カウリ伍長
もう一度煙草を吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出したカウリ伍長は、チラリとレイを横目で見て小さく笑った。
「お前さんの身の上話を聞いたからな、代わりにってわけじゃ無いけど俺の話を聞いてくれるか」
そう言って、伍長はまた煙草をゆっくりと吸った。
「俺は、南ロディナの穀倉地帯の端っこにある辺境農家の出身でね。まあ末っ子の四男だった。俺だけ知らなかったんだけどな……俺は、母親以外の家族とは血の繋がりが無かったんだよ。母さんは赤ん坊だった俺を連れて、父さんと結婚したんだと。俺がそれを聞かされたのは、軍への入隊が決まってからで、その時に父親が誰なのかも聞かされた。何とブレンウッドに住む地方貴族でね、ようは……俺は庶子だった訳だよ」
「それって……ルークと同じだね」
その言葉に、彼は少しだけ笑って泣きそうな顔で頷いた。
「俺の最初の赴任先がそのブレンウッドでね。何も知らない俺は、休みの日にノコノコと教えられたその貴族を訪ねたんだ。よく来たって言ってもらえると、疑いもせずに思っていたからね……」
もう一度煙草を吸い込んで、思いっきり、まるでため息を隠すかのように吐き出す。
「はっきりと言われた。生きていたとは驚きだが、お前を認知するつもりも引き取るつもりも無い。今後も関わるつもりは一切無いから二度と目の前に現れるな! って、とんでもない剣幕でそう怒鳴られて、周りにいた護衛の男達に寄ってたかって殴られた。何度も何度もな。挙句にこう言われたんだ。お前が生まれて来た事で、どれだけ私が迷惑を被ったか思い知れ。って……役立たずの邪魔者だって言われた。そんで、そのまま表に放り出されて水をぶっかけられて放置された」
呆気にとられるレイを横目で見て、短くなった煙草をまた吸う。
「まあ、俺が望まれなかった子供だったって事だけはよく分かった。血まみれで兵舎まで這うようにして戻った俺を、周りは皆心配してくれたよ。その時の上司には詳しい話をした。それっきりだ。結局、そいつとはそれっきり会っていない……それから実家ともな」
「それって……」
「母親には、事の顛末を報告する手紙を一度だけ書いた。でもまあ、正直言って……言わないで欲しかったよな。少なくとも母親は知っていたはずだ。俺が奴からどんな風に思われてるか……」
両親が生きているのに、父親からは拒否され、母親の事は彼が拒否した。
世の中にはそんな親子もいるのだと、レイは呆然と話を聞いているしかなかった。
「おかげで俺は、自分自身に価値を見出す事が出来なくなった。でも、軍にいればまあ……待遇は悪く無いしさ。給料も悪くない。この部署は戦うことはまず無いから命の危険度も低い。考えてみたら理想の職場だろう?」
戯けてそう言う彼を、レイは何とも言えない気持ちで見つめていた。
シルフと話が出来て火蜥蜴とも仲が良い。そして目の前でいとも簡単に結界を張って見せた彼は、決して役立たずでも邪魔な存在でも無い。それどころかとんでもなく優秀だろう。
第四部隊が彼の存在を知れば、狂喜して間違いなくその日の内に人事異動が行われるのは確実な程だ。
実際にそれを体験したマークから聞いた。彼はまだ、精霊魔法が何たるかも知らない状態にも関わらず、高い適性評価を受けて第四部隊に移動したのだ。
人間で、精霊魔法に適性のある者はそれ程に貴重なのだ。
「そんな……自分の都合でしか貴方を見ない人の言葉だけで、自分の価値を決めないでください。貴方は、決して役立たずでも邪魔者でもありません。第一、この部署では貴方は欠く事の出来ない存在です。それに、シルフや火蜥蜴も貴方の事が大好きなのは見ていて分かります! だからもっと、もっと自分を大切にしてください!」
顔を紅潮させて、必死になってそう言うレイを、伍長は驚いたように見つめた。
まさか、そんな事言われるなんて思ってもみなかった。と言わんばかりだった。
「そっか、ありがとうな。未来の竜騎士様にそんな風に言ってもらえたら……少しは自分にも価値があるのかなって……そう思えるな」
その余りにも幼い無垢な笑みに、レイの目から堪え切れない悔し涙が零れ落ちた。
「……何でお前さんが泣くんだよ」
呆れたようなその言葉に、レイは涙を拭いもせずに顔を上げた。
「貴方が! 貴方が泣かないからです!」
悔しくてそう叫ぶと、もう一度笑ってそっと頭を撫でてくれた。
「ありがとうな。お前さんなら立派な竜騎士になれるよ。来年? いや再来年かな? お前さんの叙任式の時も、頑張って俺達が準備してやるからな。今からその時が楽しみだよ」
その、何もかも諦めているような言葉にレイは堪らなくなった。
これ程に優秀な人を、こんな日の当たらない場所で燻らせおいて良いのだろうか? 自分がここに来たのは、それこそ精霊王の采配なのでは無いだろうか?
不意にそんな思いにかられ、レイは口を開いた。
どうしても、言わずにはいられなかったのだ。
「えっと、あの、伍長……今からでも、精霊魔法が使える事を申告して、第四部隊に行くって選択肢は有りませんか?」
「勘弁してくれ。今更人事異動なんて御免だよ」
伍長の返事は簡潔で取りつく島もない。
頑な彼を何と言って説得しようか、必死で考えてしまい無言で困っていると、突然ブルーのシルフが現れた。
『我には、お前は己の運命から逃げているように見えるぞ』
責めるような言葉とは裏腹に、その口調は優しい。
「噂の古竜か。俺が張る結界なんか屁でも無いってか?」
『レイがいるところには、我は何処であれ共にある。結界の有る無しは関係無いぞ』
面白そうにそう言うと、ブルーのシルフはレイの肩に座った。
「さすがは最強と謳われる古竜だね。言う事が違うや」
肩を竦めた伍長は、短くなった煙草を蓋付きの金属製の入れ物に押し込んだ。消える時にハシシ独特の苦い香りが強く漂う。
「やっぱり、それはやめたほうがいいと思いますけど」
もう一度そう言ったレイを、彼は苦笑いして見ただけで何も返事もしなかった。
「俺はさ……小さかった頃からどんな辛い時も、寂しい時も一緒にいてくれたこいつらの事が大好きだ。だからさ……軍人の癖に情けないって言われるかも知れないけど、こいつらに戦わせたく無い。いつでも笑って無邪気に遊んでいて欲しいんだよ。だけど、実際こいつらだって他の精霊使いに呼ばれればそっちへ行って戦う事だってあるだろう。単に俺のくだらない感傷だって分かってる。でも、でも俺は嫌なんだよ」
自分の手を見て小さな声でそう言う伍長を、レイとブルーのシルフは黙って見つめていた。
「もう寝ろよ。明日も早いぞ」
話は終わりだと言わんばかりに一つため息を吐いてそう言うと、伍長は上を向いてそっと指を鳴らした。
何かが割れるような金属音がして、頭上にいたシルフ達がいなくなった。
「ありがとな、シルフ。んじゃ、早く寝ろよ」
何事も無かったかのように手を上げて部屋へ戻る伍長を、レイはなんとも言えない気持ちで見送ったのだった。
「確かに、早く寝ないと明日も早いもんね。おやすみ、ブルー」
気分を切り替えるように深呼吸して大きく伸びをすると、キスをしてくれたブルーのシルフにレイもキスを贈り、自分の部屋の扉を開いた。
「こんな時間にどこへ行ってたんだよ」
薄暗い部屋から突然声が聞こえて、またレイは飛び上がった。
見ると、ベッドの上に四人とも起きていて全員がこっちを見ていた。
「ああびっくりした。脅かさないでよ」
誤魔化すようにそう言って、上着を脱いでベットに入る。
「眠れなかったから星を見てたの。そうしたら、カウリ伍長が煙草を吸ってるところに出くわしてさ。それで少しお話してたの」
レイの言葉に、四人は顔を見合わせた。
「もしかして……お前がわざわざ第四部隊から来たって事は、まさかとは思うが、伍長を第四部隊に転属させるのか?」
ルフリー上等兵の言葉に、ベッドに潜り込んだレイは驚いて四人を見た。
「伍長が、精霊使いだって知っていたの?」
無言で四人は頷いた。
「第六班は全員知ってる。以前、崩れた積み荷の下敷きになりそうになった俺を、伍長のシルフ達が助けてくれたんだ。驚いたなんてもんじゃ無い。目の前で、どう考えても止まる訳のない完全に浮いた位置で荷物が止まったんだ。それで、硬直して動けない俺を伍長が引っ張り出してくれた。その時は、シルフ達があっと言う間に積み荷を元に戻してくれたんだ。俺達には精霊は見えないけど、荷物が触れもしないのに、次々に飛んでいって積み直されたんだよ。本当に、目の前で見ても信じられなかった。驚いたなんてもんじゃ無かった」
ジョエルがそう言って、大きく震えて自分の腕を抱きしめるようにした。
「それで言われたんだ。出来たら、今のは見なかった事にしてくれないか。って……」
クリスの言葉に、全員がレイを見つめた。
「えっと、確かに僕は言ったよ。伍長に、今からでも精霊が見える事を申告して第四部隊へ行く気はありませんか? ってね」
身を乗り出す四人をレイは手を上げて止めた。
「それははっきり断られた。でも上の人にも、伍長に精霊が見えるらしいって事は勘付かれてるよ。僕が言わなくても、いずれ何らかの動きがあると思うけど……」
言いにくそうにレイがそう言うと、四人は困ったようにそれぞれに頭を抱えた。
もしも伍長に、第四部隊へ移動しろと正式な人事異動の辞令が出てしまえば、断る事は立場上困難だろう。
「お前はどう思うんだよ」
クリスの咎めるようなその言葉に、レイは返事に窮した。暫く考えて正直に答える事にした。
「個人的には、勿体無いと思う。あれだけの使い手を放置しておくのは……でも、本人が嫌がってるんだったら無理に移動させたとしても現場で役に立つかどうかは分からないもんね」
少なくとも嘘は付いていない。
どう考えても勿体無いと思うし、第四部隊にだって倉庫整理が必要な部署はありそうだ。必ずしも前線へ行くわけでは無いのだし、あんなにも頭ごなしに第四部隊への移動を拒否するのはどうかとも思う。
少なくとも、レイが伍長を無理矢理にでも移動させる準備の為に来たのでは無いと分かって、四人は少しは安心したようだ。
「ジョエルだけじゃ無い。俺達は皆、伍長に助けられてる。倉庫番ってさ、実は事故の多い仕事で後方支援の中では危険な部署なんだよ」
その言葉に、レイはブレンウッドの街でマイリーの補助具を作る際に協力してくれたリーザンを思い出した。確か彼も、任務中の事故で崩れた積み荷の下敷きになって足に怪我をしたのだと言っていた。大した怪我では無いと思っていたのに、腱の断裂で車椅子生活になったのだと。
「怪我は怖いもんね。皆も気をつけてね。荷崩れ注意! って、何かに書いて目立つところに貼っておけば?」
ふざけたようにそう言うレイの言葉に、全員が小さく吹き出した。
「なんだ、心配して損したよ。お前がもしも、伍長を無理にでも転属させる為に来た奴だったら、帰る前に全員でじっくり
拳を突き出すルフリー上等兵の言葉に、三人もそれぞれ苦笑いしている。
「ええ! 下手したら僕って、四人がかりで殴られるところだったの?」
悲鳴のようなレイの言葉に、全員同時に吹き出したのだった。
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