ニーカの花束と女神の代理人

「あ……あの人達」

 飲み終わって次に行こうとしたレイの目に飛び込んできたのは、昼前に、彼の側で花撒きの時間を言い、今日こそは花を取ると宣言していた兵士だった。

 しかし、彼は目に見えて項垂れて肩を落としている。屋台の裏に置かれた汚れた樽に腰掛けて、これ以上ないくらいに落ち込んでいた。

「俺は本当に大馬鹿野郎だよ。せっかく取りかけた花束を咄嗟に子供に譲っちまった」

「まあ、元気出せって。明日もあるからまた交代してもらって来てやるよ。俺も取れなかったんだから謝るのは俺の方だよ。絶対確保してやるなんて偉そうな事言ってたのに花束にかすりもしなかったよ」

「もう駄目だよ。なんかもう……出来る気がしない」

 隠れるようにして、情けなさそうに顔を覆ってしまったその青年を、一同は思わず見つめていた。

「花束、取り損なっちゃったんだね」

「ちょっと可哀想かも……」

 ニーカとクラウディアがそう言って、思わず顔を見合わせた。

 レイにしてもそれは他人事では無かった。一歩間違えれば、あれは自分だったかもしれないのだ。



 思わず周りを見回したが、当然花束が何処かに落ちている訳も無い。



「明日こそ頑張ってね……」

 レイが小さくそう呟いた時、ニーカがガンディの腕をそっと叩いた。

「ねえガンディ、ちょっと下ろしてくれる」

「お、どうした? 構わんぞ」

 そう言って下ろしてくれたガンディの腕から飛び降りると、ニーカは花束を後ろ手に持って、その兵士に近寄っていった。




「お兄さん。竜騎士様のお花、取れなかったの?」

 突然話しかけて来た少女に、驚いた二人は顔を上げた。

「何だ、女神の巫女様? その服は見習いさんかな」

 顔を上げた兵士は、樽から降りて少ししゃがみ、ニーカと目線を合わせて優しい声で答えてくれた。

「そうなんだ。お付き合いしている人がいるんだけど、どうしても……結婚してくださいって、正面から言う勇気が無くてさ。自分でも情けないんだけど、花祭りの期間中なら……花束を貰ったからって、求婚する言い訳になるかなって思って……でも、その肝心の花束を取れないんだよ。まるで、花束の方が俺を避けてるみたいだ。同僚達も応援してくれてさ。色々段取りして仕事を交代してくれて、毎日会場に来てるのに、全然取れなくて……」

 しゃがみ込んで、また俯いて頭を抱えてしまった。

 そんな彼を見て、ニーカは呆れたように小さなため息を吐いた。

「じゃあ、そんな臆病な兵隊さんに、女神の祝福を贈るわ」

 そう言って笑うと、彼女は後ろに隠していたあのピンクの小さな花束を、そっと彼の目の前に差し出したのだ。



「ほら、いってらっしゃいな。勇気出して!」



 呆然と彼女を見るその兵士の顔が、突然真っ赤になった。

「こ、これって……?」

「そう、さっきの花撒きの時に、私が取った正真正銘の竜騎士様が配ってくださった花束よ。しかも、引換券付き! 誰かからもらった花束でも構わないんでしょう?」

 驚きのあまり声も無いその兵士に、彼女は花束を押し付けた。

「何してるのよ。いらないのなら持って帰っちゃうわよ」

 しかし、立ち上がった彼は改めて片膝をついて深々と頭を下げた。そして、その花束に手を添えて、中からそっと一輪だけ花を抜き取ったのだ。

「ありがとう、女神の代理人よ。僕に勇気を下さいました。これで十分です。今からこれを持って彼女の所へ行ってきます!」

 そう叫んで立ち上がるといきなり走り出した、隣にいたもう一人が、直立して敬礼すると彼の後を追う。呆気にとられて見ていると、少し離れた場所に数名の女性がこっちを向いて立っているのが見えた。周りの女性達が、歓声を上げて真ん中にいた女性の背中を叩き前に押しやる。恐らく彼女を連れ出してくれた友人達なのだろう。

「あの、俺にはこれが精一杯でした! でも、女神の代理人から勇気をもらいました! あの……俺と……俺と結婚してください!」

 一輪だけの小さな花を差し出して、真っ赤になって頭を下げるその兵士に気付いた周りの人達が、肩を叩いて囁き合い、目を輝かせて見つめる中、求婚された女性はそっとその花を受け取った。

「ありがとうございます……一生の宝物を頂いたわ」

 その瞬間、周りから一斉に拍手がわき起こり、二人は笑顔でしっかりと抱き合った。

「おめでとう! お幸せにね!」

 嬉しそうなニーカの声に、その兵士はこれ以上ない笑顔で振り返った。

「ありがとうございます! 女神の代理人。このご恩は忘れません!」

 すると、それを周りで見ていた何人もの青年達が、縋るような目で彼女を見て次々に頭を下げたのだ。

「女神の代理人よ。お願いします。僕にもお慈悲を!」

「お願いします!俺にもお慈悲を!」

「お願いします!臆病な僕に勇気を下さい!」

 突然の出来事に、驚きのあまり咄嗟に反応できなかった彼女だったが、頭を下げる彼らを見て満面の笑みになった。

「もちろん良いわよ。ほら、好きなのをどうぞ」

 お礼を言って、次々に青年達は彼女の花束から花を抜いていった。

 青年達がいなくなる頃には、彼女の手の中にある花束は、もう数本の小さな小花を残すだけになってしまった。

「あらあら、誰も引換券を持って行かなかったわ。これって、私が持って行ってもお菓子を貰えるのかしらね?」

 困ったようにそう言うと周りを見回し、すぐ側で口を開けてずっと見ていた、薄汚れた服を着た子供にその券を差し出した。

「ええ! もらっていいの? お姉ちゃん?」

「いいよ。これを持って女神様の神殿へ行ったら特別なお菓子を貰えるからね。仲良く分けるんだよ」

 その少年の後ろには、もっと小さな女の子がいる事に彼女は気付いていたのだ。

「ありがとう。お姉ちゃん!」

 目を輝かせたその少年は、後ろにいた小さな女の子と手を繋いで、嬉しそうに走って行ってしまった。

「ニーカ、良かったの? せっかくの花束だったのに」

 クラウディアの言葉に、振り返ったニーカは晴々と笑った。

「ディアは、その花束はあげちゃ駄目よ。でも、私は別に置いておいて枯らしちゃうだけでしょう? それなら、花には花のお仕事をしてもらわないとね」

 肩を竦めてそう言って笑う彼女は、本当に幸せそうだった。

「女神の代理人って言われちゃったよ。畏れ多いね」

「いや、今日だけで其方は何組もの恋人達の縁を繋いだのだからな、文字通り女神の代理人であろう」

 ガンディがそう言ってニーカを抱き上げた。

「本当に其方は優しい子じゃな。精霊王と女神の祝福が、常に其方にありますように」

 厳かな声でガンディがそう言い、彼女の額にそっとキスを贈った。レイとクラウディアも、顔を見合わせて笑い合った。



「では、行くとしよう。まだ時間はあるからな。次は何が食べたい?」

 気分を変えるようなガンディの言葉に、ニーカが笑って手を上げた。

「はい! 私、あのどんぐりのパリパリに焼いたのがもう一度食べたいです!」

「おお、確かにあれは美味かったな。はて、何処だったかのう?」

「あ、それならこっちだよ」

 その言葉に、レイがさっきの屋台を見つけて二人を手招きした。

「おばさん、四つください」

 駆け寄ったレイが声を掛けると、店番をしていた女性が顔を上げた。

「おやおや、お昼に来てきてくれた騎士様だね。ありがとうね。また来てくれたのかい」

 笑ってそう言うと、それぞれに一枚ずつ渡して、それとは別に、割れた破片が何枚も入った油紙の包みをこっそり渡してくれた。

「ほら良かったら食べな。割れちまったのは売り物にならないからね」

「いいの? ありがとう」

 笑顔でそれも受け取って、ニーカにそのまま手渡した。

「ほら、ニーカ。女神の代理人様に早速の貢物だよ」

 それを聞いてクラウディアも笑った。

「おやおや、隅に置けないね。お前さん、彼女に花を渡したのかい?」

 クラウディアが大事そうに持つ真っ赤な花束を見たその女性は、そう言って笑ってレイの背中を思い切り叩いた。

「頑張ったね。偉いよ」

 悲鳴をあげてまたしても真っ赤になったレイは、照れたように笑って何度も頭を下げた。

 そんなレイを、ガンディの肩や頭に座ったシルフ達が、愛しそうに見つめているのだった。



「まあまあ、ニーカときたら、こんなところで慈悲を振りまいているわ」

「驚きました。でも、本当に優しい子ですね」

「クラウディアったら、いつの間にあんな素敵な方と!」

 手を握って目を輝かせる巫女を見て、二人の僧侶は小さく笑って首を振った。

 騒ぎから少し離れたその場所で、小さな店を出していた女神オフィーリアの神殿の僧侶達と巫女は、一連の出来事を全て見ていたのだ。



 三人がいるお店は、神殿で作ったブローチや飾り物、神具などを販売する、女神オフィーリアの神殿が管理している出店だ。

 売り上げは全て神殿への寄付に回されるので、それが分かっている街の人々は、次々と先を争うように買ってくれるため、毎年かなりの金額が集まる。

 花祭りの期間中、ずっと出しているそのお店では、僧侶や巫女達が店番をしているのだ。

 休憩の時には、少しは花祭り見物や買い物なども楽しむ事が出来るので、若い巫女や見習いを中心に、売り子を毎日交代しているのだ。出来るだけ、全員が一度は来られるようにしている。



「素敵だわ。クラウディアは、あの方から花束を貰っていましたね」

「ええ、幸せそうですね……ですが……」

「今はそっとしておいてあげましょう。でも、認めるわけには参りませんね……」

「そうですよね。やはり……そうなりますよね」

 無邪気に羨ましがる巫女とは違い、事情の分かる二人の僧侶は、困ったように顔を見合わせている。



 光の精霊魔法を使いこなし、上位の精霊魔法への適性も認められるクラウディアは、女神オフィーリアの神殿では、上層部から、密かに将来を嘱望されている人物なのだ。

 その人物が、神殿関係者ではない人と恋愛をしている。しかも、その相手は竜騎士になる事が確実な竜騎士見習いなのだ。

 将来、万一にも結婚すると言い出したなら、普通は認められれば還俗げんぞくさせる事になる。しかし、光の精霊魔法を使う彼女の事を、神殿は絶対に手放そうとしないだろう。



「どう致しましょうか?」

「今は、見守るだけです。まだ幸い二人とも未成年です。未来は……誰にも分かりません」

 二人は目を閉じて、黙って祝福の印を切った。

「今は夢を見させてやりましょう。あの子達の将来を知るのは、それこそ全てを知る精霊王だけでしょうからね」

 年配の僧侶の言葉に、もう一人の僧侶も小さく頷く事しか出来なかった。



 そんな彼女達の会話を、机の端に座った大きなシルフが真顔で聞いていた事など、精霊を見る事の出来ない彼女達は知る由もなかった。

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