第六班での最後の作業
「こら……起……ろよ」
「駄目だな……よし……こうなったら……」
耳元で誰かの声が聞こえる。
ぐっすり眠っていたレイは、声に反応して目を覚ましかけ、誰かに頬を叩かれて思わず枕にしがみ付いた。
「うう、眠いです……後、ちょっとだけ」
「良いのか? 起きないならお前の彼女の事、皆に話そうか?」
耳元で囁かれた低い声に、レイは咄嗟に飛び起きた。
うつ伏せに枕に抱きついていたので、そのまま腕立ての要領で飛び起きたのだ。
物凄い衝撃とともに誰かの悲鳴が聞こえて、後頭部やや左側部分が何かに激突した。
「痛ってえ! いきなり起きるな! この石頭!」
そして起き上がったレイも、何かと激突して痛む後頭部を抱えてまたしてもベッドに撃沈した。
「痛い! え? 何? 何?」
薄眼を開くと、すっかり白服に身支度を整えた同室の第六班の面々が呆れたようにぽかんと口を開けてこっちを見ていた。
床には、こちらも既に身支度を整えているカウリ伍長が額を押さえて倒れて悶絶していた。
「ええと……おはようございます?」
全く状況が分からずとりあえず挨拶すると、床に倒れていた伍長が腹筋だけで起き上がった。
「なにしやがる! この石頭!」
そう叫ぶと、いきなり拳骨を頭に落とされた。
「痛いです! 何するんですか!」
悲鳴をあげたレイに、その場にいた全員が吹き出した。
「ほう、寝坊した挙句上官に攻撃して、更には叱られて言い返すような不届き者には、教育的指導が必要なようだな」
その言葉に、状況が分かって大いに焦った。
「やれ!
カウリ伍長の大声に、四人が声を上げて飛びかかって来た。
脇腹や脇の下、背中、首元や耳の後ろを一斉に擽られて、レイは悲鳴をあげてベッドから転がり落ちた。床に転がったレイに更に四人が笑いながら襲いかかる。
「待って……僕が、わるか……たで……す……もう、ゆ、る……して……くだ、さ……い……」
息も出来ないくらいに笑いながら、何とか擽るのをやめてもらおうと、切れ切れになりながらも必死になって謝った。
ようやく擽るのをやめてもらった時には、床に転がったレイの姿は、それは酷い事になっていた。
着ていた寝巻きは、上半身は完全に前がはだけて右腕が半分抜けている。両肩は完全に剥き出しだ。
かろうじてズボンは履いているが、若干お尻が出ているのは気のせいって事にしておく。
慌てて起き上がり、ズボンを引っ張って立ち上がった。
「申し訳ありませんでした!」
大声でそう叫んで頭を下げる。
「もう良い。とっとと着替えろ。朝練に行くぞ」
笑いを堪えたカウリ伍長の言葉に、前が完全にはだけた寝巻き姿では締まらない事この上も無いが、レイは直立して敬礼した。
「了解しました!」
大声でそう叫んで、勢い良く着ていた寝巻きを脱いで、大急ぎで身支度を整えた。乱れたベッドも必死で手早く綺麗に片付ける。
顔は洗っていないが、この際仕方あるまい。
「終わりました!」
直立したレイの前に立ったカウリ伍長が、思いっきりため息を吐く。
「顔洗って来い」
「はい、ありがとうございます!」
敬礼してから水場へ走った。
その瞬間に聞こえた笑い声は聞こえないふりをした。
「全く、なんなんだよその石頭は」
廊下を歩きながら、笑ってそう言うカウリ伍長の額は見事に真っ赤になっている。
「えっと、申し訳ありませんでした。僕、何故だか石頭だって皆に言われるんです。伍長が三人目の被害者です」
その言葉に、朝練の訓練室に向かっていた一同は、堪える間も無く揃って吹き出した。
「物凄い音だったもんな」
「俺、本気で伍長が死んだって思ったもん」
クリスとジョエルの言葉に、カウリ伍長はまた吹き出した。
「勝手に俺を殺すな! でもまあ、俺も本気で死んだかと思ったよ。あんなに見事に星が散ったのは初めてだな」
しみじみそんな事を言われて、レイも堪えきれずに吹き出してしまった。
「お前に笑う権利は無い!」
笑いながらそう言われて、今度は伍長に額を指先で力一杯弾かれてしまい、額を押さえたレイは、その場に声も無くしゃがみ込んだ。
ようやく到着した第二訓練所で、まずは準備運動をしてから、場内を全員で走り。それから全員と順番に棒術で手合わせを行なった。
それが終われば、一旦部屋に戻って着替えてから朝食の為に揃って食堂へ向かった。
いつものようにクリスを助けながら自分の分をしっかり確保する。大混雑の食堂も、大柄なレイにしてみれば慣れればどうと言うことはない。
山盛りに確保した料理の数々を、それぞれきちんとお祈りをしてから残さずに食べた。
「今日は何をするんですか?」
お茶とデザートの果物を食べているレイの質問に、カウリ伍長はニンマリと笑った。
「今日は、午前中いっぱいかけて、明日の閲兵式の会場へ資材を運ぶ。運ぶのは午前中までに全部終わらせて、引き続き午後からは設営だ。やる事は昨日と同じだよ、天幕を張って椅子を並べ、会場に整列の目印の白線を計って引く。工兵達が観客席の設営を終えたら、会場準備は終了だよ。あとは、一の郭の一部の道路を封鎖してポールを立ててロープを張っていくから、それの応援に入る。観客が、兵士達が行進する道路へ勝手に出て来ないようにする為だ」
行進もするのだと聞き、レイは目を輝かせた。
「午前中にまずは城の中庭で騎士の叙任式がある。これは、俺達下級兵士は参加しないから城の外にある第二部隊の訓練場で待機だ。叙任式が終わったら士官の一部が戻って来る。残りの偉い人達はそのまま閲兵式の会場へ移動するから、俺達は戻ってきた士官と一緒に一の郭の道を整列して会場まで行進するんだよ。一部の道は、花祭りの時と同じように一般に公開されるからな。行進を一目見ようと朝から大勢の市民が来てて、そりゃあすごい人だぞ」
「僕、今年はどうなんだろう? 行進に参加出来るのかな?」
レイの呟きに、カウリ伍長は肩を竦めた。
「まあ、その辺りは
「そうですね。帰ったら聞いてみます」
最後に残った紅茶を味わって飲む。
ここにいる間は、毎日紅茶を飲むことが出来た。懐かしい味が少し嬉しかったレイだった。
離れたあの会場まで、どうやって荷物を運ぶのかと思っていたら、連れて行かれた広い倉庫の横の道に並んだ小柄なトリケラトプスの引く荷馬車の列を見て納得した。
レイ達は、言われた通り、荷馬車に荷物を積み込む作業を延々と続けた。
「暑い! 何これ。もう夏だよ」
余りの暑さに、何人かは剣帯を外して上着を脱いでいる。レイも我慢出来なくなって、途中から同じように剣帯を外して上着を脱いで腕まくりをした。
空になって戻って来た荷馬車に、残りの荷物を積み込んで行く。
倉庫に並んだ荷物が全部空になったら、上着を着て剣帯を装着して身支度を整え、残っていた最後の一台の荷馬車に皆と一緒に乗り込んだ。
会場へ着くまでの間が休憩時間だ。
手渡された水筒の水を飲みながら、レイはよく晴れた空を見上げた。
何人ものシルフが現れて嬉しそうに手を振ってくれたので、笑って手を振り返して水筒の蓋を閉める。
「今、誰に手を振ったんだ?」
ケイタムの声に、レイは空を指差した。
「シルフが手を振ってくれたから振り返したんだよ。風のあるところには彼女達は何処にでも現れるからね」
レイのその言葉に、カウリ伍長以外の全員が感心したように空を見上げた。
「俺には、よく晴れた空しか見えない」
「私にも、それしか見えませんね」
ルフリー上等兵の言葉に、隣に座ったチェルシー上等兵もそう言いながら笑っている。
二等兵三人組も、空を見上げたまま首を振った。
「精霊って、そんなに何処にでもいるもんなのか?」
ジョエルの質問に、レイは頷いた。
「そうだね、特にシルフは何処にでもいるよ。姿が見えなくても、呼んだらすぐに出てきてくれる。仲が良くなった子は、指輪の石の中に入っててくれたりもするんだよ」
左手にしている指輪を見せてやる。
「それ、思ってたんだけど……もしかしてラピスラズリ?」
ルフリー上等兵の言葉に、レイは驚いて彼を見た。
「そうです。僕の家族が、ここに来る時に餞別だって言って作ってくれたんです。僕の家族は元冒険者で、この石は元々籠手に嵌っていた石なんだって言ってました。それを外して加工して指輪にしてくれたんです」
嬉しそうに指輪を撫でながら話すレイを見て、ルフリー上等兵は笑った。
「恐らくだけど、その石は相当な値打ちもんだぜ。大事にしろよな」
精霊使いがしている石のついた指輪の意味は、兵士なら誰でも知識としては知っている。もしも同意無く無理に引き抜こうとしたら、中にいる精霊達の怒りを買い恐ろしい事になるという事もだ。
「ラピスラズリを知っているんですね」
レイは、ラピスラズリなんて名前の石があることさえ知らなかった。
「俺の実家は、装飾品用の宝石を扱う商売をしてるんだよ。お客は、金持ちの商人や下級貴族だから、そんなとんでもない高値の石は扱わないけどな、ラピスラズリは南方の小島で取れる貴重な貴石でね。長旅の魔除けのお守りとしても重宝されるんだよ」
もらった図鑑の中に、宝石や鉱石の図鑑もあり、夢中になって読んでいたレイは、その事も知っていた。
「へえ、じゃあそれくらい大きな石だったら、さぞかし悪いものを祓ってくれそうだな」
からかうような伍長の言葉に、レイは小さく笑った。
「確かに、この石の中にいる子達なら、少々の魔物が出ても簡単にやっつけてくれそう」
「ちなみに、どんな子が入ってるんだ?」
覗き込む伍長から、指輪を隠すようにして、レイは笑って首を振った。
「内緒です」
「あ、何だよ。こいつ、上官の質問には素直に答えろ!」
笑いながら脇腹を突かれて、レイは慌てて近くにいたクリスを盾にした。
「こら、荷馬車の上で暴れるな!」
御者台に座ってた別の部隊の兵士に怒鳴られて、全員揃って大人しく座り直したのだった。
会場に到着すると、既に何人もの兵士達が出て天幕を張り始めていた。大急ぎで荷馬車から飛び降り、全員整列して御者台の兵士にお礼を言ってからそのまま会場へ走って向かった。
「遅くなりました!」
駆けつけてそう叫ぶと、大柄なロリー曹長が持っていた資材を置いて顔を上げた。
「ご苦労さん。こっちは俺達がやるから、お前さん達は、すまないが道路のポールの設置に向かってくれ。何でも急に一部の道路が使えなくなってるとかで、準備の手順が一部変更になったんだ。これが指示書。間違わないようにな」
「何があったんですか?」
驚いたカウリ伍長が、手渡された書類を受け取りながら質問する。
「石畳の一部が浮いて剥がれかけてるのが見つかったらしい。現在、工兵が修理中だ。終わるまでの間に、他の部分を先にやっちまうんだと」
「了解しました。我々は……ミモザ通りですね。ではすぐに向かいます」
カウリ伍長がその場で立ったまま指示書を読むのを、全員並んで待った。
「じゃあ行こう。荷馬車は八番車……あれだな」
トリケラトプスの引く荷馬車には、既に、束ねられた何本ものポールと縄が巻いて乗せられている。
ルフリー上等兵が御者席に座り、隣に伍長が座る。残りは荷馬車に乗り込んで縁の部分に並んで座った。
「んじゃあ、与えられた分は働くとしましょうかね」
やる気のなさそうなカウリ伍長の言葉を合図に、力綱を打たれたトリケラトプスはゆっくりと歩き始めた。
「お、ここだな。止まってくれ」
伍長の言葉に、荷馬車が止まり、順番に荷馬車から降りる。
「ご苦労様です。こちら側をお願いします」
駆け寄ってきた近くにいた兵士に言われて、伍長はやる気のなさそうな返事をした。
「あいよ。じゃあ、順番にやっつけるとするか」
まずはポールを縛っていた綱を解き、取り出したポールを一本取り出した。
道路の端に作られた小さな穴に、そのポールを突き刺した。
「レイ、それからルフリー。荷馬車に乗ってポールを順番に手渡してくれ。残りでまずはポールを立てちまおう」
そう言って自分は御者台に座った。
指示されたレイは、ルフリー上等兵と一緒に荷馬車に乗って、言われた通りに、下で待つクリス達に順にポールを手渡していく。
受け取った彼らは、等間隔に空いた道路脇の小さな穴に、順番にポールを差し込んで行った。伍長は作業の早さに合わせて、荷馬車をゆっくりと歩ませたり停止させたりしていた。
何でもなさそうに見えるが、簡単な事では無いだろう。こんなところでも、伍長の有能さを見せられて、密かに驚いたレイだった。
長い道の端までポールを立ててしまうと、荷馬車を道の先にある円形交差点をぐるっと一周させ、向きを変えて戻って来た。今度はレイ達も荷馬車から降りて、作業を行った。
肩に掛けた縄の束をポールの先にある輪っかの中に通して固定する、不思議な縛り方を教わった。
手分けして全部の縄を張り終わる頃には、もう日が傾き始めていた。
「ご苦労様です。石畳の修理はもう終わっているそうですので、申し訳ありませんが応援に行ってやってください」
先ほどの兵士に言われて、第六班はそのままラプトルの引く荷馬車に乗って別の通りへ向かった。
全ての作業が終わる頃にはもうすっかり日が暮れて辺りは真っ暗になっていて、あちこちに灯されたランタンの灯りが、綺麗に揺れて一の郭の大きな建物にいくつもの揺らめく影を作っていた。
その光景は、何だか不思議な物語の一幕のようで、レイは声も無くその美しい景色い見惚れていた。
「お疲れさん。これで今日の作業は終わりだ。戻るとしよう」
伍長の言葉に、レイは我に返った。
「レイ二等兵! お疲れさんだったな。これでここでのお前さんの仕事は全部おしまいだよ」
驚くレイに、伍長はにっこり笑って背中を思い切り叩いた。
悲鳴をあげて逃げるレイを見て、また全員揃って吹き出したのだった。
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