蒼の森の春と花祭りの準備
すっかり雪の溶けた蒼の森は、見事な新緑の季節を迎えていた。
「いやあ、しかし今年もたくさん取れたのう」
荷馬車に積み込んだ、綿兎の毛が詰まった袋の山を見上げて、ギードはそう呟いて振り返った。荷造りを手伝ってくれたニコスとタキスも、後ろで見上げて苦笑いしている。
今年は二日に分けて森まで出向き、出て来た綿兎達の冬毛を頑張って梳いて来たのだ。
今からこの綺麗にした大量の綿兎の毛を持って、ブレンウッドの街へいつものように買い出しに行くところだ。
しかし、今回はギード一人での街行きだ。相談の結果、この春はニコスとタキスは留守番している事にしたのだ。
原因は、まだ孵らないベラの卵と、こちらも今にも生まれそうな黒角山羊の世話の為だ。
あれから何度もシヴァ将軍と連絡を取り合い、細心の注意を払って面倒を見ている。
今の所特に目に見える変化は無く、卵は問題無く育っているようだが、これから気温が上がってくる時期は特に注意が必要なのだ。
ベラと卵は、今は竜舎では無く、渡り廊下の奥にあるいつも冬に家畜達を入れている広場とは別の、産室として急遽改良した普段は使っていない別の部屋に移している。
その部屋の壁に地下から運んできた氷を並べて置き、室温を下げて一定に保っているのだ。
水の精霊の姫達も、可愛い子竜の為ならと、喜んで氷を保持するのに協力してくれている。またシルフ達は、冷えた空気を室内に循環させる役目を担ってくれている。タキス達だけで無く、精霊達も総出でベラの卵を守ってくれているのだ。
先に生まれたポリーの子供は、まだ母親にべったりだが、時々はお腹の下から勝手に抜け出して竜舎の中を走り回り、タキス達にもすっかり懐いて甘えるような仕草さえ見せるようになった。
卵が孵った直後は、やや神経質になっていたポリーだったが、最近ではすっかり落ち着いて機嫌良く子供と一緒にタキス達に甘えるようさえになった。
子育て中の母親は、神経質で怒りっぽいと聞いていたがほとんどそんな様子は見せず、平気で子供をタキス達に触らせたりもしていた。
『それは貴方達を心から信頼している証ですよ』
シルフから聞こえるシヴァ将軍の言葉に、タキスは嬉しそうに笑った。
「そう思ってくれているなら、何よりです」
隣では、ニコスとギードも嬉しそうに頷いている。
『信頼する飼い主が側にいてくれれば』
『特に母親は安定しますからね』
『大きな音や不意に驚かせるような事さえしなければ』
『もうそちらは大丈夫だと思いますよ』
『花祭りが終わる頃には』
『そろそろ草原へ子供を連れ出しても良いかと思います』
「そうですね。お天気の安定している日を見て、少しづつ外の世界にも慣らして行きます」
タキスの言葉に、伝言のシルフ達は大きく頷いた。
『先ずは竜舎の周りを見せてやってください』
『安心して走り回るようになれば』
『半日程度なら外へ出しても大丈夫かと思います』
『ただし必ず母親と一緒に行動させてください』
「分かりました。ではそのようにしてみます。いつもありがとうございます。それではまた変化があればご連絡させて頂きます」
一礼していなくなるシルフ達を見送って、タキスは小さくため息を吐いた。
「それじゃあ、やはり、私は街へ行くのはやめておきます。お二人で行って来て下さい」
「いや、それなら俺も残るよ。すまないが街へはギードが行って来てくれるか」
ニコスがそう言って、ギードを振り返った。
「そうだな。万一何かあった時、タキス一人では他の家畜や騎竜達の面倒を見る者がいなくなる。了解だ。街へは俺が行ってこよう。要る物が有れば言ってくれれば買ってくるぞ」
ギードが胸を叩いてそう言ってくれたので、結局彼が一人で街まで行って来てくれる事になったのだ。
「それじゃあ、行ってくる。ギルドへ行ったら、バルテン男爵をしっかりからかって来るわい」
トケラの引く荷馬車の後ろに、ドワーフギルドから借りている大きなラプトルを繋いで、ギードは笑って手を振った。
「これは行きの朝飯だよ。道中食べてくれ」
ニコスから包みを手渡されて、ギードは嬉しそうにその包みを荷馬車の端に乗せた。
薬草園の横で手を振る二人にもう一度手を振ると、ギードは小さく笑って荷馬車を大回りさせてゆっくりと坂道を登って行った。
「ふむ。良い季節になったもんだ」
草原を渡る土の匂いのする風に大きく深呼吸をして、明けたばかりのよく晴れた空を見上げたギードは満足そうにそう呟いた。
彼の肩に座ったシルフ達も、一緒に空を見上げて楽しそうに笑っているのだった。
竜騎士隊の本部の渡り廊下に飾られた、綺麗な花の並んだ植木鉢を本部の窓から眺めながら、レイは満面の笑みを浮かべた。
すっかり春めいて暖かくなり、花祭りを明日に控えた竜騎士隊の本部にも、そこら中に花やリースが飾られていた。
「花の良い香りがするね」
振り返ったレイに、ルークも笑顔になる。
「それじゃあ簡単に、花祭りの事を教えておくよ」
窓際のソファーにルークが座り、手に持った書類を見せながらそう言って笑った。元気に返事をして、レイも窓から離れて隣に座る。
「オルダムでは、花祭りは市街地じゃなくて、一の郭と呼ばれる赤い城壁の中にある旧市街の一部で開催される。理由は分かるよな。それ以外の場所は、城壁だらけでとてもじゃ無いけど祭りが出来るような広い道が無いからだよ」
出かけた時の道の細さを思い出して、レイは納得して頷いた。
「確かにあれじゃあ、花の鳥を飾る場所は無いね」
噴水広場や、円形交差点などもあるのだが、とにかく道が真っ直ぐでは無い事と、城壁が常に邪魔をしている為に、一番大きな城壁である大壁よりも外では、とても祭りが出来る場所は無いのだ。
「一の郭の一番外側にある赤壁の近くには、通称、花祭り広場って呼ばれる大きな広い公園がある。この辺りだけは道も広くて真っ直ぐだし、ここの道には門が設けられていて、祭り期間中もそれ以上中には一般人は入れないように門を閉めてしまえるんだよ」
「そっか、ヴィゴが言ってたね。祭りの期間中だけは、いくつかの道は一般公開されるんだって」
感心したようなレイに、ルークは頷いて手元の一の郭の地図を見せた。
「そう。一の郭は、基本的に許可証を持たない一般人は立ち入りが禁止されている。しかし、花祭りの期間中だけは、この公園周辺のみ、一般公開されるんだよ。元々この辺りは、一の郭の中の商業地で、貴族向けの高級店舗が並んでいるだけど、花祭りの期間中は全て閉店していて、店の前に一般向けの屋台などが並んでいるよ。俺達もこっそり行って、買い食いしたりもするんだぜ」
それを聞いて目を輝かせるレイを見て、ルークは小さく吹き出した。
「まあ、楽しみにしてろ。大きな花の鳥の展示や、花人形の行列の出発地と常設の展示場。観覧席も、この花祭り広場に作られる。少し前に見に行って来たけど、工兵達が、突貫工事で観覧席の足場を組んでいたよ」
「楽しみだな。花祭り」
机に飾られた花を見ながら、レイはもう一度満面の笑みを浮かべた。
「オルダムでの花祭りは、一生に一度は見ろって言われるくらい、華やかで賑やかだぞ。去年見たって言う。ブレンウッドの花祭りとどれくらい違うのか聞かせてれよな」
嬉しそうに何度も頷くレイを見て、ルークも笑顔になって手元の書類を見せた。
「明日は俺達は早朝から城で祭事が有るから本部にはいないよ。ラスティに言ってあるから、彼の言う事をよく聞いて、早めに準備していてくれ。城へ行ったら、そのままお前はマティルダ様のところへ行く事。俺達とは別行動だからな。現地で会おう」
「祭事って?」
書類を覗き込みながら質問する。
「ああ、花祭りって、女神オフィーリアへの感謝の祭りだろう? だから、夜明けと同時に陛下が祭りの開催を宣言するんだ。それで、陛下から賜った花を持った神官達が、城から花祭り広場まで、その花を持って行列するんだ。まあこれは、本当に神官達が花を持って歩くだけだから、別に面白くもなんとも無いよ」
見たい、と言おうとしたレイは、それを聞いて残念そうに笑った。
「それで、広場に到着した神官達は、広場の噴水の横にある大きな女神オフィーリアの銅像に、その花を捧げるんだ。それが、広場の祭りの開始の合図って訳。それと同時に、赤壁の城門が解放されて、一般の見学者達がどっと雪崩れ込んで来るんだ。すごいぞ」
「マーク達は警備担当だって言ってたけど、どこにいるんだろうね」
それを聞いたルークは、苦笑いして地図の城門周辺を指差した。
「恐らく、この辺りじゃないかな? いつも、第四部隊の警備担当が大勢この辺りに並んでるよ」
地図を見ながら、レイは楽しみで仕方がなかった。
今日から祭りの期間中は、精霊魔法訓練所の授業もお休みだ。皆に会えなくて少し寂しいが、ガンディが祭りの期間中にも街へ連れて行ってくれると言ってくれたので、これも密かに楽しみにしているのだ。
「お祭り自体はその広場でするんだろうけど、街では何もしないの?」
ふと思いついて聞いてみると、ルークは笑って窓を指差した。
「渡り廊下に植木鉢が並んでるし、窓には花のリースが飾ってあるだろう。あんな風に、祭りの期間中はそれこそ街中が花だらけになるぞ。店では祭りの期間限定の花柄の小物や服、それにお菓子なんかも売り出されてるな。商魂逞しい商人達が、この機会を逃すまいと手ぐすね引いて待ち構えてるさ」
「ブレンウッドでも、花祭りの期間中はすごい売り上げだって言っていたもんね」
「だろ?街の神殿でも、花の鳥の作り方体験会や、孤児院の子供達が作った寄付金集めを兼ねた販売会なんかもあったりするぞ。街へ行くなら覗いてみるのも楽しいぞ」
「ルークは街へは行かないの?」
それを聞いたルークは、満面の笑みでレイの肩を叩いた。
「もちろん行くよ。でも悪いけどお前は連れていけないな」
当然、一緒に行ってくれるものだとばかり思っていたから、それを聞いて驚いた。
「えっと、どうして?」
「まあ、お前がもうちょっと大人になったら連れて行ってやるよ。そこはお酒を飲むところだからな。まだお前には早い!」
堪え切れないように笑ってもう一度レイの背中を叩くと、手にしていた書類を机に置いて持ち直した。
「さて、俺は明日の準備があるから一旦戻るよ。夕食は皆で一緒に行くからな。いつもの服に着替えておけよ。それまで好きにしててくれ」
手を上げて、そう言って部屋を出て行くルークを見送って、レイはもう一度窓辺へ行き、閉めていた窓を開いて外を眺めた。
あちこちに見事に咲いた花が置かれて、いつもよりも見える景色が華やかだ。風に乗って爽やかな花の香りが部屋まで届いてくる。
窓辺に座ってこっちを見ているシルフにキスをして、レイは身を乗り出すようにして外を見た。
遠くに見える幾つもの塔も、初夏の陽射しに照らされて輝いている。
「夢みたいだね。去年はブレンウッドで、今年はオルダムの花祭りを見られるんだよ……その前の年は、バフィやマックスと一緒に、村長のお家で花のリースを作ったんだよ、上手く出来なくて母さんに手伝ってもらったんだっけ」
遠くを見ながら小さな声で呟くと、俯いて目を閉じた。
「……もう泣かないって決めたんだ」
大きく深呼吸をして、顔を上げた。
『レイ、寂しければ泣けばいい。誰も見ていないぞ』
「ブルー、ありがとう……でも大丈夫だよ。ここにも、良くしてくれる人達が沢山いるもんね」
頬にキスしてくれたブルーの使いのシルフにもう一度キスをして、不意に思いついてレイは外を見た。
「ねえ、今からちょっとだけ空に上がっちゃ駄目かな? 空から見たら、準備してるところが全部見られると思わない?」
それを聞いたシルフは、堪える間も無く吹き出した。
『それは中々に楽しそうな思い付きだな。よし、では今からそっちへ行ってやろう。着替えて中庭に出てくるといい』
くるりと回っていなくなったシルフを見送って、レイは満面の笑みで、窓辺に座っていた椅子から飛び降りて、壁に掛けてある騎士見習いの服を着るために、部屋着を一気に脱ぐのだった。
そんなレイを、窓辺に現れたシルフ達が、楽しそうに見守りながら笑い合っていたのだった。
『おでかけ』
『おでかけ』
『お花がいっぱい』
『楽しみ楽しみ』
『綺麗はだいすき』
『主様はご機嫌』
最後に現れたニコスのシルフがそう言うと、もう一度揃って楽しそうにシルフ達は笑い合い、それから順番に消えて行った。
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