大騒ぎの後
「あの……ディーディー?」
自分の腕の中で全く動かない彼女を心配して、レイは抱きしめていた腕を緩めた。
しかし、顔を見ようとして少し離れると、何故だか彼女が俯いたままくっついて来てまた抱きついてくるのだ。
お陰で見えるのは彼女の後頭部とうなじ、それから髪の間から見える耳だけだ。しかも、最初に立っていた位置からかなり後ろに下がったと思うのだが、周りが一緒になって動くので一向に状況が変わらない。
「ねえ、ディーディーってば、大丈夫? どこか痛いの?」
仕方がないので、腕は緩めないままそっと話しかけると、今度は顔も上げずに首を振る。
「えっと、じゃあどうしたの? ねえ、お願いだから顔を見せてよ」
待ってみたが答えは無い。
「えっと……」
彼女を抱きしめたまま途方に暮れて周りを見渡した。
ガンディに抱えられたニーカと目が合う。
しかし助けを求めようと口を開こうとした瞬間、彼女は笑って舌を出してそっぽを向いてしまったのだ。
「ええ、ちょっと待ってよ。ねえ、ガンディ。彼女どうしちゃったんだろう。具合悪かったりしない?」
彼女を抱いているガンディに助けを求めたが、彼も笑っているだけで素知らぬ顔だ。
「ねえ、ディーディー。お願いだから機嫌なおしてくれる? 何か気に障ったのなら謝るからさ」
どう考えても、彼女が怒っているとしたら、自分が原因だろう。何だか分からないけれど、とにかく彼女に機嫌を直してもらいたかったのだ。
「……怒ってない……」
胸元で小さな声が聞こえて、レイは思わず彼女を抱えたまま横から覗き込んだ。
「良かった。じゃあ何? 僕、どうしたら良い?」
「……お願いだからこのままでいて」
「ディーディー?」
よく見ると、戻っていた耳やうなじまでが、またしても真っ赤になっている。
「もしかして…… 恥ずかしかった?」
耳元に口を寄せて小さな声でそう尋ねた。
暫くのためらいの後、彼女は小さく頷いた。
『そっちだったかー!』
天を仰いで、心の中で絶叫した。
「ご、ごめんね。でも……僕も正直言って、今……穴掘って潜りたいぐらいに恥ずかしいよ……」
思わずそう言うと、腕の中で彼女が小さく吹き出した。
そのまま肩を震わせて必死になって笑いを堪えている。
「ディーディー」
今度は若干呆れたような声で、もう一度名前を呼ぶ。
腕の中で俯いたまま、とうとう彼女は声を上げて笑い始めた。
「ご、ごめんなさい……だって……私……」
「もう、ずるいディーディー! 僕だって恥ずかしいんだからね!」
腕を緩めて、顔を上げた彼女と顔を付き合わせる。
目の前にあるその白い額に、想いを込めてそっとキスを贈った。
「こら少年! そこじゃ無いだろうが!」
横から飛んできたからかう声に、二人揃って思いきり舌を出した。
その瞬間、周り中が暖かい笑いに包まれたのだった。
「お幸せに!」
「しっかりやれよ、坊や」
口々にそう言い、レイの背中や肩を叩いて周りにいた人々が一気にいなくなった。
「もう、酷いよガンディ。ちょっとは助けようとか思わないの?」
ようやく解放されて、レイは思わずガンディに駆け寄って文句を言った。
別に本気で怒っているわけでは無い。黙っているとどうにも気恥ずかしくて居た堪れなかったのだ。
「いやあ、若いって良いものだなあと思って見ておったら、小っ恥ずかしくてどうにも出来んかったわい」
笑いながらそんな事を言われてしまい、レイとクラウディアは揃って大きなため息を吐いた。
それからお互いの顔を見合って、慌てたように視線を外した。
「えっと、ニーカ! 君も花束をもらったんだね」
話題を変えるように、レイがニーカが持っているピンク色の可愛い花束を見て慌てたようにそう言った。
クラウディアも同意するようにガンディに抱かれた彼女を見ている。
すると彼女は小さく吹き出した後、いきなり声を上げて笑い出したのだ。
「もう、聞いてくれる。ガンディったら酷いのよ。うら若き乙女に何するのよって言いたかったわ。もう私、本当に死ぬかと思ったんだからね!」
しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の顔はこれ以上ないくらいに楽しそうだ。
「えっと、何があったか聞いて良い?」
とにかく花撒きの間、自分の事で精一杯だったレイには背後に気を配る余裕は無かったし、第一、ニーカはガンディが抱いてくれているんだから、人混みでも彼女の安全は保障されていると思っていたのだ。
それが、死ぬかと思った? それなのに笑っているって、一体どういう事?
思わず隣のクラウディアを見ると、彼女も同じようにこっちを見ている。
顔を見合わせて、二人揃って首を傾げた。
「何その同調率! 双子みたい!」
ニーカがどこかで聞いたような事を言ってまた声を上げて笑っている、ガンディも自分達を見て小さく吹き出して笑い出した。
「ねえニーカ、何があったのか聞いても良い?」
クラウディアが、笑いながらガンディの隣に行って、まだ笑っている彼女の背中を撫でた。
すると、ニーカはもう一度声を上げて笑って、持っていた花束を、両手を伸ばして頭上に高く捧げたのだ。
「竜騎士様が花を撒いた瞬間にね、ガンディがいきなり私の両脇を掴んでこうやって高く上げたの。それでね、こう言ったのよ」
ニーカは二人に向かって妙に低い声でこう言ったのだ。
「ニーカよ、もしレイルズが取れなかった時の為に、何とか一束確保してやってくれ! ってね。それでね! 花が飛んできた方向に向かって私を振り回したのよ!」
そう叫んで、差し出した腕を思いっきり前後左右に振り回したのだ。
それを見た瞬間、二人とガンディは同時に堪える間も無く揃って吹き出した。
「ガ、ガンディ……女の子に何するんだよ」
「ガンディ……様、い、幾ら何でも……それはあんまりです……」
二人共、もう笑いすぎて息が出来ない。
「いやあ、つい大人気なく必死になってしもうたわい。だって、これには精霊の助けはもらってはならんと言う暗黙の了解があるのでな。儂でも自力で確保する必要があったんじゃよ。となると、少しでも高い位置で先に確保するのが一番であろう?」
妙に胸を張って言われてしまい、もう一度全員が吹き出した。
「せめて肩車にして! うら若き乙女に、断りも無く何て事するのよ、もう!」
ニーカの叫びに、周りにいた者達までもが堪えきれずに笑い出す者が続出したのだった。
「おやおや、甘い雰囲気になったのは一瞬だったな」
「そうね、でもそれもあの子らしいわ」
「話には聞いていたが良い子ではないか」
「そうね、お似合いだわ」
「さて、どうするかな?」
「そうね、どうしましょうかしらね」
笑いながらようやくその場を立ち去った四人を、少し離れたところから見ていたお忍び中の二人は、そう言って笑い合った。
しかし、最後の言葉は二人共、揃って真剣な顔だった。
「どこの子息だ、あの若造。よりにもよって女神の巫女に花束を渡すなど、実らぬ恋の代名詞ではないか」
「全くだ。呆れて物も言えん。世間知らずにも程があるぞ」
「周りは無邪気に囃し立てていたがな」
「まあ、所詮はお祭り騒ぎだ。奴らは面白ければなんでも良いのだろうよ」
「無邪気な事だ。どうせすぐに泣く事になるさ」
「まあ、所詮は子供の恋真似だ。肉欲の無いな」
その言葉に、彼らは小さく吹き出した。それはレイルズ達とは違う、まるで相手をあざ笑うかのような薄情な冷たい笑い声だった。
それは妙に着慣れない服を着た一団で、腰には全員が立派な
「しかし、あの隣にいるのは白の塔の長のガンディ殿だろう? 彼の縁者か?」
「彼の縁者に人間がいるとは聞いたことが無い。恐らく誰か、知り合いの子息だろう。すぐに調べろ。誰なのかな」
「了解だ」
奥にいた一人がそう言い、一同はもう興味を無くしたようにその場を立ち去って行った。
「妙なのに目をつけられたな。念の為こちらも対策を取る。お前達は引き続き護衛に当たれ」
「了解しました」
市民の服を着た数名の男女が、顔を寄せ合って先ほどの青年達が立ち去った方角を見ていた。
無言で頷きあうと、解散したその者達はあっいう間に人混みに消えてしまった。
「一体あれは誰だ? 調べろ、どこの子息だ。側にガンディ殿がいたではないか。彼の縁者ならば何としても我が陣営に取り込むんんだ」
「調べろ。あれは誰だ」
「誰だ?」
「誰だ?」
小さな声であちこちで言葉が交わされ、密かな命令が下されていく。
レイの知らないところで、それぞれの思惑により、様々な事が水面下で動き始めていた。
そんな周りの思惑など露知らず、また屋台で食べ歩きを楽しむレイ達だった。
ガンディに甘い飲み物を買ってもらってすっかり機嫌を直したニーカは、何を頼もうかとお品書きの看板を見ながら仲良く顔を寄せて相談している二人を見て、小さなため息を吐いた。
「これから訓練所で毎回あんな風だったらどうしようかしら。もう、見ているだけで甘すぎて胸焼けしそうだわ」
しかし、その薄情な言葉とは裏腹に、今度も彼女はとても楽しそうだ。
「ニーカよ。先程から、お前さんの顔と言葉が全然一致しとらんぞ」
からかうようなガンディの言葉に、ニーカは笑って首を振った。
「気のせいよ」
「そうであろうかのう?」
「そうよ」
顔を寄せ合って、同時にまた吹き出す。
しばらく見つめあっていたが、真剣なニーカの様子に、ガンディの片眉が上がった。
「どうした?ニーカ」
一度だけ深呼吸をした彼女は、ようやく決まって飲み物を注文している二人を目を細めて愛おしそうに見てから口を開いた。
「ねえ、ガンディ。私をこの国へ連れて来てくれて本当にありがとう。こんな楽しい事が、こんなにも沢山世の中にあったなんて、私……ここへ来て初めて知ったわ。皆大好きよ。約束する。何があっても、私は絶対にこの国を裏切らない」
驚いて目を見開くガンディに、ニーカは晴々と笑った。
「あの国に生まれて、良い事なんて一つも無かった。だけど、私はスマイリーと出会わせてくれたあの国をどうしても憎む事は出来ない。何度考えても、恨む事も、憎む事も出来ないの。どうして、って……それは何度も考えたけど……自分でもよく分からない」
俯く彼女の額に、ガンディはそっとキスを贈った。
「流されるままに生きてきた其方も、ようやく自分の足で立つ準備が出来たようだな。だが焦るでない。其方はまだ、たったの十二歳の子供だ。彼の国ではどうか知らぬが、我が国ではまだ子供として守られるべき年齢じゃ。今は、しっかり勉強をして、精霊魔法について学びなさい。国の成り立ちと歴史、この国のありよう。覚えるべき事柄ははまだまだ山程あるぞ。それから最低限の医学の知識も得ておくべきじゃ。覚えておきなされ、知識と教養はどれだけあっても邪魔にならぬ」
小さく笑った彼女は、ガンディの頬にキスを返した。
「うん、いっぱい頑張る。精霊魔法ももっと上手くなる。それから、今年の秋の昇格試験で三位の巫女の資格を取るのが今の私の目標よ」
「おお、それは素晴らしいしっかり頑張りなされよ」
そう言って笑って彼女を抱き直すと、戻って来た二人と一緒にまた歩き出したのだった。
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