贖罪と約束

 その知らせは、三の月に入ってすぐにルークからもたらされた。



 丁度その時、レイは四本目のまじない紐が出来上がって五本目に取り掛かっているところだった。

「レイルズ、聞きたくないかも知れないけど言っておくよ。テシオスとバルドの処分が決まった」

 マーク達からも聞かされていたので、小さく息を飲んだレイはしっかりと頷いて顔をあげた。

「うん、どうなったの?」

 手を止めて立ち上がり、しっかりと答えたレイルズを見て少し安心したルークは、座るように指示して自分もその隣に座った。

「二人ともオルダムからの永久追放だ。身分を剥奪の上、エケドラにある精霊王の神殿に見習いとして入る事が決まった」

「エケドラって初めて聞く地名だね。何処にあるの?」

 ルークは黙って立ち上がり、本棚から地図帳を取り出してきた。一番最初の頁の、この国全体が描かれている地図を広げて見せる。

「エケドラはここ。はっきり言って、岩と山しか無いような、文字通り最果ての辺境の地だよ……」

 地図の右端の下の方、タガルノとの国境から近い場所にあるそこには、ごく小さな文字でエケドラ、とだけポツンと書かれていた。

「遠いね……」

 小さく呟いて俯いてしまった。

「精霊王の神殿自体はとても古いよ。山側でブドウを育ててワインを作ってる。見習いなら、そこの葡萄畑で働く事になるだろうね」

 黙って俯いたまま地図を見つめるレイルズに、ルークは本当の事を教えてやった。

「彼らは付き添いの僧兵と一緒に、自分達の足で歩いてそこまで行かなければならない。それも贖罪しょくざいの一つなんだよ。はっきり言って……行くだけでも命がけだ」

 思わず顔を上げたレイルズを、ルークは見返して黙って頷いた。

「クームスまでは街道が通っているからね、まだましだと思うけれど、そこから先は整備された街道は無い。岩だらけの原野の中の道無き道を、野盗の襲撃や野生動物の襲撃に怯えながら歩く事になる。苦労なんかした事の無い貴族育ちの彼らには、本当に……苦難の旅になるだろうね」

 涙を浮かべるレイルズの背中を、慰めるように何度も撫でてやる。

「お前が気に病む必要はない。あいつらが馬鹿だったんだよ……」

 目を閉じて精霊王に祈ったレイは、顔を上げてルークを見た。

「お願い。彼らが行ってしまう前に会えないかな」

「お前……会ってどうするつもりだ?」

 驚くルークに、レイは首を振った。

「僕にも分からないよ。でも、このまま会わずに彼らがいなくなってしまったら、きっと後悔するよ。もう一生会えないでしょう? それは嫌だよ。最後に、ちゃんと話しがしたい……」

「聞くだけは聞いてやるよ。でも、期待するなよ。今の彼らは、要注意人物として軍に全てを管理されてる」

「うん、我儘言ってごめんなさい……」

 黙ってレイの頭を撫でて、ルークは立ち上がった。

「それじゃあ俺は戻るよ。夕食までもう少し時間があるからゆっくりしていると良い」

 もう一度、背中を撫でてルークは部屋を出て行った。

 黙って、レイは一度だけ深呼吸をして、あとは黙々と、無言でまじない紐を結び続けた。






 数日後、ルークから朝食が終わって部屋に戻った時に言われた。

「今日の午前中に少しだけ面会の許可が出たよ。ただし、第二部隊と第四部隊の兵士、及び保安部の士官の立会いが条件だ。どうする? もう行くか?」

 本当に許可されるとは思っていなかったので驚いたが、お礼を言って頷くと立ち上がった。

 服は訓練所に行くための騎士見習いの服を着ている。このままで構わないだろう。

 先ほど外したミスリルの剣をもう一度剣帯に装着して、レイはルークの後について歩いて行った。

 案内された、城の横にある初めて入る大きな建物は、全ての窓に鉄の格子が入っていて、入り口には何人ものシルフ達が並んでいた。

 彼らを見ると、シルフ達は何も言わずに黙って鋲の打たれた鉄製の扉を開いてくれた。

「ありがとうね。ご苦労様」

 笑顔で話しかけたが、そのシルフ達はツンと澄ましたままそっぽを向いてしまった。

「気にするな。ここのシルフは無愛想なんだよ」

 ルークの言葉に頷いて建物の中に入った。



 以前取り調べの時に会ったバイソン少佐が出て来てくれて、彼の案内で地下の部屋に向かった。

 薄暗い廊下の壁には、大きな鉄製の扉がいくつも並んでいる。

 そのうちの一つの前に立ち止まると、バイソン少佐はその扉をノックした。鍵の開く音がして中から扉が開かれる。

 真ん中に机と椅子が並んで置いてある、そこに灰色一色の服を着せられたテシオスとバルドが座っていた。

「テシオス! バルド!」

 部屋に入ったレイは、思わず大声で彼らを呼んだ。

 その声に一瞬ビクッとしたが、二人は俯いたまま顔を上げようとしない。

「レイルズ様。申し訳ありませんが、腰の剣はこちらにお願いします」

 扉を開けてくれた兵士に見慣れた剣置き場を示され、レイは頷いて腰のミスリルの剣を外してそこに置いた。

 ルークは閉まった扉の横に立ったまま、それ以上部屋の中に入ろうとしない。

 バイソン少佐に背中を押されて、レイルズは二人の前に机を挟んで座った。

 久しぶりに見た二人はげっそりと痩せて顔色も悪く、別人のように弱って見えた。

「顔をあげてよ。僕だよ。レイルズだよ」

 今度は優しい声でそっと話しかけた。しかし、彼らは何度も首を振るだけで顔を上げようとしない。

「ねえ、顔を見せてよ。せっかく会いに来たのに、顔も見てくれないの?」

 泣きそうな声でレイルズがそう言うと、始めて彼らが慌てたように顔をあげた。

 目が合って笑うレイルズを見て、二人は小さく深呼吸をして深々と頭を下げた。

「ごめん。本当に俺達が馬鹿だったよ」

「ごめん。会いに来てくれたって聞いて……驚いたけど、嬉しかったよ」

 今にも泣き出しそうな声でそう言って、また二人とも俯いてしまった。

「どうして……」

 何故こんな事をしたのか問いかけようとしたが、レイは口を噤んだ。今更それを問い詰めたところで、もうどうにもならない。

 小さく深呼吸をして、気持ちを切り替えると改めて話掛けた。

「あのね、これを渡したかったの。僕が作ったんだよ。もらってくれる?」

 ベルトの小物入れから、仕上げたばかりのまじない紐を二本取り出した。

「えっと、これを二人の左手に付けてあげても良いですか?」

 振り返って、扉の横に立っていたバイソン少佐に尋ねる。

「一応、確認させて頂いてもよろしいですか?」

 手を差し出す少佐に、頷いたレイは二本のまじない紐を手渡した。

 横に立っていた、第四部隊の竜人の兵士にそれを手渡す。受け取ったその兵士は、両手でその紐を持ち何か呟いた。

 二人の光の精霊が現れて、二本の紐を嬉しそうに何度も撫でた。

『これは主様の守りの願いがこもった良き品』

『綺麗な紐良き紐』

 その言葉を聞いた竜人の兵士は、頷くと何も言わずに少佐にその紐を返した。

「大変失礼致しました。どうぞ」

 バイソン少佐は、深々と頭を下げてレイルズにその紐を返した。

「ありがとうございます」

 受け取ったレイルズは笑顔でそういうと、改めて二人に向き直った。

「えっと、左手を出してくれる? 結んであげるから」

 戸惑う二人に笑いかけると、レイルズはそっと机を叩いた。

 顔を見合わせた二人は、小さく頷くと、おずおずと左腕を机の上に出した。

 レイルズは、その二人の手首に順番にまじない紐を結んだ。

 最後の一本をしっかりと結ぶと、かさかさに荒れた冷え切ったバルドの手を撫でてやる。

「この僕の腕についてるまじない紐は、僕の家族が結んでくれたんだよ。今結んだこれは、僕がガンディに作り方を教えてもらって結んだんだよ。災いから身を守ってくれるんだって。えっと、それで、切れたらそのままにしてね。拾ってまた結んだりしたら駄目なんだって」

「え? どうして?」

 驚いたように顔を上げたテシオスが、初めて口を開いた。

「やっと、口をきいてくれたね」

 嬉しそうなレイルズの言葉に、テシオスはまた俯いてしまった。

「この紐が切れた時って、災いを身代わりに受けてくれた時なんだよ。だから災いを受けたものを持ってるのは良くない事なんだって。だから、知らないうちに無くなってても気にしないで良いんだよ。もし、切れた事に気付いたら、神殿に頼んで焼いてもらえば良いんだって。分かった?」

 冷え切った二人の腕を、もう一度撫でてやる。

「あ、ありがとう……」

「大切にする……ありがとう」

 二人は消えそうな小さな声でそう言うと、俯いたまま泣き出してしまった。

「元気でね。どこにいても友達だよ」

 レイルズのその言葉に、二人は我慢出来ずに大声をあげて泣き出した。

 二人共、差し出されたレイルズの腕を握って何度も何度も謝りながら泣いた。いつまでも、二人の涙は止まる事が無かった。




「そろそろお時間です。もうよろしいですか?」

 遠慮がちなバイソン少佐の声に、テシオスとバルドは握っていたレイルズの手を離した。

「じゃあね……どうか、体には気をつけて。無事に旅を終えられるように、毎日精霊王にお祈りしてるからね」

 そう言って笑うと、促されて立ち上がり部屋を出て行こうとするレイルズに、テシオスは思わず声をかけた。

「待って! レイルズ!」

 驚いて振り返ったレイルズに、テシオスとバルドは顔をあげてはっきりと言った。

「こんな俺を、今でも友達だって言ってくれてありがとう。今の俺には何にも返せない。だから約束するよ。絶対に死なない。何があっても、絶対にエケドラの神殿までたどり着いてみせる。そしていつの日にか胸を張って……俺の友達はオルダムにいる竜騎士様なんだぞって……そう言えるように頑張るよ。だから、だからお前も、何があっても絶対に死ぬんじゃ無いぞ」

「俺も約束する。絶対に何があっても諦めないよ。テシオスと二人、必ずエケドラの神殿まで行ってみせる。どんなに辛くても頑張る。いつかお前の自慢の友達になるよ。だから、だからお前も……」

「うん、約束しよう。絶対に死なないって。何があっても諦めないって」

 差し出された小指を絡め、親指を付き合わせた。

「約束、約束、また会う日まで。絆はずっと結ばれたまま」

 顔を見合わせて笑い合い、そっと指を解いた。

「約束、約束、また会う日まで。絆はずっと結ばれたまま」

 隣にいたバルドとも、同じように指を絡めて歌を歌った。

 二人共、泣きながら一緒になって歌った。



「ありがとうございました」

 深々と頭を下げた二人にそう言われて笑って手を振り、バイソン少佐に促されて、ミスリルの剣を手にしたルークと一緒に部屋を出て行った。

 鉄の扉が完全に閉まるまで、二人はずっとその後ろ姿を見つめていた。



 廊下に出て扉が閉まった途端、レイルズはその場にしゃがみ込んだ。そして顔を覆って大声で泣き始めた。

「ご、ごめん、な、さい……ちょっとだ、け……ちょっと、だけ、だか、ら……」

 しゃくりあげるレイルズの背中を、屈み込んだルークはそっと背中を撫で続け、彼の気がすむまで泣かせてくれた。

 バイソン少佐も、何も言わずに黙って待っていてくれた。




「ご、ごめんなさい。お時間取らせて、しまって……もう大丈夫です」

 ようやく泣き止んだレイルズは、バイソン少佐にそう言って謝ると、ルークが差し出してくれた布で涙を拭った。鼻の頭と目の周りはまだ真っ赤だったが、もう涙は止まっていた。

「それでは戻りましょう。休憩室にお茶をご用意しておりますので、どうぞ、少し休憩なさってからお帰りください」

 まるで何事もなかったかのように、素知らぬ顔でそう言ってくれる気遣いが、今は嬉しかった。



 レイルズ達が出て行った室内でも、扉が閉まった途端に、全く同じように二人が号泣していた。

 精霊達がそんな彼らを黙っていつまでも見つめていた事に、最後まで二人は気付かなかったのだった。

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