森の泉と墓参り

「直線距離で飛ぶと、早いですね」

 あっという間に目的地の上空へ到着し、泉の前の草地にゆっくりと降下する様子を見ていたタキスが、小さな声でそう呟いた。

「そうだね。ラプトルで来るよりずっと早いね」

 タキスの言葉にレイも頷いた。考えてみたら、家から泉へ一直線に来たのは初めてだ。

「おお、これは美しい……」

「本当だ、まさしく青の泉ですね」

 ブルーに続いて降りて来た二人も、感心したようにそう言った。

「足元、濡れるから気をつけてね」

 レイが地面に飛び降りながらそう言った。言葉通り、地面に着地した瞬間大きく水が跳ねた。

 頷いた二人も、気にせず竜の背から一気に地面に飛び降りた。



「……青と白しかない世界だな」

 泉を見渡したルークの言葉に、ヴィゴも頷いた。

「何とも幻想的な光景だ。そして、至る所から水が湧いているな。何と豊かな水源だ」

「竜達に飲ませてやれ。ここの水は竜の身体にとても良いぞ」

 振り返ると、竜達がこちらを見ている。その尻尾は大きく振り回されていて、竜達の気持ちを表しているようだった。

「ああ、すまんすまん。それじゃあ、好きなだけ飲ませてもらえ」

 ヴィゴの言葉に、ルークも水源を指差して笑い、竜達は嬉しそうに駆け寄って水に頭を突っ込んだ。

 しばらく夢中で飲んでいたが、息をつくように顔を上げて大きく伸びをした。翼も大きく上に伸ばしている。

「これは美味い。何だこの水は」

 シリルが呆然とそう言うと、またすぐに水に頭を突っ込んだ。

 パティは、息もつかずに水を飲んでいる。

「そんなに美味いのか? ラピス、これって俺達が飲んでも大丈夫なんだろ?」

 竜達の様子を見ていたルークが、我慢出来なくなってブルーを見上げてそう言った。

「ああ、大丈夫だぞ。左の水源がやや温度が高い。向こうの奥の、石のある辺りは冷たい水が湧いておる」

 ブルーが示した方角には、握りこぶしほどの大きさの石がゴロゴロと転がる一帯があり、そこにも数カ所水源があった。

 ルークは、竜の背に乗せた荷物から、小さなカップを取り出してくる。

「片手だと飲みにくいからな」

 そう言ってカップを手に、ブルーに言われた冷たい水が湧く場所へ向かった。ヴィゴは手ぶらでルークの後ろをついて行きレイとタキスもその後を追う。

「本当だ。冷たくて気持ちいいや」

 屈んで、右手をカップごと手首のあたりまで水につけたルークが笑う。

 隣の水源で、ヴィゴも屈んで両手で大きく水を掬った。

「何だこれ、水なのに甘いぞ」

 飲んだルークが、驚きの声を上げる。

「本当だな……確かに甘く感じる。これは美味い」

 二人も夢中になって水を飲んだ。それを見たタキスとレイも、同じように屈んで水を両手で掬って飲んだ。

「本当に美味しいね……そうだよ。この水、母さんに最後に飲ませてあげたんだ……美味しいって……」

 両手からこぼれ落ちる水を見つめながら、レイは突然あふれた涙で自分の目の前が見えなくなったのを、何とか必死で誤魔化そうとしていた。

「どうした、大丈夫か?」

 レイの様子がおかしい事に気付いたブルーが、首を伸ばして上から覗き込んだ。

 自分を覗き込むブルーの頭に、レイは無言で抱きついた。

「ごめんね、ちょっとだけこうしてて……」

 自分の頭を、ブルーの額に擦りつけるようにして、俯いたまま小さな声でそう言った。

「気がすむまで、好きなだけそうしていると良い。大丈夫だ。其方は一人ではない。我が付いておるぞ」

 静かに喉を鳴らしながらそう言うと、レイの気がすむまでずっとそうしていてくれた。

 大人達は、そんな二人を静かに見つめていた。




「ごめんね。ありがとうブルー」

 照れたように笑って手を離すと、しゃがみこんで湧き水で顔を洗った。

「うわあ、冷たい! でも、気持ち良いや」

 あまりの水の冷たさに飛び上がって、誤魔化すように大きな声で叫んで笑った。

 首を振って、水を飛ばすレイに、近くにいたルークが悲鳴を上げて逃げる。

「何するんだよ、こいつ!」

 足元の水を掬って、レイに向かって飛ばす。当たったレイも悲鳴を上げて、水を掬って投げつけた。

 魔法は一切無しの単なる水の掛け合いだったが、二人が楽しそうにはしゃいでいるのを見て、ギードとヴィゴまで参戦して、辺り中が飛沫だらけになった。

 最後は全員びしょ濡れになって、大爆笑になった。



「何をしておるのだお前らは。シルフ、濡れた服と身体を乾かしてやれ」

 呆れたようなブルーの声が響き、その後優しい風が全員を包み込んだ。

「あはは、ありがとうねブルー」

 すっかり機嫌の直ったレイが、乾いた服を叩いてブルーを見上げた。

「もう大丈夫だな。さてと、それでは次へ行くか」

 ブルーの声に皆頷いて、それぞれ竜の背に乗った。

 ゆっくりと木々の間を上昇し、まずはレイの母の墓に向かった。

 途中、ブルーが花の咲く丘へ連れて来てくれたので、それぞれ手向けるための花を摘んだ。



「ほら、あそこに赤リスがいるでしょ。あの子達がここの墓守なんだよ」

 笑ったレイが指差す大きな木の枝には、隠れるようにしてこちらを伺う赤リス達がいた。

「これは可愛い墓守だな」

 少し離れた場所に竜が降りた意味が分かった。赤リス達を驚かせない為の配慮なのだろう。

 小高い丘にある母さんのお墓の周りは、すっかり雑草に埋め尽くされていた。

「さすがにこれは、ちょっと可哀想だな」

 ブルーがそう言って何か呟いた。シルフ達が突然現れて風が舞い上がった。

 母さんのお墓の周りの草が、一気に短く刈り取られた。切り取られた草は、風で遠くへ飛ばされて散らばって見えなくなった。

「ありがとうブルー。これなら赤リス達は隠れられるね」

 草は、丁度レイの脛のあたりの高さで刈り取られている。確かにこれなら、赤リスが隠れられる高さだ。



 素知らぬ顔のブルーに笑って、レイは母の墓の前に座り込んだ。小さく深呼吸して顔を上げると、積んで来た花を半分、石の前に置いた。



「母さん久し振り。えっとね、ちょっと色々あって僕は覚えてないんだけど……実は死にかけたの。でも、ブルーやタキスが王都へ連れて行ってくれて、いろんな人に助けてもらって助かったんだよ。あのね、すごいんだよ、僕、竜騎士になる事になったの。冬になったら王都へ行くんだよ。竜騎士になる為の訓練をするんだって。夢みたいだよ……母さんも一緒に行けたら良かったのに……」


 俯いて黙ってしまったレイの背中を優しく撫でて、タキスも花を手向けた。


「お母上様、お久しぶりです。お聞きの通り、実はレイに大変な事がありました。お守りすると誓ったのに、本当に申し訳ありませんでした。でも、皆に助けられて一命を取り留めました。レイはどんどん成長しております。もう、我々の手を離れる日も近いですよ。どうか、彼を見守っていて下さい」


 ギードも、その隣に花を手向けた。


「お聞きの通り、危うくレイを喪う所でございました。申し訳ございません。無知とは恐ろしいものですな。レイが次の新たな人生の第一歩を踏み出すまで、あと少しだけ、未熟者ですがお付き合いさせて頂きます。どうかお見守り下さい」


 ギードの隣のニコスも花を置いて話しかけた。


「お母上様。危うく大切な彼を喪うところでした……本当に申し訳ありませんでした。お助け頂いた全ての方々に心からの感謝を。そして、守ってくださったお母上にも感謝を……もう、間違えません。今度こそ、今度こそ彼の旅立ちを見送ります。どうか、見守っていて下さい」

 最後は小さな声で呟くと、二人は一歩下がってヴィゴ達に場所を譲った。



「レイ、お母上のお名前は?」

 ヴィゴの言葉に、レイは顔を上げた。

「母さんの名前? デメティルだよ」

「おお、聖デメティルのお名前を頂いたのだな。良き名だ」

 そう言って笑うと、二人は花を手向けて深々と頭を下げた。

「レイルズのお母上……デメティル様、初めてお目にかかります。王都オルダムにて竜騎士を務めておりますルークと申します。今度、あなたのご子息のレイルズと同僚になる事になりました。良い子ですね。将来が楽しみです。どうぞ、これからも彼の事をお見守り下さい」

 そう言って、もう一度深々と頭を下げた。続いてヴィゴが、花を置いて深々と頭を下げた。

「デメティル様、初めてお目にかかります。同じく竜騎士を務めておりますヴィゴと申します。この度、我ら竜騎士隊にてご子息をお預かりする事となりました。とても楽しみです。どうぞ彼のこれから進む道をお見守り下さい」

 そう言って、もう一度深々と頭を下げた。



 顔を上げて立ち上がると、二人並んで剣を半分ほど抜き、音を立てて一気に鞘に収めた。軽やかな金属音がして、直後にシルフ達が何人も現れた。

 彼女達は、笑って花の周りに集まると、手を繋いでクルクルと輪になって踊り始めた。


『ミスリルの守りをここに』

『ミスリルの守りをここに』

『この場に聖なる火花が放たれた』

『ここは聖なる場所』

『清き場所』

『ここは良き場所』

『ここは良き場所』


 レイ達は、何が起こったか分からず呆然とそれを見ていると、頭上から感心したようなブルーの声が聞こえた。

「ほう。ミスリルで聖なる結界を張った訳か。成る程な。ミスリルの剣にそのような使い方があるのは初めて見たぞ」

 その声に、ブルーを見上げたヴィゴが小さく笑って剣を撫でた。

「本来は、聖職者が聖具を用いて張るものですが、我らのミスリルの剣は、それと同じ事が出来ます。この剣の柄の部分に、それぞれの竜の守護石が取り付けられておりまして、それと合わせる事で結界を張るのです」

「成る程な。良い事を聞いた」

「ラピスが守るこの森に、万一にも不届き者などおりませんでしょうが、せめてもの我らからの贈り物です。この場を守る一助になれば幸いです」

 ルークもブルーを見上げて笑った。

「助力に感謝する」

 二人の言葉に、ブルーは素直に礼を言った。



 何となくしんみりしたその場の空気を変えるように、レイはタキスの手を取って大きな声で言った。

「それじゃあ、次はエイベルの所へ行こうよ」

「ええ、そうですね。じゃあ行きましょう」

 タキスもそう言って、ヴィゴ達を見た。

「驚かないで下さいね、本当に粗末な墓なんです。幻滅されなければ良いのですが」

 小さな声でそう言って照れたように笑った。

 また順番にブルーの背に乗り、ヴィゴ達もそれぞれ竜に乗ってブルーの後に続いた。



 しばらく飛ぶと、岩場が散らばる広い草原に出た。その奥には大きな岩場が聳え立っている。

 草原の中の、一本の大樹の側にブルーが降り立った。ヴィゴとルークの乗るシリルとパティも、それに続いて降り立った。

「ここ……ですか?」

 ヴィゴが辺りを見回して不思議そうにしている。

 足元にはまばらに草が生い茂るだけで、どこにも墓らしきものは無い。


「ここです。これがエイベルのお墓です」


 タキスがしゃがみ込んだその先には、大人の頭ほどの大きさの白い石が置かれていた。歪な形のその石は、確かに自然に出来たにしては不自然な、歪な四角い形をしている。

「ここが、あの子の髪を弔った場所です。これが、あの時の私に出来た精一杯の形です。でも、全てのわだかまりが解けた今となっては……もう少し、改めて綺麗な墓石を作ってあげてもいいですね」

 その言葉に、ヴィゴは隣に立つタキスを見た。

「タキス殿、それならば、我らに墓石を贈らせて頂けませぬか?」

 驚いたタキスも、顔を上げてヴィゴを見上げた。

「そのようなつもりで、言った訳では無いのですが……」

「もちろん分かっております。ですが、せめてそれくらいの事はさせて下さい。エイベル様からどれほど多くのものを我らが頂いたか……せめてもの感謝の印です」

「あの、ありがとうございます。ですが、場所が場所ですので、ささやかな物で充分です」

「心得ました。良き物を贈らせて頂きます」

 大きく頷いたヴィゴは、一歩踏み出して小さな石の前に立った、隣にルークが立つ。

 持って来た花を手向けると、二人は並んで腰の剣を抜き、自分の前の地面に横向きに置いて片膝をついた。そして深々と頭を下げた。

 その後ろでは、並んだ二頭の竜達も、頭を下げて地面に鼻をつけた。

「我ら全ての竜騎士の恩人であるエイベル様に、心からの感謝を。どうか安らかにお眠り下さい。そして、精霊王の御許にて、我らをお守り下さい」

 ヴィゴの言葉に、タキスは俯いて涙を堪えた。隣にいたレイが黙ってその身体を抱きしめてくれた。

「エイベル。臆病だった私を許して下さいね。きっと貴方は精霊王の御許で、私の事をじれったい思いで見ていたんでしょうね」

 小さな声でそう言うと、立ち上がって音を立ててミスリルの剣を収めた二人に笑いかけた。

 またシルフ達が現れて、嬉しそうに笑って空中に輪を描くのを、皆で飽きもせずに眺めていた。



 ニコスとギードも花を手向けて祈りを捧げた。最後になったレイは、残りの花をエイベルに手向けると、小さな声で話しかけた。

「エイベル。僕びっくりしちゃったよ。何だよ、神様なんかになっちゃって。神殿で君の金ピカの像も見たよ。でも、僕知ってるよ。実はもうちょっと子供っぽい顔だったよね」

 隣で聞いていたタキスも、苦笑いして頷いた。

「良いんですよ。きっと、あの子も大人になってるんです」

「そっか、それならあれで良いんだね」

 二人は互いにもたれあう様にして、黙って石を見つめていた。

「レイ、あの子の分も幸せになって下さいね」

「うん、約束するよ」

 そう言ってゆっくりと離れた。

 振り返ったタキスの目には、もう涙は無かった。



「それではお世話になりました。我らはこれにてお暇させて頂きます」

 頭を下げたヴィゴの言葉に続いて、ルークも頭を下げた。

「お世話になりました。食事、どれも本当に美味しかったです」

「もう帰っちゃうんだね。気をつけてね」

 寂しそうなレイの言葉に、ルークは笑って右手で軽く腹を殴るふりをした。

「冬までなんてあっという間だからな。それまでちゃんと薬とお茶を飲むんだぞ。もう、あんな大変な事させないでくれよな」

「うう、ごめんなさい」

 タキスの後ろに隠れたレイを見て、皆笑った。

「ヴィゴ様、ルーク様。簡単なもので申し訳ありませんが、どうぞ夕食にして下さい。片手で食べられる様になっております」

 ニコスがそう言って持って来ていた包みを取り出して二人に渡した。

「あ、お弁当だね。ニコスの作ってくれるお弁当はどれも本当に美味しいんだよ」

 レイの言葉に、二人は嬉しそうに笑った。

「これは、お気遣い痛み入ります」

 手渡された包みは、どっしりと重く微かに良い香りがしていた。そして、包みにはそれぞれウィンディーネが座っていた。

「道中頂きます。ありがとうございます」

 嬉しそうなルークの言葉に、ニコスは笑って頷いた。

「お気をつけて。またお目にかかれるのを楽しみにしております。いつなりと、どうぞ遠慮なくお越しください」

 頷いて包みを持った二人は、それぞれの竜のところへ行き荷物の中にそれを入れた。

 もう一度振り返ってから、一気に竜の背に飛び乗った。

 伸びをする様に大きく翼を広げた二頭の竜は、主が乗った事を確認するとゆっくりと上昇した。

「道中お気をつけて」

 タキスの言葉に、二人は竜の背から笑って手を振った。

「気を付けてね! 次に会えるのを楽しみにしてます!」

 両手を振って見送るレイの頭上を、二頭の竜はゆっくりと旋回してから東の方角に飛び去って行った。

 墓石の周りにいたシルフ達も、見送って手を振っていた。

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