ベラの卵と心配な事
すっかり日の暮れて真っ暗になった中、二人に送ってもらってレイルズは竜騎士隊の本部まで帰って来た。
「それじゃあまた明日な」
本部の入り口でラスティが迎えに出て来てくれたのを確認して、二人はそのまま帰って行った。
「ありがとうね! また明日!」
走り去る二人の後ろ姿にそう声を掛けると、二人は振り返って手を振ってくれた。
角を曲がって姿が見えなくなるまで見送り、兵舎の自分の部屋に戻った。
「そうですか。早めの夕食はもうお食べになったんですね」
美味しかったビーフシチューの事を目を輝かせて話す彼の着替えを手伝いながら、感心したようにラスティは笑った。
「その、美味しいビーフシチューの屋台は、実は私も食べに行った事がありますよ。もうかなり前ですけれどね。今でもやってるんだと思って聞いていましたが、まさか五十年前からやっていたとは、驚きです」
「ええ、そうなんだ! ラスティも食べた事あるんだね。本当に美味しいよね!」
「確かに美味しかったですね。初めての街歩きも楽しかったようで何よりです」
脱いだ第四部隊の軍服を見て、レイは慌てた。
「えっと、それキムが貸してくれたの。洗って返さないと……」
「はい、キム伍長から聞いていますので、こちらで返却しておきますから大丈夫ですよ。ご心配無く」
「……キム伍長って?」
「はい、お友達のキム伍長から、今日は街へは第四部隊の制服を着せて連れて行くと報告を聞いておりましたので、これはこちらで返却しておきますからご心配無く」
「えっと、以前、マークとキムは、上等兵だって聞いたけど?」
「ああ、そちらですか。失礼しました。そうですよ。少し前に、お二人共伍長に昇進したと聞きましたよ」
「ええ、そうなんだ。知らなかったや。何だよ二人共、せっかくだからお祝いしたかったのに」
口を尖らせるレイルズを見てラスティは昇進の理由を言うべきか考え、黙って首を振るとその事については何も言わずに畳んだ服を持って一旦下がった。
「後程皆様がお食事をご一緒にと仰られていましたが、もう行かなくてよろしいですか?」
そう聞かれて、思わずお腹を押さえて考える。
ビーフシチューを食べたのはかなり早い時間だったので、このまま何も食べなかったら夜中にお腹が空きそうだ。
「えっと、ちょっとだけ食べようかな。何にも食べなかったら、夜中にお腹が空いて戸棚のビスケットを食い尽くしちゃいそうです」
それを聞いたラスティは。笑って着替えの終わったレイの背中を叩いた。
「では、それまでは自由にしてくださって構いませんよ。行く時にまた、騎士見習いの服に着替えましょう」
一礼して部屋を出ていくラスティに元気に返事をして、レイは机に座った。
机の上の小箱を開き、中から作りかけのものを取り出して作業を始める。
それは、少し前にガンディから教わって作り始めた、全部で七色の紐を使ったまじない紐だった。
細い紐を同時に何本も使って結びあわせ、細い帯にしていくその細かい作業を、案外器用なレイは一度教えてもらっただけですぐに作り方を覚えてしまい、一作目は約束通りにガンディの腕に結んだ。
これは頼んで買って来てもらった材料の色紐で、先日から、レイは帰ってきたら毎日黙々とまじない紐を結んでいるのだ。
箱の中には、既に一本出来上がっていて、今作っているのは二本目だ。
ルーク達が夕食の誘いに来るまで、彼は顔も上げずに黙々と作業を続けたのだった。
その夜、寝る前に久しぶりに蒼の森のタキス達から知らせがあり、まじない紐を結んでいた手を止めたレイは喜んで顔を上げた。
「久しぶり! 皆元気にしてる?」
『ええ皆元気ですよ』
タキスの声が聞こえて、レイは嬉しくなった。
『そっちも元気なようじゃな』
ギードの声に、レイは嬉しくなって大きな声で返事をした。
『どうだ? そっちも寒かろう?』
ニコスの声に、レイは首を振った。
「全然大丈夫だよ。早朝は霜が降りる事もあるけど、雪は、聞いていたみたいに降っても積もらないし、訓練所に行く時は普段はラプトルに乗って行くけど、風のきつい日は竜車を出してくれるんだよ。だから全然寒くないよ。雪かきも無いし、こんなに楽して良いのかなって思うくらいだよ」
『それなら良かった』
三人の笑い声まで、シルフは律儀に飛ばしてくれる。
『そうそう貴方にお礼を言いたくて連絡したんですよ』
『暖かい湯たんぽを贈ってくれてありがとうございます』
『そうだよもう三人共あれが無いと夜は眠れなくなっちまったぞ』
『全くだ良い物を贈ってくれてありがとうな』
それを聞いたレイは、嬉しそうに笑って何度も頷いた。
「良かった。寒い間にちゃんと届いたんだね。僕もここで使ってるけど、あれがあると、寝る時に本当に全然寒く無いんだよね」
『行商人が
ギードの言葉に、現地までどうやって届くのか考えていなかったので驚いた。
でも、考えてみれば当然だ。物が勝手に移動するわけも無いのだから、当然、誰かが冬の蒼の森の彼らの所まで持って行ってくれたのだ。
「うう、こんな時期に森に入らせてしまってごめんなさい。その行商人さんに感謝だね」
雪の降る蒼の森は一気に危険度が増す。タキス達でさえ、遠出する時は相当に気を使って行くのだ。
『心配いらんよ』
『聞くと彼は冬の間も各地へ届け物をしておるから雪の森も慣れておるそうじゃ』
ギードが笑いながらそう言ってくれたので、安心したレイだった。
『それからもう一つ報告ですよ』
『ベラも昨夜卵を産んだぞ』
『今は二匹並んで卵の世話をしておるわい』
タキスとギードの言葉に、レイは目を輝かせた。
「やっぱりベラも産んだんだね。全然産まれたって聞かないから心配していたの。良かった、春には賑やかになるね」
レイはもう嬉しくてたまらない。
『それで貴方にお願いしたいんです』
驚いて座り直した。
「何? 改まって?」
『私達は家畜の出産や子供の世話は知っていますが』
『ラプトルの卵の孵し方や子竜の世話なんてどうやったら良いのか知らないんですよ』
『ギードもさすがに子竜を育てた事は無いと言っています』
『それでどなたか騎竜の子育てに詳しい方がいれば教えを請いたいと思ったんです』
納得して頷いた。
「わかった、明日にでも騎竜のお世話をしている人達に聞いてみるよ。何か分かったら連絡するね」
『我儘言って申し訳ありません』
『でもせっかく授かった命ですから出来るだけ元気に育ててあげたいですからね』
「良いよ、僕もせっかくの子供達だから元気に育って欲しいもん」
笑って答えると、丁度その時寝間着と湯たんぽを持ったラスティが、ノックをして入って来た。
「あ、もう寝る時間だ。じゃあね」
『ええおやすみなさい』
『貴方に蒼竜様の守りがありますように』
『おやすみ風邪ひくんじゃないぞ』
「うん、皆にもブルーの守りがありますように」
嬉しそうに笑って手を振るレイルズを見て、彼は机の上を覗き込んだ。
「おや、蒼の森のご家族からでしたか?」
手を振って消えるシルフをラスティが見ていて、レイは驚いて目を瞬いた。
「ええ? ラスティもシルフ達が見えるようになったの?」
ものすごい勢いで目を輝かせて顔を寄せるレイルズに、思わずラスティは仰け反った。
「いえいえ、違いますよ。でも、伝言のシルフは基本的に我々普通の人間でも見える事がありますよ。今のように、お話しされている時なんかはね」
ぽかんと口を開けている彼を見て、逆にラスティが慌ててしまった。
「ご存知ありませんでしたか? 精霊通信は基本的によほど適性の無い一部の人を除いて殆どの人が使えますよ。お仕事中のシルフ達は、我々一般の人にも姿を見せてくれますからね」
「そっか、光の精霊が明かりを灯してくれてる時には光が見えるみたいに、お話ししている時は誰でも見えるんだね」
「私の場合は、ぼんやりと人型のような白っぽい影が見える程度ですね。声は普通に聞こえます。聞けば大抵の人がそんな風に見えているようですよ」
納得して頷いたが、逆に別の事が気になった。
「えっと、じゃあもしもラスティが精霊通信を使おうとしたら、シルフ達にどうやって頼むの?」
逆に質問されて驚いたようだったが、笑って教えてくれた。
「もし私が誰かと連絡を取りたければ、第四部隊の精霊通信の管理室に行きます。そこで用件を申告してお願いすれば、担当者がシルフを呼び出して、呼んで欲しい人を探してくれますよ」
「へえ、そんな事するんだ」
「街にも、精霊通信で生計を立てている精霊使いがたまにいますね。宿屋や商店などと契約して、連絡を取り合う時に頼んだりしていますね。まあ、それ相応のお金を払いますから、誰にでも簡単に使える手段ではありませんけれどね」
肩を竦めるラスティを見て、レイも納得して立ち上がった。
「それでは、お話はこれぐらいにして、もうそろそろお休みください。湯はお使いになられますね?」
湯たんぽをベッドに入れながらそう言われて、返事をしたレイは、湯を使うために急いで洗面所に向かった。
翌朝、朝練の帰りにルークに昨日タキス達から頼まれた事を話した。
「騎竜の子供の世話か。ここの厩舎の担当者達は、大人の騎竜の世話は詳しいだろうけど、ここでは子育てはしないからな……聞くならロディナの連中だな。って言うか、シヴァ将軍に聞くのが一番早そうだ。彼は精霊竜と騎竜の子育てに関しては多分一番詳しいよ」
「お願いできるかな?」
「それは絶対大丈夫。大喜びで詳しく教えてくれるよ。それなら今すぐ連絡してみると良い。それで頼んで、シヴァ将軍とタキス殿が連絡を取り合って、直接話しをしてもらうのが一番良いんじゃないかな?」
部屋に入って頷いたレイは、そのまま空中に向かって話しかけた。
「えっとシルフ、竜の保養所にいるシヴァ将軍に連絡して欲しいんだけど、大丈夫ですか?」
現れたシルフが頷いてレイの腕に座り、続いて現れたシルフ達もその後ろに並んで座った。そのまま椅子に座る。しばらく後に、先頭のシルフが口を開いた。
『お待たせしましたシヴァです』
「お忙しいところをすみません、レイルズです。えっとシヴァ将軍に聞きたい事があって連絡させてもらいました」
『何でしょうか?私でお役に立てるのでしたらお手伝いいたしますよ』
先日の、子竜達と元気に転げ回っていたレイルズの姿を思い出してしまい、隣で聞いているルークは笑いそうになるのを必死で我慢していた。
「えっと、蒼の森の僕のお家で、今二頭のラプトルが初めての卵を温めているんです。僕の家族は騎竜の世話には詳しいんですけど、子供の世話や、お母さんの世話をどうしたら良いのか分からないって……それで、ラプトルの子育てに詳しい人に色々と教えてもらいたいって言ってるんです。ルークに相談したら、シヴァ将軍に聞くのが一番早いだろうって言われて連絡させてもらいました」
『成る程』
『事情は分かりました』
『それで逆にお聞きしますが初めての卵だと言われましたね』
「はいそうです』
『二頭とも?』
「はい、そうです。一頭が産んだのは降誕祭の始まる前だったの。それでもう一頭も昨日、あ、一昨日産んだんだって聞きました」
『それは……』
不意に黙ってしまったシルフ達を見て、不安に襲われたレイは思わずルークを見た。
「ルークです、何か問題がありますか?」
『ルーク様はい正直言ってそれはかなりの問題ですね』
思わず二人は顔を見合わせた。
『通常ラプトルの卵は降誕祭の前後に産まれます』
『遅くとも年が明けてすぐには産みますので』
『二の月の中頃に入ってからというのはかなり遅いですね』
「遅いと何か問題があるの?」
泣きそうなレイの声に、困ったようにシヴァ将軍は答えてくれた。
『まず通常ラプトルの卵は百三十日から百五十日程度で産まれます』
『丁度春の始め頃ですね』
『ですが二の月に入ってからの卵の場合だと』
『下手をすると孵化するのが七の月に入ってしまいます』
『特に初めての卵の場合は産まれるまで長くなる傾向があります』
『ラプトルの子供は高温に弱いので六の月以降の夏生まれの子は特に育ちにくいんです』
『我々でも夏生まれの子竜を育てるのは容易ではありません』
「そ、そんな……」
本気で泣きそうなレイルズの頭を撫でて、ルークはシルフに話しかけた。
「そちらから、蒼の森のタキス殿に直接連絡していただくことは可能ですか?」
シヴァ将軍も、当然エイベルの一件とその父上の話は聞いている。
『そうですね直接お話をさせて頂きましょう』
『さすがに距離がありますから直接行くことは出来ませんが』
『私達の知る限りの事を教えて差し上げましょう』
『それに直接連絡しておけばいざという時にもすぐに連絡を取り合えますからね』
自信を持って請け負ってくれたシヴァ将軍にお礼を言って、消えるシルフ達を見送った。
「心配だな……大丈夫かな」
俯いてまだ泣きそうになっているレイルズの背中を慰めるように撫でて、ルークは小さなため息を吐いた。
「これはもう、俺達には祈る事ぐらいしか出来ないよ。元気に産まれてきてくれる事を、俺も毎日精霊王に祈ってやるよ」
「うん、ありがとう……きっと大丈夫だよね」
慰めるように現れた何人ものシルフ達にキスされて、ちょっと涙が出たのを必死になって誤魔化したのだった。
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