相談と大人の事情
「さてと、この後どうするかな」
カップに残った最後のお茶を飲み干して、ルークがのんびりとそんな事を言う。
「せっかくだから、ゆっくりすれば良いではないか?」
ガンディの言葉に、レイとルークは顔を見合わせた。
「普段、何もしない事なんて滅多にないから、何もしないなんて暇があると逆に戸惑うよ」
「あ、僕もそうかも……」
顔を見合わせていた二人は、互いの言葉にほとんど同時に吹き出した。
「えっと、始めに言ってた通り、精霊王の神殿と女神オフィーリアの神殿に行くのは駄目なの?」
「どう思います? 勝手に行って問題になりませんかね?」
ルークの思った以上に真剣な言葉に、レイは心底驚いた。でも口を出さずに黙ってガンディを見つめた。
「ふむ、それはちょっと確認致したほうが良いな。ああ、ご主人。彼らの泊まっている部屋に、我らも入らせていただいてよろしいですかな? もちろん、きちんと代金は払いますぞ」
丁度、近くのテーブルを片付けていたバルナルに、ガンディがそう尋ねる。
「ああ、よろしいですよ。もう一泊されるならお代はいただきますが、少しお話しされる程度なら構いませんよ」
「いやそれは……」
ギードが慌てた様に何か言いかけたが、ガンディは目を輝かせた。
「ならば、今彼らがお借りしておる部屋を、そのまま引き続き使わせてくだされ。取り敢えず、三日間お借りします。延長するならまた連絡しますわい」
冬の始めのこの時期は、宿泊客が少なくなる時期なので、バルナルにとっては有難い話だった。
「畏まりました。皆さまお泊まりに?」
「取り敢えず、この二人。後は……今日の仕事の進み具合次第かのう?」
レイとルークの二人を指差し、そのまま考え込んでしまった。
「あの部屋は、四名まで同じ料金でお泊まり頂けますので、どうぞ好きにお使いください。それ以上の人数でお泊まりになるなら追加のベッド代がかかります」
「了解じゃ。それなら、後は部屋で話すとしようか」
立ち上がったガンディに続いて全員が立ち上がり、ギードの案内でそのまま一同は揃って部屋に上がって行った。
「おお。中々に良い部屋ではないか」
居間のソファーに座って、ガンディは満足げに部屋を見回した。
「本当ですね。なかなか良い部屋だ」
ルークも天井を見上げて嬉しそうにそう言った。
ガンディとレイ、ルークの三人が大きなソファーに座り、モルトナとロッカ、バルテンの三人は別々の大きな椅子に座った。タキスとギードとニコスは、個室から予備の椅子を持って来てそれぞれ座った。
そのまま椅子を置いたニコスがお茶を用意するのを見て、レイが慌てて席を立とうとした。しかし、ニコスは笑ってそれを止めると、手早く人数分のお茶を入れて、まるで熟練の執事の様に音も無く動き、それぞれにお茶とお菓子を出してくれた。レイとルークの前には、もちろんカナエ草のお茶が用意されている。それから、職人の中では唯一の人間であるモルトナの前にも、カナエ草のお茶が出されていた。
「モルトナも、カナエ草のお茶を飲むの?」
蜂蜜を入れながら不思議そうに尋ねると、モルトナは一瞬驚いた様だったが笑って頷いた。
「もちろんです。竜騎士隊の本部に努める人間は全員、普段からカナエ草のお茶とお薬を飲んでいますよ。竜熱症は怖いですからね。カナエ草の薬効成分は、一日程度でほぼ身体から抜けてしまいます。なので、日常的に飲む習慣を付けておかないと、いざという時に身動きが取れなくなります」
初めて聞く話に、レイは思わずルークを見つめた。
「あれ、ガンディから聞いてないのか? そうだぞ。カナエ草の成分は今言った様に、一日程度でほとんど身体から無くなるんだよ。まあもちろん、一日飲まなかったからって、いきなり竜熱症を発症する訳じゃないけど、ある程度以上竜射線が身体に溜まると、熱が出たり咳が出たりして体調が悪くなってくる。後は……胸の痛みや酷い貧血。失神する事だってあるぞ。ここまでは、追加の薬を飲んだり、薬湯をしたりして浄化出来る。それ以上になると……誰かさんがやったみたいな、霊鱗による強制的な浄化処置が必要になるんだよ」
「ああ、確か竜熱症の説明を聞いた時にそんな話を聞きました。うう……お世話になりました」
どれだけ大騒ぎだったのかを思い出してしまい、レイは小さくなって頭を下げた。それを見たルークとガンディが同時に吹き出して、それぞれレイの背中を思いっきり叩いた。
「全く、人騒がせな奴じゃ」
「もう、あんな騒ぎはごめんだからな」
「はい!絶対、ちゃんと毎日お薬もお茶も飲みます」
笑ったルークに頭を揉みくちゃにされて、レイは笑顔で悲鳴を上げた。
戯れ合う兄弟の様な二人を見て周りが和んでいると、横を向いていたガンディの膝の上に、いつの間にかシルフ達が何人も並んでいた。
『私だ』
『どうした? 何かあったか?』
「おはようございます、殿下」
ガンディの声を聞いて、タキスとニコス、ギードの三人とバルテンは慌てた様に立ち上がって別の部屋に行こうとした。しかし、ルークが笑って止めて首を振るとそのまま座る様に指で示す。
それを見て顔を見合わせた四人は、小さくため息を吐いて頷きあうと元の椅子に座りなおした。
「試作の方は順調とはいきませんが、何とか形になってまいりました。まだ色々と訂正せねばならぬ部分がございますので、まだしばらくかかりそうです。このままここで作業を続けて問題ありませんでしょうか?」
ガンディが話しかけるのを、一同は無言で見守っている。
『ええ問題ありません』
『マイリーの為にも納得のいく良き物をお願いします』
『こちらも特に大きな変化はありませんからご心配無く』
「それで、一つ相談がございます。レイルズとルークが、時間があるのでこちらの精霊王の神殿と女神オフィーリアの神殿に参りたいと申しております。勝手に内密に参拝しても問題ございませんでしょうか?」
『ああ……それは……』
話を聞いて途中で考え込んだ皇子だった。
『ルークはそこにいる?』
「はい、ここに一緒におります。レイルズも一緒に」
『さすがに勝手に行くのは不味いな』
『竜騎士がそっちにいるのは神殿側も分かっているだろう』
『逆に正式に行かない方が問題だよ』
『私としては帰る時に全員で』
『正式に行ってもらおうかと考えていたんだがね』
「でも、それだとレイルズも一緒に顔を出す事になりますよね? まだ正式なお披露目をしていないのに、ここで公式の場に出すのは、逆に問題があると思うんですが……」
『帰る時なら良いかと思ったんだが駄目かな?』
「ここには、蒼の森のレイルズの顔を知っている者もいます。なので、正式に顔を出すなら、俺だけにすべきです」
堂々と、アルス皇子と対等に話すルークの姿に、ギード達は驚きを隠せなかった。それは先程までのレイと兄弟の様に戯れて遊んでいたのとは、全くの別人の様な真剣な横顔だった。
『それならこちらから』
『正式に精霊王の神殿と女神オフィーリアの神殿に』
『参拝の連絡を入れてやろう』
『ルークが一人で行って来てくれるか?』
『護衛の者達と一緒にね』
『レイルズには騎士見習いの服を着せてくれ』
『護衛役の第二部隊の者達と一緒に行かせよう』
『それなら構わないだろう?』
「ご配慮感謝します。それなら、今日のところは神殿に行くのは諦めます」
苦笑いして頷くルークの肩をガンディが叩き、二人は揃って肩を竦めた。
「それではまた連絡致します。お時間を頂きありがとうございました」
『ああそれでは出来上がりの連絡を心待ちにしているよ以上』
ガンディの声に応えたシルフ達がいなくなるのを見て、レイはルークをもう一度見た。
「えっと……結局、何がどうして、どうなったの?」
今の話、話自体は分かったのだが、自分達が勝手に神殿に行くのが、なぜ駄目なのか分からない。
不思議そうなレイに、ルークが向き直った。
「あのな。今、このブレンウッドに竜騎士が来てる事は皆知ってるだろう? それで、ここの女神オフィーリアの神殿にエイベル様の全身像があるのも当然皆知っている。となると、さっき殿下が言われた様に、逆に竜騎士が神殿に行かない方が問題だ。ここまでは分かるな?」
頷くレイに、ルークも笑って頷いて説明を続ける。周りの大人達は、それを黙って聞いていた。
「そこで、勝手に行って良いかどうかって話になる。この場合、昨日みたいに第二部隊の服を着て、個人として行くって事だな。そうなると、神殿側は当然その事実を知らないままになる。ところが、俺としては『行って来た』って事になるから、もし俺が何処かでブレンウッドの神殿に行ったって話をしたら……不味いだろう?」
「えっと、つまり行くなら、ちゃんと事前に神殿に知らせて堂々と竜騎士の服を着て行かなきゃ駄目だって事?」
「まあ、そういう事だ。これを大人の事情って言います」
大真面目な最期の言葉に、聞いていた大人達が小さく吹き出して笑っている。
「レイルズよ。よく覚えておきなさい。竜騎士というのは、常に多くの人目に晒される。いつどこに行ったか、何を食べたか、なんて程度ですら話題になるんじゃ。ましてや、特定の何かを気に入ったなんて話を大っぴらにすると、その品物を皆欲しがるから、場合によっては大変な騒ぎになるぞ」
ガンディがまだ笑いながらそう話すと、レイは驚いて目を見開いた。
「ええ! いちいちそんな事言われたら、何にも出来ないよ!」
悲鳴の様な声で叫ぶレイに、ルークは小さく吹き出して肩を叩いた。
「だから、考えて動けって事だよ。例えば、お前は甘いものが好きだろう?」
頷くレイを見て、ルークは机に置かれたビスケットを見た。
「例えば、俺が竜騎士の服を着ている時に、ブレンウッドで食べた何処かのお店のビスケットが美味しかったって、第二部隊の兵士以外の人が大勢いる様な場所で話したとする。それを聞いた人達の多くは、そのお店に行って、竜騎士が食べて美味しかったって言ったビスケットはどれだって探すだろうな。自分も食べてみたくてさ」
「それが問題?」
「以前少し話したろう? お店の人が、分かっていて竜騎士にビスケットを勧めたとしたら、喜んでそのビスケットを沢山作って待ち構えてるだろうな。だけど、そうだな……例えば、それがおじいさんが一人で作ってる様な小さな小さなお店で、近所の子供でも買える様な品だったとしたらどうなると思う? 俺が、そうとは知らずにこれが美味しいんだって話題にしたせいで、おじいさんの所には大人数が一気に押し寄せて、品物をありったけ次から次へと買って行くなんて事だって、起こらないとは限らない。そんな事になったら、一日に作れる量以上に売れてしまって、お店に品物が無くなる。客は当然怒るよな。買いに来たのに商品が無ければ……」
「ものすごく分かり易い例えをありがとうございます。そうか、迂闊に何かすると、思わぬところで誰かに迷惑をかけるかも知れないんだね」
「おお、分かってるな。よしよし。まあ、お前はまだ見習い扱いだからそこまで過激では無いだろうけど……城では注目の的だもんな」
苦笑いするルークに、レイも笑うしかなかった。
「思っていた以上に大変そうじゃな」
ギードの呟きに、ニコスが小さく頷いた。
「まあ、恐らくそうだろうとは思ってましたが……そこはあの子達に頑張ってもらいましょう」
その小さな呟きに、ギードとタキスはこっそりと顔を見合わせて頷きあうのだった。
その後は居間でのんびりと、色々な話をしていた。
レイの初めての喧嘩の話には、初耳のガンディと職人達がテシオスのやる事に一斉に怒り出して、レイとルークが慌ててなだめる一幕まであった。
「元老院の議長の所には馬鹿息子がいるという噂は聞いておったが、噂以上の馬鹿だったとはな」
まだ怒りが収まらないガンディを、レイが隣で困った様に見ていた。
「まあ、とにかくそんな感じで何とか上手くやってますよ。喧嘩の件も、親と話はついていますのでどうかご心配無く」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうかこれからもよろしくお願い致します」
改めて、深々と頭を下げる三人だった。
「それが俺達の仕事ですよ。どうかご安心を」
ルークが笑って立ち上がった。
「さてと、まだ昼食には早いか、後は何をするかな?」
「今日は全然運動してないから、場所があればちょっとでも動きたいな」
レイの言葉に、ルークも頷いた。
「良いな。それなら昼食を食べた後は、午後からは駐屯地に戻って手合わせでもするか?」
「ここにお泊まりになられるのでしょう? ドワーフの若い衆で良ければお相手させますぞ。訓練所はギルドの中にも有りますから、何ならお使いくだされ」
バルテンの言葉に、レイとルークは目を輝かせた。
「おお、それは素晴らしい。ドワーフは皆素晴らしい戦士だと聞きます。ドワーフとはあまり手合わせした事がありませんから、是非ともお願いしたいですよ」
「あ、それならギードとニコスにも相手してもらわないと」
レイの言葉に、ルークがさらに目を輝かせる。
「是非お願いします! じゃあ、早速戻ろう!」
喜ぶ二人を見て、ニコスとギードも顔を見合わせて頷くと立ち上がった。
「我ら如きにとてもお相手が務まるとは思いませぬが、竜騎士様にお相手願えるなど一生一度の機会かと。是非お願い致します」
話がまとまり、ルークが満足そうに頷く。そうして、全員揃って一旦ドワーフギルドに戻る事になったのだった。
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