仔山羊の事と朝練での出来事

 蒼の森では、ポリーの子供に続き、黒角山羊にも無事に子供が生まれていた。

 まだ、黒角山羊の特徴である大きな黒い角は無いが、産まれてすぐに母親のお乳をたっぷりと飲んで仔山羊は元気一杯だった。

 翌日からは、母親の後について上の草原へも行くようになった。

 目を離すと勝手に走り回り、おかげでタキス達は、レイがいない事を思い出して寂しい思いをする間もないぐらいに、忙しい毎日を送る事になるのだった。



 丁度花祭りが終わる直前に産まれたので、その夜、タキス達はレイに連絡を取り、黒角山羊の子供のことを報告した。

『すごいやおめでとう! ポリーの子に続いて赤ちゃん続きだね』

『えっと今月と来月はいろいろ忙しいらしいから駄目だけど』

『それが終わったらどこかで一度森へ帰らせてくれるってルークが言ってたよ』

 目の前に並んだシルフ達が、律儀に手まで叩いてレイの言葉を伝えてくれる。

「そうですか、それは嬉しいですね。待っていますよ。でも、無理はしないでくださいね。三人で相談したんですが、どの子もすぐには手放さずにしばらくはここで面倒を見ますので、慌てて来なくても大丈夫ですよ」

『そうなんだね! よかった! でもせっかくなんだから小ちゃいうちに見たいよ!』

 その言葉に、三人も思わず笑顔になる。

『それでベラの卵の様子はどうなの?』

 一転して心配そうな声に、三人は顔を見合わせて頷き合った。

「ええ心配かけてすみません。でも、どうやら大丈夫そうですよ。シルフ達も順調だと言ってくれています。シヴァ将軍にも逐一報告していますが、特に問題点は見当たらないと言って頂いています。でも、もしかしたら七の月に入ってから生まれる事になるかも知れませんから、無事に産まれたとしてもまだしばらくは十分な用心が必要ですよ」

『何も出来なくてごめんね』

『元気な赤ちゃんが生まれるように毎日お祈りしてるからね』

 レイの言葉に、タキスは嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。何も出来ないなんて事はありませんよ。言ったでしょう? あなたのおかげで、この国一の騎竜の専門家に教えを請えるんですから」

『シヴァ将軍ってすごい人なんだね』

『今度あったら僕からもお礼を言っておきます』



 それからしばらく近況報告をしていたが、途中で妙な沈黙で話が途切れる。

「レイ? どうしたんですか?」

 タキスの言葉に、レイは妙に慌てて首を振る。その様子まで律儀なシルフが真似てくれた。

『あ……あのねえっと……』

「どうしたんですか? 何かありましたか?」

 心配するタキスの声に、レイのシルフは顔を覆った。

『あのね……僕……彼女が出来ました!』

 一瞬、三人とも言葉の意味が理解出来ずにすぐに返事が出来なかった。



『えっと……タキス? ニコス? ギード? どうしたの?』

「ええ! どういう事ですか!!」

「竜騎士隊のどなたかの紹介か? 一体何処のお嬢さんだよ!?」

「待て待て待て! とにかく話を聞こう!」

 ようやく我に返った三人が殆ど同時に叫ぶ。

 思わず、レイはその場で仰け反り、また律儀なシルフがそれを再現してくれた。

『あのね……女神オフィーリアの神殿の巫女でね……』

 しどろもどろになりつつも、レイは何とか詳しい話をした。

「あの時の巫女様か。まさか、オルダムへ行かれていたなんてな」

 ニコスは納得したように頷いている、その隣では、ギードも同じように何度も何度も頷いていた。

「一度お会いしてみたかったですね。でもそう聞くと何やら運命のようなものを感じますね。ブレンウッドで会っていた方と、遠く離れたオルダムで再会するなんて」

 タキスの言葉に、レイも照れたように笑った。

『それでね……もう一人の見習い巫女とガンディと一緒に花祭りの会場へ行ってね……うわあ駄目だ……恥ずかし過ぎる』

 また顔を覆ったシルフを見て、タキスは目を輝かせた。

「レイ! 貴方もしかして、その彼女に竜騎士様の花束を渡したんですか!?」

 身を乗り出してそう言ったタキスの言葉に、悲鳴をあげたレイは座っていた椅子から転がり落ちた。

 机に転がるシルフを見て、堪えきれずに三人も吹き出したのだった。



 ひとしきり笑い合った後、タキスは昔を思い出すように目を閉じて話し始めた。

「懐かしいですね。私もアーシアとお付き合いを初めてから、毎年一緒に花祭りの会場へ行きましたよ。さすがに毎日ではありませんでしたが……一度で花束を取れたなんて、貴方は幸運ですよ。私でも、花束に手が届くまで何年も掛かったんですからね」

『そうだったんだね! じゃあタキスも花束を渡して求婚したの?』

「いえ、実はそんな事気にせずに、降誕祭の後に指輪を渡して彼女に求婚したんですよ。そうしたら彼女が……嬉しいけど、一つだけ条件があるって。何かと思い聞いてみたら、花祭りの会場で花束を渡されて求婚されるのが、子供の頃からの夢だったって言われたんです。それで、他には何も望まないから、私の為に花束を取ってくれませんかって言われて……もうそれからは毎年必死で頑張りましたよ。6年目でようやく花束を手に出来た時には、我ながら恥ずかしいぐらい大喜びしてしまいましたよ」

「おお、タキスの顔が赤くなっとるぞ」

 からかうようなギードの声に、また一同は笑いに包まれたのだった。



 笑って手を振るシルフ達を見送ったタキスは、大きなため息を吐いて顔を覆った。

「あの小さかったレイが、初恋……人間の子供は、本当に成長するのが早いですね」

「しかし、女神オフィーリアの巫女様とはな。また難しい相手を選んだものだ」

 ギードの言葉に、タキスとニコスも苦笑いをしている。彼らは実際にクラウディアの人となりを知らないので、単に、無邪気な初恋なのだと思っていた。二人の周りの密かな思惑など、知る由もなかった。

「若者達の未来に乾杯! だな。って事でせっかくだから、一杯やるか?」

 飲む仕草をするギードを見て、二人も笑顔で頷いたのだった。






 城の兵舎で初めての夜を過ごしたレイは、疲れていた事もあって、狭くて硬いベッドに横になった途端、あっと言う間に熟睡していた。

 ゴドの村で母さんと暮らしていた時の、硬いベッドみたいで少しだけ泣きそうになったのは内緒である。



 翌朝、六点鐘の鐘の音で起こされて、素早く身支度を整えるとまずは朝練に参加する事になった。

 貴族だと聞かされていたので、てっきり自分の事など何も出来ないのかと思っていたのに、皆と同じように手早く身支度を整える彼を見て、周りは密かに驚いていた。

 周りにほとんど遅れる事なく、白服に着替えた彼を連れて、一同は城にある第二訓練室に向かった。

 実は、ここでルークとディレント公爵の親子が互いの意地とプライドを掛けて殴り合いをしたのだが、彼らには知る由も無い。



「よし! レイ、好きな獲物を選ばせてやるぞ。何が良い? 棒か? それとも木剣か?」

 カウリ伍長の言葉に、レイは迷わず棒を手にした。

「よしよし、ならクリス、相手をしてやれ」

 にんまりと悪そうな笑みを浮かべたカウリ伍長の言葉に、クリス二等兵も頷いて同じくにんまりと笑った。

 小柄なクリス二等兵だが、実は部隊内でも有名な棒術の使い手なのだ。

 己の腕に自信のある彼は、密かにヴィゴ様とだって互角に打ち合えると思っている。

 新兵が入って来たら、最初に有無を言わさず叩きのめすのは、いつも彼の仕事なのだ。

「よろしくお願いします!」

 しかし、目を輝かせて構えるレイを見て、彼は気を引き締めた。



「おいおい、何だよ。こいつは相当の腕前だぞ」

 思わず、口に出して呟いてしまう。

 改めて見ても隙のない構えに内心で舌を巻いた。正眼に構える彼には、何処にも打ち込む隙が無いのだ。

 攻めあぐねていると、いきなり彼の方から打ち掛かって来た。

 背の高い彼が、上から真っ直ぐに打ち込んでくる一撃を、頭上で受け止める。腕が痺れるほどの一撃に驚き、咄嗟に転がって距離を取った。

 しかし、もうそこからは受けるのが精一杯で、とてもでは無いがこちらから攻撃する余裕は全く無く、あっという間に壁際まで追い詰められてしまった。

 必死の思いで繰り出した渾身の打ち返しもあっけなく止められ、結局ほとんど反撃出来ないままに、棒を弾かれてしまった。

 周りの驚くような騒めきが聞こえたが、そんな事はどうでもよかった。



「……参りました」



 両手を上げてそう言うのが精一杯で、彼が棒を引いてくれた瞬間に、その場にへたり込んでしまった。

 息が上がり、一気に汗が噴き出してくる。しかし、目の前に立つ彼は平然としているのだ。

 上には上がある。その事を、身を以て教えられたのだ。

 しかし不思議と腹は立たなかった。負けて悔しい気持ちはあるが、負けて当然だと思える程に、腕前に差があったのだ。

 その事が分かる程度には、彼は己の腕を知っていた。



 その日、狭い世界で頂点を取って満足していた彼に、新たな目標が生まれた。

 もっと強くなる。そしていつか、ヴィゴ様に相手をしてもらうんだ! と。




「すごい! 何だよあの腕前!」

「クリスの奴が、手も足も出なかったぞ!」

「第四部隊の制服って事は、部隊間交流の応援要員だよな。すごいや。第四部隊って事は精霊使いなんだろう。それであの腕前って……最強じゃねえか!」

 呆れたような声に、レイは照れたように笑うしか無かった。

 一方的に見えていたが、レイはそうは思わなかった。打ち合ってみて分かったがクリスの腕も相当なものだと思う。

 ただ、打ち込む際の太刀筋に癖があり攻め方が簡単に分かったのだ。これは、ある意味様々な人と打ち合う機会を得ていたレイの方が有利だっただけだ。

 まだ息を切らせて立ち上がれないクリスに、手を貸して立たせてやる。

「お前……凄い……一体……何だって……そんなに、強く、なれたん……だよ」

 困ったように笑ったレイは、肩を竦めた。

「まあ、相手に恵まれた。ってとこかな?」

「それは……羨ましいよ……」

 俯いて必死に息を整えるクリスを見て、ジョエルとケイタムが、慌てて水や手拭いを持って駆け寄って来たのだった。



「おお、さすがは違うね、竜騎士見習い様は。まあ、弱っちいよりはマシだろう。どうせ今だけの付き合いだし、適当に相手しといてくれりゃあいいのにって」

 順に大喜びで手合わせしている彼らを尻目に、平然と隅でいつまでも柔軟体操をしている振りでサボっているカウリ伍長だった。



『真面目にやれ』

 膝に現れた大きなシルフにそう言われて、彼は誤魔化すように笑った。

「俺、腰痛持ちなもんで、医者から無理な運度は控えるように言われてるんですよ。だから、柔軟体操は大事なんですよね」

『ふざけた事を抜かすと蹴るぞ!』

「それはご勘弁を! じゃあ仕方がないから、竜騎士見習い様のお相手でもしてくるか」

 ブルーのシルフに叱られてようやく立ち上がった彼は、壁に置かれた何本もの棒から適当な一本を掴むと、レイの元へ向かった。

「レイ、俺の相手もしてくれよ。言っとくけどお手柔らかにな」

 振り返ったレイは目を輝かせた。

「はい、よろしくお願いします!」



 その声を聞いて、周りにいた兵士達が皆、次々に手を止めて見学する為に集まり始めた。

 二人は向かい合ってそれぞれに構えを取る。

 レイは、目の前の伍長が、先ほどの彼とは比べものにならないくらいの腕前である事を瞬時に見抜いていた。

 下手をしたらルークと同等だ。

 これは勝てない。咄嗟にそう判断したレイは、打ちのめされる覚悟をした。



 しかし、いざ打ち合うとまるで力の無い一撃で、どれも簡単に返すことが出来る。

 明らかに、彼は態と手加減している。その事がレイの怒りに火をつけた。

「真面目にやれ!」

 打ち合って体が近くなった瞬間に強い口調でそう言ってやると、伍長は驚いたように目を瞬いた。

「真面目にやってるつもりなんだけどなあ」

 平気でそんな事を言い、のらりくらりと打ち流しては後ろに下がる。見ていて全く真剣味が無いが、正直言って決めの一撃を打ち込む隙もなかった。

 結局、適当なところで伍長が棒を手放しそこで打ち合いは終わりになった。



「いやあ、さすがに強いね。参った参った」

 笑いながらそんな事を言われても、レイには全く喜べなかった。

『レイ、今は放っておけ。彼にも何か事情がありそうだ』

 肩に座ったブルーのシルフに諭されて、レイは納得は出来ないものの、頷くしか無かった。



 レイルズとの出会いにより、過去に大きな挫折を味わい、全てから逃げ続けていたカウリ伍長にも、新しい世界が広がる事になるのだが、それはもう少し先のお話。

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