな名前を与えた時の事を思い出した。

「ニーカは、初めて見たクロサイトが笑ってるみたいに見えたんだって。それで、その名前を思いついたって言ってた。本当にそうだよね。君は周りの皆を笑顔にしてくれる」

 綺麗に絞った布で、首の周りを拭いてやり、顔も拭いてやる。

 嬉しそうに擦り寄ってくるクロサイトを撫でてやり、そっとキスを贈った。



「あ、皆聞いてね。僕は竜の面会期間中は、ただのレイ二等兵なんだからね。間違ってもラピスの主なんて呼ばないでね」

 クロサイトを抱きしめながら、首を伸ばしてこっちを見ている竜達に、レイは大きな声でそう頼んだ。

「ほう、何故そんな服を着て我らの世話をしてくれているのかと思っていたけど、そう言う事なのね。ならば期間中はなんと呼べば良い?」

 カーネリアンが興味津々で、レイの側まで首を伸ばして尋ねる。

「えっと……そっか、竜は主以外は名前では呼ばないもんね」

 そう呟いてちょっと考える。

「じゃあ、赤毛の二等兵ってどうですか?」

 手を叩いてそう言うと、周りにいた竜達が皆嬉しそうに頷いた。

 今、第二竜舎にいる兵士で赤毛の兵士はレイだけだ。

「それは良いね。じゃあそう呼ばせてもらおう。よろしくね、赤毛の二等兵さん」

「よろしくね、赤毛の二等兵さん」

 カーネリアンに続いてクロサイトが嬉しそうにそう言って、レイは堪えきれずに笑って、もう一度クロサイトの顔に抱きついた。



 掃除道具を片付けた後は、もう一度竜舎を見回って今日の仕事は終了になった。

「明日からは、朝練は期間中お休みなんで、早めに来てくだ……うん、早めに来るように。良いね」

 言い直したのは聞かないふりで、レイは直立して返事をした。

「了解です」




 その日の夜、夕食を終えて休憩室で本を読んでいたレイは、戻って来たルークと若竜三人組から、少し前に亡くなったトルマリンの主の話を聞いた。

「そう言えば、トルマリンは、オニキス達若竜と仲が良いって言ってたもんね」

 カナエ草のお茶を飲んでいるレイを見て、ルークは小さなため息を吐いた。

「トルマリンの主は、マルチェロって名前の地方貴族の四男でね。図書館の司書志望の大学生で、まあいわば本の虫だったんだよ。痩せた細い体で武術は全く駄目だったんだ。だけど、竜の主になってしまった以上そんな事言ってられない。必死で修行して、恥ずかしく無い程度には何とかなったんだけどね……」



 言葉を途切らせたルークを、レイは驚いて見た。ロベリオ達も困ったように俯いている。



「本人は悪い奴じゃなかった。素直に分からない事は聞いてくるし、事務関係は俺達なんかよりずっと完璧だったから、マイリーは助手が出来たって喜んでたよ。だけど、実戦では……そんな目先の誤魔化しは意味が無かった」

「それってどう言う意味?」

 恐る恐る尋ねるレイに、ルークは大きなため息を吐いた。

「タガルノとの小競り合いが起こって、俺達に出撃命令が出た。マルチェロにとっては初陣だ。当然、周りは期待するよ。新しい竜騎士がどんな活躍をしてくれるかって」

「まさか、怪我をしたの?」

 顔色を変えるレイに、ルークは小さく笑って首を振った。

「竜の背の上にいれば、普通は怪我なんてしないよ。彼も、恐怖で真っ青になったままトルマリンの首にしがみついてた。まあ初陣なんて大抵はそんなもんだよ。竜の方がよほど実戦慣れしているからね」

「じゃあ、どうなったの?」

 ルーク達は顔を見合わせて、もう何度目か分からないため息を吐いた。

「ちなみにその時、タドラはまだ竜騎士じゃ無かった。ロベリオとユージンはその一年前に同時に竜騎士になったんだ」

 誤魔化すようにそう言ってルークは笑い、天井を見上げた。

「前線から戻った彼は、貴族達から大歓迎を受けた。まあ、少なくとも大きな失敗は無かったからね、初陣なんてそれで充分なんだよ」

「無事だったんだね。良かった」

 てっきり怪我をして亡くなったんだと思っていたレイは、ホッとして笑った。しかし、その後の話で絶句する事になった。



「帰ってきてから、彼は明らかに人が変わったようになった。妙にビクビクして何かを怖がるようになったんだ。誰もいない部屋の隅に、何かいると突然言い出し、外に出て人に会うのを極端に嫌がるようになった。竜とは一緒にいるが、人とは一切会わなくなりどんどん無口になっていった」

 そう言って顔を覆って俯いてしまった。

「そのうち俺達とさえ、最低限の言葉しか交わさなくなり……最後には竜にさえ会うのを拒んで部屋に篭るようになってしまった。表向き、体調不良で療養中と発表されたんだ」

「どうして……?」

「実戦での恐怖が忘れられなかったらしい。そしてある日……ベッドで横になったまま、寝ているみたいに息絶えているのを、朝起こしに来た付き添っていた医療兵が発見したんだ」

「シルフ達は皆、眠っただけだって言った。ガンディの診断は……心因性の過剰な負担による心労からくる心臓発作だってさ」



 休憩室を沈黙が覆う。



「病死と発表された。主の死を知ったトルマリンは、しばらく何も食べられない位に弱ったんだ。自分は主に何もしてやれなかったって、毎晩のように泣いていた。ようやく最近になって笑うようになったんだ。まあ、まだ新しい主を求める気には到底なれないだろうけどね」

 全員が揃って精霊王に祈りの言葉を呟いた。

「彼には、竜騎士である事実が受け止めきれなかったんだ。どうすれば良かったのか、今でも分からないよ。竜と出会って竜騎士になる事は当たり前だったけど、彼には不幸でしか無かったんだ。だから、タドラが新しく竜騎士になった時には、皆相当気を使ったんだよ」

「だよね。初陣の後、皆が妙に優しくて驚いたもん。まあ、事情を知って納得したけどね」

 苦笑いするタドラは、レイの背中を叩いた。

「一応、トルマリンも面会には参加するらしいけど、そういう事情だから気を付けてやってね」

「分かりました。面会が終わったら毎日声をかけるようにするね」

 真剣な顔で頷く彼に、皆ホッとしたように頷いた。




 竜の主になる事は、幸せになる事だと思っていたレイにとって、マルチェロとトルマリンの話は衝撃だった。

「色んな人がいて、色んな考え方があるんだね。皆、それぞれに幸せになれたらいいのにね」

 肩に座って心配そうに自分を見つめる、ブルーのシルフにレイはそう呟いてキスを贈った。

「僕はブルーと会えて幸せだよ。きっとこれから色んな事があると思うけど、一緒にいてね」

『約束しよう。常に其方と共にあると』

 誓うように言うブルーのその言葉に、レイは笑って頷き、もう一度想いを込めてそっとシルフにキスを贈った。

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