初恋

「……どうしたの、皆?」

 戻って来たレイは、マーク以外の四人から満面の笑みで迎えられて、若干逃げ腰になりながら不思議そうに尋ねた。

「いやあ、春が来たなって思ってさ」

「そうだよな。春だな」

「春って良いよね」

 リンザスとヘルツァー、それにクッキーの三人が、何度も頷きながら妙な事を言う。

 その隣では、キムも満面の笑みでこっちを向いて何か言いたげだ。

「確かに、最近暖かくなったよね。僕も花祭りが楽しみだよ」

 そう言った途端に、四人が同時に吹き出した。

「まさかとは思ったけど……もしかして自覚無しかよ」

「うわあ、可愛すぎるぞこれ」

 リンザスとヘルツァーが手を叩き合って笑っている。

「まあ、ここは暖かく見守りましょう」

 クッキーの言葉に、四人がうんうんと頷き合っている。

「皆、変なの」

 自分の席に戻ったレイは、まだ笑い合っている四人を見て、マークともう一度一緒に首を傾げて肩を竦めると、冷めてしまった残りのお茶を飲んだ。




 午後からは、それぞれの教室へ行くので、食堂の前で解散した。

「それじゃあまたな」

「しっかり頑張れよ」

 手を振る皆と別れて、鞄を抱えなおして教室へ向かった。今日はマークと一緒に歴史の勉強だ。

「ちょっとは覚えたけど、やっぱり歴史って苦手だな」

「俺も。今更昔にあった事なんて、俺達が覚えたところで役に立つとは思えないんだけどなあ」

 レイの愚痴に、マークも同意するように頷いてくれた。

 また顔を見合わせて苦笑いしていると、教室に入って来ていた歴史担当のコートニア教授が、背後から悲しそうに呟いた。

「過去の歴史を知る事は、とても大切なんですよ。彼らが犯した過ち、彼らが成した偉業の数々。それらを詳しく知る事で、今を生きる我らのお手本となるのですよ」

 無言で顔を見合わせた二人は、照れたように笑い合って大人しく席に着いた。

「はい。仰る通りです」

「しっかり勉強します」

 神妙にそう言う彼らを見て、コートニア教授も小さく吹き出した。

「わかって頂けたようで嬉しいですよ。さて、それでは始めましょう」

 彼女の指示で本を開き、二人は熱心に指示された箇所を読み始めた。




 日々はあっという間に過ぎて行く。

 翌週からは、クラウディアとニーカも、二人揃って訓練所へ通う姿が見られた。

 毎日ではないが、姿を見かけたら彼女達も誘って自習室で一緒に勉強をした。

 クラウディアは、神殿である程度の知識は教えられていたようで、歴史以外の下位の座学は簡単に単位を取れたそうだ。

 ニーカは逆に、今まで勉強らしい事は殆どした事が無いらしく、簡単な計算問題などでもかなり苦労していた。なので、最初の日以外は、彼女達は別々に授業を受けているらしい。

「難しいけど、勉強させてもらえるだけでも、本当に有難いと思ってます。だからせめて恥ずかしくない程度には出来るようにならないとね」

 彼女が何者なのか知るキムやリンザス、ヘルツァー達、まだ位は低いとはいえ現役の軍人達も、教えて貰うたびにきちんとお礼を言い、素直に一生懸命勉強しているその姿に、最初のうちこそ警戒していたが、次第に仲良くなって行ったのだった。

 光の精霊魔法が出来るクラウディアには、竜人の教授が一時期専任で付き、かなりの日数をかけて詳しい講義を行った。

 ある程度彼女が理解した後は、マークとレイルズも一緒に、三人で実際にやってみながらの実地訓練を行った。



「今まで本でしか読んだ事が無かったのに、このひと月ほどで本当にたくさんの事を学べました。私、ここに来れて本当に良かったです」

 光の精霊魔法の実習が終わり、一緒に廊下へ出た時、彼女が本当に嬉しそうに笑ってそう言うので、レイもつられて笑顔になった。

「僕も、ここに来れて本当に良かったよ。知らなかったいろんな事が学べたからね」

「レイルズは本当にすごいわ。まだ私は光の盾なんかは上手く出来ないもの」

 二人が仲良く話している少し後ろを、面白そうにマークは黙ってついて行く。



 実はあの日、兵舎に戻ってからキムに詳しく教えられたのだ。

 間違い無く、レイルズがクラウディアに恋をしていると。



「恐らく、初恋だぞ。それもまだ自覚してない。だからお前も邪魔するんじゃないぞ」

「あ。成る程。そう言う事か!」

 それを聞き、マークも堪える間も無く吹き出したのだ。

 確かに言われてみれば、一連のレイルズの行動はそれ以外の何者でもない。

「分かった。それじゃあ俺は見学者に徹します。光の精霊魔法の講義は三人でするみたいだから、その時は、俺はそこらの石ころになったつもりでいるよ」

 二人は顔を見合わせて、もう一度堪える間も無く笑い合った。



 そんな感じで、一緒に授業を受ける時間が一番多いマークは、二人を一番身近で観察していて、ほぼ確信していた。

 間違い無く、二人は両思いだと。

 しかし、お互いにそんな素振りは一切見せず、お互いに相手が見ていない時にそれぞれを黙って見つめているのだ。

 思いっきり両片思いである。






「なあ、これって誰かがお節介焼かないと、永遠にこのままなんじゃないか?」

 食堂で一緒に食事をしながらお互いをこっそり見合っている二人を見て、呆れたようなリンザスの言葉に、ヘルツァーとクッキー、キムの三人も苦笑いしながら頷いている。

「それは俺も思うけどな。どこまでお節介焼くかって言われたら……難しいぞ」

「何かきっかけがいるよな」

「やっぱり花祭りかなあ」

「だよな、きっかけとしては一番ありそうだ」

「どうする?」

 小さな声でこっそり相談を始めた三人を見て、リンザスがふと顔を上げた。

「ってか、レイルズは花祭りの時って特別席なんじゃないのか?」

「あ、そうかも」

 ヘルツァーも、思い出して頷いた。

「ああそうか。でもどうなんだろう? レイルズはまだ正式なお披露目はされていないから、特別席に上がるかどうかって微妙じゃないか?」

 二人は顔を見合わせて考えている。

「特別席に行くんじゃ無かったら、二人共誘ってやって貴族席から見せてやっても良いんだけど……」

「どうなんだろうな?」

「何か知ってるか?」

 しかし、キムとマークも首を振った。

「これは聞いても良いんじゃないか?」

 そう言ったリンザスが、レイルズの肩を叩いた。

「なあちょっと聞くけどさ」

「え?何ですか?」

 振り返ったレイルズが、慌てたようにそう言った。誰かさんを見つめていてこっちの話を全く聞いていない事は確実だった。

「今年の花祭りって、お前は何か予定あるのか?」

「えっと、多分……特別席にいると思うけど?」

「あ、やっぱりそうなんだ」

 ヘルツァーの言葉に、レイは照れたように頷いた。

「タドラと二人、特別席を確保してくれるって言ってたよ。詳しい事は僕もまだ知らないけど」

「そうだよな。やっぱりそうなるか……じゃあ駄目だな」

 残念そうに呟く彼を見て、レイは不思議そうに首を傾げる。

「えっと、何が駄目なの?」

「ああ、何でもないよ。じゃあ良い、気にしないでくれ」

 笑って手を振ると、何でもないかのように残りのパンを千切って口に放り込んだ。それを見て、レイも自分のパンを千切った。




 その日、第四部隊の本部へ戻ったキムは、荷物を置くと直属の上司であるダスティン少佐の元へ走った。

 あの微笑ましい初恋を静観するにせよ、誰かがお節介を焼くにせよ、とにかくダスティン少佐には報告しておくべきだと考えたからだ。

「キム伍長、入ります」

 ノックして名乗り、返事を待って扉を開いた。

「どうした? 何か問題でも?」

 丁度部屋には、ダスティン少佐だけでなく、精霊魔法訓練所のケレス学院長も一緒だった。

「学院長がご一緒なら丁度良かった、あの、余計な事かも知れませんが、一応報告しておきます」

 二人は顔を見合わせて目を瞬いた。

「一応って何だ。その、妙に歯切れの悪い言い方は」

 苦笑いする少佐に、キムは小さく深呼吸して、レイルズの初恋の話をした。お相手が女神オフィーリアの神殿の巫女である事も合わせて報告する。

 二人はもう一度顔を見合わせて小さく吹き出した。

「確かに、一応と前置きしたくなる気持ちは分かるな」

「ありがとうキム伍長。確かに微笑ましい事だが、これは重要な報告だよ」

 苦笑いしているケレス学院長だったが、少佐は笑わなかった。

「了解した。報告感謝する。こちらから竜騎士隊のルーク様に報告しておこう」

「お願い致します。周りの者達も、今のところは見守るつもりですので」

「そうだな。何か問題がありそうなら、また報告してくれ」

「了解しました」

 敬礼して部屋を出た。

「さて、どうしたもんかな……あのまま放っておいたら、リンザスの言う通り永遠にあのまま見つめ合っていそうだよな」

 小さく呟いて吹き出した。

 周りに現れたシルフ達も、可笑しそうに笑ってる。

「あ、そうだ。もしかして君達に頼んだら良いんじゃないのか?」

 思わず手を打ったキムは、目の前で嬉しそうに頷くシルフ達と顔を寄せて相談を始めた。




 竜騎士隊の本部の執務室で、ルークはダスティン少佐からの連絡を受けていた。

「ああ、ご苦労様です。やっぱり周りには丸分かりでしたか」

 堪え切れなくて、小さく吹き出しながら答えるルークに、少佐も笑っている。

『それではそちらもこの件は既に把握しておられましたか』

「ええ、もちろん。ですが報告感謝します。一応こちらも今は見守るつもりです。何か問題がありそうなら、また報告お願いします」

『了解致しましたそれでは失礼します』

 くるりと回っていなくなるシルフ達を見送って、執務室にいたアルス皇子とヴィゴ、マイリーの三人も堪える間も無く吹き出した。

「まだまだ子供だと思っていたが、あのレイルズが初恋とはね」

 感心したようなアルス皇子の呟きに、ヴィゴとマイリーも笑っている。

「その、クラウディアという巫女ですが、身寄りも神殿以外の後ろ盾も無いようですね。クレアの街外れに両親と暮らしていたそうです。綿花の栽培と神殿へ収める薬草や花などを育てる優秀な農家だったようです。しかし、彼女が六歳の時に両親を事故で失っています。両親が信仰していた女神オフィーリアの神殿の孤児院で引き取られたのですが、その直後に彼女に精霊が見える事が判明、見習い巫女として神殿での修行を開始。十二歳の時に光の精霊が見える事が判明。フルームの街へ移されてそこで引き続き見習い巫女として修行したようです。去年の春にブレンウッドへ移動、そこで三位の巫女の資格を取ったようです。成績は優秀で、将来有望との事で、この春にオルダムで修業させるためにこちらへ来たようです」

 手元の書類を見ながら当然のように報告するルークに、マイリーは満足そうに頷いた。

「まあ、妙な後ろ盾のある人物と関わるような事になったら、こちらとしても口出しせずにはおられないところだが、聞く限り、問題は無さそうだね」

 アルス皇子の言葉に、二人も満足そうに頷いた。

「そうですね。念の為神殿にも人をやって監視させていますが、特に問題は無さそうです。今の所は静観で良いのでは?」

 マイリーの言葉に、ヴィゴも頷いている。

「ではそういう事で。彼の初恋を密かに応援しようじゃないか」

 アルス皇子の言葉に、三人も小さく笑って頷いたのだった。

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