後悔と憂さ晴らし

 竜騎士隊の本部のある建物に到着した一行は、無言のまま一旦解散となった。



 レイは、迎えに来てくれたラスティと一緒に部屋に戻り、用意されていたいつもの訓練兵の制服に着替えた。

「どうかなさいましたか?」

 着替えが終わっても、無言のままのレイを不審に思ったラスティが、優しく声を掛けてくれる。

「……よく分からないんだけどね、僕、何か、失敗したみたいなの……」

 見るからにしょんぼりした様子で、小さな声でそう話すレイを見て、ラスティは驚いた。

 先程マイリーから、疲れているだろうからレイルズの事をよくねぎらってやるように、と言われたばかりなのに。

「何があったか知りませんが、マイリー様から何か叱られましたか?」

 黙って首を振る。

「でも……」

「でも?」

 ラスティはしゃがんで、下から見上げるようにして、俯いた顔を覗き込む。

 泣きそうになっていたレイは、ラスティが差し出した手を握りしめた。

「直接叱られた訳じゃないけど……僕、マイリーが、期待してたみたいに上手く出来なかったみたいで……」

 細かく震える手を撫でてやりながら、ラスティは小さなため息を吐いた。

 いくら身体が大きいと言っても、彼はまだ精神的に色々な部分が未発達な子供なのだ。

 これまでの人生を、小さな村と森の家族という狭い交友関係の中でしか暮らしてこなかった事で、互いに適度な距離を保つ事や、まあ良いだろう。と、適当に見逃すという事が出来ないのだろう。

 周りが期待すれば、それら全てに一生懸命応えようとする。それなのに、一つ失敗したら全部が終わりだと思っているようにも見えた。



「とにかく座ってください。美味しいお菓子がありますよ」

 午前中に、竜騎士隊お抱えの商人から甘いお菓子がいくつも届いている。用意してあった冷たいお茶とお菓子を置いた机に、レイを連れて行き座らせた。

「マイリー様から、特に何か問題があったとは聞いておりませんよ?」

 お茶をグラスに注ぎながら、出来るだけ軽い口調で言ってやる。

「僕にもよく分からないの。でも、絶対……何か……」

 机に置かれた砂糖がけのパイと、卵のたっぷり入ったクリームの詰められた、カスタードタルトと呼ばれるケーキを見ながら、レイは呟いてまた俯いてしまった。



「レイルズ様。一つ良い事を教えて差し上げましょう」

 隣に座ってレイの手を取る。

「悩むのも、後悔するのも大いに結構です。でもね、やり方を間違ってはいけませんよ」

「えっと、どう言う事?」

 不思議そうに顔を上げたレイが自分を見るのを確認して、ラスティは握った手を叩いた。

「例えば今、マイリー様が期待したように出来なかった。と、仰いましたね」

 無言で頷くレイに、ラスティは小さく笑った。

「全部、誰かの期待通りに出来る人なんていませんよ。そんなのがもしいれば、それは人ではありません。人は失敗する生き物です。上手く出来ない事なんてしょっちゅうですよ」

「でも……」

「でも?」

「僕がもっと上手く出来ていれば……」

「後悔の仕方を間違えないでください。あの時こうしていれば、もしこう出来ていれば。それは誰しも思う事です。ですが、やってしまった事は無かった事には出来ませんよ。ですから、レイルズ様が今から考えるべきは、これからどうするか、と言う事ですよ」

 自分を見つめるレイに、大きく頷いてみせた。

「だってそうでしょう? 過ぎてしまった事を、あんな事してしまった。って悩んでたって何も変わりませんよ。それなら、これからどうすればいいか、自分に出来る事を考える方がずっと有意義だと思いませんか? ああもちろん、人の命がかかっているような場合は別ですよ」

 ぽかんとして、自分を言葉もなく見つめるレイに、もう一度大きく頷いてやる。

「私が成人する時に父から贈られた言葉です。人は失敗する生き物だ。だが、そこから学ぶ事が出来れば失敗も無意味では無い。完璧な人なんていない。ただ、常に前を見て完璧であろうとするその心だけが讃えられるべきものなのだ。とね」

 泣きそうな顔で突然レイが抱きついてきた、ラスティは黙って受け止めて抱きしめてやった。

「今度は、もっと上手く出来るかな?」

「もちろんですよ。ゆっくり一歩ずつ大人になってください。失敗したのなら、なぜ失敗したのか原因をよく考えてみてください。原因が分かれば、案外、解決方法は簡単だったりするんですよ」

 それでも何か、ためらっている様子の彼に、もう一つ教えてやる事にした。

「それからもう一つ。時が解決してくれることも案外多いんですよ」

「時が解決……?」

「そうです、今はまだ出来無い。或いは、今はまだすべき時では無い。そんな事も沢山ありますよ」

 その時突然、レイの頭の中に誰かの声が聞こえた。



 ……本当に必要な時が来るまで、忘れておいてね。



 その不思議な言葉はあっという間に消えてしまい、なんと言われたのかすらもう定かでは無かった。

 しかし、レイは確かに分かったのだ。今はこれでいい。時が来れば分かるのだと。



「ありがとう、ラスティ。何だか元気が出てきた」

 照れたように笑うその顔を見て、ラスティは、自分の言葉が彼に届いた事を確信した。

「それからもう一つ。憂さ晴らしの方法ってご存知ですか?」」

「憂さ晴らしって?」

「そうですね……まさに今のレイルズ様のように、何か後悔があって気分が晴れない時、大人はお酒を飲みます、やけ酒って言いますね」

「僕、お酒は飲めないよ」

 困ったように言うレイに、ラスティは机の上を示した。

「美味しい物を食べる、と言うのも良い方法です。美味しい物を食べていると自然と笑顔になるでしょう? さて問題です。笑顔で悩んでいられますか?」

 机の上のケーキを見て、ラスティを見た。その顔はもう笑っている。

「じゃあ、僕はそれにする!」

「はいどうぞ。お好きなだけお召し上がりください」

 ゆっくりと頷いて、横向きに座っていたレイの背中を叩いてきちんと座らせてやる。

 一番大きなカスタードタルトをお皿に取り、その横には刻んだフルーツのシロップ漬けと真っ白なクリームをたっぷりと盛り合わせる。満面の笑みになったレイを見て、ラスティも笑ってレイの目の前にそれを置いた。



「あの……えっと……」

 しかし、レイは食べずにラスティを見ている。

「どうされましたか? どうぞお食べください」

 すると、レイは思いがけない事を言った。

「ラスティも一緒に食べようよ」

 まさかそんな事を言われるとは思っていなかった彼は、思わず首を傾げた。

「これはレイルズ様の分ですよ」

「だって、部屋に二人いるのに僕だけ食べるなんて変だとずっと思ってたの。まだ沢山あるよ。知ってる? 美味しい物は一緒に食べる方がもっと美味しいんだよ」

 無邪気にこちらを見て、当然の事のようにそう言って笑う彼に誰が逆らえるだろう。ラスティは笑顔で頷いて手早く自分の分のタルトを取った。それから一礼してレイの隣に座った。

「それでは私もお相伴にあずかります」

「うん、一緒に食べよう!」

 嬉しそうにそう言うと、大きく切ったタルトを口に入れた。

「美味しいね!」

 ラスティも、タルトを切って口にして頷いた。

「ええ、とても美味しいですね」

 水差しの上に座った水の精霊の姫が、そんな二人を見て嬉しそうに笑っていた。






 一方、レイと別れたマイリー達は一旦着替えの為に各自の部屋に戻ったが、誰が言った訳でも無いのに集まって、揃って別室に移動した。

「とにかく、今日あった事を一旦まとめましょう」

 口火を切ったのはマイリーだった。

 ルークとガンディ、タキスの三人がそれぞれ頷いた。



「アルカーシュの生き残りの一人であるアルファンがされていた亡き父からの頼み事。

 駆け落ちした巫女姫が持っていたハルディオの銀細工の竜を持つ者、恐らく巫女の血族の者に会ったなら預かっている光の精霊の記憶を渡すように、との事。そして、王族の方が知っていた、そのハルディオの銀細工を持つ者は皆、不老不死とも言われた太古の民の末裔。彼らは今はアルカディアの民となって放浪の生活をしている事」

 手帳を見ながら話すマイリーに、誰も口を挟まない。

「その太古の民の末裔は、当時のアルカーシュで賢者と呼ばれていた一団で、星系神殿の巫女達を守っていた。となると、巫女達も太古の民の末裔だったのでしょうか?」

「それについてはまだ不明な点も多いな。しかし、時の繭を閉じる事が出来る者が、ただの人間であるはずがない」

 断言するガンディに、タキスも頷いた。

「今、時の繭を閉じる事が出来る程の精霊魔法の使い手は恐らくいないでしょう。本当に……お母上をお助け出来無かった事が悔やまれます」

「時の繭……物語の中の創作の魔法だと思っていました。まさか本当にあったとはね」

 ルークの言葉に、その場にいた全員が頷いた。

「それも百年もの時を渡ったとは……気が遠くなるな。確かに、そんな魔法を使える者がただの人間のはずが無い」

「しかも、レイの話が本当なら、お母上は彼を身篭った状態のままで時を渡った事になります。そんな事が可能なんでしょうか?」

「実際に彼は生まれてきておる。恐らく、腹の中にいた為にお母上と同じ時を生きておったのだろう。再現はどう考えても不可能だがな」

 タキスの疑問に、ガンディが答えた。しかし彼も、自分の言った言葉を自分で信じられなかった。

「今度奴にあったら、とことん問い詰めてやるわい」

「例の、アルカディアの民のご友人ですね」

 マイリーの言葉に、ガンディは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。

「長らく騙されておったわけだな。まあ、どちらかと言えば面倒事を避ける為の方便だったんだろうがな」

「心中お察しします。まあ、それについてはお二人でとことん話し合ってください。そして、どうなったか教えてくださればそれでいいですよ」

「他人事だと思いおって」

 拗ねたようなガンディの言葉に、マイリーだけでなくタキスまで吹き出した。

「まあ師匠。その方にもきっと知られたく無い事情があったのですよ。友達だからと言っても、全てを明け渡してくれる訳では有りませんからね」

 そう言うタキスの脳裏には、ゴドの村で殺された、ギードの長年の友人であった鍛冶屋のエドガーの顔が浮かんでいた。

 タキス達も知らない人では無かったが、付き合いは浅かった。しかし、ギードは自分に何も言ってくれずに逝ってしまったその友人の事を、しばらく飲む度に悲しそうに話していた。

「分かっておる。まあ次に会った時に苛める理由が出来たわい」

 肩を竦めて笑うガンディは、それでも寂しそうに見えた。

「お手柔らかにお願いしますね」

 その相手に同情しつつ、タキスはマイリーを見た。

「そうなると、レイルズのいたゴドの村の村長だった男も、本当にどういった人物だったのか調べる必要が出て来ましたね」

 一人意味の分からないルークに、タキスが簡単に説明した。

「そっか、レイルズが文字を書いたり算術が出来たのは、森で教えてもらったんじゃなくて、元はその村長から習ったんですね……それは確かに、只者じゃ無いな」

「しかし今更、調べられますか?」

 タキスの質問に、マイリーは笑った。

「まあ、そう言った事の専門家も城にはおります。何が出るかは分かりませんが、とりあえず調べてもらいます。何か分かればまたお知らせしますよ」

「分かりました、手間をかけますがよろしくお願いします」

「これが俺の仕事ですからお気遣い無く」

 マイリーは笑って立ち上がった。

「さてと、それでは俺はやる事があるのでこれで失礼します」

 他の者達も、それに続いて立ち上がった。




「ああ、タキス殿。予定通り明日は森へ帰ってくださって構いませんよ。王妃様がお見送りをしたいと仰られていたので、出来れば出発は午後からにして頂けたら有難いですね。午前中は謁見の予定があった筈です」

「帰ってもよろしいのですか?」

 てっきりまた当分帰れないのだろうと諦めていたので、マイリーの言葉に驚いたのだった。

「ヴィゴがお送りします。良ければ一晩泊めてやってください。どんな生活なのか詳しく見てくるように言っておきましたので」

「やっぱりヴィゴが行くんだ!」

 それを聞いて、ルークが大声を出した。

「いきなりでかい声を出すな」

 横目で見たマイリーだったが、ルークは手を挙げた。

「マイリー! 俺も行きたいです! 良いでしょう? どうせ今の俺は役立たずだし」

「お前腕は? まだ養生中だろうが」

「無理しなければ大丈夫ですよ。あ、森で静養なんて名目でどうですか?」

 良い事思い付いた。と言わんばかりのルークに、マイリーは殴るふりをした。

「それって、抜け駆けだと若竜三人組に拗ねられるんじゃないか? あいつらを説得できるなら、別にこっちは行っても構わんぞ」

「だってあいつら、抜けられない用事があるって言ってましたよ。よし、そう言う事で代表して俺が行きます。タキス殿、お世話になります」

 改めて頭を下げる彼に、タキスは笑って頷いた。

「こちらとしては、来て下さるなら大歓迎ですよ。では、そう言う事で伝えておきますね」

 一旦解散になったので、タキスはそのままレイの部屋に向かった。

 恐らくマイリーを怒らせてしまったと落ち込んでいるであろうレイを慰める為に。



 しかし驚いた事に、部屋にいたレイはラスティと笑って話しをしていたのだ。机の上には空になったお皿が置かれている。どうやら、ラスティがタキスの代わりにレイを慰めてくれたようだった。

「あ、タキス。もうお話は終わったの?」

 振り返ったレイがいつもの笑顔でそう言うのを、タキスは内心驚いて聞いていた。

「ええ、マイリー様とお話しして来ました。レイ、良かったですね。明日、予定通りに森へ帰れるそうですよ」

 レイもまた、明日帰るのは無理だろうと思っていたので、その言葉を聞いて、満面の笑みでタキスに飛びついて来た。

「やった! やっと帰れるんだね」

 嬉しそうな声を聞きながら、さらに喜ぶであろう事を言ってやる。

「ヴィゴ様と、ルーク様が一緒に来て下さるそうですよ。泊まってくださるそうですから、森の良い所を沢山見て頂かないとね」

 歓声をあげるレイの頬にキスをして、タキスもようやく帰れる安堵感に一緒に笑った。




 夕食は広い部屋で、竜騎士達全員とガンディも加わって、皆で一緒に食べた。

 その席で、ルークとヴィゴが一緒に行くと聞かされた三人が盛大に拗ねて、ずっとルークを突き回しているのを大人達は大笑いして見ていたのだった。




 城での最後の夜は、当然のように全員がレイの部屋に枕を持って集合し、心置きなく最後の枕戦争を楽しんだのだった。

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