アルジェント卿の孫達と恵みの芽

 ラスティの案内で到着したのは、城の中だが今まで来た事の無い場所だった。

「この棟は、貴族の方々の為の部屋がある場所です。城へお勤めの際などににお使いになられます。こちらが、アルジェント卿がお使いになっておられるお部屋です」

 扉の向こうからは、賑やかな声が聞こえる。花祭りの時の元気な子供達を思い出して、レイは笑顔になった。

「では、私はここで失礼いたします。どうぞ楽しんできてください。お帰りの際に、ここまでお迎えにあがります」

 取次ぎの執事が出てきてくれたのを見て、ラスティはそう言って深々と一礼した。

「分かりました。ありがとうラスティ」

 ここまで連れて来てくれたラスティにお礼を言って、執事の案内で部屋に入った。



「おはようございます!レイルズ様!」

 元気な声が聞こえた直後、飛びついて来た二人を、レイはしっかりと抱きとめた。

「マシュー、フィリス。久し振りだね。相変わらず元気一杯だね」

 縋り付いて飛び跳ねる二人の背中を叩いて、レイはもう笑うしか無かった。

「こらこら其方達、ちょっとは大人しくしなさい」

 立ち上がって笑うアルジェント卿に、レイは慌てて挨拶をした。

「おはようございます、アルジェント卿。今日はよろしくお願い致します……うわあ。ちょっと待ってって」

 またしても二人掛かりで飛び付かれて、挨拶はどうにも格好がつかないままになってしまった

「ああ、すまんな。もうとにかく其方が来ると聞いてからずっとこの調子でな。諦めて相手をしてやってくれるか」

 苦笑いする卿に、レイも苦笑いして頷いた。



「フィリス、ちょっと落ち着こうか」

 レイのお腹に抱きついて、ずっと飛び跳ねている九歳のフィリスの顔を両手で挟んで、頬っぺたを軽く引っ張ってやる。

「ヴゥ!」

 隙間の空いた口から空気の抜けるような音がして、フィリスがしがみ付いていた腕を放した。

「よしよし、良い子だね」

 笑ったレイが、今度は両手で頬っぺたを挟むように押さえてぐるぐると回して揉んでやる。

 声を上げて笑うフィリスの顔から手を離すと、弟の勢いに押されてしまい、途中から離れて横で見ていたマシューと笑って手を叩きあった。

 両手を二人に取られて、レイは勧められるままに奥のソファーに座った。

 あっという間に二人を大人しくさせたレイを、アルジェント卿は驚きの目で見ているのだった。



 彼ら以外にも、ソファーにはあと四人の子供達が座っていて、全員が目を輝かせてレイを見つめていた。

「初めまして、レイルズ様。ヴォルクス伯爵家の長女、ソフィアナ・クレイシアと申します。十一歳です。そこのマシューとは双子なんです」

 大人びた口調でそう挨拶した目の前のほっそりとした少女は、確かにマシューと似ているが、そっくりというほどでは無い。

「レイルズ・グレアムです。どうぞよろしく、ソフィアナ嬢」

 大人の女性にするように、そっと手を取って頭を下げると、彼女は真っ赤になった。

 慌てるように引っ込まれてしまった手を見送って、驚かせてしまったかとレイはちょっと後悔した。グラントリーから教わったのに。未成年であっても、十代の女の子は、成人女性と同等の扱いをすべきだと。

「あの……どうぞソフィーとお呼びください」

 真っ赤な顔を隠すように俯いてそう言うと、彼女はアルジェント卿の後ろに隠れてしまった。

 なんと言って声をかけようか困っていると、隣に座っていたマシューによく似た小さな男の子が立ち上がった。

「はじめまして、レイルズさま。イグナルトはくしゃくけのパスカルです。ええと、よんさいになりました」

 辿々しい口調ながら、頑張って挨拶するパスカル少年に、レイは笑顔になった。

「初めまして。レイルズ・グレアムです。よろしくね。パスカル」

 そう言ってしゃがんで右手を差し出すと、小さな手がちょっとだけ握って引っ込められてしまった。

 パスカルは耳まで真っ赤になって、ソファーのクッションに抱きついて顔を隠してしまう。

「パスカルは、すごい恥ずかしがりなんです。慣れたらすぐに元気になりますから、ちょっとだけそっとしておいてやってください」

 マシューの言葉に、レイはもう一度笑って立ち上がった。



 もう一人の少女は、ソファーに座ったまま呆然とこっちを見て固まっている。

「リーン、ご挨拶は?」

 マシューの言葉に、少女は慌てたようにソファーに座ったまま頭を下げた。

「初めましてレイルズ様。イグナルト伯爵家の長女のリーンハルト・ルッツと申します。十歳です。あの、男の子みたいな名前だけど……女の子よ。リーンって呼んでください」

 恥ずかしそうにそう言うと、俯いてしまった。

「初めまして、リーン嬢。レイルズ・グレアムです」

 そっと近付き、驚かさないように手を取って顔を寄せた。

 一瞬驚いたように目を瞬かせたが、まるで花がほころぶような可愛い笑顔になり、しかしまたすぐに俯いてしまった。

「リーンも恥ずかしがりなんです。お気を悪くしないでください」

 庇うようなマシューの言葉に、レイは笑って頷いた。

 あと一人は、いつの間にかいなくなっていた。

「あれ、もう一人いたよね?」

 思わず周りを見渡すと、不思議そうな顔をされた。

「え? これで全員ですよ?」

 確か、入った時四人座っていたと思ったのは気のせいだっただろうか?

 不思議に思って首を傾げると、ブルーのシルフが突然目の前に現れた。

『一人妙なのが混じっておるぞ。ちょっと待て』



 その瞬間、唐突に、部屋中にものすごい勢いの強風が吹き荒れた。



 咄嗟にレイは、目の前の二人の少女を抱えてソファーに伏せた。二人を自分の身体の下で守るようにして抱きしめる。

 ニコスのシルフ達が、残りの少年達とアルジェント卿も一緒に押さえ付けて無理矢理床に伏せさせる。

 部屋の中をものすごい風が吹き荒れ、食器の割れる音がして子供達の悲鳴が響いた。

 すると、何かが軋んで割れるような音がして唐突に風が止んだ。

 レイの身体の下では、抱き合った少女二人が怯えて声も無くすすり泣いている。

 静かになった事を確認してから腕をついて体を起こすと、部屋は酷い有様になっていた。



「一体どうなったの? ブルー。大丈夫?」

 部屋を見回してそう尋ねると、窓に近い床に小さな子供を押さえつけているブルーのシルフを見つけた。

「何してるんだよ、ブルー。その子って、さっきソファーに座ってた子じゃないの?」

 慌ててそう言うと、ようやく立ち上がったアルジェント卿が驚いたように周りを見渡した。

「ウォルダー、無事か?」

 冷静なその声に、壁の奥の扉が開いて先程部屋へ案内してくれた執事が顔を出した。

「い、一体、今のは何事でございますか?」

 怯えながらも荒れ放題の部屋に駆け込んでいたその執事は、床に倒れこんだまま呆然と動けない少年達に手を貸して順に起き上がらせた。

「ひとまず、隣の部屋へどうぞ、ここは危険ですので閉鎖致します」

 真剣な執事の言葉に、レイは慌てて起き上がった。

「待ってください。卿、子供達をお願いします」

 そう言って、レイはブルーのシルフの元へ走った。



 どうも様子がおかしい。

 ブルーのシルフが押さえつけている少年は、他の人にはまるで見えていないらみたいだ。



 驚いてこっちを見ているアルジェント卿だったが、執事に子供達を任せて、ゆっくりと歩いて来た。

「何だそいつは。どこから入った?」

 厳しいその声にレイは振り返った。

「卿にはこの子が見えているんですね」

 その言葉に、ブルーのシルフが押さえていた子供を起き上がらせる。

『これはメア。悪夢を見せる妖精だがはっきり言って悪霊の一種だ。妙なのに憑かれたな。宿主は誰だ? ウィスプ、調べろ』



 ブルーのその言葉の直後、部屋中にいくつもの光の玉が満ちた。

 その光が次々と部屋を出ようとしていた子供達を照らして撃ち抜いていく。皆、何が起こっているのか分からず呆然としている中、悲鳴をあげて倒れたのはソフィーだった。



「ソフィー!」

 マシューが慌てて倒れた彼女に駆け寄ったが、彼女は気を失っているようで全く呼びかけに反応しない。

「待ってマシュー、危険だから触らないで!」

 慌てて駆け寄ったレイが手を伸ばしたが、彼はソフィーを抱きしめて離そうとしない。

『構わん、そうしていろ』

 ブルーのシルフと一緒に、レイのペンダントから出てきた大きな光の精霊がマシューの元へ行き、抱きしめているソフィーの腕を叩いた。

「あれ? 私……何よマシュー。放して!」

 唐突に目を覚ました彼女は、驚いたように起き上がって、部屋を見回して更に驚きの声を上げた。

「ええ! 何これ、一体どうしたって言うの?」

 レイが振り返ると、先ほどの少年はいつのまにかいなくなっていた。



「えっと、ブルー。何があったのか説明してもらえる? それにさっきの子はどこへ行ったの?」

「まずは部屋を変えよう。ラピスよ、もう危険は無いのですか?」

 レイの言葉を遮るアルジェント卿の真剣な言葉に、ブルーのシルフが大きく頷いた。

『うむ、メアは光の精霊に浄化されて消滅した。この場も我の精霊達が徹底的に浄化したからもう問題無い。ただし、その少女はメアに取り憑かれるほど何かを悩んでいたようだ。信頼出来る誰かと話をさせてやり、出来る事ならば力を貸してやれ』

「メア……悪夢の精霊だな。何と言う事だ。ラピスよ、心からの感謝を。孫を救ってくれてありがとうございます。彼女の屋敷は大丈夫だろうか? 人をやって浄化処置をさせた方が良いのでは?」

 心配そうな卿の言葉に、ブルーのシルフは首を振った。

『心配はいらぬ。今頃我の寄越した光の精霊達が、彼女達の屋敷を徹底的に浄化してくれておる。だが無垢な子供はメアに取り憑かれ易い。出来れば子供達の寝室には、浄化の石を置くと良いぞ』

「了解した。すぐに手配させる。ひとまず隣の部屋へ」

 アルジェント卿の言葉で、とにかく全員揃って隣の部屋へ移動した。




 隣の部屋で執事の入れてくれたお茶を飲み終えた頃には、子供達はもう何があったのか聞きたくて我慢の限界だった。

 ソフィーは少し元気が無いようだが、皆と一緒にお茶を飲んで笑っている。しかし、その姿は無理しているように見えてかえって痛々しかった。



「とんだ大騒ぎになってしまったな。先ほどの騒ぎだが、ソフィーが、メアという良く無い精霊に取り憑かれていたんだ。私も気付かなかったそれを古竜のラピスが気付いてくれた。そして彼女を助けてくれた。あの風は、抵抗したメアが起こしたものだ。弱い精霊でも、取り憑いた相手から無理に引き離そうとしたらあんな風に抵抗するんだ」

 アルジェント卿の説明を、子供達は食い入るようにして聞いていた。

「あの……もうソフィーは大丈夫なんですか? 怖いです……」

 マシューの心配そうな言葉に、ソフィーは怒ったように顔を上げた。

「貴方がしっかりしないから、私に妙な事を言いに来る人が現れるのよ! 嫌よ私は、絶対結婚なんてしないんだから!」

 驚くレイに、真剣な顔のアルジェント卿が顔を上げる。

「待ちなさいソフィー。その話、誰から聞いた?」

 口を押さえて俯いた彼女が首を振る。

「答えなさい、誰がお前にその話をしたのだ」

 改めてそう言われて、彼女は諦めて口を開いた。

「……遠乗りに行った時に、本人から聞きました。私と結婚して伯爵家の跡を継ぐのだと……」

 消えそうな小さな声で答えたきり黙ってしまう。服を掴む小さな手は震えていた。

 無言で立ち上がった卿は、彼女の前まで行ってその手を取った。

「その話は正式に断ったから安心しなさい。孫の代で伯爵家を潰されてたまるものか。あんな馬鹿を屋敷に入れるなど、絶対にお断りだ。よく分かった。二度と其方の前に現れるなと強く言っておくとしよう」

「お爺様。本当に、本当に断ってくださったのですか!」

 縋るような声に、アルジェント卿は大きく頷いてみせた。

「当たり前だ。其方達の夫になる人物は、私がしっかり見極めてやるからな」

 ようやく笑顔になった彼女の様子に、レイもようやく安心した。



「ブルー、本当にもう大丈夫なの?」

 小さな声で側にいたブルーに聞いてみると、こちらも大きく頷いてくれた。

『うむ、大事に至る前に処置出来て良かった。彼女もどうやら大丈夫なようだな』

 実際にはこの後、大人達の間では色々とあるのだろうが、少なくともこの騒ぎの元は解決したようだった。



「ソフィー、大丈夫か? なんなら今日は無理せず屋敷へ戻って休んでいても良いのだぞ」

 心配そうなアルジェント卿の言葉に、ソフィーは首を振った。

「家で一人で休んでいるよりも、レイルズ様の近くにいる方が安心しますわ」

 そう言って、レイの隣に座って腕に抱きついた。

「そうだよね、何たって、古竜の主なんだもんね!」

 嬉しそうなフィリスの言葉に、子供達全員が揃って指を一本口に立てた。

「駄目よ。それは内緒なんだから!」

 大真面目なリーンの言葉に、その場にいたレイ以外の全員が揃って頷いた。

「……ごめんなさい」

 フィリスが素直に謝って、皆笑顔になった。



 どうやら、レイの正体については、子供達の間で絶対に秘密にする決まりになっているらしかった。

「ありがとう、内緒だからね」

 嬉しそうなレイの言葉に、子供達は揃って大きく頷いた。



 ブルーのシルフは、そんな子供達の様子を満足気に眺めていたのだった。



「ふむ、年齢的にはちょうど良いでは無いか。これは……将来期待出来るか?」

 レイと腕に縋ったまま笑うソフィーを見て、アルジェント卿は小さく呟いた。

『すまんがレイには好きな子がいる。諦めてくれ』

 アルジェント卿の耳元に現れた別のシルフが、こっそりと耳打ちする。

 それを聞いた卿は、堪える間も無く吹き出した。

「おお、成る程。そういう事ですか。分かりました、ならば仕方ありませんな。では、順番待ちの列の先頭に並ばせて頂きましょう」

 笑ったシルフがいなくなり、立ち上がったレイと子供達に続いてアルジェント卿も立ち上がり、叙任式の会場へ向かう為に部屋を出て行ったのだった。






 この日の騒動は後ほど陛下と竜騎士隊にも報告されて、レイは密かに、恵みの芽。と呼ばれる事になるのだった。

 恵みの芽とは、行く先々で騒動を起こすも、騒動が片付いた後には、何故か不思議と以前よりも良い状態になる人の事を、密かに親しみを込めて呼ぶ呼び方なのだ。



 正にレイルズの存在は、彼に関わる周りの人々にとって、嵐とも呼ぶべき大きな恵みの芽なのだった。

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