良き水と良き土

「本当だ。土って柔らかいんだな」

 豆を収穫していた畑に入って、足元の土を触ってルークは感心したような声を上げた。

「ほらヴィゴも見てくださいよ。俺達の知ってる土とは全く違いますよ」

 言われたヴィゴもルークの隣にしゃがみこみ、足元の土を手に取った。

「ほう、確かに柔らかい。我らの知っている土とは全く違うな。これは何処から?」

 顔を上げたヴィゴにそう言われて、レイは首を傾げた。

「えっと、土はここで作るから、別に何処からか持って来た訳じゃ無いよ」

「土を作る?」

 レイの言葉に、二人は首を傾げた。

「ヴィゴ様、畑の土は長い時間をかけてこのように柔らかく栄養豊富な土にするのです。堆肥たいひという言葉はご存知なのでは?」

「ああ、確かに竜舎の者たちが、堆肥に使うと言って竜達の糞を集めておりますな」

「それなら俺も聞いた事がある」

 頷く二人に、ギードが畑の横を指差した。

「あそこに土の山が出来ておりますでしょう。あれは、家畜や騎竜達の

 栄養分に変えてくれるのです。これこそ正しく自然が作り出す魔法ですな」

「成る程、先程十年がかりと仰られたのは、そういう意味でもあったのですな。土はそう簡単には作れぬ、何年もかけてすこしずつ、より良きものに作り変えていく訳だ。素晴らしい」

「なんでも栄養を入れれば良い、というものでもありません。そこが土作りの難しいところでもあり面白きところでもありますな」

 笑ってそう言うギードに、ニコス達も頷いていた。



「竜の糞を使えばまた、違う堆肥が作れそうだな」

 笑って言うニコスに、ブルーは笑っていた。

「そうか成る程。なら次回から遠慮無くここで致すとしよう」

 それを聞いて、レイは堪える間も無く吹き出した。

「うわあ、ブルーのだったらものすごい量がありそう」

「そうでも無いぞ。我らは雑食だし、食事の量自体はそれほど多くは無いからな」

「竜は、水で育つと言われておりますからな」

 その言葉に、ヴィゴが頷いた。

「そうだ。しかしあの城では、良き水はあまり期待出来そうに無いな。ふむ、どうするべきか考えておかねばな」

「さっきも言ってたね。良き水って何の事? 普通の水とは違うの?」

 レイがブルーを見上げて質問した。

「我ら精霊竜は、この身体を保つ為に、精霊達を自分の中に受け入れる。それ以外では、力のある自然由来の物を摂取する事にでも力を得る事ができるのだ。一番多く力が含まれているのが水。それから木の実や種子。草や果実にも多く含まれるな。肉は魚は、根本的に体力を高める為に食べる事が多い」

「へえ、そうなんだ。じゃあブルーのいる蒼の森の泉は力がある良い水なんだね」

「そうだ。人が飲んでも美味い水だぞ。それにそれだけでも最低限の体力を保つ程度のことは出来る」

 レイの脳裏に、光の精霊から見せられた光景が浮かんでいた。

 愛しい人を無くして呆然とする母に、ウィンディーネ達が必死で飲ませていた水こそが、その、力のある良き水だったのだ。

「そうだったんだ……ウィンディーネ、母さんを助けてくれてありがとうね」

 小さく呟いたレイの足元に、何人ものウィンディーネ達が現れて笑って手を振っていた。




「さてと、俺は昼の用意をしてくるから、後片付けをよろしくな」

 気分を変えるようなニコスの声に、レイも顔を上げて頷いた。

「分かった。この豆は倉庫で乾かしておくんだよね」

「そうですよ。じゃあ行きましょうか」

 手押し車いっぱいに積まれた豆の上に籠を乗せ、タキスがそれを押して畑の横に建てられた倉庫へ向かった。

 岩の段差になった部分に嵌め込まれるようにして作られたその倉庫は、農作業をする為専門の建物だ。

 中は広くなっていて、今は大きな机がいくつも並べられている。

「まずはそこの水で、豆を綺麗に洗います。濡れますので下がっていてくださいね」

 タキスが説明しながら、大きな半分に切った丸太をくり抜いて作った水場に豆を放り込んだ。丸太に差し込むように作られた、水の出る管を全開にする。

 一気に水が流れ出し、豆の汚れを洗い流していった。何度も豆を混ぜて綺麗にすると、一旦籠に取って水切りしてから足元に置いた。

 タキスが豆を洗っている間に、レイとギードは大きな布を机いっぱいに広げ始めた。

「タキス、用意出来たよ」

「それじゃあ、これからお願いします」

 タキスはそう言って、水切りした豆の入った籠をレイに順番に渡していく。

 受け取った豆を、手早く布の上に広げていくのを見て、ルークも横から手伝った。頷いてヴィゴもギードが豆を広げるのを手伝った。

「はい、これで終わりですね」

 最後の籠を渡されて、四人で一気に広げてしまう。

「すごいや。四人もいると作業が早いね」

 嬉しそうなレイに、二人も笑顔になった。




「色々と大変なのですな。収穫物によって、その後どうするか全部違う訳で……これは簡単では無いな」

「まあ、我々はほとんどの物をここで作っておりますから、その後の作業も煩雑です。普通の農家なら普通は作物の種類も多くは無いでしょうから、ここまで大変では無いですよ」

「この豆は、明日には全部集めて鞘を剥いちゃうの。それでまた乾燥させるんだよ」

「へえ、乾燥豆は、こうやって作るんだ」

 ルークが豆の鞘を手に取って笑った。

「俺の知ってる豆と違うから、どうしてかなと思ってたんだよ。そうか、この中に豆が入ってるんだな」

「ルーク、もしかして豆の鞘も見るの初めて?」

「……多分」

「俺は見た事があるぞ。花の種と同じだからな」

「ヴィゴ様は花をお育てになるんですか?」

 タキスは感心したように言った。貴族の中には、花や果実を育てるのを趣味にしている者もいる。花の品評会なども、季節によっては盛んに行われているのだ。

「娘達が、花を育てるのに夢中でしてな。親の贔屓目ですが、中々に見事に育てておりますぞ」

 自慢気なその言葉に、ルークが笑って説明した。

「今年の花祭りの時、俺達はタガルノとの騒ぎのおかげで、ずっと国境の砦にいたんですよ。花祭りが終わってもすぐには帰れなくて、結局ヴィゴは、娘さん達の力作の花の鳥を一度も見ずに終わっちゃったんだよね」

「何度思い出しても悔しいぞ。評判はとても良かったそうだからな」

「ブレンウッドの街の花祭りでも、お家の前に花の鳥を飾ってるのを沢山見たよ」

「ああ、ブレンウッドの街の花祭りを見たんだ。でも楽しみにしてろよ。オルダムの花祭りは、一生に一度は見ろって言われるくらいに豪華で賑やかだからさ。しかも俺達竜騎士は、特別席で見られるんだぞ」

 目を輝かせるレイに、ヴィゴとルークは顔を見合わせて頷いた。

「来年の特別席は、タドラとレイは決定だな」

「でも、まだお披露目はしないんでしょ?」

 ルークの言葉に、ヴィゴは小さく笑った。

「まあ、そこは上手くやるさ。竜騎士の同伴者として連れていくか、あるいはマティルダ様に頼んで連れて行って頂くかだな」

 納得したようにルークは頷いた。

「どちらかというと、マティルダ様に頼むのが良さそうですね」

「そうだな。帰ったらこっそりお願いしておこう」

「どうしたの? 二人共?」

 内緒話をしていたら、作業の終わったレイが心配そうにこっちを見ている。

「ああ、何でもないよ。来年の花祭りが楽しみだなって話」

「うん、僕も楽しみにしてるね」

 ルークにレイは嬉しそうに笑って頷いた。

「それで、あとは何をするんだ?」

 道具を片付け始めた三人を見て、ルークがレイに聞いた。

「今日の作業はこれで終わりだよ。そろそろお昼ご飯の準備が出来るから、居間へ戻ろうよ」

 濡れた籠を戸棚に並べると、レイはそう言って笑った。

「そういえば、お腹空いてきたな」

「ニコスの作るご飯は美味しいもんね」

 笑顔のレイに、二人も笑って大きく頷いたのだった。




「ご苦労さん。そろそろ出来上がるよ。レイ、窯からパンを出してくれるか。右側の二列がお昼の分だからな。残りは出して網の上に置いておいてくれ」

 手を洗ってから居間に戻った五人に、ニコスが振り返って笑った。

 レイは言われた通りに、二列分のパンを取り出して籠に入れた。それから、残りのパンを取り出して、窯の横にあるパンを冷ますための網棚に並べた。

 タキスが手早く食器を出してくれる。机に座ったギードは大きなハムの塊を切っていた。

「ニコス、これは全部切っていいんだな?」

 大きな鍋を持ったニコスがギードの手元を見て頷いた。

「ああ、それは全部切ってくれて良いぞ。レイ、スープ皿にこれを入れてくれるか」

 ニコスは、もう一度台所に戻って何か作業をしてた。

「これでよしと。あとは野菜を出すだけだな」

 戸棚から、綺麗に洗ったレタスを取り出してお皿に取り分ける。ギードが切ったハムをその横に並べた。

「準備完了。それじゃあいただこうか」

 それぞれ席につき、いつもの賑やかな昼食になった。




 昼食の後、少し休憩してから蒼の森へ出掛けるために上の草原に戻った。家畜と騎竜達はノームとシルフが番をしてくれる。

「それじゃあ蒼竜様、よろしくお願いいたします」

 タキスの言葉に、ブルーは頷いて地面に伏せてくれた。いつものように、まずタキスが腕に乗り首元に座った。レイが次に乗りタキスの前に座る。ニコスがタキスの後ろに座って、最後に大きな包みをニコスに渡してからギードが一番後ろに乗った。

「おお、四人一緒に乗るんですな」

 それを見たヴィゴの声に、レイが頷いた。

「一番最初にこの並びだったから、それから何となくこのままだね」

「まあ、何となくこれが一番落ち着きますね」

「ワシは全然落ち着かんぞ」

 地を這うようなギードの声に、三人は堪える間も無く吹き出した。

「ギード、良い加減慣れて下さい。蒼竜様に乗せて頂けるのも、後少しなんですから……」

 最後の方は小さな声になった。

「いつでも乗せてあげるよ」

 何でもない事のように、そう言って笑うレイを、タキスは黙って抱きしめた。いつのまにか自分よりも大きく逞しくなった、その身体を。



「さあ行こう。ブルーのいる泉はすごく綺麗なんだよ」

 レイの声に、頷いたブルーが大きく翼を広げてゆっくりと上昇する。ヴィゴとルークの乗った二頭の竜がそれに続いた。

 並んだ三頭の竜は、蒼の森の深部に向かって一気に飛び去っていった。

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