出来ました!
「あ、ヴィゴ……様」
本から顔を上げて振り返った青年は、名前を呼ばれて我に返ったようで、慌てて本棚に読んでいた本を戻した。
「すみません。つい本に夢中になっちゃいました」
照れたようにそう言って謝る姿を見て、なんとなくマークは安心した。
彼は、自分を苛める貴族の連中とは違うと、何故か不思議と確信が持てたのだ。
「えっと、レイルズです。今日は勉強の為にご一緒させてもらいます。お邪魔してごめんなさい」
マークに向かって深々と頭を下げられて、彼も慌てて居住まいを正した。
「初めまして。マークと申します。どうぞよろしくお願いします」
向かい合って挨拶する二人を、ヴィゴは後ろで面白そうに見つめていた。
「レイルズはちょっと訳ありでな。今は表向き俺が身元引き受け人になっている。彼は今迄、他人の中で暮らした事が殆ど無い。人に慣れさせる為にもしばらくここで学ばせる事にした。急で申し訳ないが、今日の授業に彼も同席させてもらおうと思って連れて来た。構わないだろうか?」
「も、もちろんです。無理をお願いしてるのは此方ですから」
マークが慌てたようにそう言って、何度も頷いた。
「それじゃあ、立ち話もなんだ。座りなさい」
促されてそれぞれに席に着いた。
今までも、前半は精霊魔法に関する話などをして、その後、精霊魔法の実地訓練の為に結界の張られた教室に移動するのだ。
レイを加えた三人で話をすると自然と会話はレイの事になる。その際に、マークは彼について意外な事実を知った。
騎士見習いの服を着ているから、てっきり貴族のお屋敷から出た事の無い、世間知らずの箱入り坊っちゃんだと思っていたが、自由開拓民の村に生まれ、母親を亡くして森の住民と共に暮らしていた為、見知らぬ他人との接触が今まで殆ど無かったのだと教えられたのだ。
呆気にとられたマークだったが、何となく勝手に事情を察した。
ヴィゴ様は、表向き自分が身元引き受け人になっている、と言われた。
という事は、恐らく彼の父親は相当な身分のある貴族なのだろう。理由は分からないが、母はその屋敷から出て自由開拓民になって彼を産み、だが、その母親が亡くなった事で身寄りが無くなり、それを知った父親が引き取ったのだろう。しかし、引き取ったは良いがまだどうなるか分からないので、表向き誰か別の人物を身元引き受け人にして、まずは一通りの勉強をさせているのだろう。
それは実際に、庶子の身の上としては十分にあり得る出来事だった。
「大変だったんだな」
同情の視線を向けられたレイだったが、笑って首を振った。
「皆、親切にしてくれたよ。ここに来てからだって同じ。周りには、本当に助けてもらってばかりなんだ」
無邪気なレイのその言葉に、何故かマークの目に涙が浮かんだ。
「そうか、良かったな。そうだよな。貴族の中にも親切な人っているんだよな」
突然涙を浮かべて何度も頷くマークに、レイは慌てた。
「ええ、待ってよ。どうしてマークが泣くの?」
「ご、ごめん。ちょっと俺、他人の親切話に弱いんだよ。しかし、物語みたいな話って本当にあるんだな」
苦笑いして首を振ったレイだったが、話を変えるようにマークを見て質問してきた。
「マークの事、聞きたいです」
レイの言葉に、今度は彼は照れたように笑って肩を竦めた。
「俺は辺境の農家の八男です。まあ、口減らしというか……志願兵の受付年齢が十六歳からなんで、その年齢になってすぐに志願したんです。そんな奴は多いですよ。それで、一年間の訓練期間を終えて。正式に軍に雇ってもらいました。辺境の砦にいたんだけど。、その……突然、精霊が見えるようになって、ここに配置転換されて、今、精霊魔法の勉強中です」
言葉遣いに関しては、気にしなくて良いと最初に言われたが、まだ、どんな風に喋ったら良いのか分からないマークだった。
「精霊魔法を勉強中なんだね。何が出来るの?」
無邪気なその質問に、マークの胸が痛んだ。
「待て待て、焦るなレイルズ。なら部屋を変えよう。訓練室へ行くぞ」
笑ったヴィゴがそう言い、二人も元気よく返事をして立ち上がった。
その時、ヴィゴの肩にシルフが現れて何かを彼に耳打ちした。
「公が? ……分かった、ちょっと待っててくれ」
苦笑いしたヴィゴが二人を見た。
「すまん。ちょっと込み入った話がある。すぐに行くから先に訓練室に行っててくれるか」
扉を指差すヴィゴに、二人は頷いて、筆記用具を持ってそれぞれ部屋を出た。
机に並んだシルフと真剣な顔で話を始めたヴィゴを見て、レイは黙って扉を閉めた。
「えっと、訓練室って?」
「ああ、こっちですよ。ついて来て下さい」
今日初めてここに来たと聞かされていたので、マークは先に立って訓練室に向かった。
いつも使っている部屋に到着して待っていたが、ヴィゴは一向に現れない。
「お忙しそうだったな」
「そうだね、何かあったのかな?」
不安な二人だったが、その答えはここには無い。何となく会話が途切れてしまい、二人とも内心で焦っていた。
「えっと、マークはどんな魔法が使えるの?」
レイの言葉に、マークは自分の今の状態を話した。話していて、また情けなくて泣きそうになったが事実なので認めるしか無い。
「光の精霊魔法が使えて、風の精霊魔法のカマイタチが出来ない?」
改めて本人の口から聞かされてレイも首を傾げた。
タキスから聞いた話では、カマイタチは、初心者が最初の頃に習う風の精霊魔法のいわば初心者でも出来る技の筈で、光の精霊魔法はもっと難しい筈だ。
「えっと、その光の精霊魔法って見せてもらえる?」
レイの言葉に頷いたマークは、左手の支給品の指輪を見て呼びかけた。
「ウィスプ、出てきてくれるか?」
指輪が一瞬光って、三人の小さな光の精霊達が現れた。彼らは、仲良くなって指輪に入ってくれた初めての精霊達だ。どうやら、子供の頃に見た、あの精霊達らしい。指輪には、他にもシルフが二人入ってくれている。
「あ、三人もいるんだね」
無邪気な言葉に、マークの方が驚いた。
「ええ! レイルズも見えるの? こいつらが!」
「うん見えるよ」
簡単に言われて、マークはちょっと焦った。
今の訓練所で、光の精霊魔法が出来る生徒はマークだけだ。他の生徒よりも唯一抜きん出ていたそれも、どうやらここまでのようだ。
ちょっと悲しくなったが気を取り直して、光を強くするライトと、一瞬だけ強い閃光を放つフラッシュをして見せた。
「すごいね。僕の精霊達はこの子達だよ」
レイが呼び出した五人の光の精霊は、見た事が無い程の大きな子達だった。
レイも、ライトとフラッシュを見せてくれた。
お礼を言ってそれぞれ指輪に戻ってもらい、今度はそれぞれにシルフを呼び出した、
しかし、マークが何度やっても、やっぱりカマイタチは上手く出来ない。
レイルズはいとも簡単にカマイタチをやって見せてくれたが、やっぱりどうやっているのかマークにはよく分からなかった。
「教授達が、皆揃って必死で教えてくれるんだけど、風をまとめて強くするって言われても、さっぱり分からないよ。きっと才能無いんだよ、俺……」
また落ち込みかけたマークだったが、レイはしばらく俯いて何か考えていたようだったが、突然目を輝かせてマークを見た。
「ねえ、マークは農家出身だって言ったよね」
「ええ、そうですけど。それが何か?」
「麦は? 麦は育てた事ある?」
突然始まった農家の作物の話に、マークは首を傾げた。
「もちろんありますよ。小麦粉は手間は掛かるけど、自分達も必要だし、粉になるまで手間をかければ、高く売れますからね」
「じゃあ、僕がやった方法なら上手くいくかもしれない」
嬉しそうに話すレイの言葉に、マークは頷いた。この際、何でも良いから試してみたかった。
「その方法、教えて下さい!」
直立するマークに、レイは笑った。
「そんな緊張しないで。簡単だよ」
二人並んで、目標の細い木の枝が立っている方を向く。
それは、床に作られた穴に差し込まれた指ほどの太さの木の枝だ。これを切る事が出来ればカマイタチが出来たと言って良い。腕ほどの太さの丸太を切れたら、カマイタチの課題は合格だと言われている。
「目を閉じて。ゆっくり息をしてね」
レイの言葉に、マークは頷いて目を閉じる。呼吸は意識してゆっくりだ。
「思い浮かべてね。目の前には、今から収穫する麦畑が広がってる。どれも沢山の実が付いた立派に育った大きな麦だよ」
頷くマークを見て、レイは言葉を続ける。
「じゃあ、これを今から収穫します。右手には良く切れる鎌があるよ。まずは左手で麦の束をしっかり掴むよね」
言われるがまま、無意識に左手で麦を掴む動作をするマークを、レイは嬉しそうに見つめていた。
「今からその掴んだ麦を刈り取るんだけど、その時に右手でカマイタチを出して麦を切る、って考えてみて」
目を閉じたまま頷くマークに、レイは合図した。
「しっかり掴んで、はい、切る!」
軽く握った右手を振り下ろした瞬間、物凄い音がして巨大なカマイタチが発生した。それは立てられた枝を一瞬で断ち切り、背後の壁にまで到達して巨大な亀裂を作り出して止まった。
「うわあ、すごい威力。これのどこが出来ないんだよ、マーク」
呆然とするマークに、呆れたようなレイの声が聞こえた。しかし、彼の頭は完全にパニックになっていてとても返事をするどころではなかった。
「俺、今……何をした?」
「良かったね。カマイタチが出来たよ」
冷静なその声に、ようやく実感が湧いてきて膝が震えた。
その時、物凄い轟音を聞きつけた何人もの教授達が、何事かと血相を変えて部屋に飛び込んで来た。
壁に走った巨大な亀裂を見て、全員が全く同じ表情になった。つまり、驚きのあまり口を開けて目を見開いた状態だ。
そして、その後無言で全員がレイを見た。
「あの……お手柔らかに願います。ここは初心者の為の学校でして……」
当然といえばそうだが、誰もマークがこれをやったとは考えていない。
そんな教授達を見て、レイは笑って首を振った。
「僕じゃ無いです。これをやったのはマークだよ」
その言葉に、また全員が同時に同じ動きをする。つまり、一斉にマークを振り返ったのだ。明らかにその表情は信じていない。
「もう一度やって見せてよ、マーク。大丈夫、絶対もう出来るよ」
目の前には上半分がすっぱりと見事に切られた枝が、倒れる事もなくそのまま立っている。
「分かった。もう一度やってみる」
信じてくれない教授達に悲しくなったが、気を取り直して軽く深呼吸をして、もう一度頭の中で言われたように麦を刈り取る自分を思い浮かべる。今度は、先程よりも軽い力で切ってみた。
発生したカマイタチは、残っていた枝10セルテ下を見事に断ち切って消滅した。力加減も完璧だ。
それを見た教授達は、また驚きに目を見開いた。
「一体どうやって……?」
「レイルズが教えてくれたやり方でやってみたら、出来たんです」
照れたようにそう言って、レイを見る。彼も満面の笑みで握りこぶしを差し出してくれた。側に行って自分も握りこぶしを差し出してぶつけ合う。
「上手くいったね。じゃあ、カッターもやってみる?」
「お願いします!」
もはや、どちらが年下か分からなくなっていたが、二人とも気にしていなかった。
夢中になって話し始めた二人を見て、教授達は揃ってため息を吐いた。
「どうやら大丈夫なようですね。後ほどこの部屋は補修しておきます。二人とも、この部屋は修理が終わるまで使用禁止にするから、練習するなら隣の部屋を使いなさい」
一人の教授が、それを聞いて慌てて隣の部屋の鍵を開ける。揃って元気な返事をした二人は、そのまま隣の部屋に移動してまた話を始めた。
「ヴィゴ様はどうされた?」
付いてきた教授の質問に、マークが振り返った。
「伝言のシルフ達とお話をされてます。お忙しそうだったので、先に訓練室に行っているように言われて来ました」
納得した教授の一人が、二人と一緒に訓練室に残った。他の教授は、苦笑いしてそれぞれ戻って行く。
「それではヴィゴ様が戻るまで私が立ち会おう。構わないから好きにやってみなさい」
教授も興味津々だった。
あれだけやって、誰もマークに教える事が出来なかったのに、レイルズが少し教えただけであれ程の威力のカマイタチを放ったのだ。しかも、二度目に放ったカマイタチは、力加減も完璧だった。
「じゃあ、カッターだね。これは水を使って物を切る技だから、思い浮かべるのは大きな水袋。パンパンに水が入ってて、今にもはち切れそう」
動物の革などを使った水袋は、軽い上に使い終わった際に畳めるから場所を取らない為、農家などで水を運ぶ際などに使われる事が多い。水瓶ごと運ぶのは重くて大変だからだ。
目を閉じたマークが頷くのを見て、レイは続ける。
「手に持っているのは、先の尖った千枚通し。今からその袋に突き刺して小さな穴を開けるよ。抜いた瞬間に吹き出してくる水がカッターだよ。良いね? 一気に吹き出して来るから、水袋を押してその水で目標を切るの」
頷いたマークを見て、レイはまた合図をした。
「いくよ、一気に突き刺して抜く!はい押して!」
その瞬間、マークの指からごく細い水が吹き出して立ててあった枝を見事に絶ち切った。今度は壁に水が掛かっただけで裂ける事は無かった。
「すごい! ちゃんと出来たよ!」
拍手をするレイに、マークは泣きながら抱きついた。
「あ、ありがとう。レイルズ……俺、俺、ちゃんと出来たよな」
「うん、ちゃんと出来たよ。すごいね、力加減も完璧だよ」
「ありがとう……ありが、とう……」
レイに抱きついたまま、声を上げて泣き出したマークを困ったように見たレイだったが、笑って力一杯抱きしめてやった。
「泣き虫マーク、泣き虫マーク、そんなに泣いたら大変だ、真っ赤なお目々の兎になるよ。跳ねたらぴょんぴょん天まで届く。戻って来たとてまた大変だ。涙の雨がざあざあざあざあ降り止まぬ」
からかうように泣き虫をからかう歌を歌われて、マークは顔を上げてレイの真っ赤なくせ毛をくしゃくしゃにした。
「年上に向かってなんて態度だ! こいつめー!」
歓声を上げて、今度はレイがマークの脇を擽る。
「うひゃあ! ごめんごめん!」
二人は顔を見合わせて同時に吹き出し、声を上げて笑い合った。
丁度その時、話を終えて急いで戻ってきたヴィゴは、部屋で笑いながら戯れ合う二人を、扉を開けたまま何があったのか分からずに不思議そうに見ていた。
駆け寄った教授の言葉を聞いて、そのまま隣の部屋を見せられて呆気にとられて、まだ笑っている二人を改めて見た。
「……精霊王の采配だな、これは」
それは、出会う事で、お互いやまわりにとってより良い意味を持つ関係になれる者達を指す言葉だ。
「今日、連れて来て良かったようだな」
満足そうに小さく呟いたヴィゴは、手を叩きながら部屋に入った。
歓声を上げて口々に報告する二人に、何度も頷いたヴィゴもまた、笑顔になるのだった。
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