訓練所のお休み報告と新しい職場

 翌朝、いつものように朝練にルーク達と参加したレイは、朝食の後精霊魔法訓練所へ向かった。



「明日から、訓練所はしばらくお休みなんだって」

 いつも護衛役でついて来てくれるキルートに、明日からの事を報告した。

「はい、伺っております。城の第二部隊の兵舎へ今月一杯泊まり込みなんですって?」

「僕、共同生活って初めてだからすごく楽しみ。えっと、何か気をつけておく事ってありますか?」

 それを聞いたキルートは、少し考えてから答えてくれた。

「恐らく、数名で同じ部屋で生活する事になると思います。まず、自分の事は全て自分でしなければなりません。洗濯は係の者がやってくれますが、それ以外の例えばベッドのシーツを替えたり、着替えも全て自分で行いますね。湯を使う際も数名で一緒に使いますが……大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。今までずっと自分の事は自分でやっていたもん」

 胸を張るレイルズに、キルートも笑顔になった。

「もしもご自身のことを聞かれたら、いろいろあるからよく分からない、って言っておけば良いですよ。そうすれば後は周りが勝手に想像してくれます」

「そんなもんなの?」

「そんなもんですよ。ああそれから大事な事をお教えします。万一、上官や他の兵士から理不尽な暴力や暴言を吐かれたとしても、決して逆らってはいけません。貴方は一番下の身分の二等兵扱いだと聞きましたから」

「えっと、もしもそんな事があったら、どうするの?」

「とにかく、その場は抵抗せずに大人しくしていてください。言い返したり、逆に抵抗して暴力を振るってしまったりすると、貴方が処罰の対象になりますから」

「殴られても?」

「そうです。とにかくその場はそれで収めてください。落ち着いたらすぐにシルフを飛ばして、誰から暴力を振るわれたかルーク様に報告してください。こちらで対処します」

 驚くレイに、キルートは真剣な顔で頷いた。

「もちろん、懲罰としての暴力はある程度は認められています。しかし、理由も無く、あるいは些細な理由で部下に対して暴力を振るう事はたとえ上官であっても禁止されています。場合によってはその上官が処罰されます」

「分かりました。気をつけます」

 真剣な顔で頷くレイに、キルートも笑顔で頷いた。



 キルートと別れて訓練所に入ったレイは、いつものように図書館へ向かった。

「おはよう。久し振りだね」

「おはよう」

 リンザスとヘルツァーが、自習室の前で手を振ってくれている。手を振り返して、数冊の本を取ると、その自習室にレイも入って行った。

 少しして、キムとマークも入ってくる。

「さっき、受付の所でニーカとクラウディアに会ったよ。手続きしてたから、恐らく今月いっぱいお休みする為の手続きだろうな」

 キムの言葉に、マーク以外の全員が頷いた。

「え? 何それ……って、これ意味が分からないのって……俺だけ?」

 不安気にマークがレイを見るので、レイはルークから聞いた事を説明してやった。



「へえ、花喪に服す。そんな言葉、初めて聞いたよ。でも確かに花にとってみれば受難の期間だよな。種もつけられずに突然刈り取られて、挙句に捨てられちまうんだからな。弔うくらいしてもらわないと割に合わないよな」

「いや、切られた時点で終わりだと思うぞ」

 キムの大真面目な言葉に全員同時に吹き出した。

 その時、ノックの音がして扉の向こうからニーカとクラウディアが手を振っているのが見えた。

「どうぞ入って。僕達も今来たところだよ」

 レイが立ち上がって扉を開く。二人も何冊もの本を手に入って来た。

「おはようございます」

 二人が声を揃えて挨拶する、それぞれ口々に笑顔で挨拶を返した。

「お願い、ここの計算方法を教えてくれる」

 ニーカがキム達の隣に座ってそう言う。手には宿題の書き出しがあった。

「ああ、これはこの方程式を使うんだけど……」

 覗き込んで説明してくれる言葉を、ニーカはペンを手に真剣に聞いていた。

 なんとなくレイの隣に座ったクラウディアだったが、妙に落ち着きがなくて、二人揃って顔を見ては慌てて本を見る、と言う事を繰り返してた。

「あ、あのねレイ、私とニーカなんだけど……」

「今月末までお休みなんでしょう?」

「ええ、どうしてそれを?」

 驚く彼女に、レイはルークから説明を聞いた事を話した。

「そうなんです。いつもこの時期はひたすらお祈りと神殿内部での内職や作業を行うんです。大変だけど、これも大切な女神への務めですから」

 照れたように笑う彼女の横顔に、レイは無言で見とれていた。



 ディーディってこんなに可愛かったっけ?



 不意に浮かんだその考えを慌てて打ち消す。

 ここへは勉強のために通っているのだ。自分も彼女も。

「頑張ってね。実は僕も今月一杯お休みするんだよ」

 その言葉に、部屋にいた全員が驚いたようにレイを見た。

 全員の無言の視線に、レイの方も驚いて仰け反る。

「なに? 何なんだよ、皆して?」

「ええ。お前も花喪に服すのかよ?」

 キムの言葉に、レイは思いっきり首を振った。

「まさか。それはディーディー達にお任せするよ。えっと、僕も何んだかよく分からないけど新しい訓練を始めるんだって。それで、その期間中は泊まり込みになるから、訓練所はお休みするんだって言われたの」

「そっか、本格的な訓練が始まってるもんな」

「頑張れよ。怪我しないようにな」

 リンザス達軍人は、恐らく何か野外での野営を含めた訓練を始めるのだと思い、そう言って励ましてくれた。

「うん、ありがとう。新しい事をするのって、何でも楽しみだよね」

 目を輝かせるレイの言葉に、全員が笑顔で頷くのだった。



 一同が、それぞれに勉強を再開しようとした時、突然キムが口を開いた。

「なあ、それよりさあ。今、ものすごく重要な言葉を聞いた気がしたんだけど、俺の気のせいじゃないよな?」

「俺も思った。これは尋問するべきだと思うぞ」

「全くだ、お休みの間に、何があったのか聞き出さねばならん」

 リンザスとヘルツァーが、大真面目な顔で態とらしく何度も頷く。

 それ以外は、何を言ってるのか分からず首を傾げている。

 三人は顔を見合わせると、いきなりマークの首根っこを引っ掴んで耳元に口を寄せて何かを言った。

「ああ! 確かに言った! これはたしかに重要案件だな!」

 納得したように何度も頷くマークを見て、レイとクラウディア達は揃って顔を見合わせた。

「って事で、レイルズ君。ちょっとこっちへ来たまえ」

 横向きの三日月みたいな目をしたキムがそう言って、レイの腕を取り自分達の方へ引っ張っていく。



 もう、その瞬間にニーカは彼らが何をしようとしてるのかを理解した。



「待って! 行かないでニーカ!」

 彼女も理解したようで、逃げようとするニーカの腕にしがみ付いた。

「ええ。私を巻き込まないでくれる?」

 困ったような彼女の言葉に、もう一度クラウディアは声を上げて腕に縋った。

 同じく、ようやく彼らが何を言わんとしているのかを理解したレイも、逃げようと暴れるところを大柄な軍人二人掛かりで捕まえられ、満面の笑みで尋問されていた。

「で、一体全体どういう展開で、お互いにそんな名前で呼ぶようになったわけだ?」

「もう勘弁してくださいー!」

「こら、図書館内は静かにしろよな」

 三日月みたいな目をした男子全員に取り囲まれて、レイはもう一度逃げようとして取り押さえられてしまい、それを見ていたニーカは、大喜びでクラウディアに飛びついていた。

 当然、こっちも逃さないように捕まえているのを知らないのは、本人だけだった。

 本の上では、大騒ぎしている彼らを、大喜びのシルフ達が並んで眺めていたのだった。







「どう、これで良い?」

 翌日、手渡された第四部隊の制服に自分一人で着替えたレイは、いつもの剣帯では無く支給品の剣帯を身に付け、同じく支給品の鋼の剣を装着して振り返った。

「ああ、よく似合ってるよ。それじゃあ、後は念の為にこれをベルトに装着しておけ」

 見ていたルークが手渡してくれたのは、エドガーさんが作ってくれたよりも少し大きいミスリルのナイフだ。しかし、柄の部分はごく普通の鹿の角で細工がしてあり、一見しただけではミスリルと分からない仕様になっているのだ。

 ベルトに付けた小物入れに、追加のカナエ草の薬を多めに入れてもらった。



 レイは今日から城の第二部隊に、第四部隊からの臨時の応援要員として閲兵式までの間手伝いに入る事になっているのだ。

 身分は貴族だが、諸事情により一般兵として雇用されている、と言う設定だ。

 実際、認知されていない貴族の妾腹の子供などの場合、誰かの紹介で無試験で一般兵として軍へ入る事も珍しくはない。そうして、その間の様子を見て適性やその人となりを判断されるのだ。

 身の上についても、敢えて詳しく言わずに諸事情により、と、こう言っておけば勝手に周りが事情を察して黙ってくれる。

 レイは精霊魔法が使えた為、マーク達の直属の上司でもあるダスティン少佐の紹介で第四部隊に入ったのだという事になっている。

 ちなみにレイの本当の身分を知っているのは、第二部隊では直属の上司になるダイルゼント少佐だけだ。

 迎えに来てくれた初めて会うその少佐に、元気に挨拶をした。

「レイルズ・グレアムです。よろしくお願いします」

 竜騎士隊の本部で紹介されたダイルゼント少佐に、着替えの終わったレイは笑顔で挨拶をした。

「ダイルゼント・クレイアートです。こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。古竜の主よ」

 にっこり笑って差し出された手を握り返し、レイも笑顔になった。

「本当に、二等兵扱いでよろしいのですか?」

 レイの胸元に付けられた階級章を見ながら、少佐は心配そうにそう言ってヴィゴとルークを振り返った。

「ええ。今回の彼は、一般兵の仕事中の行動や考え方を、身近に接して知ってもらう事が一番の目的です。どうぞ気遣いは無用に願います。しっかり鍛えておりますので、お好きにこき使ってやってください」

 ヴィゴの言葉にルークも笑って頷いている。

「はい、なんでもやりますので。よろしくお願いします」

 笑顔でもう一度そう言って頭を下げる彼を見て、若干引き気味に笑った少佐は、小さくため息を吐いて頷いた。

「了解致しました。それでは、こちらにいる間はレイ二等兵と呼ばせてもらいます。もしも、仕事中に何か問題があれば、遠慮無くシルフを飛ばしてください」

 そう言うと、手渡された荷物を持ったレイは、ヴィゴとルークに見送られて少佐と一緒に当面の城の勤め先へ向かった。この間は寝泊まりも、敷地内にある下級兵士の宿舎だ。




「カウリ伍長、入ります」

 一つ深呼吸をしてから、彼は目の前の扉を叩いた。カウリ伍長と名乗ったその青年は、真っ黒なくせ毛を短く刈り上げている。背は高いが厚みは無く、ややひょろ長い印象を受ける。

 突然少佐から呼び出された彼は、作業を開始したばかりの倉庫から大急ぎで執務室まで来たのだ。

 返事を聞いて中に入ると、見慣れない赤毛の若者が一人、少佐の少し後ろに立ってこっちを見ていた。

「ご苦労。彼はレイ二等兵。諸事情により貴族だが一般兵扱いになっている。所属は第四部隊。閲兵式までの間、ダスティン少佐の紹介でうちで面倒を見る事になった。人手がいるのだろう、こき使ってやってくれとの事だ」

 彼は、それを聞いて内心がっかりした。

 どうやら自分は、貴族なのに一般兵士扱いの、しかも二等兵の新兵の面倒を見るなんていう、貧乏くじを突然引かされたらしい。

 ……せめて、我が儘な奴じゃなければいいのにな。

 内心そう呟いて、レイの前に立った。

「カウリ伍長だ。レイ二等兵、それじゃあ仕事の説明をするから一緒に来い」

 直立して敬礼されて、敬礼を返しながら、内心ちょっとだけこの新兵を見直した。



 貴族なのに諸事情により一般兵士扱い。もうこれを聞いただけで、ほぼ彼の背景が分かってしまった。

 恐らく妾腹なのに父親にすぐに認知してもらえず、まずは様子見になったのだろう。しかし一般兵扱いでしかも二等兵。もうそれだけで、認知そのものも望み薄だと知れてしまう。

 彼にとってもこの扱いは大いに不本意だろうが、諦めて、せめて立派な体格に見合った働きをしてくれる事を願っていた。

 しかし、一緒に廊下を歩いていて少し話しただけで、彼はこの赤毛の新兵の事をすっかり見直していた。

 とにかく素直でしっかりと人の話を聞く。分からない事は質問するが、その内容はしっかりと的を射ている。少なくとも馬鹿では無さそうだった。



「ここが俺達の仕事場に当たる本部。今は閲兵式の準備でいくらでも人手が要るんだよ。今日は資材倉庫へ入ってもらうからな。こっちだ」

 そう言って、先程まで彼がいた倉庫へ戻った。

「おかえりなさい。急な呼び出しって何だったんですか?」

 手前にいた、背の低い金髪の兵士が荷物を台車に乗せながらそう言った。

「増員一名着任したぞ。全員注目!」

 カウリ伍長の声に、そこにいた三人の兵士達が驚いて振り返った。

「レイ二等兵。貴族なんだけど諸事情により下級兵士扱いなんだってよ。ダスティン少佐の紹介で、うちで面倒みる事になったらしい。宿舎も一緒だから仲良くしてやれよな」

 やや投げやりな説明に、三人は揃って同情の目をレイに向けた。

「そっか、まあよろしくな。ケイタム二等兵だ」

「よろしく。新入り。ルフリー上等兵だ」

「よろしくな。ジョエル二等兵だよ」

「レイ二等兵です。よろしくお願いします」

 それぞれ握手を交わして思った。カウリ伍長とケイタム二等兵は、レイと同じで硬いタコがいくつも出来た強い手をしている。しかし、ルフリー上等兵とジョエル二等兵は、まだまだ柔らかい綺麗な手をしていた。

「へえ、しっかりした手をしてるんだ。もしかして剣術とか習ってたりしたのか?」

 カウリ伍長の言葉に、レイは頷いた。

「はい、棒術訓練と格闘訓練、それから剣術は基礎は叩き込まれました」

 言葉使いに気をつけるように言われていたので、思い出して直立してそう言った。

「ああ、そんなに固くならなくて良いって。まあ楽にして良いよ。まあ、その立派な体格に見合った働きを期待するよ。まずはこの箱を全部運び出して。別の倉庫で番号順に振り分けなきゃいけないんだ。思いっきり力仕事だからな」

「任せてください。腕力には自信ありますから」

 散らかった倉庫を指差してそう言うカウリ伍長の言葉に、レイは元気よく返事したのだった。



 倉庫に積み上がった箱の上では、ブルーのシルフと他にも何人ものシルフ達が心配そうに、そんなレイの様子を眺めていたのだった。

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