林の訓練所と畑仕事
食事の後、家畜と騎竜達を連れて、竜達の待つ上の草原へ皆で上がった。
「おはようブルー」
二頭の竜の横にブルーの姿を見つけて、レイは嬉しくなって駆け寄った。
「うむ、おはよう。昨夜はよく眠れたか?」
レイの体に頬擦りしながら、優しくブルーが尋ねる。
「うん。目が覚めた時に、いつもの丸い天井が見えて嬉しかったよ」
その大きな額にキスをしたレイは、嬉しそうに笑ってそう言った。
「そうか。それは良かったな」
大きく喉を鳴らしながらそう言って、ゆっくりと顔を上げた。
その後、手分けして牛や山羊達にブラシをかけてやり、ラプトルも順番に拭いてやる。
身体の大きなトケラは、床磨きに使う大きな硬い毛のブラシで、背中やお腹を擦ってやる。ギードとニコスの二人掛かりで強く擦られ、目を細めて首を上げ気持ち良さそうに喜ぶトケラを見て見学の二人は大笑いしていた。
「初めて見た。トリケラトプスってそんな顔もするんだ」
笑いすぎて出た涙を拭きながら、そう言ったルークがまた笑っている。
「騎竜には表情が無いなんて言いますけど、そんな事無いですよね。一緒に暮らせば分かりますが、本当にどの子も個性的で表情豊かですよ」
タキスの言葉に、二人は納得したように頷いた。
「我が家にはラプトルは沢山いますが、さすがにトリケラトプスは飼っておりません。しかしこれを見たら、欲しくなるな……」
ヴィゴのつぶやきを聞いて、またルークが吹き出した。
「ヴィゴの自宅には、二十頭もラプトルを飼ってるんですよ。この上トリケラトプスまで飼ってどうするんですか」
「だ、誰も飼うとはいっておらんぞ」
慌てて否定するヴィゴを見て、またルークは吹き出した。
「すごい!そんなにいるんですか!」
目を輝かせるレイに、ヴィゴは苦笑いして頷く。
「家族が乗る為だけで無く、護衛の者や使用人達の分を含むと、そのくらいの数になるな。まあ、好きだからと言われても否定は出来ないがな」
「あ、開き直った」
ヴィゴは、また笑っているルークの左腕を後ろから突いてやる。
「痛いって。左腕は勘弁してください。助けてレイルズ、ヴィゴがいじめるよ」
笑って悲鳴をあげたルークが、レイの後隠れるようにした。
「そんなの無理! 助けてトケラ!」
二人揃ってトケラの後ろに隠れて、皆で大笑いになった。
家畜達の世話が終わると、畑仕事の前に、草原の横の林に作られた訓練コースをレイが嬉しそうに案内した。
「ほら、あそこが以前言ってた、障害物の訓練をしてる林だよ」
「へえ、こりゃすごいや」
感心するようにルークが言い、ヴィゴも隣で頷いている。
「せっかくだから一度走ってみるか?」
ニコスの声に、レイは嬉しそうに頷いた。
「やりたい! でも、今のルートってどうなってるの?」
「そろそろ変えようと思ってたんだけどな。まだそのままだから大丈夫だろ?」
「じゃあお願いします!」
笑ってそう言うと、ニコスとレイはスタート地点へ走って行った。
「ヴィゴ、せっかくなら上から見たい!」
「成る程。それはいい考えだな」
準備運動をしている二人を見て、ルークとヴィゴは竜達のところに走って行った。
「タキス殿も良ければご一緒に」
振り返って手招きするヴィゴの言葉に、タキスも頷いて後に続いた。
ヴィゴの後ろに乗せてもらい、三人は林の上空へ向かった。気付いた二人が見上げて手を振っている。
「そろそろ行きますね!」
大きな声でそう言った二人は、一気に林の中へ走って行った。
低空飛行の竜達が、林より少し高い位置で彼らの動きを追う。
石を蹴って飛び、木に手をかけて枝の上に飛び上がり、隣の木に飛び移り、また跳ねる。二人の足は、一瞬も止まることがない。
「何と。これはすごい」
「あいつら、実は猿なんじゃないか?」
感心しきりの二人とは違い、タキスはいつもよりもレイの動きが鈍い事に気が付いた。
「さすがにまだちょっと、本調子ではありませんね。大丈夫でしょうか?」
心配しながら見ていると、後半の難関部分にかかった時、レイが足を踏み外した。
「うわっ!」
勢い余って転がったレイを、突然現れたノーム達がしっかりと受け止めた。
『危なや危なや』
『大事無し大事無し』
『無事なり無事なり』
「うう、いつもすみません」
格好良いところを見せたかったが、残念な結果になってしまった。
上空で、呆気にとられて見ているルークと目があった。
「失敗。残念でした! ノーム、いつもありがとうね」
上空のルークに笑って手を振ってから、助けてくれたノーム達にお礼を言った。
「大丈夫か?」
レイが転んだ事に気付いたニコスが、慌てて戻って来てくれた。
「やっぱりここで失敗するよ」
足元の、失敗の原因の小さな踏み切り石を見ながらため息を吐く。
「前回もここまでは順調だったんだよな。どうする? もうやめておくか?」
ここで失敗すると、後半の難所はここから始めるのはもう無理だった。一気に勢いをつけて飛ばないと駄目な箇所が何箇所もあるのだ。
「残念だけど、今回も失敗です! ああ悔しい。いつになったら攻略できるんだろう」
地面に転がって悔しがるレイに、上空からルークが声を掛けた。
「上から見てたら、まるで羽が生えてるみたいだったぞ。すごいって。自信持て」
小さく笑って起き上がった。
「ありがとう。もっと出来るように頑張るね。じゃあ、あとは昼まで畑仕事だね」
そう言って身体についた土を払いながら、二人は一旦草原へ戻った。
「畑仕事って何をするんだ?」
竜達と一旦別れて坂道を下りながらそう言ったルークに、レイは驚いたように振り返った。
「えっと、どう言う意味? 畑仕事は畑仕事だよ?」
どうやらレイは、ルークの質問の意味が分からなかったらしい。
「レイ。そりゃあ貴族の方なんだから、畑仕事がどんな事するかなんて知ってる訳無かろうが」
笑ったギードにそう言われて、レイは目を瞬いた。
「そっか、そうだよね。じゃあもしかして畑の土に触った事も無いの?」
「記憶にある限り、無いな」
「俺も無い」
ヴィゴとルークがそう言うのを聞いて、レイは笑った。
「あのね、良い土ってね、ふかふかで柔らかいんだよ。今は収穫直前だから土も固いけど。それでも気持ち良いよ。良かったら触ってみてよ」
「土が柔らかい? 砂場のよう、と言うことか?」
意味の分からない二人にレイは自慢げに胸を張った。
「見たら分かるよ」
坂を降りた先にある畑の横に立った二人は、驚きのあまり声が出なかった。
「上から見たら小さく見えたけど、こうやって見たら広いな」
「そうだな。それに確かに綺麗だ。あの奥の黄色いのは何ですか?」
奥の一面の麦畑を指差してヴィゴが質問した。
「あれは小麦畑だよ。パンの材料になる小麦粉を作るの。えっとね、あの先の房みたいになったところに小麦の実が一粒ずつ入ってるの。固い殻に覆われてるから、まずその固い部分を脱穀して取ってから、周りの皮を剥いで石臼で挽いて粉にするんだよ。あ、黒パンはその皮ごと粉にするの」
「小麦粉。そうか、小麦の粉……か」
「へえ……」
当然、料理もした事が無い二人だったが小麦粉ぐらいは知っていた。
「あれって、小麦の実の粉だから小麦粉って言うんだ」
「俺は、あんな白い粉が元からあるんだと思ってたぞ」
二人の会話を聞いたタキスが、堪える間も無く吹き出した。
「し、失礼しました。まるで昔の自分を見ているようだったので……」
慌てて言い訳するタキスを見て、二人は納得したように笑った。
「そうか、タキス殿も元はと言えば街育ちですからな」
頷いたタキスは、畑を見ながら話し始めた。
「私が生まれたのはオルダムではありませんでしたが、少なくとも食べ物や衣類は買う物でしたね。ですから、ここに来て長い間、随分と酷い生活をしました。ノームやシルフ、ウィンディーネ達が助けてくれなかったら、一年以内に餓死していたでしょうね」
「単なる好奇心ですが、一人の時って何を食べていたんですか?」
ルークの質問に、タキスは小さく笑って俯いた。
「命を繋いでくれたのは、ウィンディーネ達が出してくれた良き水です。あの水のお陰で死なずにすみました。他に食べていたのは、木の実や薬草。魚をどうにか捕まえたところで、鱗を取らなければ食べられない事さえ知りませんでしたからね。精霊達に言われて、何とか食べて寝ているだけの生活でした。正直言って、あの時の私は……死にたかったんです。自殺しては輪廻の輪に戻れませんから。自分が力尽きるのを待っていたんです。でも、人は簡単には死なないものですよ。私はそれをここで思い知りました。それで生きる目的もなくただ死にたがって生きていた私の元に、突然ドワーフのギードが現れたんです」
タキスは、当時の事を思い出して小さく笑い、隣でそれを聞いていたギードも同じく笑っている。
「ワシはまあ色々あって、全財産をはたいてこの石の家をドワーフのギルドから買い取りました。とは言え、当時のワシは大切な冒険者仲間を失い絶望しておった。他の仲間達の慰めも耳に入らぬくらいに……ここには自分の死に場所を求めて参りました。ところが、来てみたら、勝手に住み着いておる竜人を見つけて大喧嘩になりましてな」
驚く二人に、タキスがまたしても吹き出し、ギードも声を上げて大笑いしている。
「ここが自分のものだと言うのなら、看板の一枚でも立てておけ。ここに住めと言われたから住んでるだけだ!」
芝居染みた身振りで、怒ったようにタキスがそう言う。
「何を寝ぼけた事を言っておるか! 何処の誰が、そんな事をお前に言ったのだ。文句を言ってやる。ここはワシが買った家だぞ! 元はと言えば、ドワーフのギルドが所有しておるわい!」
同じく、怒ったふりをしたギードが伸び上がって握り拳を振り上げる。
「じゃあ付いて来い。文句を言う相手を教えてやる」
そこまで言って、またしても二人同時に吹き出した。
畑に入って土の様子を見ていたレイとニコスも、声を聞いて驚いて振り返った。
『それで、怒った二人が我の泉に来たのだ。こっちはいい迷惑だったぞ。のんびり寝ていたら、いきなり大声で起こされて、こいつが文句を言いたいらしいから出て来てくれなどと、勝手を言いおってからに』
レイの肩に座ったシルフが、呆れたようなブルーの声でそう言った。
「それで……どうなったんですか?」
笑いを堪えるルークの言葉に、二人が続きを話した。
「まあそんな感じで、ワシがギルドから借りておったラプトルに二人揃って乗って、蒼の泉まで行きましてな」
「私が泉で叫んだら、いきなり蒼竜様が泉から首を出してくださって、当然ギードは腰を抜かしてひっくり返りましたよ。見たら気絶してました。まあ……いきなり蒼竜様を間近で見たら、そうなるのは当然ですよね」
「で、次に目が覚めたら、またしても目の前で蒼竜様ワシを覗き込んでおられたのとまともに目が合って、そのままもう一度気絶しましたぞ」
「それで結局、泉で夜を明かしました。翌朝、やっと目を覚ましたギードの前にもう一度蒼竜様が出て来てくださって。どうにか話し合った結果、あの家に二人で住む事になったんです」
初めて聞く話に、レイも目を丸くして聞いていた。
「最初の内は、とにかくお互いのやることなす事気に入らなくて喧嘩ばかりしておったよな。それでも何故だか目を離せんかった。今なら分かるよ。自分より死にたがってる奴を見たら放ってはおけまい? 要は、自分の見ている前で、自分より先に誰かに死なれたくなかったんじゃよ」
「そうだったんですか? 私は随分と面倒見の良い人だと思ってましたよ。あれだけ喧嘩してても、毎回ちゃんと食べられる物を作ってくれたんですから」
笑ってそう言うタキスに、ギードももう一度笑った。
「まあ、そうこうしておるうちに情もわいてきましてな。結局、ワシが畑を開墾し、農具の作り方を教え、蒼の森でラプトルを捕まえて一年がかりで慣らし、どうにか数年かけて生活出来るだけの状態に持って来れたんですわい。正直言って、ドワーフギルドの助け無しには出来ませなんだな」
そう言うと、誤魔化すようにギードも畑に入った。
「見てくだされ、十年かけてここまで開墾いたしましたぞ」
両手を広げて自慢げに笑うギードに、ルークとヴィゴは拍手を送った。
「一口に開墾と言っても簡単ではありますまい。木の根一つを掘り起こすのも、並みの苦労では無かろうに」
一般兵として最前線にいたヴィゴは、工兵達が国境地帯の森を切り開いていた光景を覚えている。トリケラトプスを使っても、それは簡単な作業では無かった。
「まあ、それに関してはノームの助けを借りておりましたからな。苦労と言っても然程の事はございませぬ」
「そんな事があったんだね。僕、始めから二人は仲良しなんだって思ってた」
「まあ、第一印象が最悪だったことは否定せぬな」
ギードの言葉にまたしてもタキスが吹き出し、それを見たギードも遅れて吹き出した。
「まあ、喧嘩してお互いを知り仲良くなった良き例だな。レイよ、よく覚えておきなされ。人の縁なんて、何処に転がっておるか分かりませぬぞ」
片目を閉じて笑ったギードに、レイは大きく頷いた。
「僕にもそんな人が出来るかな?」
「貴方なら、きっと誰とでも仲良くなれそうですね」
タキスが笑ってレイの頬を撫でた。
「さあ、話が長くなってしまいましたね。ここだけでも収穫してしまいましょう」
豆の鞘がたわわに実った畝を指差して、ニコスが持って来てくれた籠を手に取った。
「じゃあ僕はこっちから採るよ」
隣の列にレイが入って手早く豆の鞘を取り始めた。片手で持てる小さな鋏で、手早く切っていくのだ。
四人が二列の畝の両側から収穫するのを、ルークとヴィゴは感心して見ていた。
「あれなら俺でも出来そうだな」
「うむ、豆を切るだけなら……邪魔だとは思うが少しだけやってみるか?」
そう言った二人は、レイとタキスの所へ行ってみることにした。
収穫に熱中していた四人は、畑に入って来た二人を見て驚いて顔を上げた。
「どうしたの?ルーク」
手を止めたレイに、ルークが目を輝かせて豆を見ながら言った。
「邪魔だと思うけど、俺にもちょっとだけやらせてくれないか?」
「もちろん!良いよ。ここに来て」
位置を変わったレイが、鋏をルークに渡した。
「こうやって持つの。握り込むみたいに、そう。それで、膨らんでいる豆の鞘の根元のこの辺り、ここを切って」
言われるままにルークが鋏で切った豆は、レイが掴んでいる。
「ほら、これで収穫完了。ここにもあるよ」
いくつか言われるままに切り、何となく分かってきたルークが、次々に収穫するのをレイは横で手伝った。
「これ全部するのにどれくらいかかるんだよ?」
ルークの声に、隣で同じように教えてもらって豆の鞘を切っていたヴィゴも顔を上げた。
「えっと、ここの豆だけなら……三日ぐらいかな?」
驚きに目を見開いたルークは、そっと鋏を返して首を振った。
「ヴィゴ、やっぱり素人は邪魔しちゃ駄目ですよね。この畑を三日で収穫なんて、とてもじゃないけど考えられないよ」
「そうだな。邪魔するのはこれぐらいにしよう」
ヴィゴも鋏を返し、その後は収穫した籠を持ってある程度溜まった豆を集めるのを手伝った。
ニコス達は彼らに畑仕事を手伝わせるなんて、と恐縮していたが、始めて手伝う畑仕事を実は二人共とても楽しんでいたのだった。
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