帰還と報告

 降る様な満天の空の下、ヴィゴとルークは王都へ向かっていた。

 二人とも口を開かず、時折お互いの位置を確認するために顔を上げる以外は、全く無言のままの夜間飛行だった。

 長い時間真っ暗な中を飛び続け、ようやく前方に王都の塔に灯された明かりが見えてきた時、図らずも二人の口からは同時に安堵のため息がもれた。

「こんなに王都の明かりが恋しかった事は……今までありませんでしたね」

「全くだな。光が見えただけでこんなにも安心するものなのだな」

 思わず零したルークの言葉に、ヴィゴも同意する様に小さな声で答える。

 やがて竜騎士隊の本部のある見慣れた塔が見えてきた時、ようやく二人の顔にも笑顔が戻った。

「ヴィゴ……あの件って、どうするんですか?」

「とにかく、先にマイリーと殿下に報告するからお前も一緒に来てくれ。その上で相談して対応を考える。すまんが、他の者達には対応が決まるまでしばらく黙っていてくれるか」

 恐らくそうなるだろうと、見当をつけていたルークは頷いた。

「了解です」



 本部の横の広場には、大きな篝火がいくつも焚かれ、第二部隊の兵士が手を振っているそこだけが、真昼の様な明るさになっていた。



「こんな遅くにすまんな。ありがとう。よく労ってやってくれ」

 竜の背から降り、額を撫でてから駆け寄って来た第二部隊の者達に竜を任せると、二人は出迎えたマイリーと一緒に本部の中に入って、用意してあった会議室に落ち着いた。



「お疲れ様。無事の到着で安心したよ。もう、夕食は食べたのか?」

 振り返ったマイリーにヴィゴは笑って頷き、ニコスの手製の弁当を食べた話をした。

「それは羨ましいな。俺は仕事しながら携帯食を齧っただけだぞ」

 お茶の用意をしながら、苦笑いしているマイリーの背中をヴィゴは遠慮なく叩いた。

「いつも言ってるだろうが。食べる事を疎かにするな」

「馬鹿力で叩くな、骨が折れたらどうしてくれる」

 態とらしく痛がるマイリーに、少し離れたところにいたルークは驚いていた。

「へえ、あの無表情の見本って言われてるマイリーも、ヴィゴと二人ならあんな顔するんだ」

 感心した様に小さく呟いて笑った。

「何だ、なにがおかしい?」

 目敏くそれに気付いたマイリーに言われて、ルークは肩を竦めた。

「いえ、帰って来たんだなって思って安心したら、ちょっと腕が痛くなって来ました」

「大丈夫か?」

「ええ。まあ、こんなもんです」

 誤魔化している事には気付いているだろうが、マイリーは別に、それ以上何も言わなかった。



 四人分のお茶の準備が整った頃、二人の帰還の知らせを受けたアルス皇子が、部屋に入って来た。

 直立して敬礼する二人に返礼すると、笑って座る様に示した。

「おかえり。それで、向こうの生活はどうだった? 父上が話を聞きたがっていたから、後で聞かせてやってくれ」

 座った二人は顔を見合わせて、先に問題の話をする事にした。

「まあ、そちらは話に聞いていた通り、中々に良い生活をしておるようでした。しかし、その話をする前に……緊急性の高いと思われる報告をします」

 慎重なヴィゴの声に、マイリーとアルス皇子は揃って飲んでいたカップを置いて顔を上げた。

「何事だ? 何かあったのか?」

 手元の分厚い書類の束を開いて、マイリーが心配そうに言った。

「実は、帰り道の途中でとんでも無いのと出会いましてな……」

 帰りの道中で出会ったアルカディアの民の事、その際にその二人から聞いた話を、ヴィゴは記憶にある限り、出来るだけ聞いた通りの言葉で話した。



「セヴィオラとマルトー、確かに蒼の森一帯を拠点としている比較的住処の安定しているアルカディアの民だ。確かもう一人いたはずだが、そいつがタガルノへ代表して行ってるわけだな」

「彼らの名前まで分かってるんですか?」

 マイリーが当然の事のように話すのを聞いて、ルークは驚きの声を上げた。

「誰かさんが怪我をしてから、こちらは分かる限りのアルカディアの民について調べているんだよ。昨日の報告から後も、六人のタガルノ入りを確認している。ああ……そう言えばまだ確定では無いが、お前に矢を射た男も分かったぞ」

 驚きに目を見開く二人に、マイリーはやや得意そうに笑った。

「うちの諜報部隊は優秀だからな。ああ、こいつだ。通り名はガイ、比較的若いと思われるアルカディアの民だ。この所、タガルノでの傭兵活動が多かったようだな。金にでも困っていたかな?」

「へえ、誰だか分かったんだ。ま、会ったところで気付かないだろうけどな」

「確かに。相手が名乗ってくれたら分かるだろうが、奴らは殆ど見かけでは判断出来んからな」

 顔を見合わせてそう言う二人に、マイリーは更に詳しい話をした。

「そいつともう一人、彼とずっと行動を共にしているキーゼルと呼ばれる男がいる。この二人が、一連のこの騒ぎの最初の頃にタガルノ入りしている。しかも、このキーゼルという男がどうやら曲者でな。例の、よく効く薬をくれたガンディの古い知り合いだ」

「それって……」

 ルークが、呆れたように自分の左腕を見た。

「恐らく、自分の身内がお前に対して矢を射た事を知り、詫びを兼ねて薬を届けてくれたんだろうな。義理堅い事だ」

「ははは。何だよそれ。保護者かよ」

 ルークはもう、笑うしか出来なかった。

「調査の結果を聞いて、ガンディも頭を抱えていたぞ。この矢を射たガイという男、アルカディアの民にしてはかなり奔放な性格のようだな。地方の街の歓楽街などにも現れている事が多い」

 ヴィゴとルークは気付いていたが黙っていた。マイリーは明らかに、話を逸らしている。恐らく今、彼の頭の中ではどうすべきなのか、策が次々と考えられて検証されているのだろう。



「これは放置出来ない話だな。すまないが陛下に至急報告して来る。戻るまで待っていてくれ」

 突然立ち上がったアルス皇子が、そう言って一旦部屋を後にした。

 驚いて見送る二人に、マイリーが苦笑いして説明した。

「俺も詳しくは知らんが聞いた事がある。今、お前らが話したタガルノの要石の封印の話は、陛下や殿下はかなり詳しくご存知だぞ」

「要石って……以前、蒼の森で初めてラピスと接触した時にラピスが言ってた言葉ですね。これ以上要石に近寄るなら我は容赦せぬ、って」

 ルークの言葉に、マイリーが頷いた。

「よく覚えてたな。正解だ。詳しい説明は殿下がして下さるだろうが、俺が知ってる事を教えてやるよ。タガルノでは、約三百年程前に北の竜の背山脈を越えて、大規模な兵を派遣しようとした事が有るそうだ。その時に、現地で何があったかは知らんが、大量の兵士と守護竜を含む多くの竜達を失ったそうだ。以来、タガルノでは精霊竜の数が極端に少なくなった。竜への虐待も始まったのもこの頃からだ」

「竜の背山脈の北って……いにしえの制約に出て来る場所ですよね。確か、竜騎士になって直ぐの時に、殿下から聞いた言葉です」

「竜の背山脈の遥か北。決して入ってはならぬ場所がある。竜の背山脈を越えてはならぬ。その場所は神聖にして侵すべからず」

 マイリーが諳んじた言葉に、ルークは頷いた。

「ああ、それです。さすがですねよく覚えてる」

「いや、俺は竜騎士になって間もない時に聞いたお前が、それを覚えてた事に驚いてるよ」

 ルークの言葉に、逆にマイリーは笑ってそう指摘した。

「お前が聞いたのはここだけだろうが、これにはまだ続きがある」

 そう言って、書類を机に置いた。

「竜の背山脈の遥か北。決して入ってはならぬ場所がある。竜の背山脈を越えてはならぬ。その場所は神聖にして侵すべからず。聖なる結界を守りし精霊竜を遣わす。彼らと共にあれ。彼らがそこにいる限り。聖なる結界は守られる。我らは守る。この世界を、我らを要石として守る。神聖なる我らの精霊王に永遠の誓いと忠誠を」

「何と言うか……意味深い言葉だな」

 ヴィゴがそれを聞いて唸るようにそう言った。

「この言葉を要約すると、竜の背山脈の遥か北には何かとんでもないものが隠されている。しかしそれは決して暴いてはならぬもので、それを守るために、誰かが巨大な結界を張っている。その術の要になっているのが、精霊竜達。そして竜達もまた、その自らの勤めを理解している。とまあこんな所かな」

「素人にも、とってもよく分かる説明をありがとうございます」

 苦笑いしたルークが、小さく拍手する振りをした。

「そのタガルノでの話が本当なら、三百年前に彼らはそこへ行こうとした訳か。それで、何らかの報復……と言って良いのか分からんが、それを受けて大量の精霊竜を失った訳だな。それなら、結界を守る竜を虐待するタガルノの行動にも説明がつくな。三百年経っても彼らはまだ諦めていない訳だ。その、竜の背山脈にある何かを手に入れようと、今度は自国の結界そのものを壊そうとしている」

 ヴィゴの言葉に、ルークは首を振った。

「あの、セヴィオラって人はこう言ってましたよね。最悪の場合、精霊王の物語が現実になるって……」

「考えたくない事態だな。もし本当に闇の冥王が目覚めるような事があれば、この世界そのものが崩壊するぞ」

 マイリーの言葉に、ルークが首を振った。

「それも言ってましたよね。この世界そのものが崩壊しかねない事態が水面下で進行してるって」

 唸り声をあげて、ヴィゴは顔を覆った。

「あの女、とんでもない大嘘つきだと思っていたが、どうやら間違っていたのは俺の方か」

「とっ捕まえて連れて来るべきでしたかね」

 肩を竦めるルークの言葉に、ヴィゴは首を振った。

「力尽くではまず無理だ。奴らは皆、相当な精霊魔法の使い手だぞ」

 自分の放ったカマイタチを、片手で受け止め弾かれた苦い記憶にヴィゴは顔をしかめた。

「タガルノの馬鹿共め、勘弁してくれ。もし本当にそうなら、自分の国だけで絶対にすまないだろうが」

 隣ではルークが、思っていた以上の事態の深刻さに頭を抱えていた。



「お待たせ。今日のところはこれで一旦解散だ」

 戻って来たアルス皇子の言葉に、三人は立ち上がった。

「父上には全て報告したよ。明日、二人から直接話を聞きたいそうだ。時間を取って下さるから、午後には城に行ってくれ。謁見の間では無く、私室の方へとの事だから、これは内密の話にしたいらしい」

「了解しました。そのつもりで参ります」

 ヴィゴの言葉に、マイリーも頷いた。

「ルーク、すまんがこの話は当分の間他言無用だ。若竜三人組には、俺から折を見て話す」

「了解です。指示があるまで口外しません」

「頼む。それではご苦労だったな。ゆっくり休んでくれ」

 書類の束を手に、そう言ってマイリーは執務室へ戻って行った。

「マイリー、まだ今から仕事するんだ」

 呆れたようなルークの声に、アルス皇子は苦笑いしていた。

「私もあと少ししてから休むよ。お前達は構わないからもう休んでくれ」

 アルス皇子にそう言われて、二人は頷いて敬礼した。

「それでは我らは休ませていただきます」

 返礼を返したアルス皇子は、笑ってルークの肩を叩いた。

「明日は、レイルズの森での暮らしを聞かせてもらうよ、そっちは、皆楽しみにしていたんだからな」

「ええ、なかなかに楽しかったですよ。そうそう、俺達が全員、蒼の森へ行く大義名分が出来ましたもんね」

 振り返ったルークの言葉に、ヴィゴも笑って頷いた。

「確かに、堂々と殿下でも行ける大義名分だな」

「いや、それどころか陛下でも嬉々として行きそうな……」

「何だいそれは?」

 目を輝かせるアルス皇子に、ヴィゴは笑って首を振った。

「話すと長くなりますので、それは明日の楽しみに」

「ああ、ずるい! そこまで言っておいてお預けって!」

 笑ったアルス皇子の肩や頭の上には、シルフ達が座って同じように笑っていた。

「シルフは知ってるよな」

 ルークの言葉に、シルフ達は皆、嬉しそうに頷いた。


『知ってる知ってる』

『でも内緒内緒』

『何があるかは内緒内緒』

『知ってる知ってる』


「ああもう。気になって眠れなかったらお前達のせいだからな」

 悔しそうに笑ってそう言ったアルス皇子が、ルークの左腕を突いた。

「いやいや、駄目です。まだ痛いんですって」

 逃げるルークに、もう一度三人は揃って吹き出した。



 机の上では、並んだシルフ達が、仲良く話す三人を楽しそうにずっと眺めていた。

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