子竜と古竜
四頭が並んで降りて来るのを見上げていた兵士達は、他の三頭とのブルーの余りの大きさの違いに、驚きのあまり声も無かった。
何人かの兵士は、無意識に後ずさっている。
タドラ達が飛び降りたのを見て、レイもブルーの背から飛び降りた。
「何処にいるの?その子竜は?」
叫ぶレイの声に、我に返った兵士の一人が大きな声で答えた。
「こ、こちらです!その竜もご一緒に!」
大きな竜舎が前方に見えた。あれならブルーが入っても大丈夫だろう。
再びブルーの背に飛び乗ると、一飛びに竜舎の前まで行き、飛び降りた。その背後ではロベリオ達三人の乗る竜が降りて来た。更にその後ろには、大勢の兵士達が走って来ている。
しかし、竜舎の前でレイとブルーは途方に暮れてしまった。目の前の扉は、どう考えても小さすぎてブルーには入れなかったのだ。
「えっと、子竜を連れて来て貰えば良い?」
入れない扉を見ながら困ったように近くにいた兵士を見たが、その兵士はものすごい勢いで首を振った。
「小さいとは言っても、竜です。到底人間の力で動かせません。それに、今、無理に動かすと……それこそ命に関わります」
泣きそうに答える兵士の言葉に、レイも泣きそうになった。ここまで来て、まさか竜舎に入れないなんてどうしたらいいんだろう。
その時、背後が不意に騒がしくなった。
「おいどうした。何故入らない? その為に来てくれたんじゃないのか!」
現れたのは、ヴィゴほどでは無いが立派な体格を持った男性だった。左右のこめかみが白くなったその壮年の男性は、他の兵士とは着ている服が違う。明らかに、身分のある人物のようだった。
「シヴァ将軍! 違います。竜舎の扉が小さ過ぎて入れないんです」
側にいた兵士が、泣くような声で答えた。
「……何をしておる。壁を壊せ! その竜が入れるまで大きくしろ! 今すぐに!」
直立して敬礼した兵士が、一斉に走って行き、すぐに
「中にいる他の竜達を移動させろ!」
数人が竜舎の中に駆け込み、しばらくすると顔を出した。
「大丈夫です。やってください!」
応えたツルハシを持った大柄な兵士が壁の側に行き、振り上げたツルハシを壁に向かって力一杯振り下ろした。
ものすごい音と共に、ツルハシが壁に突き刺さる。勢い良く引き抜いたその兵士は、大声と共に再びツルハシを打ち込んだ。
何度も打ち込み壁にいくつもの穴が空いた時、大きな丸太を担いだ数人の兵士が、後ろから走って来た。
「そこを退いてくれ!」
一斉に左右に分かれた兵士達の中を走り出て来た彼らは、そのまま手にした丸太を勢いよく壁に叩きつけた。
先程の比では無い轟音と共に壁が崩れ落ちる。だがまだブルーが入るには到底足りない。
「時が惜しい。手伝おう。ノームよ、この壁を壊しても建物に問題は出ぬか?」
ブルーの言葉に、何人ものノームが地面から現れた。
『ここの竜舎はしっかりと作られております』
『こちら側の壁は壊しても大丈夫ですぞ』
『我らが守っております故ご心配なく』
それを聞いたブルーは、顔を上げた。
「良いな。壊すぞ」
先程のシヴァ将軍と呼ばれた男性に、ブルーが念を押す。
「遠慮無くお願いします。竜舎は簡単に直せますが、竜はそうは行きませぬ。どちらが大事かなど聞くまでも御座いません」
目を細めて頷いたブルーは、大きく口を開けると目の前の壁に向かって息を吐いた。
しかし、それはただの息では無い。
始めて会った時のロベリオを竜の背から叩き落とした、あの衝撃波を極々軽くしたものだ。
目の前を塞ぐ壁が、一気に崩れ落ちる。
「ふむ、これで入れるな。問題の竜は何処にいる」
もうもうと立ち込める土埃から顔を出したブルーが、何事も無かったかのように聞いたが、周りの兵士達は全員驚きのあまり答える事が出来なかった。
ついでに言うと、余りのものすごい土埃に、目と鼻が痛くて全員咳込んでしまって喋れなかったのも理由だったのだけれども。
「シルフお願い。風でこの埃を飛ばして」
それを見たレイが顔を上げてシルフに頼む。彼自身と竜騎士達三人は、シルフ達に守られている為、全く埃の被害を受けていない。
レイの声に何人ものシルフが現れて、一気に風が通り抜け埃が飛ばされて目の前が開けた。兵士達に付いていた土埃も、突然現れた小さなつむじ風が一気に取り去ってそのまま無くなった。
「す、すごい……」
「これが古竜の主……」
周りの兵士達が、無言でレイの周りから距離を取る。
それに気付かないレイは、ブルーを見上げて頷いた。
「ありがとうブルー。これで入れるね」
足元の壁の破片を乗り越えて、竜舎の中に入った。当然ブルーも続き、身体半分が竜舎に突っ込んだような状態で止まる。
中にいた兵士達は、大きな布で子竜を覆って守っていた。しかし、埃が無くなったのを見ると慌ててその覆いを外した。
「お願いします! この子です」
叫ぶような世話係の兵士の声に、ブルーは大きく頷いた。
「どれ、見せてみろ」
近寄って首を伸ばしてその子竜に触れた。
「ふむ、かなり弱っているな。心臓が引き攣っておる」
胸のあたりに鼻先をそっと近づけると、静かに癒しの術を発動させた。
その時、子竜の周りに大勢のシルフが現れて、円陣を作るようにして子竜を取り巻いた。一斉にブルーを降り仰いで頷く。続いて
「手伝ってくれるのか?それは有難い。ではよろしく頼む」
もう一度癒しの術を発動させる。それに続くように精霊達が、両手で優しく子竜の身体を叩いた。しかし、倒れたまま丸くなった子竜はピクリとも動かない。
そして、周りで見守る兵士達も誰も動こうとしない。
皆、両手を白くなる程に握り締めて、無言で祈るようにブルーと子竜を見つめていた。
三度目の癒しの術を発動させたブルーが、静かに顔を上げた。大きく息をすると、ブルーはそのまま歌を歌い始めた。
低く優しいブルーの声で紡がれるその歌声は、朗々と竜舎全体に響き渡り、聞く者全てを虜にしたのだった。
「これは……癒しの歌? 初めて聞く」
「まさか、癒しの歌を歌う竜がいるなんて……」
ざわめくような兵士達の呟きに、三人の竜騎士達は苦笑いを隠せなかった。
彼らがレイの竜熱症の処置をしている間中、ブルーは庭でこの歌を歌っていたのだ。後でガンディからその話を聞き、ちゃんと聞きたかったと、皆で残念がったのだ。
「まさか、ここで聴けるとはね」
「役得だな。俺達」
「俺達は今回、何にもしてないのにな」
レイが静かに歩み寄ってブルーの腕に触れた。
そのまま動かずに、ブルーが歌を止めるまでずっとそうしていた。
かなりの時間が過ぎた頃、ようやくブルーが歌うのをやめた。
「どうなったの? もうその子は大丈夫?」
小さな声でレイが尋ねると、ブルーは喉を鳴らしながらレイに頬擦りした。
「もう大丈夫だ。乱れていた血の流れも心臓の動きも整えてやった。じきに目覚めるだろう」
レイは嬉しそうに笑ってブルーの額にキスをした。
「ありがとうブルー、間に合って良かったね。僕、子竜って初めて見たよ。小さいんだね」
丸くなったその子竜は、確かにブルーよりも遥かに小さい。並ぶとどれだけぐらいの差があるのか、想像も出来ない程その大きさに違いがあった。
「まだ、生まれて数年の小さな雛だ。これで主を得たというのは驚きだな。可哀想に。余程、命の危険に晒されていたのだろう」
静かなブルーの声に、我に返った兵士達が動き始めた。
ある者は壁の残骸を片付ける為に手押し車を取りに行き、また別の者は開けてしまった壁に応急処置の為の布を探しに走った。
「貴方の名を教えていただけませぬか。私はこの地を預かっております、シヴァ・ルーフレッド・ロディーナと申します」
振り返ったブルーが、静かに答えた。
「我が名はラピスラズリ。ラピスと呼ぶが良い」
「おお、その姿に違わぬ美しい名だ。ならばラピスと呼ばせて頂きましょう。ラピスよ、貴方に心からの感謝を。子竜を助けていただき本当にありがとうございます。それにしても美しい。私は長年、竜の育成や治療に携わって来ましたが、これほどまでに美しい竜を見るのは初めてです」
自分の竜を褒められて、レイは嬉しかった。
「良かったねブルー。綺麗だって」
大きな顔に抱きついてキスをした。それを見ていたシヴァ将軍は、振り返って三人の竜騎士達を見る。
頷く彼らに納得して、レイに向き直った。
「改めまして竜の主よ。私はこの地を預かっております、シヴァ・ルーフレッド・ロディーナと申します」
はるか年上の偉い人に、改まって頭を下げられて、レイは慌てて答えた。
「初めまして。レイルズ・グレアムです。よろしくお願いします」
「レイルズはまだ未成年だから、当分お披露目はしないよ。シヴァ将軍もそのつもりでお願いしますね」
ユージンの声に、シヴァ将軍は頷いた。
「レイルズ様はまだ未成年ですか? 立派な体格をしておられるので、てっきり成人年齢かと思いました」
驚く彼に、レイは困ったように笑った。
「えっと、実はこの一年でもの凄く背が伸びたんです。今年の春で十四歳です」
「それは素晴らしい。まだまだ大きくなりそうですな」
笑ったシヴァ将軍の大きな手で背中を叩かれて、レイは笑いながら悲鳴を上げた。
「あれを見ると、まだ子供だって思うよな」
ロベリオの呟きに、二人は大きく頷いていた。
「大したものはありませんが、良ければ中で昼食をどうぞ。ラピス、ここは狭いですからあちらの大型の竜舎へどうぞ。いま水を用意させております」
「水は必要無い。しかし、日差しを遮る屋根があるのなら、そこへ行かせてもらおう」
シヴァ将軍の案内にレイとブルーは一緒について行った。当然、その後ろを竜騎士三人もついて来た。
一旦外に出て、道沿いに別の竜舎に向かった。確かにそこは先ほどの竜舎よりもかなり大きく、扉も巨大だ。確かにこれならブルーでも入る事が出来る。
「先ほどの竜舎は、子竜や小さな若竜の為の竜舎だったんです。こちらは大型の竜でも入れる竜舎ですから、ここならラピスも入れ……ますね」
頭を下げて扉を潜ったブルーは、中を見渡して、一番屋根の高い真ん中に座った。それでも、ギリギリ翼の先が屋根に当たっている。
何度かモゾモゾと座り直して、なんとか屋根に当たらずに丸くなった。
「レイは食事をしてくると良い、我はここで休ませてもらおう」
足元は、柔らかな干し草が敷き詰められていて、かなり狭いが寝心地は悪くなさそうだ。
「分かった、お疲れ様でしたブルー。ゆっくり休んでてね」
「あ、それなら外の湖の方が良いんじゃ無いか?」
ロベリオの声に、ブルーが顔を上げた。
「表の泉か? 残念だがあれは我には小さ過ぎる」
竜舎の近くにかなり大きな泉が有るのだが、底が浅い為に到底ブルーの休む場所には足りない。
「そっちじゃ無くて、広場の向こうの湖だよ。泉の水が流れ込んでる湖があって、小さいけど深いんだ。良い水らしくてさ。水竜はそこで養生したりもするんだよ。確か今は使ってませんよね」
「ええ、今養生している水竜はいませんから大丈夫です。そうか、ラピスは水の属性の竜なんですね。それならここよりも湖の方が良いでしょう。どうぞお使いください」
「良いのか? ならば見せてもらおう」
嬉しそうに立ち上がると、ゆっくりと表に出た。急に動くと、どこかの壁に羽根や尻尾が当たるからだ。
外に出ると、三頭の竜が並んでいた。
それぞれ竜の背に飛び乗ると、ゆっくりと上昇した。それを見たレイも、嬉しそうに笑ってブルーの腕に飛び乗り、その背に乗った。
頷いたブルーがゆっくりと上昇するのを、シヴァ将軍は無言で見上げていた。
「こっちだよ。ラピス」
三人が案内してくれたのは、広場の奥の林を抜けた先にある湖だった。確かに王宮の湖よりも一回り小さいが、深い濃い青をしている。
一旦側の草原に降りてレイを下ろすと、ブルーは嬉しそうに湖に潜り、しばらくして、湖から顔を出した。
「うむ、然程広くは無いが良い水だな。気に入った。ここで休ませてもらおう。帰る時に呼んでくれ」
駆け寄って来て頷くレイに、顔を伸ばして頬擦りするとブルーは静かに水の中に姿を消した。
「じゃあ戻ろう。お腹空いただろ」
ロベリオの言葉に、レイは笑って頷いた。
「確かにお腹空いたよ。じゃあ戻ろうか」
「どれに乗る? 今なら好きな竜に乗れるぞ」
ロベリオが笑いながらそういうのを聞いて、レイは歓声を上げた。
「乗せてくれるの?」
「もちろん。誰でもお好きな竜にどうぞ」
芝居染みた格好で大きく一礼する。
「ええ! そんなの選べないよ」
「それなら一番近いこいつに乗るか? 乗りたければ、昼食の後で他の子達にも乗せてもらえよ。お前なら、皆喜んで乗せてくれるぞ」
「ありがとう! オニキス、乗せてくれる?」
駆け寄って嬉しそうに話しかけるレイに、漆黒の竜は喉を鳴らした。
「喜んで、ラピスの主よ」
「そうか、レイは竜の鞍を見るのは初めてだな。ほら、こんな風になってるんだよ」
座ってくれたアーテルの腕に乗ってレイを引き上げながら、ロベリオが鞍を見せて説明してくれるのを、レイは目を輝かせて聞いていたのだった。
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