精霊魔法訓練所

 レイとヴィゴを乗せたラプトルは、城を大回りして、東側にある精霊魔法訓練所の建物に来ていた。

「ここが精霊魔法訓練所だ。ラプトルはここで降りるぞ」

 建物の前にある広い庭で止まったヴィゴにそう言われても、無意識で後ろに止まったレイは、咄嗟に返事も出来ない程に目の前の建物に目を奪われていた。

「……上から見てもよく分かった、双子の塔の建物だ!」

 それを聞いたヴィゴは、彼もレイの視線を追って上を見上げながら頷いた。

「確かに、上空から見てもこの建物はすぐに分かるな」

「竜騎士隊のあった建物も二つ並んでるけど、ここみたいに全く同じじゃないもんね」

 止めたラプトルから降りながら、目を輝かせてそう言うレイにヴィゴも笑って頷いた。

「今から我々が行くのが右側の塔だ、左側は精霊特殊学院。まあ、どちらもする事は精霊魔法の勉強なのだが、精霊特殊学院は、基本、未成年の子供が併設された学校に通いながら学ぶ場だ。対して、レイルズが今から行く精霊魔法訓練所は、身分を問わず、主に成人した一般人や兵士、貴族などが通う」

「僕は未成年だけど、こっちでいいんですか?」

 不思議そうに尋ねるレイに、ヴィゴは肩を竦めた。

「お前が、学校に行った事があり、ある程度の知識があるのなら途中編入という形で精霊特殊学院に入れても良かったのだがな。あそこは、ある程度の年齢別で組が分けられている。今のお前の知識では、どう考えても一般の授業に付いていけまい」

 歴史と地理が全く分からなかった事を思い出して、レイは情けなさそうな顔になった。

「だからな、それなら知識に応じて個人授業を併設出来る、精霊魔法訓練所の方が良いと言う事になったのさ」

「うん、確かに僕には無理だね」

「訓練所の方にも、年齢の近い生徒は大勢いるだろうから、友達が出来ると良いな」

「友達……出来るかな?」

 レイにとっては未知の言葉だ。本で読んで憧れはあるが、友達を作るのにどうすれば良いのか全く分からなかった。

「まあ、難しく考えるな。お前はそのままでいいさ」

 笑ったヴィゴに背中を叩かれて、建物に入るその大きな背中を追った。

「待ってヴィゴ。ラプトルはあのままで良いの?」

「ああ、大丈夫だぞ。ほら」

 振り返って指差す先を見ると、ラプトルの背には、それぞれシルフが座ってくれていた。

「あ、ここでも番をしてくれるんだね。よろしくね」

 笑いながら手を振ってから、慌ててまたヴィゴの後を追った。




 建物に入った所で待っていた女性と一緒に、案内されて一室に通された。

「ヴィゴ様、ようこそ。お待ちしておりました」

 そこにいたのは、中々に横幅を取った見事な丸い体型の男性だった。

 ……うん、これは絶対軍人さんじゃないな。などと、レイが心の中で思っていると、その男性はレイの前に来て右手を差し出した。

「ようこそ、古竜の主よ。私はこの訓練所の所長と精霊特殊学院長を兼任しております、ケレス・ウォンザと申します」

「よろしくお願いします。レイルズ・グレアムです」

 握った掌は、予想通りタコの一つも無く柔らかだった。しかし、右手中指には見事なペンだこが出来ていた。

「ここでは、身分を問わず誰もが平等に学ぶ環境です。その為、貴族階級及び軍人の方であっても、そのままお名前で呼ぶのが慣習です。なので、貴方もレイルズと呼ばせて頂きます」

 竜騎士隊以外の兵達からは、全て様付けで呼ばれていたので、逆に呼び捨てにされて何だか嬉しかった。

「今日は、マークの授業に同席させてみます。話を聞くだけならば、聴講生という形で構いませんか?」

「ああ、構いませんよ。では手続きしている間に学院内の施設の説明をさせて頂きます。彼女と一緒に行ってください」

 ケレス学院長が紹介してくれたのは、マイリーのような褐色の肌を持った長い黒髪の女性だった。

「アルマと申します。学院の事務員をしております。新入生の案内や相談も担当しておりますので、何か分からない事がありましたら、いつでも遠慮無く聞いてください」

「レイルズです。よろしくお願いします」

 彼女は順に、教室や図書室、資料室、いくつもある大小様々な講義を聞くための教室や食堂などを順番に案内してくれた。

 今は授業中らしく、それぞれの教室には人がいた。数人で勉強している部屋もあれば、数十人が一緒にいる部屋もある。皆、真剣に勉強していた。

 精霊魔法の訓練をするための特殊な結界を張られた部屋の説明を聞いて、レイは感心したように呟いた。

「そうか、初めてでも結界を張った場所ですれば、周りに迷惑をかけないんだね」

 いくつも並んだ訓練用の部屋を見ながらそう呟くと、ふと心配になった。

「あの、聞いてもいいですか?」

「はい、何でしょうか?」

 足を止めたアルマが振り返ってくれた。

「訓練室に結界が張ってあるけど、カマイタチって、力加減を間違えると壁に当たって跳ね返ってきたりしませんか? 僕は、危ないから慣れるまでは絶対に室内では使うなって家族に教えられました」

「ああ、レイルズはある程度精霊魔法を使えるんですね。もちろん普通の部屋ならばそうです。危険ですから初心者は絶対に室内では使ってはいけません。ですが、ここは初心者の為の訓練所ですから、当然その為の処置がしてありますのでご心配無く」

 アルマの言葉を聞いて、逆にレイは驚いた。

「その為の処置って、どうやってるの? あ、どうやってるんですか?」

 慣れない言葉使いに苦労しているレイに、アルマは少し笑ったが何も言わずに部屋の壁を指差した。

「これらの訓練室の壁には、上位のシルフやウィンディーネ達の守りが施されています。つまり、訓練生程度のカマイタチやカッターでは、全て壁に吸収されてしまいますので大丈夫なんです。もしも、暴走して大きな力が加わったとしても、壁が割れるだけで全て吸収するように作られています。まあ、今まで壁を割る程の精霊魔法の技を使った者は数人ですけれどね」

 納得したレイが頷いて部屋を覗き込むと、中では二人の騎士見習いの服を着たレイとそれほど年の変わらないであろう少年達が訓練をしていた。

 しかしまだ、カマイタチが上手く出来ないようで、何度も失敗しては泣きそうになっていた。

「頑張れ!」

 小さく呟いて、女性の後について次の場所に向かった。




 しかし、部屋の中にいた二人は、女性に案内されて部屋を覗いていたレイに気付いていた。

「何だよあいつ。覗き込んで笑ったぞ」

「くそ。俺達が出来ないからって、馬鹿にしやがった」

 その言葉を聞いて、同席していた教授が顔をしかめた。

「お前達は、そうやって見掛けばかり気にするから、いつまで経っても上達せんのだ。今年一つも単位が取れなかったら強制退学だぞ。分かってるのか?」

「ちゃんとやってる!」

「出来ないのは、お前の教え方が悪いんだ!」

 癇癪を起こした二人に、教授は大きなため息を吐いた。

「何度言ったら分かる! 教授か先生と呼べ! どんなに偉い親であっても、ここではお前達はただの学生だ!」

「……覚えてろよ」

「俺達が偉くなったら、絶対罷免してやる!」

 真っ赤な顔でそう吐き捨てる二人に、さすがの教授も我慢の限界だった。

「テシオス! バルド! 二人共しばらそこに立ってろ!」

 壁際を指差して怒鳴られても、二人はそっぽを向いたまま動こうとしない。

「シルフ。連れて行け」

「ああ。ずるいぞお前!」

「そうだ!仕事しろ! 俺達が魔法を使えるようにするのがお前の仕事だろうが!」

 突然現れた大きなシルフ達に引き摺られて壁際に無理矢理立たされながら、二人はまだ喚くのをやめようとしなかった。

「全く、ここを何だと思ってる。託児所じゃ無いぞ」

 もう一度大きなため息を吐いて、まだ文句を言っている二人を睨みつける教授だった。




 学院内を一通り案内されたレイは、もらった資料を持って先程の部屋に戻った。

「昼食を用意させますので、私もご一緒させて頂きます」

 学院長にそう言われて、さっき案内された食堂へ行くのだと思っていたレイは、残念そうにヴィゴを見た。

「以前、俺が食堂に行ったら……まあ、大騒ぎになってな。それ以来面倒を掛けるが、必要な時には部屋で食事をさせて貰っている」

「えっと、つまり竜騎士であるヴィゴを見て学生さん達が騒いだって事?」

「そうだ。覚えておけよ。いずれお前もこうなるんだからな」

「ええ、自由にご飯も食べられないって嫌だな」

 困った顔になるレイを見て、ケレス学院長は思わず吹き出した。

「し、失礼しました。まあ、レイルズはまだ見習いですし、お披露目もされていませんからね。顔を知る人は限られていますからその点はまだ大丈夫かと」

「そうですね。もしも、何か問題が出るようなら対処しますので、いつでも知らせてください」

 ちょうどその時、食事を乗せたワゴンが運ばれてきて、一旦話はそこで終わった。

 三人で食事をしながら、今までレイがどんな生活をしていたのか、また、使える精霊魔法について聞かれるままに話した。

 食後のお茶を飲みながら、レイはこれから始まるここでの生活が楽しみで仕方がなくて、笑顔になるのを抑えられなかった。

「それじゃあ、俺は後で行くからアルマと一緒に先に教室に行っててくれ。ああ大事な事を言い忘れていた。ここでは俺の事はヴィゴ様、もしくは教授か先生と呼べよ。間違っても呼び捨てにするなよ」

 片目を閉じて、笑いながらそういうヴィゴに、レイは納得して頷いた。

「分かりました、ヴィゴ様!」

「ははは、よろしい。それでは後でな」

 笑いながら立ち上がったヴィゴは、ケレス学院長と一緒に部屋を出て行った。

「では、ご案内します」

 来てくれたアルマに連れられて、レイは胸を弾ませながら、初めての教室に向かった。




「それでは、ここでお待ちください。ああ、そこの本棚の本は好きに読んで頂いて構いませんよ。筆記用具はこちらのトレーに。それから、これが今日の聴講生の為の学生カードです。講義の間は、このように机の見えるところに置いてください」

 案内された机の上には、筆記用具やノートが置かれていた。

 差し出された小さな黄色い紙のカードには、聴講生、と書かれていて、レイの名前が書かれていた。

 言われた通りに机の端にそれを置き、レイは本棚を見に行った。

 何冊もの精霊魔法に関する本に目を輝かせたレイは、そのうちの一冊を手に取ると、その場で立ったまま開いて読み始めた。

 初心者にもわかりやすく精霊達の系統の基礎について書かれたその本を、レイは場所を忘れて夢中になって読み耽った

 部屋に、誰か入って来た事にも気付かない程に。




 その日、マークは朝から憂鬱だった。

 今日は、竜騎士であるヴィゴ様が教えに来てくれる日なのだ。

 新しい教授が来てくれると言われても、すっかり自信をなくしていたマークにとってみれば、また失望される未来しか見えなくて落ち込むだけだったのだが、誰が来るのか直前に知らされて、もう完全にパニックになった。

 どう考えても、自分ごときに竜騎士様が来て下さる理由が見つからない。

 しかし、まだこんな自分を見捨てずにいてくれている人達の為にも、もう一度だけ頑張ってみようと心に誓ってヴィゴ様の授業を受け始めた。

 しかし結果はやはり芳しくなく、明らかにヴィゴ様も戸惑って困っている様子なのが分かった。

 そんな時に国境での騒ぎが起こって授業は当然中断となり、結局まだ数回しかヴィゴ様との授業が出来ていない状況だ。

 今日は、今月二度目のヴィゴ様との授業の日だ。

 教室で竜騎士様と二人っきりで受ける授業に、キムは心底羨ましがっていたが、マークにしてみれば、嬉しくもあるがいじめの種が増えた事も意味していた。

「いったいどんな伝手を使ったんだよ」

「平民風情が竜騎士様の手を煩わせるなんて」

「生意気だとは思ってたけど、これは我慢出来ないよな」

 あからさまに聞こえるように言われる、子供じみた悪口にももう慣れた。

 それに、どうやらマークを目の敵にして苛めているのはほんの数人で、後は、彼らが怖くて黙っているか、真似て苛めるふりをしているだけなのが分かってきたのだ。

 堂々とマークに味方してくれるのはキムだけだったが、隠れてこっそり連絡事項を伝えてくれたり、隠されたノートを黙って見えるところに置いてくれたりと、苛められてもへこたれずに真面目に勉強しているマークを、密かに応援してくれる人達も出始めていた。




「失礼します」

 誰もいないが、一応教室に入る時にはそういう事にしている。

 しかし、その日は驚いた事に先客がいた。

 その人は、扉に背を向けて本棚の前に立っている、どうやら立ったまま本を読んでいるようだ。

 ふわふわの真っ赤なくせ毛の青年が身に付けているのは、騎士見習いの服だ。つまり、マークを苛めている彼らが着ているのと同じ服だ。腰には見事な拵の剣も見える。

 思わず部屋を間違ったかと焦ったマークだったが、部屋番号はここで間違い無い。

 マークに気付かない彼に何と声を掛けようか困っていると、背後から声が聞こえた。

「どうした? 入りなさい」

 思わず直立して敬礼したら笑われた。

「言っただろうが。ここでは敬礼は不要だと」

 肩を叩かれて、一緒に部屋に入ったところで中の人物にヴィゴが声を掛けた。

「ああ、レイルズ、こっちへ来て座りなさい」

 振り返ったその青年とマークは、この時初めてお互いの顔を見た。



 それは、生涯の友となる二人の、記念すべき初めての出会いの日となった。

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