王都での最後の日

「帰っちゃうんだね」

「しばしのお別れだね」

「楽しかったなぁ」

「寮生活に戻ったみたいだったよな」

「僕も楽しかった!」

 枕戦争が決着を見て、とりあえず最低限の部屋の片付けを終えた五人は、レイのベッドに仲良く並んで座り、それぞれ自分の枕を抱きしめていた。

「俺はこっちで寝るぞ。さすがに寝てて左腕を下敷きにされたら、明日竜に乗れないからな」

 枕を持ってベッドから降りたルークが、笑いながら壁際の大きなソファーに寝転がった。

「じゃあ僕はこっち」

 タドラが同じく枕を持って、もう一つの小さな方のソファーに向かった。

「ま、三人なら何とか寝られるよな」

 二人いなくなって少し広くなったベッドに転がったロベリオが、枕を置きながら笑った。

「おやすみ」

 ユージンも、枕に抱きついてうつ伏せになった。

「おやすみなさい……」

 真ん中で上向きに寝転んだレイがそう言うと、あちこちから応える声が小さく聞こえて、やがて静かになった。



 でも、レイは眠ることが出来なかった。



 静かな寝息を立てる二人を起こさないようにゆっくりと起き上がったレイは、静かにベッドから降りた。足元に置かれたスリッパを履いて、そっと窓際に行く。

 小さな予備の椅子を持って来て、窓辺に置いて座る。

 窓越しに見上げた夜空には、真ん丸な月が正面に登っていた。

「星が少ないね」

 肩に座ったシルフに小さな声で話しかける。


『街はどうしても空気が汚れている』

『だから星はあまり見えない』

『もっと星を見たければ埃を飛ばすよ?』


 レイは黙って首を振った。

「そんな事しなくて良いよ。ちょっと思ったんだ。百年前はどんな星が見えてたのかなって」

「百年ぐらいじゃ、見える星は変わらないぞ」

 背後から突然聞こえた声に、レイは文字通り飛び上がった。

「ごめんごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだ」

 そこに立っていたのは、ロベリオとユージンの二人だった。

「どうした?眠れないか?」

 二人が優しくそう言って、レイの両側に立つ。

 灯りの消された部屋だったが、見事な満月に照らされた部屋はとても明るく静かだった。

「今日、何があったか聞いた?」

 消えそうな小さな声でレイが呟くと、二人は黙ったまま両側からレイの肩を抱きしめ、頭をくしゃくしゃにした。

「お前は何も悪くないよ」

「そうだよ。マイリーが時々きつい言い方をするのは、本気になった時の癖みたいなものだよ。全然悪意があったり本気で怒ったりしてるんじゃないよ。だから、気にしなくて良いって」

「そうそう。マイリーが本気で怒ったら、めっちゃ静かで……優しくなるんだよな」

「え? 優しくなるの? 怒ってるのに?」

 首を傾げるレイに、二人は揃って頷いた。

「言っとくけど、あれは本気で怖い。毛布に潜り込んで俺は泣くぞ! って、ぐらいにはな……」

 遠い目をするロベリオを見て、ユージンが声を殺して笑っていた。

「顔は笑ってるのに、目が笑ってないんだよ。どうすりゃあんな顔ができるのか俺には全然理解出来ない」

 ロベリオが自分の両手の指で、自分の目を横に引っ張って細い目にして顎をあげる。

「そうか、もういい。って、こんな目をして言うんだぜ」

 二人は堪えきれずに吹き出した。

「何それ、見てみたい……けど、自分には絶対言われたくない!」

 口を押さえて笑うのを我慢するレイに、二人も必死で笑いを堪えて頷いていた。

『もう遅い。早く寝なさい』

 その時、窓辺に座ったシルフがブルーの声でそう言った。

「うん、もう寝るよ。おやすみブルー」

 そう言って立ち上がったレイは、シルフにキスすると大人しく自分のベッドに戻った。それを見送った二人も、顔を見合わせて振り返った。

「おやすみラピス」

「シルフもおやすみ」

 そう言って、二人もベッドに戻った。

 やがて三人が規則正しい寝息を立てるまで、シルフはその場から動かずじっと見守っていたのだった。






 翌朝、起こしに来たラスティと応援の兵士達は、思ったよりも散らかっていない部屋を見て逆に驚いた。

 どんな惨状になっているかと朝から覚悟して来たのに、どうやら昨夜は少し散らかした程度で済んだようだ。

「まあこれなら……すぐに片付きますね」

 部屋に入ったラスティ達は、手分けして手早く部屋を片付けた。

 ワゴンに置かれたお菓子は綺麗に無くなっていたし、お茶もほとんど全部飲んだようだった。

「ありがとうございました。助かりました」

 応援の兵士達にそう言って見送ったラスティは、大きなため息を一つ吐いて、まだ熟睡している悪ガキ達を順番に叩き起こしていったのだった。




 一旦各自の部屋に戻った彼らは、身支度を整えてからレイの部屋に集合して、タキスも一緒に朝食をとった。

「えっと、出発は午後からって言ってたけど、午前中は何をするの?」

 食後のお茶を飲みながらレイがそう尋ねると、同じくお茶を飲んでいたタキスが顔を上げた。

「特に聞いていませんが、何か聞いていますか?」

 側に控えていた執事に聞くと、彼は静かな声で答えてくれた。

「ゆっくりしていただくようにとの事です。何かご希望があればご用意しますが?」

 思わず顔を見合わせたレイとタキスは、ちょっと考えて揃って首を振った。

「特に何も……」

「森へ帰ったら、いっぱい働かなくちゃ駄目なんだから、ゆっくりしててよタキス」

「そうですね。お借りした本がまだ少し読み足りないところがあるので、じゃあ私はゆっくり読書することにします」

「あ、じゃあ僕も借りてた残りの本を読もうっと……そう言えば、これって返すのはどうすれば良いの?」

 机に置かれた、図書館で借りて来た本を指差す。

「私が返しておきますから、置いておいてくだされば良いですよ」

 ラスティがそう言ってくれたので、レイは頷いて立ち上がった。

「えっと、皆はお仕事?」

「俺とユージンは、一日外せない用事があってね。食事が終わったらすぐに行かなくちゃ駄目なんだよ。あ、もちろん見送りは行くよ」

 ロベリオが嫌そうにそう言っている横で、ユージンも嫌そうに頷いていた。

「ああ、例のご婦人方か……頑張れ。これも仕事だ」

 同じく嫌そうにそう言ったルークの声に、三人は同時にため息を吐いた。

「何のお仕事?」

 聞いたところで分かる訳も無いのだけれど、余りにも嫌そうな三人の様子に心配になった。

「うん。要するに……暇と金を持て余してるご婦人方の集まりに、男だけど花を添えに行くんだよ」

 それを聞いたタキスも、情けなさそうな顔をして三人を見た。

「それはご苦労様です。五十年経ってもその辺りは変わってませんね」

 思わずタキスを見ると、彼は笑って教えてくれた。

「貴族のご婦人方だけの集まりですね。ですがまあ、何と言うか……人目がないと、皆、好き勝手な事を言う訳です」

「要するに、そこにいない知り合いの悪口を、お互いに延々と言い合うだけの集まりみたいなもんだよ」

 驚くレイに、ロベリオとユージンは大きく頷いた。

「でも、女性だけだと言い過ぎて喧嘩しそうになる事があるだろ。そうならないように、飾り代わりに誰か男性を置く訳。で、今回は俺達が呼ばれた訳だよ」

 ロベリオとユージンの言葉を、タドラが引き継いだ。

「竜騎士隊って、軍の中でも特別な、何処にも属さない皇王直轄の独立部隊でね。まあ、自分で言うのも何だけど、竜騎士達って人気があるんだよね。それで、貴族達が作る僕達の後援会ってのがあるんだ。例えば、分かりやすく言えば、差し入れのお菓子だったり、部屋で着る私服だったり、とにかくありとあらゆる色んな物を差し入れてくれたり、活動の為の資金を援助してくれたりする。他にも色々とね。もちろん国からの活動資金とは別だよ」

「とにかく、俺達の活動には金も人手も掛かるからね。ありがたい存在では有るんだけど、たまにこうしてお茶会に呼ばれたり、夜会に呼ばれたりする訳だ。お世話になってるから、あんまり邪険に出来ないだろ。で、一緒にいる間中……女性達のお喋りにひたすら笑顔で付き合う訳だ。どう、これって楽しいと思う?」

「楽しく……ないの?」

 不思議そうなレイに、皆苦笑いしていた。

「お前が来たら、女性陣は大喜びしそうだよな」

「俺達のお呼びがかかる回数が減るかもね」

 ロベリオとユージンは、顔を見合わせて笑っていた。

「俺は喜んで、その権利を譲るぞ」

 ロベリオがそう言うと、ユージンも大きく頷いている。タドラも手を上げて同意を示していた。

「何でスラム出身の俺より、元々貴族のお前らが苦手なんだよ」

 呆れたようにルークが笑ってロベリオの頭を突いた。

「いや、逆だろ。貴族の子供って、子供の時に色々見てるからな」

「だよね、特に未亡人って、すごいもんね」

「あの……お忘れのようですが、一応レイはまだ未成年ですので、その辺で……」

 意味が分からなくて首を傾げるレイを見て、慌ててタキスが止めに入る。

 四人は同時に吹き出した。

「タキス、過保護だな」

「まあ、そっち方面はこれからに期待だね」

 皆にからかうように笑われて頭を抱えるタキスを、レイは不思議そうに見ていた。



 四人が順に出て行った後、レイとタキスは二人揃ってソファで並んで本を読んでいた。

 タキスが読んでいるのは最近書かれた医学書で、レイが見ているのは精霊図鑑だ。

 色付きの綺麗な挿絵に見惚れていると、シルフが何人も現れて、自分達が載っているページをめくって自己主張し始めた。

「あはは。そうだね、皆も載ってるね」

 勝手に開かれたページを見ながら、レイは嬉しそうに笑った。机の上にはウィンディーネ達も現れて、皆で楽しそうに本を見ているレイを飽きもせずに見つめていた。




 昼食は、遠征用の薄緑色の制服を着たルークとヴィゴと一緒に四人で食べた。

 食後のお茶を飲みながら休憩していると、ガンディが大きな包みを持って部屋に入って来た。後ろには数人の助手達が、同じようにどれも大きな包みを抱えている。

「師匠、何ですか?その大きな包みは」

 慌てたタキスとレイが立ち上がって、大きな包みを机に置くのを手伝った。思った以上に重い。

「白の塔の図書室にあった主に最近書かれた医学書の写しと、儂が個人的に持っておる医学書の写しじゃ。二冊持っておるのも何冊か有ったので、それはもうそのまま譲ることにしたわい」

 呆気にとられて包みを見つめるタキスに、ガンディは笑って肩を叩いた。

「これは、全部差し上げる故持って帰られよ。忙しい森でも、本を読む時間ぐらいは作れるじゃろう?」

「師匠……」

 言葉も無いタキスに、ガンディは自慢げに胸を張った。

「覚えておけよ。儂は一度言った事は決して諦めぬぞ。これから儂は、何年かかろうが本気で其方を口説くからな」

「ガンディ、自慢気に言わないでくださいよ。それって一歩間違えたら危ない奴ですよ」

 呆れたようなルークの声に、ヴィゴも苦笑いしている。

「ま、好きに笑ってろ。この話はそのうちゆっくりしてやる。餞別代わりの、この本達を渡しに来ただけだ。どうだ、気に入ってもらえたかの?」

「あ、ありがとうございます。師匠。何とお礼を言ったら良いのか……」

 感動のあまり涙ぐむタキスを、ガンディは優しく抱きしめた。

「礼を言うのは儂の方じゃ。よく生きていてくれた。そして、儂の事を信じていてくれたな」

 優しく背中を叩きながらそう言うと、抱きしめた腕を離した。

「レイルズの事を儂が頼むのは筋違いかも知れんが、冬までよろしく頼むぞ。雪が降る頃までには、こちらに来てもらう事になるようじゃからな」

 無言で頷いたタキスは、改めて師匠を見上げた。竜人としては平均以上のタキスだったが、ガンディはそのタキスが見上げるほどに背が高い。

「お約束します。冬には必ずここにレイをお預けします。どうか、あの子の進むべき道に導いてやって下さい」

「約束しよう。さて、それではそろそろ皆が待っておるぞ。行くとしよう」

 助手達が持って来た包みを全てまとめて、用意してあった大きな木の箱に入れた。釘を使って蓋をしっかりと閉じるのを確認して、四人がかりでその箱を運んで行く。

「それでは行きましょう」

 ヴィゴの声に、レイも立ち上がった。今彼が着ているのは、ここに来た時に着ていたニコスの作ってくれた服だ。

 タキスも、着た時の服を着ている。

「えっと、靴はお借りしたままだけど……」

 これを返せと言われたら、裸足で帰る事になるな。などと、若干不安になりながらヴィゴを見ると、彼は笑って首を振ってくれた。

「その靴は、差し上げるから好きに使いなさい」

「良いの? ありがとうございます」

 無邪気に笑うレイに、周りの大人達も皆笑っていた。レイの肩に座ったシルフ達も、レイの笑う声に嬉しそうに手を叩いていた。

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